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SS by astra
現代失格 早苗
久しぶりに頑張った。早苗さんのお話。

はしがき

 私はその少女の写真を二葉持っている。
 一葉は、その少女の、幼年時代とでも言うべきであろうか、十歳前後かと推定される頃の写真である。写真の中の少女は、美しい、清楚な笑みを浮かべている。その少女の笑顔は、一見普通の笑顔のようであるが、見る人が見れば、何とも知れず薄気味悪いものが感じられるだろう。この少女は、本当は少しも笑ってはいないのだ。その証拠に、少女は、両方のこぶしを固く握って立っている。人間は、こぶしを固く握りながら笑えるものでは無いのである。
 もう一葉は、最近ある天狗が彼女を写したものだ。写真の中の少女は、年頃の少女にはやや似合わぬ、悪戯そうな笑顔を浮かべている。ただ少女の笑顔には、昔の写真にみられる薄気味悪さがまったく無くなっていて、心からの笑顔であることが見てとれる。
 この二葉の写真が撮られた間に、少女に何があったのか。少女の笑顔はどうして、かくも変わったのか。物語の断片を4つ、紹介しよう。

第一の断片〜現代人

 恥の多い生涯を送ってきました。
 私には、世の常識というものが見当つかないのです。どうやら私には他の人に見えない世界が見えているようなのです。妖精や妖怪、果ては神様まで。見えるだけでなく、その世界の生き物たちは、精一杯の優しさと暖かさでもって、私に語りかけてきます。ですから、物心ついた時にはその世界の住人たちが家族同様のいとしい存在になっていました。
 もちろん、幼き日の私は、その世界の様子について嬉しそうに両親に語って聞かせていたのでした。その世界は、幼い私にとって何故かとても美しく感じられたのです。両親も、その話は私の無邪気な作り話だと思っていたのでしょう、とても楽しそうに聞いてくれていました。こうして私は、この美しくもどこか儚い世界を当たり前のものとして受け止めるようになっていったのです。
 初めて私がこの世界を疑問に思ったのは、小学校に入る少し前でした。ある日、夜遅くにふと目が覚めました。そして襖一枚隔てた隣の部屋から両親の話声が聞こえてきたのです。

「早苗のことだけど・・・」
「・・・いつまでもあんな作り話ばかり・・・」
「・・・もうすぐ小学生になるんだし・・・」
「・・・心配だわ。」

 断片的に記憶に残っている両親の言葉。自分でこういうことを言うのもおこがましいとは思うのですが、同年代の他の子たちと比べてかなり利発な方だった私は、両親の言っていることをおぼろげながらも理解したのでした。そうして私は、一抹の不安を抱えて小学校へ入学することになりました。
 小学校へ入ってすぐ、私の不安は現実のものとなりました。クラスメイトの誰一人として、私と同じ世界を認識している人はいなかったのです。私が自分の見た世界の話をした時に受けた、クラスメイト達からの好奇と不審の入り混じった視線が、私にとって耐えがたい恐怖のように感じられました。しかしそのころの私には、どれが私にしか認識できない世界で、どれが他の人たちと共有している世界なのか判別出来なかったのです。私はクラスメイトとほとんど会話が出来ませんでした。何を、どう言ったらいいのか、分らなかったのです。皆に合わせた会話をすることが、皆と一緒に笑うのが、私には大変難しいものでした。
 そこで私が考え出したのは、道化でした。
 それは、私の、この世に対する求愛でした。クラスメイトと話していて、間違って皆が認識していない世界の話をしてしまった時、私は、時には冗談めかして、時には壮大に、時には切々と、自分の思いついた作り話を面白おかしく語る一流のエンターテイナーのように振る舞って見せたのです。おもてでは、絶えず笑顔をつくりながらも、内心は必死の、それこそ千番に一番の兼ね合いとでもいうべき危機一髪の、油汗流してのサービスでした。しかしこうすることで私は、学校生活を平穏無事に、いえ、むしろクラスの人気者として過ごすことに成功したのです。
 そして私は中学校に進学します。この頃になると、私も、自分にしか認識できない世界とそうでない世界の区別がある程度できるようになっていて、殊更に道化を演じる必要はなくなっていました。しかしかつて受けた好奇と不審の視線は、ぬぐい切れぬトラウマとして私の心の中に残っていたのです。私は、奇異の視線や悪い評判を受けることを極度に恐れていました。
 他人の視線の恐怖に怯えながら道化を演じ続けてきた6年間の人間観察によって、私は、清楚で、真面目で、そして少しばかりのユーモアを持った人間が、いちばん評判の悪くなりにくいことを知っていました。故に、中学、高校時代の私の全神経は、そういう人間を演じることに注がれていたのです。あからさまな道化を演じることはなくなりましたが、やはり私は、絶えず観衆の目を欺き楽しませる道化なのでした。
 本当に、恥の多い生涯を送っていたのです。

第二の断片〜惟神之一

「それでは行って参ります。」
「ああ。気をつけて。」

 早苗が風祝を継いでから毎日のように続けてきた挨拶。母屋を出たあと、学校に向かう前に早苗は必ず拝殿に寄って挨拶をして行ってくれる。この何気ないやり取りが、私には堪らなく嬉しかった。自分たちの姿が見えて、しかも挨拶までしてくれる人間になど、百年以上出会えなかったのだ。
 しかし、笑顔で早苗を見送る私の背中に、諏訪子の睨みつけるような視線が刺さる。蛇に睨まれた蛙というのはこういう気分なんだろうか、などとつまらない冗談にもならないようなことを考えながら、私は振り返った。

「…気付いてるんでしょ?」
「そりゃあ、ね。」

 伊達に何千年も神様をやっている訳ではない。早苗が、表面に張り付いた完璧な笑顔の後ろに混沌としたものを隠していることには気付いている。

「私たちの所為だよ。」
「そうね。」

 私たちは早苗に語りかけ過ぎた。早苗の問いかけに応え過ぎた。早苗を褒め過ぎた。早苗を叱り過ぎた。
 私たちは、早苗を愛しすぎた。
 百年ぶりに私たちを見つけてくれた少女に、私たちは歓喜した。だから、その少女にいろいろな事を教えたし、尋ねられたことは何でも答えた。少女が何か良いことをすれば褒めちぎり、悪いことをすれば心を鬼にして叱った。時代の移り変わりも忘れて。
 時代は変わっていたのだ。私たちの想像以上の速度で。
 私たちの姿を見ることのできる人間が多かった時代であれば、私たちのことを他人に話そうと、怪訝に思う人間はいなかった。私たちの姿を見ることのできる人間がかなり少なくなっていた百年前でも、怪訝に思う人間より、それを信じて有難がる人間のほうが圧倒的に多かった。あれからたった百年しか経っていないというのに、人の心はかくも変わってしまっていたのだ。
 もしも、私たちがあれほどの愛情でもって早苗に接していなかったら、早苗は、私達との交わりを捨てて人間社会の中にすんなり入って行けただろう。人と違う世界が見えるということを割り切って、神や妖怪など存在しないかのよう振る舞うことも出来たろう。
 しかし私たちは早苗を愛し過ぎ、それゆえ早苗も私たちを愛してしまった。早苗にとって、人間社会の中で正常にやっていくために自分の愛した世界など存在しないかのように振る舞うことが、今や途方もない困難になっているのだ。

「もう、私たちは消えるべきなんだよ。人間は寿命を知り、永遠を信じなくなった。農業も風雨に対抗する術を手に入れつつあり、山は火山や地殻変動で出来る事を知った。人間にとっては山を越える危険も失われた。人間に、私たちはもう、必要、ない。」

 悲痛な表情で訴えかける諏訪子の気持ちは分かる。私たちさえいなければ、早苗に苦労させることもなかったろう。でも私たちが消えたところで早苗の問題は解決しない。
 腹をくくる時、か。
 これ以上早苗を苦しめる訳にはいかない。これ以上諏訪子に悲痛な顔をして欲しくない。
 ひとつだけあるのだ。解決策が。早苗の葛藤を救って、しかも失われた信仰までも取り戻すことができる秘策が。

「諏訪子。提案がある。聞いてほしい。」

 こうして私たちは幻想のものとなった。

第三の断片〜惟神之二

 何が、幻想郷に来れば全てが解決する、だ。実際のところ、まだ何も解決しちゃあいないじゃないか。確かに幻想郷なら、早苗は無理をして周囲に合わせる必要なんかないだろう。でも、肝心の早苗がそれに気付いていないんじゃ、どうしようもない。
 そう、いつも神奈子は詰めが甘い。それでいつも私が尻拭いをしてやらなきゃならないんだ。私の王国を乗っ取った時だって、結局私がいなきゃ信仰を集めることもままならなかった。

 仕方がない、今回も私が何とかしてやろうじゃないか。
「妖怪退治、ですか?」
「うん。妖怪退治。」

 神社の最奥にある相殿に早苗を呼び出し妖怪退治をするように告げた私に、早苗は困惑した様子で尋ねてくる。

「いきなり妖怪退治と仰いましても…またどうして?」
「神奈子はさ、山に住む妖怪から信仰を得ようとしてるみたいだけどさ、やっぱり、里の人間からも信仰が欲しいじゃん?」
「まあ、そうですね。」
「んで、この前うちに遊びに来た巫女に聞いたんだけどさ、幻想郷じゃあ人間から信仰を得るなら妖怪退治がいちばんらしいんだ。」
「そうですか?あんな人気のない神社の巫女の真似をしても信仰は増えないと思うんですけど。」

 尤もらしいことを言ってみた私に、早苗は冷静に突っ込みを入れてくる。さすが早苗、恐ろしい子!

「いいから!神様の言うことを信じなさい!信じるものは救われる、よ。」
「それはヨーロッパのほうの神様では?…でもまぁ、こっちの巫女の仕事を知るのもいいかも知れませんし、やってみますね!でも、妖怪退治なんてやったことありませんし、いったい何をすれば…?」 
「んー、じゃあまずは麓の巫女の妖怪退治を手伝ったらどうかしら?」
「そうですね、そうしてみます!」
「うん。よろしくね。下がっていいよ。」

 聞き分けのいい子で助かった。いや、聞き分けのいい子であろうとしているんだろう。せめて私たちの前だけでも、ありのままの早苗でいてくれたらいいのに。
 まあいい。それも多分もうすぐ終わる。
 麓の巫女は、口惜しいけど、巫女として早苗より格段に上だ。
 勘と運がいい。博麗霊夢を知る者は彼女をそう評する。でも本当はそうじゃない。博麗の巫女は、無意識に神々の意思を体現しているのだ。自覚なく神のまにまに行動するあの巫女は、常に八百万の神の加護の元にある。
 だから、博麗の巫女は必ず、神である私の期待通りの働きをしてくれるはずだ。

第四の断片〜幻想人

 諏訪子様の思し召しにより、私はここ数日霊夢さんと行動を共にしています。妖怪退治を手伝わせて欲しいと申し出た私を、霊夢さんは驚くほどあっさりと受け入れてくれました。
 そして今、私と霊夢さんは、里の周辺を根城にしている妖怪を無差別に退治しています。特に里の人に害をなしている訳でもないのに。

「妖怪退治ってこんなんでいいんでしょうか?」
「何か問題あったかしら?」

 そんな私の問いに、前を飛んでいた霊夢さんは振り返りもせず問い返してきました。常識的に考えて問題ありまくりだと思うのですが。

「いや、いきなり問答無用でぶちのめすっていうのは、ちょっと非常識な気がするんですが…」
「あのねぇ…」

 私の至極真っ当な意見に反論しようとしたのでしょう、霊夢さんが口を開きながら振り返りました。ところが霊夢さんは私の目を見て、口をつぐみ、そして少し何かを考えるような素振りをしてから、私に告げたのです。

「…早苗。アンタ普段、素の自分隠してるでしょ?」

 私は震撼しました。
 この巫女は、私が十年以上ぼろを出すことなく演じてのけた仮面を、ひとめで見抜いてしまったのです。私は、世界の終焉が眼の前にやって来たかのような心地で、霊夢さんから目を逸らしました。

「やっぱり。何となくそんな気がしたのよ。いい、早苗。幻想郷では翼がなくても鳥は空を飛ぶの。」
「ど、どういう意味ですか?」

 そんな私を見て、霊夢さんは更に続けてきます。完全に心の中が掻き乱されてしまっている私は霊夢さんの言っていることがちっとも理解できず、道化の仮面を被ることすら忘れて、声を震わせていました。

「外の世界の常識では測れないことが幻想郷にはたくさんあるってこと。多少非常識でも、楽しけりゃいいのよ。あいつらだってそれを望んでるんだから。」

 そういえば、昨日は吸血鬼とメイドが博麗神社にやってきて、楽しそうにお茶をしていました。一昨日は亡霊の姫と庭師が博麗神社にやってきて、おいしそうにお菓子を食べていました。その前は子鬼が酒を飲んでいました。その前は不死の姫と薬師が兎鍋をつついていました。
 そして皆、過去に博麗霊夢にこっ酷くやられたと話していたのです。嬉しそうに。

「アンタだって弾幕ってる間、楽しそうにしてたじゃない?外の世界ではどうだったか知らないけどさ、こっちでは、自分をもっとさらけ出したほうがみんな受け入れてくれるわよ…って、え?早苗、何でアンタ泣いてんのよ!?」

 何で私は泣いているんでしょう?

 霊夢さんが私を理解してくれたから。今まで、周囲にいた人間で私のことを本当に分かってくれた人はいませんでした。両親ですら、私の道化を見破れなかったのです。
 幻想郷が優しいから。外の世界で受け入れられなかった私を、きっとこの郷は受け入れてくれます。
 神奈子様の神意に気付いたから。諏訪は、他の諸社と比べれば多くの信仰を未だ得ていたのですから、諏訪を捨てずとも、もっと別の方法で信仰を取り戻すことができたかも知れません。性急に移住が決まったのは、多分私のため。
 諏訪子様の神意を理解したから。博麗神社の真似をしても信仰が増えるはずはありません。きっと、こうなることをご存知だったのです。

 だから私は泣いているのでしょう。

「いえ、何でもありません。私、この郷を好きになれそうです。幻想郷では常識にとらわれてはいけないのですね!」

 私は涙を拭い、笑顔を浮かべました。
 久方ぶりに零れた、作り物ではない本物の笑顔を。

あとがき

 かくして少女はほんとうの笑顔を取り戻した。
 現在この少女は、挨拶代わりに弾幕を叩き込み、無差別に妖怪退治をし、巨大ロボットを追いかけ、常識にとらわれることのない日常を楽しんでいる。
 彼女を知る人は皆、彼女について異口同音に語る。

「早苗さんは、ちょっと突飛なところがあるけれど、素直で、気が利いて、神様みたいないい子だよ」



ネタばらし。
今回のネタは太宰治の人間失格。
タイトルは早苗さんは現代社会ではうまく生きられませんでした、という感じで。

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