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まどろみ





血塗れの右手、
感覚の無い指先。

腫れぼったい手の甲に、誰かの牙が刺さったまま。
意識が朦朧とあたしの視界を奪って行くのをギリギリ食い止めるには丁度よい痛みだ。



足下に散らかる残骸に、当たるモノを見失ったあたしは呆然とその場に立ち尽くす。
別に喧嘩が好きだって訳じゃないし、痛いのが好きだって訳でもない。

随分前からこの身体に纏う苛立ちと恐怖を誤魔化す為。
そう言えば一番しっくりするのかもしれないが、何だか違う様な気もするのだ。
結局どうして自分が此所に居るのかすら理由も見出だせず放浪するばかり。



殴って殴って、相手の身体が軋むのが痛みと共に自分の身体にも走る。
ただその瞬間、全てを忘れられる快楽にあたしは溺れた。





「あーあ、またやった」



血腥い匂いとは不釣り合いの軽快な声が辺りに響く。
背後からぐちゃりと不快な音を立ててこちらに近付いて来るのが分かる。



「ねぇ傷、付いた?」



後ろからあたしの顔を伺う様にして見上げるそいつを、あたしはチラリと見る。
相変わらず、何時もの調子でそいつは微笑んでいた。

喧嘩が終わると決まってそいつは現れる。
特に喧嘩を売りにきた訳でもなく、ただこの残骸を見て今の様にあたしに問い掛けるのだ。

『きずついた?』と。



「うわぁ、抜かないの?凄い痛そうだ」



ナイフの刺さった右手を見付けて、彼は興味本位に顔を近付けて直ぐに歪ませる。
そっと右手に触れた彼の指が予想以上の痛覚をもたらしあたしは思わず右手を引っ込めた。

しかしその行動は更なる激痛をもたらし、あたしはその場に座り込んだ。
彼の手を見ればあたしの右手に刺さっていた筈のナイフが握られている。



「抜かないと、手当出来ないからね」

「‥‥‥っ!」



穏やかな微笑みのまま、血の滴るあたしの右手を彼は両手で包み込む。
思わぬ行動にあたしは成す術もなく、どこからか取り出した綺麗なハンカチで応急手当をし始めた彼を茫然と見ていた。



「無茶苦茶だね、女の子ならもう少し温和しくしてなきゃ」

「‥‥‥関係ない」

「そうだね、でも俺はそうは思えないし思いたくない」



そう言ってそいつは何時より少し悲しそうな微笑みを浮かべた。



「傷、付いた?」



彼の言う傷が、血を滴らせる身体の傷なのか、はたまた違う傷なのかなんて分からない。
だから答えなんていくら探しても見つからなかった。

ただそいつに言える事、右手に巻かれた血が滲むハンカチ。
それだけが今あたしが確信して言える返事。



「そんなもんないよ、手当済みだし」

「あぁ‥そっか、じゃぁこれからも手当しようかな」

「余計なお世話」



可愛くも無い返事をあたしはもう一度頭の中で繰り返す。
余計なお世話だと思っている筈なのに、どうして完全に拒めないのか。

微笑みかけるそいつを突き飛ばしてこの場からいなくなる事なんてたやすい事なのに。
血塗れになったって、傷だらけになったって。なんであたしはこんなにも穏やかな気持ちなのだろう。



「ちょっと、寝るわ…」

「えっ此所で!?」



驚く彼をよそにあたしは地面に倒れ込んだ。

疲労と安堵があたしの視界に霧をかける。目を瞑れば身体の痛さも癒えていった。
ただ身体全体で、あたしの隣にいるであろうそいつの存在を感じでいたんだ。



「じゃぁ俺も」



まどろみの中で、微かに彼の声が聞こえた。












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