十数えて
目を瞑って、十数えて
そう言われて眼を開ければ俺の前から君は消えていた。
「だあっー!」
「は?」
後ろを振り返れば全速力でこちらに向かって来る彼女の姿。
唖然と見て居れば彼女は何かを抱えながら必死に走っていた。
「何それ…」
「何‥‥って!」
肩で息をしながら勢いよく俺の前にそれを差し出す彼女。
何か言いたいようだが息が切れて言葉が続かない。
「見れば‥分かるじゃん!」
「そりゃあね」
そりゃあ見れば分かるよ、真っ白なチビ兎だって事ぐらい。
でもさ、俺が言いたいのはどうしてお前が俺の前に差し出すのか。どうして此所にそいつが居るのかって事で。
「十数えて眼を開けたら目の前に兎さんビックリ作戦だよ」
「‥‥‥」
嬉しそうに笑う彼女を見て、出そうになった言葉を飲み込んだ。
彼女が少し不思議なのは今に始まった事ではない。
ただ今日はいつもより不思議であるだけなのだ。
「でも失敗、こいつすぐにぴょんぴょんどっかに行っちゃうんだもん」
そう言ってる傍から兎は小さな身体で彼女の腕から器用に抜け出し、俺の胸へと飛び込んで来た。
反射的に俺は兎を落ちないように抱え込むと、彼女は少し眉を顰める。
「‥‥‥焼餅だ」
「違うっ!」
「じゃあなんだよ」
緩む口角を押えながら頬を赤く染めて口をモゴモゴさせる彼女を黙って見つめる
。
何時も振り回されてる分だけここぞとばかりに彼女の反応を楽しむ。
「‥‥‥瞑って」
「何?」
「目を瞑って十数える!」
先程と同じ要求を繰り返す彼女は更に頬を染めた。
照れ隠しの為か、そんな事を考えていると彼女は早くと促す。
仕方無く目を瞑り律義に十を数え始めてみる。当然彼女の姿も見えなくなる訳で、抱えた兎を落ちないように抱え直そうとすればスッポリと腕から温もりが消える。
きっと彼女が兎を取ったのだろうと思った矢先だった。
残り三秒ぐらいを残して、俺は驚きの余り目を見開く。
光に眩む視界の中で彼女が兎を抱えて走り去って行くのが見えた。
ああ、やられた
そう思いながら俺は彼女以上に赤らんでいると思われる頬を指先で触れた。
目を瞑って感覚が研ぎ澄まされたせいなのか、肩に触れた彼女の手。
鼻をくすぐった彼女の髪の毛、香り。一番問題なのが頬に触れた柔らかい熱。
全て一瞬の出来事だった筈なのに、今も続くこの温かさ。
残りの三秒をもう一度数えきり、さぁ一枚上手な彼女の元へ仕返しに行こうか。
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