エサを与えないでください。
「ホラ、」
視線をこちらに向ける事なく、無造作に彼は隣にいるあたしにそれを投げて寄越す。
不意に投げられたそれをあたしはなんとか受け取り、両手の中に包み込む。
「何これ…」
「見れば分かるだろ」
そう言われて手の上に乗るそれに目を落とすも、彼の言っている意味が分からない。だってそれはたったひとつの飴玉が包まれた包みにしか見えないのだから見て分かるのは当然だ。
むしろあたしが本当に聞きたいのは何故これを投げて寄越したかと言う事であって…
「暇ならそれ食え」
「はい?」
確かに暇な事は暇なんだけど。暇にさせた張本人は貴方様で。
昼休みになるとかならず貴方様の教室に呼び出され、挙句、呼び出した張本人は漫画やら雑誌を読み耽ってあたしの存在などお構いなしだ。
そのくせあたしが教室から出て行こうとすれば物凄い剣幕で怒り出す。
そろそろ自分の傲慢さに気付いたのか?これは彼なりの配慮なのか?
不思議に思いながら手にある包みと彼を交互に見詰めた。
「いらねぇーなら返せ」
「いや、戴きます」
大体、彼から物を貰う事自体珍しい事なのだ。返すなんて勿体無い事。
あたしは急いで包みを開けてそれを口の中に放り込んだ。瞬間、彼は口角を釣り上げて気味悪く笑った。
「食べたな?」
「…食べたよ?」
嫌な予感がする。
手にした雑誌を机の上に置いた彼が距離を縮めるべく、あたしの座っている椅子を自分の方へ引き寄せた。なんて馬鹿力だ。
視線を逸らす事無く彼は一層怪しく微笑む。
「只でやると思ったか?」
「はっ?ずるい!」
反論するあたしを余所に彼は楽しそうに顎に手を当てて考える振りをし始めた。
次に彼が発するだろう言葉に息を飲みながらあたしは酷く後悔する。
「お前からキスしてくれたらチャラにしてやってもいいけどな」
「っ変態!」
最初からこれが狙いだったのか…キスでチャラにしてやるんじゃなくてキスをさせたいが為に飴をあたしに呉れたんだ。
あたしってば理不尽。なんて可哀相。こんなやつの罠にまんまとハマるなんて…
「それともこれでチャラにするか?」
「それだけは勘弁してっ、あたしの全財産!」
彼の手にあるあたしの財布を普段なら考えられない猛烈なスピードで奪い返す。
大体拒否権がないのがおかしいじゃないか。高が飴一個の為にどうしてあたしがキスなんぞをしなくちゃいけないのだ。
「お前、自分からした事ないんだからこの際しとけよ」
しとけよ、でする程簡単なモノでもないと思います。
睨み付けた彼の眉間に皺が寄る。もしかして逆上するのかと思いきやそのまま俯いてしまった。
「それともしたくないとか」
先程の彼からは有り得ないくらい沈んだ声色に、苦しそうな表情。
ズキリと胸が軋むのを堪えながらあたしは、これは罠なんだと自分に言い聞かせる。
「お前の好きそうな味だと思って買ってみただけだ…」
なんて言いながら飴が一杯入った袋をあたしに押し付ける彼。
あのケチで傲慢な彼が、あたしの事を思ってあたしの為に買ってくれたの?なんて甘ったるい考えが疑心を浸食していく。
「…教室じゃいや」
少しの沈黙のあと、結局あたしは彼のいじけた様に負けてしまった。
しかし、そう言った矢先に今日二度目の後悔があたしを襲う。
俯いた彼の眼があたしを射抜き、にたりと微笑んだ。
「よし…じゃあ帰ろうか」
「え、今…?」
「今だ、気の変わらないうちに今直ぐだ」
勢いよく立ち上がるなり左手で鞄をふたつ鷲掴みにし、あいている右手であたしの首根っこを掴んで立ち上がらせる。
「久々に俺の家に行くか」
あたしの右手をしっかりと握り、声を弾ませながら強引に歩みを進める彼の背中。
表情を伺う事はここからじゃ出来ないけど、きっと餌を得て満足した猛獣のような笑顔なんだろうな…
何だかんだであたしの歩幅に合わせながら歩いてくれる彼を、心底痴れてしまっているのは自分だったりするのだが。
(彼に餌付けされるのも、するのも御免だ。これからは気を付けよう)
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