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声が聞こえる





暗闇と言うには微妙な、そこには仄かながら灯が揺つく。

過去に暗幕を掛けたいのは現在にその灯が淡い期待と共に照らそうとするからだ。
自分はけして過去を照らしたい訳ではない、消したい訳でもない。ただ、真っ暗なまま存在し続ける事を言いたい。依存している事を言い逃れたいだけなんだ。


俺の過去に何があったのか、誰に言ったつもりはないが時の流れにあったのも事実。
自然と誰かしらに伝わり、そして彼女にも伝わったのだろう。

彼女は俺の暗闇を知る。



「あらあら…捨て犬?」


くすりと心地の良い静かな笑い声が頭上から聞こえたのに俺は重たい頭を上げた。


「ドアの前に座り込んで…ホラ、手が冷たいわよ」


目線を合わせる様に膝を曲げてしゃがんだ彼女は徐に俺の左手を両手で包んで自分の頬に寄せた。
悴んだ指先に彼女の柔らかい肌の感触と温もりがゆっくりと浸透してゆく。

その左手を離す事はなく、彼女は器用に鞄から鍵を取り出し鍵穴に差し込んだ。
風邪を引くからと部屋に通された間も左手は彼女の右手から離れる事はなくて。
それがやけにむず痒くて。嬉しくて。


「手…」

「え、あぁー…」


繋がれた手を見て彼女は曖昧な返事をするも、そのまま何事もなかった様にソファに座るよう促した。
先にソファに座った彼女と立ちっぱなしの俺の繋がれた手の微妙な距離に仕様が無く俺は彼女の隣に腰を下ろした。

その途端だった。


「うぉっ…」


自分の間抜けな声に驚くも、急に視界が暗くなったその状況を把握すれば驚異と羞恥に襲われる。
彼女のにおいだ。彼女のにおいに包まれて、彼女の腕に包まれて。彼女の長い髪が頬を擽る。此所は彼女の胸の中だ。


「此所も、暗いでしょ?」

「‥‥‥」


表情は見えないけどその声は明るみを帯びたとても意味深いものだと俺は感じた。
瞼を開ければ微かに蛍光灯の光が漏れてくるし、耳を澄ませば彼女の規則正しい鼓動が聞こえて来た。

何が暗いのか、それは彼女の胸の中が暗いのだ。多少違いがあるものの、俺と似たような闇があるのだ。


「あたしは狡猾だから、あなたの弱みに付け込んでいるのかも」


そう言われても案外、心は穏やかだった。彼女になら付け込まれても仕様がないと思った。
それなのにそう言った張本人の声色が先程とは打って変わって沈んでいたのに気付く。


「些しなら分かるもの、あなたの気持ちも」


自分が持ち合わせた過去も現在も利用するのだと、彼女が哀しそうに微笑んだ。
俺は何故だかそれを強かだと思った。彼女は苦しんでいるのに、俺は羨ましいとすら感じたのだ。

耳を塞いで、眼を閉じるだけの俺は何も出来ない臆病者だから。
何をしようと今を生きようとする彼女を俺は心酔していたのだ。自分が思ってる以上に。


「あなたが羨ましい。どうしてそんなに優しいの」


俺を抱き締める力が一層強くなる。優しくなんかないよ、そう言いたいのに声が出ない。
それは、彼女が呟いた気持ちがやはり俺と似ていたせいかもしれない。

無いモノねだりだ、ふたりして。自分に無いモノを俺達は互いに羨んだ。


空に彷徨っていた両手が自然と彼女の背中に回る。気付いた彼女はそれに応えるように腕に力を込めてさらに自分の胸に引き寄せた。
なんて息苦しくて、暗くて、心地良い眩暈なのだろう。


「たとえこれが傷口を舐め合う哀みだとしても…」


あなたに逢えてよかった、と。囁いたのは彼女か、自分自身なのか。
暗闇の中で仄かに灯を灯した声が、声が聞こえた。












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