特別小説の穴
第五話 白猿
寒さに肩をすぼめて、ちりちりと降り始めた雪を、見るともなしに見ていた。
吐く息は白く、雪空に吸い込まれていく。
ふと、さっき別れたばかりの級友 中谷里緒が頭をかすめた。
――…ふっ
里緒のサンタ姿はどこか不自然で、くりくりとのぞいた黒い目が、妙に真面目らしい光りを残していて、それがまた、おかしかった。
思わず出た笑いを飲み込んで、来た道を戻る。
「やっぱり買ってきたんじゃないか」
ぬくぬくとこたつに入って、テレビから視線を移し、顔だけをこちらに向け、私の手元の赤と緑の箱を見ると、先生はにやにやといやらしげに言った。
「…いやらし。」
年末だというのに必要以上に物がないカラカラな冷蔵庫にケーキの箱を突っ込んで、私もこたつに潜り込む。
「ふふん。お前にもやっとお友達ができたか」
テレビではなく、どこか遠くを見ている様な目で、先生はからかうように言う。
「里緒とはそんなんじゃないッ」
…つい むきになってしまった。
これじゃ先生の思うツボだ。バツが悪くて、あたしは先生から顔が見えない様に、頬杖を崩してテレビに顔を向けた。
テレビでは、クリスマスの特集が組まれているらしかった。様々なイベント事が紹介されたり、道行く人たちに声をかけたり
「…茜」
どこのイルミネーションがきれいだとか、
どこのケーキがおいしいだとか
「ケーキを食べたら、家に帰りなさい」
……。 私は、ゆっくりと上態を起こすと、先生と向き合った。
「…ちゃんと言わなければと思っていた。いい機会だ。…もう、ここには来るな」
先生は私を見ない。
ずっと遠く、もしかしたら、ずっと昔を見ているのかもしれない。
「……私は、先生に特別を求めている訳ではないです」
「わかってる。…わかってるよ…でも」
先生はポケットから、マルボロの箱を取り出して、煙草を喰わえ、火をつけた。
「話なら学校でもできる。」
――フゥ、と行き場無く吐き出された煙が、天井に消えていった。
今まで、先生が煙草を吸う姿を見たことがなかった私は、急に、私と先生とを取り巻く空気みたいなものがリアルに感じられて、煙と一緒に消えてしまいそうな錯覚を覚えた。
私は先生から目を反らさない。
「茜は頭いいもんな。ちゃんと、解るよな」
私の視線は無視して、静かな笑顔で、くしゃ と頭に手を乗せる。
「………ズルい」
私はその手を払いのけもせずに、ただ、まっすぐに先生を見つめていた。
言葉の真意が計れなくなった時は、相手の目を見なさい と 私に説いたのは、母だった。
心がいつもよりずっと近くなって、相手との距離が縮まるから、その時信じられるものを信じなさい と。
―…… でも、……
「今日は、帰る」
私はのそりと立ち上がり、鞄を拾い上げ、玄関へと歩みを進めた。
先生は勿論止めないし、言葉も掛けない。
解っているのに
――何かを期待している自分に、気づかないふりをして、ドアノブに手をかける。
勢いよくドアを開け、振り返らずに、ドアを閉めた。
外は雪が雨に変わり、少しの間町並みを白く色づけた雪を溶かしてしまった。
…これからどうしよう……。
傘を持たない私は、とりあえず雨宿り出来そうな、もう閉まっている商店街の軒下に身を寄せ、思いを巡らせていた。
雨は穏やかに、静かに降り続けている。
私はしゃがみこんで、空を見上げた。
ケーキ… 食べ損ねたな…
寂しい冷蔵庫の中のケーキを思う
…せっかく、タイムセールまで待って買えたのに…。
ぼんやり 取り留めのないことを思う。
取り留めのない世界にいることで、気づきたくない感情から逃げている。
…今日はクリスマス。
でも、家には暖かい料理も、ケーキも用意されていない。
―あの日から、すべてが変わってしまった―
――潤。
潤がこの世界からいなくなってしまった時、私の世界も、一度終わったんだ。
母の目は、私を映さない。
私はうずくまり、忍び寄る闇に捕まらないように、身を強ばらせ 目を閉じた。
意識の遠くで、眩しい程の光が溢れる。
その中に居るのは――変わらない、いつでも――…
『メリークリスマス』
記憶の濁流に飲み込まれそうになりながら、ふっ …と、現実に引き寄せたのは、不自然
なサンタの格好で、私に囁く中谷里緒…。
……そうか
似ているんだ………
姿ではなくて なにか… 心を開く何かが…あの子は似ている。
私の片割れ
もう、この世にはいない、私の双子の弟、潤に―――
雨は静かに降り続ける
まるで、止むことを忘れてしまったかのように………
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