奇跡という名の
3章-4





 彼は記憶を失ってから、こんなふうに優しい言葉をかけられたことはないだろう。花飛が持つ雰囲気は、ルビィを救おうとしたカーリヒとも違う。ルビィを特別大事にしながら、ごく自然に出てくる優しい言葉としぐさ……「通常の人間関係の中ではあり得たかも知れない信頼関係」を、花飛はルビィに与えている。
 花飛がなにもルビィを利用しようとしているだけではないのは、見ていてわかる。
 そして気付いたことがある。ルビィを捕えておくなら、花飛を完全にこちら側の人間にしてしまった方がいい、ということ。
 桃浪を殺害した犯人として追われている立場なら、どうせ日の光の下を堂々と歩く人生は送れない。彼もどちらかと言えば、葉月国に逆らっているシシリー達に近い人間のようだから。
 花飛はルビィの頭から手を引いて言う。
「ルビィが強くなりたいなら、その方法を一緒に考える。とりあえず、今は、落ち着ける場所に行って休もう」
「う、うん」
「行こう」
 花飛が目線を上げてユアリーに言う。
 頷いて、ユアリーは先に立って歩き出した。
 彼が落ち着き過ぎるほど落ち着いていることが、シシリーは心配だった。もとから取り乱すところなど見せないが男だが……。


 岩場ばかりの山を下って行くと、前方に海が見えて来る。海沿いには低い塀に囲まれた町があった。町の中には塀が何重にも連なっており、区画が分けられている。表側からは見えないが、街の裏……海岸側は低くなっていて、そこに建て増しを繰り返した要塞が建っている。
 この土地の名前はシアー。町の名前はルルガ。
 4人は町を目指してはいない。国境沿いに進んでいた。再び、あの門へ向かっている、と気付いた花飛が、先導するユアリーを止める。
「もしかして、スリドル門に向かっているのか?」
「そうだ」
「待てよ! なぜだ?」
「やらなければならないことがあるからだ」
 花飛の問いに、ユアリーは苛立ったように答えて振り向いた。実際には表情は変わってはいないのだが、わずかな口調の変化をルビィもシシリーも感じていた。
しかし花飛本人は意にも介さない。
「自分の軍に合流するのか?」
「そうだ。あの門を落とさなければ、帰ることは出来ない」
「なぜだ。戻って攻撃しても、落とせないと思うが。わざわざフェイパとやらに知らせてやって、攻撃を止めさせただろう。今の戦力じゃ、リバルドの軍には勝てないから」
「必ず勝つ」
 頑なに言うほど、スリドル門からの進軍にこだわる必要はないように思えた。花飛にとっては。
 しかし、ルビィは爆弾を持って先遣された夜を思い出す。
 爆弾を使わずに逃げれば、首領に裏切りと見られる。生き残りながら、首領にルビィが認められる為に、必ず門を陥落するとユアリーは言ったのだった。
 だがリバルドの軍が来ていたのは予想外だ。勝つつもりだった戦いも、敗色が濃くなっている。戻って再び門を攻撃することは、非常に危険だとルビィも思う。
「どういう作戦で勝つのか教えてほしい」
 花飛が尋ねたが、ユアリーは黙して答えなかった。苛立った花飛がさらに言う。
「ルビィをそんな危険な所には連れて行けない! わざわざ国境を越えて来たのは何の為だ!? 逃げる為じゃないのか!」
「本隊に合流する為だ」
「合流して逃げろよ。あの門にこだわる理由はない」
「この攻撃では、勝たなければいけない」
 ユアリーは花飛から目線を外し、門の方角を見た。
「ルビィは先行工作部隊として潜入したが、生きている以上、戻っても裏切ったとされて拷問にかけられる。ルビィが生きていても許されるのは、勝利した場合だけだ」
「……え」
 花飛は心中で呟いた。
 めんどくさい、と。
 思わず口から出そうになったが、止めた。だったら関わるなと言われるに決まっているからだ。
 組織は嫌いだった。めんどくさい、くだらない、と思うことでも、やらなければいけない必要が生じるから。
 花飛は目を閉じる。
 理不尽なことでも、時には従わなければいけない。自分に言い聞かせて目を開いた。
「ルビィはどうしたいんだ?」
 尋ねると、不安そうな顔で二人のやりとりを見守っていたルビィが、驚いたように花飛を見た。
 彼が口を開くのを、他の3人は辛抱強く待つ。だがルビィは……。
「だ、誰かが傷つくのはいやだ……。誰も、傷つけてほしく、ない、けど」
「なら、始まった戦いはどうする?」
 そう尋ねたのはシシリーだ。ルビィの的外れな答えに苛立っていた。
「逃げろって言うのか?」
「誰も殺さない方法はないの?」
「そんな方法があるなら、俺達は! 戦争なんか始めなかったんだよ!」
 シシリーがルビィの胸倉をつかんだ。
「皆、家族や仲間を国王が起こした戦争で失ってるんだ!」
「シシリーも?」
「俺は……!」
 シシリーの顔が歪んだ。一瞬だが、何かを堪えるように。
 意を決したように、再び彼は口を開く。
「俺は、家族は……いない。お前にはわかってるんじゃないのか」
「……」
 ルビィは目を見開いた。硬直して動かない。声を発することが出来なかった。
「お前がそれを覚えていなくても、償いたいと言った今のお前を信じる」
 シシリーはルビィから手を離した。突き放され、よろけてルビィは数歩下がる。足に力が入らなかったが、転ぶことだけはないように踏ん張った。
「俺達の仲間になりたいと言ったお前を信じる。だから、俺達を信じろ。この戦いに勝てば、首領は必ずお前を認める」
 ルビィは反射的にうなずいた。
 何度も、何度も、シシリーに罵られた。嫌われている、殺しても飽き足りないほど憎まれている、そのことを自覚していた。だが……シシリーが今、動いているのは、僕の為だ。
 そのことがルビィ自身には信じがたいことに思えた。



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あきゅろす。
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