奇跡という名の
3章-3





 部屋を出ると、ドクター・カザリと一緒にラギ支部長の執務室の隣室に行った。そこでカヒが一人で待っていた。
 そして、ラギは執務室にいたらしく、物音で気づいたのかすぐに部屋へ入って来た。
 ドクター・カザリは難しい顔をしていた。僕が目を覚ましてから、ずっと渋面のまま。
「ドクター? どうなのですか?」
 カヒが診察結果を尋ねるけれど、うーんと唸ってカザリはしばし沈黙した。
「これは……私には管轄外だな」
「どういうことですか」
 ラギが驚いたように尋ねる。
「うん……ルイくんは確かに記憶喪失だ。いや、記憶を『失った』のか、『あるけれど出てこない』のかはわかりません」
 ドクター・カザリは大きく息を吐き出した。一息ついてから、また話し始める。
「通常、記憶喪失とは、記憶はどこかに保存はされているけれど引き出せなくなってしまった状態だ。また、記憶を保存している部分が壊れてしまった者もいる。そう言った者は本当に記憶を『喪失』している。ルイくんは新たに情報を記憶することは出来ているので、保存している部分は生きているはずだ。ということは、ある時間以前の記憶を引き出せない状態だ。だが、ある時間以前の記憶のうち、日常生活に必要な部分はわかる。言葉も話せるし文字も読める。忘れているのは、ごく個人的な経験です。境遇や、出会った人達、また文字は覚えているが地域の名前は覚えていない。体が覚え込んでいる、走る、跳ぶ、といった動作もわかっているようだ。足は速いようだし、剣も扱えるようだから。それから」
 ドクター・カザリは、僕、ラギ、カヒの顔を順に見ていった。
「呪術的に彼の記憶を引き出そうと試みた」
 ラギとカヒがうなずく。カザリが何をしたのか具体的にわかっているんだろう。
「だが、彼の記憶を引き出すことは出来なかった。覗き見ることもできなかった。彼の記憶は、故意に封印されている」
「辛い経験をして、そのことを忘れたいが為に記憶を封印する、というような?」
 カヒの問いにカザリは首を左右に振った。
 その動作はとても疲れていた。そして暗い目でカヒを見る。
「何者かによって、術で封印されているのだ」
 カヒが息を詰めたのがわかった。僕ははっきりと意味を理解することができないけれど、曖昧に想像できる。
 誰かが、僕の記憶を閉じ込めて鍵をした。術で封印するってそういう意味なんだろう。
「術は解けない。術者を見つけ、解かせない限り。あるいはその魔術具のように、何か鍵となるものがあるかも知れない」
「何かのきっかけで記憶が戻るような仕組みで術をかけてある、ということですか」
「そうだ。それは時間かも知れないし、何らかの言葉を聴くとか、見るとか、そういった事象かも知れない。あるいは死、かも…」
「っ!」
 カヒが唸るような声を押し殺した。
 僕達はしばらく押し黙っていた。室内には4人もの人がいるというのに重苦しい沈黙が降りる。
 やがてカヒが言い出した。
「過去10年……いや20年、協会を通して記憶封印の術の依頼があったか、照会をお願いします。該当記録がなければ、彼は協会を通さない不当な術の被害者として協会で保護し、加害者を探して下さい。保護者は俺が」
「う、うむ……そうですな、特別管理官が保護されるというなら、異議はありません。私は術の依頼と魔術具についての記録を早急にあたります」
 カヒの命令にラギが答える。カヒの怒りを押し殺したような声音に、緊張しているようだった。
「まぁ、もっとも、こういった理不尽な術の行使は協会を通した正式な依頼では受理されないでしょうから…」
「裏の仕事でしょうな」
 二人はまた重い溜め息をついた。
 カヒは膝の上で両手を組み合わせて強く握り締めている。ラギも自らの両膝を強く掴んでいた。その手に筋が浮き上がるほど強く。
「記憶を封じる術というのは、デリケートなものだからなぁ。私も無論協力はする。医者仲間にそういった術が使える者がいるかどうか聞いてみよう。だが、もし見つからない場合は、第二の人生を歩むことも前向きに考えるんだよ。それがルイの為でもあるかも知れない」
 カザリは僕を見て言った。目が合ったまま、僕はうなずく。
 だけど恐らく、僕の第二の人生は平穏じゃない……。脳裏に、シシリーや、ユアリー、キトウ、タズル、カーリヒ、トウガ……多くの人の顔がよぎる。
 あの中に、いるかも知れない。僕の記憶を奪った者が。
 僕が目覚めた時、あそこにいた誰かの中に、いるかも知れないじゃないか。
 僕を憎んで、憎んで、憎んで、僕に屈辱を味わわせる為に記憶を奪った人がいる。絶対、いる……。
 いつの間にか疑惑は確信になっていた。


 僕の腕につけられた魔術具の購入者が判明したのはそれから三日後だった。
 宿にいる時にラギからの連絡を受けたカヒが、わかったぞ、と言ったので僕は魔術具を買った人物の情報は全てわかったものだと思っていた。
 だけど、二人でラギの所へ行って詳しい話を聞くと、そうではなかった。
「最近で購入されたのは北シリア大陸のグラントという町、ランエイという店主が商う店です。正規の術具販売店です。購入されたのは24日前になります。店主の話では、購入したのはどうやら一般人らしいと……。術師関係どころか、裏社会にも関わりがなさそうな青年だったそうです。身元を割り出すのは困難でしょうね」
「……っ」




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あきゅろす。
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