短編集
brother
「お兄ちゃん」

呼ぶ声に振り向き見れば、まだ中学生の発育途上の自分の腰までも身長が満たない少年が、大きな目をして見上げていた。
その愛くるしい顔が必死に媚びを売っていることに、その時なぜか、かすかな哀れみと愛しさを感じた。
母の再婚にはまだ納得がいっていないけれど、こんな可愛らしい弟が出来るのならまぁいいかと、割り切ることが出来る。
先程から一生懸命に後をついて来るその弟の、低い目線に合わせるように道路に膝をついた。
そして今にも泣き出しそうな目に応えてやる。

「結城、どうしたんだ?」









狭い部屋の中、二人分の荒い息遣いがなまめかしく響いて満ちている。

「どうした? お兄ちゃん」

最近ではもう自分を兄などと呼ぶこともないくせに、こういう時ばかりわざと「お兄ちゃん」という言葉を使う弟に、そう言われながら思い切り腰を打ちつけられる。
もう四つん這いの姿勢すら保てず頭をベッドにこすりつけ、千尋は弟のそんな意地悪を腹立たしく思いながらも、
「あっ、ぁあっ!」
途切れがちな喘ぎ声をあげてしまう。
後ろからされると辛い。
辛いほどに、感じてしまう。
男らしい骨ばった手は今では自分よりもずっと大きく、それで華奢だとよく言われる腰を掴まれると、見ず知らずの「誰か」に犯されているような気になる。
そう、千尋は、この再婚の連れ子同士である、つまりは義理の弟に、欲情しているわけではなかった。
正面を向き合って抱かれると戸惑いばかりが大きい。
結城は理由は知らなくとも、千尋は後ろから抱かれる方が感度が良いということは把握しているので、もうずっと向かい合ってセックスをしたことはない。

再婚して十年、その両親はまた浮気に忙しく滅多に帰宅しないという冷め切ったこの家で、兄弟達はこんなことに精を出している。
会社から帰宅し疲れているというのに、深夜、バイト帰りの結城に部屋に押し入られ、拒めず千尋は抱かれてしまう。
愛はないのに。
男に犯されるという背徳的な行為に、どうしようもなく陶酔してしまう。千尋にはそういう性癖があった。

身長、体重、さらには学歴まで千尋の上をいこうとしている小憎らしい弟は、今では大学四年生だ。
今年で卒業するのだが、そのまま院に進むことが決定している。海外の大学も勧められながらも結城が日本に残ることを決めたのは、千尋がいるからという、それだけの愚かしい理由だ。

「んっ…千尋」
切ない吐息を背後に聞いて、それと同時に千尋も弾けた。ほぼ同じ瞬間に、結城が中で蠢きながら精液を出すのを感じる。
「あっ」
いつもそれが慣れない。
どうしても逃げようと腰が動き、しかしがっしりと掴まれて引き戻されてしまう。
結城は何度か千尋の中に自身をこすりつけ、全て出し切ってからそれを抜いた。
中には出してほしくはないが、それは後始末が面倒だからであって、感情的に言えば出される方が感じる。征服されているという、甘い陶酔を呼ぶ認識。
この男に征服されているのだと、そう感じることで心が締め付けられるような切ない幸福感を得る。
だから中に出すことには何も言わない。

いつも少し抵抗しながら、犯される。
結城は毎晩、千尋を貪るけれど、実際のところ依存しているのはその貪られている側なのだ。
 愛がすれ違っていることはわかっている。
 それでも、歪んだ形ではあるが、千尋には結城が必要だった。



千尋のベッドの上で結城が倒れこみ、兄の体に腕を回して引き寄せた。
「何…?」
「たまには俺も、こっちで寝ようかと思ってさ」
「いいけど、腕枕はやめろよ」
「そんなことしねぇ。……でも、なんで?」
「首が疲れるから」
本当のことを言えば、絶対に嫌な顔をされるだろう。
千尋は、腕枕をしたり、恋人のように振る舞われることが嫌なのだ。自分は征服されている者であって、恋人ではない、そう思いたいから。
無理強いされてこういう関係を続けている。
そう思いたいから。

そんなことしない、と言いながらも結城は少しばかり残念そうな暗い顔つきで千尋の体から手を離した。
お互いに汗が引かぬまま、裸の体を寄せ合って眠る。
さっさと目を閉じてしまった結城の高ぶりを腹の辺りに感じて、千尋はそっと手を延ばしてみた。
わずかにまた勃ちあがりかけているそれを握りこむと、目を閉ざしたままの結城の手に振り払われた。
「触るなよ。疲れてるのに、またしたくなるだろ」
「……口でしてやろうか?」
「いいよ。お前も早く寝ろよ」
お兄ちゃん、などと呼んでいた口で、今ではお前などと呼ぶ。
千尋はうっすらと笑みを浮かべてから目を閉じた。
眠気はあっという間に彼を襲い、一瞬にして意識が落ちた。






「おにーちゃんっ」
学校から帰れば、笑顔で千尋を迎える弟。
再婚して引っ越しをして、新しい小学校に入って。
そしてまだ友達が出来ないらしい結城は、毎日毎日、千尋が帰る時必ず家にいる。
母はパートなどで不在の時も多いが、父が帰る頃には必ず家にいるようにしている。さすがに再婚一年目だからだろうか。そんな甲斐甲斐しい母の姿は、生まれてこのかた見たことがない。

そして義理の弟は千尋の後をついてまわった。
刷り込みした鴨の雛のような所作をする彼が可愛くて、千尋もいつでも彼の目の届く所にいるようにしていたのだ。
「こっちへおいで」
呼ばずとも来るのだが、呼べば大喜びで「なぁに?」と言いながら駆けて来る。
それをどんなに幸せそうな笑みで待っているか、千尋本人は気づいていなかったが。

「こっちへおいで」
両手を広げて、可愛い弟を待つ。





パン!と激しい音と、衝撃。
そして鈍くやって来る痛み。
しかし、痛みなどよりも驚きで目を開けば、かつての面影もない精悍な男がすぐ前にいた。
結城がどうやら寝ている千尋に平手を見舞ったらしい。
なんだ、何かあったのか。寝ている間に蹴飛ばしでもしたのか?
疑問がぐるぐると起き抜けの頭を巡る。
すると結城は、
「誰の夢を見ていやがったんだ」
唸るように低い声で言った。怒鳴り出す一歩手前の凄味だ。
「一体、誰を呼んでいやがったんだ!? 誰に向かっておいでなんて言ってやがったんだよ!」
そして怒鳴られ、千尋は目を見開いた。
痛みなど全く感じないくらいに驚いていた。
「男か!? 同じ会社の奴か? それともまさか、女か?」
そう問い詰める声と、ぎらぎらと光るまなざしには嫉妬が溢れ出していて、知らず千尋は口元に笑みを浮かべてしまっていた。
その瞬間に同じ頬を再び平手で殴られたのだが、それでも笑みが消えない。
「あっははは」
とうとう声に出して笑い出してしまうと、さすがに結城も呆然としたような顔でリアクションに困っていた。

過去の自分に嫉妬している結城が、たまらなく可笑しい。
そして、嫉妬されて喜びを感じると共に、そんなこの男を可愛いと思ってしまう自分も、可笑しい。

「いつまで笑ってやがんだ」
呆れるような声は、もう怒りはなかったが不機嫌ではあった。
笑い声を止めて千尋は結城を見上げる。
教えてやった方がいいのだろうか。
昔の、可愛かったお前の夢を見て、お前に向かって「おいで」と言っていたんだよ、と。

あの頃のお前に、お前は嫉妬しているんだよ、と……。

もう少し嫉妬させて焦らしてもみたかったのだが、いじけたようにそっぽを向いてしまった結城が、弟が、ごつい横顔にも関わらず可愛かったので、千尋はそ
の事実を教えてやることにした。
 彼が自分に抱いているらしい思いとは違うが、弟としてならまだ愛しているのだということは、まだ黙っているつもりだったけれど。







END



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あきゅろす。
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