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短編集
ある日 2
 俺は就職に積極的ではなかったから、恋人が必死に就職活動で走り回るようになるとちょっと面白くなかった。
 高遠悠紀(タカトオユウキ)と宮内薫(ミヤウチカオル)、俺達は恋人。
 二人とも女っぽい名前ではあるが、二人とも男だ。一緒に住んでいる。
 
 薫は二十歳で実家と絶縁していて、就職は絶対にしなきゃいけないと言った。
 就職しなくても暮らしていける、と軽く言った俺に反論はしなかったけれど、俺の生活スタイルに口を出すつもりがなかっただけで、薫自身の考えは変わっていなかったらしい。
 じゃあスーツを買いに行くのに付き合ってやるよ、と言って二人とも午前で大学が終わる水曜に出かける約束をした。
 待ち合わせは大学のオープンテラス。一人で待っていると、たまたま知り合いの女が来て俺に声をかけてきた。で、薫はまだ来ないだろうと思ったので二人で並んで座って、ちょっと話が盛り上がってきてついつい楽しげに時間を潰してしまったのだが、ふと、ちょっと離れた所に薫が突っ立っていかにも声をかけるタイミングがわからないといった風情で突っ立っていたもんだから、それを見つけた途端すまないと思うと同時に笑ってしまった。
「薫!」
 呼ぶとすぐにこちらへ来たが、女がいるからか手を伸ばして届かないぐらいの位置で足を止める。
「あ、待ち合わせの人来たの? じゃああたしは行くねー」
「ん、じゃな」
 女はさっさと席を立って行ってくれた。俺も立ち上がって薫の方へ近寄ったが、何やら微妙な顔をしている。
「俺が女と喋ってたのが不満?」
 笑みを浮かべながらずばり言ってやると、
「いや」
 という短い返事。
 そして下を向いて、小さな声で言う。
「楽しそうだったから、声かけられなくて…」
「ああ、悪い。ちょっと話が盛り上がって……でもお前が気にすることないぞ。
来たんならすぐ声かけてくれればいいだろうが」
「うん、ごめん」
 ……謝ってほしいわけじゃないのにな。
 まぁ、ここで責めても慰めても、薫は謝るんだろう。
 慰めるために、今日はいつもよりずっと優しくしてやるか。
 俺は薫を促して、駅への道へ向かう。
 せっかくスーツを買うんだから、俺が買ってやるつもりだった。
 試着室から出てきた薫を見て。
 俺は目を瞠った。
 身長は平均で細身だったが、見栄えのするスタイルをしている。それは知っていたけれど、俺の予想以上にスーツがよく似合っていた。
「うーん、いいなぁ」
 しげしげと頭の先から足先まで眺めつつ言うと、薫は照れたようにささやかな笑みを浮かべた。
「ちょっと、腕時計を見る動作してみてくれよ。大袈裟に、ばっと」
 俺は左腕を大きく振りながらその動作を表現してみせる。
「え……なんで?」
「いいから」
 俺の頼みを、薫は断らない。
 納得いかない顔をしながらも、ばっと左腕を振った。腕時計をのぞきこむように、ちょっと俯いて……そのまま、上目遣いにちらりと俺をうかがうように見る。
 様になっていて、自分の恋人のかっこよさに俺は嬉しくなった。
「いいよ」
 薫はほっと息をついて手を下ろす。
「じゃあ、これでいいかなぁ」
「そうだな、就活するには無難でいいんじゃないか」
 本当は他のタイプも着ているところが見たかったが、今日は就活のためのスーツを買いに来たんだ。ま、いいか。
 じゃあ、と言って試着室にまた引っ込もうとする薫。俺はとっさに身を乗り出してそれを止めた。
「な、なに…」
 驚いている隙に、ぐいっと襟を引っ張って広げると、現れた鎖骨に唇を落とす。
 直後にどんっと肩を叩かれ、押し返された。
 少し怒ったような困ったような顔で俺を見る薫が可愛くて仕方ない。
 目が合って、にっと笑ってやる。
「すげぇ、脱がしたい。そのスーツ」
 直後、薫は試着室へ飛び込んでしまい、バンッと試着室の扉が閉まった。
 
 
 店員にも一応見てもらったところ裾上げの必要がないとのことで、薫が何か言う隙を与えずにすぐさま俺が買い取った。
 荷物を持って先に歩く俺を、怒って薫がついて来る。
「飯、食って行こうぜ。何がいい?」
「高遠さん、俺、買ってもらったら困るよ」
「困ることないだろ。プレゼントじゃん」
「なんで」
「俺から就職前祝いってことで」
「まだ決まってない」
「だから前祝いって言ってるだろ」
 店を出て、俺はもう食事のことしか考えていないというのに、薫はしつこくそればかりを言い続ける。俺の半歩後ろから。
 あんまりうるさいので、人通りの少ない道に入ったところで俺は振り返った。
 くるりときびすを返して薫と向かい合うと、じっと睨まれる。
「そんなに言うならさ…」
 俺が何を言うのか、薫は想像なんかつかないだろう。
 俺は至極真剣な顔で切り出したからだ。
「そんなに買ってもらうのがいやなら、俺に、スーツ着たお前を脱がさせてくれ。そのために買ってやったんだ」
 その瞬間に、薫の顔から表情が消えた。
 そんなに驚いたのか?
 黙ったまま、俺を見つめ返したまま。薫はしばらく、そのまま突っ立っていた。
 あまりに返事がないので前髪を軽く引っ張ろうと手を伸ばすと、今までの態度からは考えられない俊敏な動きで後ろへ下がる。その耳が途端に真っ赤になっていった。
「あ、そ、そのためにスーツを……!?」
「そんなに驚くなよ。お前のスーツ姿、そそったんだから」
 薫はどぎまぎと目線を逸らしたけれど、決してイヤそうではなかった。
 
 と思ったのは、俺の勘違いだったようだ。
 
 薫は就職活動を始めてすっかり俺にかまってくれなくなって、それどころかスーツを着ている時に近寄ると絶対に触れさせてはくれない。スーツでプレイの願望は、叶うことはなかった。







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