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短編集
ある日

 高遠悠紀(タカトオユウキ)と宮内薫(ミヤウチカオル)、二人で住み始めて半年が過ぎた。
絶対一緒に住むんだと、言ってくれたのは高遠さんの方で。
俺が深く傷付いていて、人と馴れ合うことが恐くて、家族を家族と思っていないんだということを高遠さんは知っていたけれど、
「深く踏み込んでやらなきゃお前は逃げるばっかりだ」
って言ってくれた。だから、一緒に住む…って。
 
 
 俺は平日は時間の空いた時だけファミレスでウェイターをして、日曜は単発で引越しのバイト。合計で週に4日〜5日くらい仕事を入れてる。あと、大学の講義が一日中詰まってる日が、週に一日だけあった。
 高遠さんはパチンコのホールスタッフのバイトをしていて、週に5日はいない。でも、以前は週5日とも遅番で夜中まで働いていたのに、俺と暮らし始めてから中番になって、夕飯の時間には帰って来る。
 俺と生活時間を合わせてくれるのが嬉しい。
 以前の俺なら、「俺の時間に合わせちゃって、申し訳ない」と考えていたと思う。でも、「申し訳ない」ばっかりじゃなくて、「ありがとう」という気持ちを感じるようになったのは、恐らく高遠さんと暮らし始めてから。
 
 
「もう秋だなー」
 そろそろ夕飯の支度をしようかとリビングのテレビ前に置いたソファーから俺が立ち上がると、そう言いながら高遠さんもキッチンへついて来た。
 まな板と包丁を出そうとした俺の背後から手を伸ばした高遠さんは、棚の奥から土鍋を取り出す。
「鍋、しようぜ」
 嬉しそうに土鍋を両手で持ってにこっと笑う。しかもかわいこぶって、首をかしげての笑みだ。
 俺はきょとんと土鍋を見つめてしまう。秋とは言っても、朝夕は冷えるが昼間はまだ残暑が厳しい。鍋というのは、俺の夕飯の選択肢にはなかった。
「鍋…?」
「そ。だから今からスーパー行こうぜ」
「でも冷蔵庫に色々あるよ」
「秋の旬の物が食いたいのっ! きのこきのこ〜」
 うきうき、と言った足取りで高遠さんは土鍋を運ぶと、優しくガスレンジに乗せた。
 この人は鍋が好きだ。
「帰って来たらダシをとって〜野菜たっぷり入れて〜きのこ入れて〜」
「あ、じゃあ、どっちかが買い物行って、その間にどっちかが家でダシとってた方が時間が…」
「だめ」
 笑顔で却下された。
「二人で買い物行くんだよ。さ、行こうぜ」
 高遠さんは俺の手を取り、とっとと玄関へと歩き始めた。
 もう外は肌寒いから、ソファーの背に放り出してあったジャケットを二人それぞれ手に取る。
 高遠さんのわがままは、俺は嬉しい。
 彼は楽しそうに、そしてちょっと甘えた感じでわがままを言うからだ。
 そう考えながら靴に足を突っ込んで、ハッととても照れくさいことを考えていることに気づいてしまう。外は寒いのに、玄関を出た俺の顔はちょっと赤く火照っていた。
 
 夜遅い住宅街。人通りが少ないから、手を繋いだままスーパーに行った。
 さすがに店の明かりが見えてきて、客が行き交うのがちらほら見え始めるとすぐぱっと手を離したけど。
 離した途端、今までのぬくさが無くなってひゅぅっと手が寒くなった。
 高遠さんも同じなのか、手を離した途端に足早になって、それを追いながら、彼がポケットに手を突っ込んで肩をすくめるのに気づいてしまった。
 スーパーに入った途端、
「さみぃな」
 カゴを手にしながら苦笑して高遠さんが俺を振り返り言った。
「うん」
「さ、とっとと帰って鍋にしよう」
 客足もまばらな時間帯。会社帰りのOLやサラリーマンらしい人がちらほらいるが、若い男の二人組なんていない。
 高遠さんはもう、ここに来るまでに頭の中で鍋の具を考えていただろう。目的の物へ最短距離で辿り着くと、すぐに別の物へ向かい、あっという間にカゴにどさどさと食材を放り込んでいく。カゴを持とうか、と言ったら一言、「いい」と断られたので、俺はついて行くだけ。
「えっ、牛肉なんて買うの!」
「なんで?」
「だって、きのこと肉って合わなくない?」
「合わないことないだろ。ほら、きのこ和風ハンバーグってきのこ乗ってるだろ」
「あ、そっか」
「秋の味覚、さんまも入れたいな〜つみれもいいな〜……でも今日は肉!」
 高遠さんは割とお高めな牛肉を買って行った。
 
 
 俺はそれほど肉を食べない。
 当然、高遠さんが食べたいから買ったんだと思っていたら、彼は俺の皿にどんどん肉を乗せていく。
「なんでっ! 肉、食べなよ」
「お前、たまには肉を食えよ。男らしくないぞ」
「男らしいってなんだよ…」
 ただの肉じゃないか。
「お前にイイ物を食わせてやりたいの。だから、食え!」
 語尾が強かった。これ以上、反論は許されない。
 それに「お前にイイ物を食わせてやりたい」とか言われると、恥ずかしいけれども、嬉しい。
「じゃあ、俺も高遠さんにイイ物を食べてもらいたい」
「あっ、こら、きのこをこっちにやるなよ! きのこは体にいいんだぞ!」
「食べたがってたじゃん」
「俺はさっきからいっぱい食ってるよ」
 知っている。鍋が始まってから、肉以外はがつがつ食べていた。
「いいから、きのこは体にいいんだからいっぱい食っとけ」
 ぽん、と一度俺の肩を叩いて、高遠さんは微笑みながら言った。
 そして自分は空っぽになった皿をテーブルに置き、その上に箸をきちんとそろえて置いてしまう。
「俺、食いすぎて食い飽きちった」
 自分の腹をぽんぽんと叩きながら、げっぷをしそうな顔で彼はそう言った。
 まだ早い。まだ満足するには早いだろう。
「まだうどんがっっ!」
「あ、うどんは食う」
 あっさりと高遠さんはそう言った。
 
 
 後片付けをしてキッチンを出ると、高遠さんはソファーに寝転がっていた。
 動かないから、寝ているのかなと思って近づいてみると、やはり目を閉じている。
 近寄ろうとして、寒気を感じて立ち止まった。鍋の余韻ももうなくて、室内はずいぶん冷えている。もう、暖房をつける頃かも知れない。
 高遠さん、起こさなきゃ。
 ソファーの前まで寄って、そっと肩を揺さぶった。
「起きて下さい」
「……ん?」
 口を閉じたままそう問い返してきたが、意識も体も半分寝ている。
 もぞもぞ動いて、目の辺りを手で覆うと、ふっと開いた口がまた気持ち良さそうな寝息を吐き始めた。
「高遠さん、寝るならベッドで寝て下さいって」
「んー…? うん……」
 うん、じゃない。
 全く起き上がる気配がない。
 俺は目元を隠している手をどけてやった。眩しそうに一瞬、ぎゅっと眉が寄ったが、またすぐリラックスしてしまう。
 布団でも持ってきてかけてあげようか……俺がそう思い始めると、突然、高遠さんの手がこっちに向かって伸びてきた。
 半分寝ているはずなのに、手は正確に俺の頭をとらえ、後頭部に回された。
「薫…」
「はい?」
そのまま引き寄せられて、同時に高遠さんも少し頭を持ち上げると、唇に軽く触れるだけのキスをした。
「うわっ」
 思わず手を振り切って引いてしまう。
 寝ぼけているのに、なんで……。
 すると高遠さんはぱっと目を開けた。目が合ったのだが、俺も愕然としているが彼もキョトンとしている。
「あれ、俺、寝てた?」
「ね、寝て……たと思いますが」
「ごめんごめん、起こしてくれたのか」
 とぼけている感じではない。高遠さんはいつもと同じように、起き上がるとその場で「うーん」と伸びをしてソファーを降りた。
 そのまま、風呂場へと消えていく彼の後姿を何も言えずに見送り、やっとその姿が消えると俺はそっと唇に指先で触れてみた。
 一瞬だけど、絶対、触れた。
 あの人、俺以外の人の前で寝ぼけて同じことするんじゃないだろうか。
 そんな危機感に悶々としてしまう。
 その後しばらく、俺はそのことで悩んでしまうのだった。

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あきゅろす。
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