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短編集
暗きに堕ちる
 その日、部屋に入ってきた人は、白衣を着てメガネをかけた神経質そうな線の細い男で、カウンセラーの宮川だと名乗った。
 僕は先日警察に救出され、失踪から5年振りに日本に帰ってきた。それからは病院を転々とさせられた挙句、今は精神科に閉じ込められている。
 僕は何も、自分がおかしいなんて思わないのに。
 宮川は、今までのどの医者よりも僕に優しかった。
「話せることだけ、話してくれないかな。5年間、何があったのか」
「そうしたら病院から出られる?」
 僕の日本語はたどたどしかった。5年間、海外で生活していただけではない。日本を離れた時、僕は12歳だった。脳が柔軟な時期に母国を離れたせいで、母国語がやや不自由になってしまったようだ。
 宮川は僕の問いに答えた。
「君と、僕の努力次第だよ」
「がんばれば、出られる?」
「がんばってお話してくれたらね」
「うん……」
 僕は思い出そうとした。
 5年前に、一体どうやってジョーンと出会ったのだったか……。
「宮川は、スナッフビデオって知っている?」
 まず問いかけた僕の言葉に、宮川の顔がわずかに曇った。
「知っているよ」
 宮川は、他の医者のように僕に「先生と呼びなさい」なんてことは言わず、ただ僕の問いにのみ答えてくれた。
「僕は、そのビデオに使うために誘拐されたんだ……」
 
 
 
 その時のことを思い出せば、僕は体すべてを恐怖に乗っ取られて、身動きもかなわなくなってしまう。
 香港で一人で乗ったタクシーは、僕を目的地へ連れて行かず、どこか違う場所へ向かった。人気のない場所へ来たと思った途端、車の周囲を3、4人の男に囲まれ、僕は引きずり出されながら口に何やらアルコール臭のする布を押し付けられた。
 そのまま意識を失い、気がついたら、真っ暗な部屋だった……。
 僕は男達の英語を、ところどころしか聞き取ることができなかった。
 冷たいコンクリートの感触が頬にある。
 ぱっと突然、ライトがつけられた。そこは薄汚い、だだっ広い倉庫のようだった。その当時、僕が思ったのは「学校の体育館のように広いな」ということだったけれども。
 その時、僕に対して何が行われようとしていたのか、何が目的だったのか、僕には全くわからなかった。知ったのは、もっとずっと後になってからだったんだ。
 3人の黒人が、僕の顔をかわるがわる殴った。鼻血が吹き出て意識が遠のき、次いで、腹や背中を思い切り殴られた。そうされながら、ナイフのような物で服を破られた。
 手足を、針金で縛られた。針金は頑丈で、暴れると僕の肌が傷つき、血が溢れる。
 黒人のペニスが僕の肛門を貫いたときには、何が起こっているのか理解できなかった。
 男は次々に僕を犯し、射精し、哄笑して僕を殴りつけた。ナイフが肛門に突き立てられた。僕のそこは、切り開かれて大きくなった。
 睾丸を切り落とされた。その合間にも、顔は幾度となく殴られ続けた。
 男達は楽しそうだった。僕は助けてと叫ぶ力も早々に失い、ほとんどされるがままになっていた……。
 カメラが回されていることには気づかなかった。
 コンクリートにうつぶせに投げ捨てられ、僕はぴくりとも動かなくなっていた。
「……ぉい、まだ生きてるぞ」
 僕は微動だにしないというのに、気づいた誰かがそう言った。
「じゃ、やっちまうか」
「どうする? ナイフで切り裂くか? 頭蓋骨が割れるまで殴るか?」
「そうだなぁ」
 楽しげに交わされる会話に僕は戦慄した。
 僕を殺すことを、楽しむために、僕をさらってきたのだろうか?
 12歳の小柄な僕の体は、もう、放っておかれれば死を迎えていたはずだ。
 だけど。
「ここまでして、生きてるなんて面白い。俺がもらってもいいか」
 そう言った男がいた。
「何だって?」
「いいだろう」
「駄目だ! こいつを殺して、このビデオがいくらで売れると思う。なんでおまえのペットにしなきゃいけないんだよ」
「文句があるなら、明日別の獲物を連れて来てやるよ。前のペット」
「あいつは……シャブ漬けで痛みを感じないからつまらねぇんだよ。尻もがばがばだしな」
「どっちみち、そのガキももうがばがばさ」
 はははは、と下品な笑いが響いた。
 
 
 ジョーンは危険なことをたくさんしている黒人だった。
 本名なのかどうか、知らないけれど。それから僕は彼に引き取られ、ペットというより玩具のように扱われていた。
 ジョーンは僕を一応、怪しげな医者に診せたけれど、体が回復するのを待たず気が向けばいつでも乱暴に僕を抱いた。抱くというよりも、穴に突っ込むという感じだった。入れられさえすれば、きっとなんでもよかったんだ。
 
 
「おい、マコト!」
 呼ばれて腹を軽く蹴飛ばされ、僕は呻いて起き上がる。
 臭い部屋、買ってから一度も洗っていないのだろう臭い布団の掛かったベッドに、もう慣れてしまった。
 見上げるとジョーンが、僕の頭を小突こうと足を振り上げていた。
 がっ、と衝撃を受け、ベッドの反対側へ転がり落ちる。
 僕はゆっくりと、床に手をついて起き上がった。
「おはよう、ジョーン」
「モタモタしてんな」
「ごめん」
 僕とジョーンは住処を何度も変えながら、香港をさまよっていた。
 僕には日付の感覚があまりなかったけれど、ジョーンと一緒にいるようになってから1年経つ頃、そんなにも長い間彼に飽きられないということがどれだけ凄いことなのか僕にも理解できていたから、素直に驚嘆した。
 ジョーンは365日一緒にいる僕に飽きていない。
 ジョーンは麻薬やスナッフビデオ、幼児ポルノビデオなどの、アンダーグラウンドな密売に手を染めているらしい。
 僕が引き取られた日に一緒にいた人達は仲間だったけれど、一人、また一人と、他の組織の人間に殺されたり、捕まったりして数を減らしていた。
 僕達も、仲間の裏切りにあい、命からがら逃げ出したこともある。
 ジョーンの背中には、弾痕が3つもあった。
 僕の体には、ジョーンにつけられたナイフの傷跡や、膿んだピアスホールが、点々と散らばっていた。
「今日はラルフのとこだ」
 戸棚からパンを取り出し、齧りながらジョーンは言った。
「とうとう?」
 僕は同じ戸棚からパンを出しながら問う。
 ラルフは偽造パスポートを造っていて、ジョーンは前々から貯めていたお金を彼に少しずつ渡していたのだ。
「ああ、とうとう、金は貯まったぜ。2人分な」
 僕も連れて行ってくれるのだ、という喜びに、声も出なかった。
 ジョーンは生まれ故郷のアメリカに行くことを、ずっと楽しみにしていた。
 彼は勘違いしていたのかも知れない。アメリカなら自分を快く受け入れてくれる、と。
 
 
 僕達がラルフの所に行った時、警察が踏み込んできた。
 密入国だけじゃない、ジョーンには他にもっとやばい余罪があったんだ。だから彼は逃げようとした。
 彼は僕に言った。
「お前はあっちに行け」
 警官の方を指差してそう言った。僕は涙ぐんだ。
「いやだ……。僕がいると足手纏いだから?」
「そうだよ。早く行けよ」
 ジョーンに僕は必要ないことはわかっていた。
 だけど。
 捨てないで。
 そう口の中で呟いた僕に、ジョーンは微笑んだ。
 
 
 
 ジョーンは撃たれて死んだ。
 初めて会った時、散々殴られたせいで顔の骨を折り、ろくな治療もしなかった僕の顔は、すっかり歪んで決して可愛いとは言えなかった。頭も悪いし英語もろくに喋れないし、ジョーンが僕をずっと傍に置いてくれた理由はわからない。
 
 
 
 今でも会いたい。
 
 
 もう一度、殴って犯して踏み付けてほしい。
 
 
 
 
 
***終***

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あきゅろす。
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