短編集 カタコイ連れて 3 うう、苦しい。耕哉の手が、また耳に触れた。何度も耳の縁を往復して撫でる指が、優しくて、それだけですごく感じて涙が浮かんできた。 はぁはぁと息が乱れて、もう一度、深呼吸をしようと口を開けた。その時、耕哉が前かがみに顔を寄せてくる。予感はしたけれど逃げなかった。 耕哉の唇が俺に触れた。開いた俺の口にすぐ舌が入ってきて、あの時の、初めて耕哉にこうされた時の気持ち悪さが蘇ってきて抵抗しようとしたのだけれど、ざらりとして、濡れた感覚の舌で口腔を舐め回されると気持ち良くて。もうちょっと、このまま……なんて思っていたら、耕哉はますます強く、俺に顔を寄せて来た。耳を撫でていたはずの手も、俺の頭を抱えるように抱き締めて、唇を合わせてくる。 「ん……んっ、ん」 何度も舌が入って来た。上唇を吸われて、下唇を噛まれて。 俺の呼吸と同じくらい、耕哉は息を乱して顔を離した。俺の顔を見ようとしない。顎の下に顔が潜り込んだと思ったら、鎖骨を舐められた。そして、 「ああっ」 俺は声をあげてのけぞる。俺のあそこを耕哉が握った。 「あっ、あぁ……ん、や、いやだ、耕哉っ」 「いいから、じっとしてろよ」 耕哉の声は低くて熱かった。俺のあそこを何度も握り締めて、上下に手を動かしてさする。気持ち良くて腰を揺すってしまう。 「やっぱりお前、何か薬でも使われたんだろ。もしくは、すごい欲求不満だった、とかさ。そうでなきゃこんな……」 耕哉の手が早く動き始め、ぐちゅぐちゅと濡れた音が俺の下腹部の方から聞こえた。 もしかして、俺のか? 俺の先走りでそんなに濡れているのか? 恥ずかしくて、逃げ出したいのに、体を起こして耕哉を突き飛ばして逃げることが出来ない。それどころか腰を突き出してしまう。 「う、うぅ、ん……ぁ、あ」 唇を噛み締めたけれど、頭の中はどんどん白くなっていって、また自然と口が開いてしまっていた。 びくびくと足が震える。気持ち良すぎる。 その時、膝が耕哉の股間にぶつかって、そこが堅くなっていることを知った。 そ、そうだ。俺だけこんなに恥ずかしいなんて……嫌だ。耕哉だって立ってるんだから。 手を伸ばして、耕哉のズボンのチャックを下ろそうとした。そこが堅くなっているから、チャックは張り詰めてなかなか下りない。耕哉は俺の頭を抱えていた方の手を離して、自分のズボンを下ろした。 「触ってくれるのか」 やけに嬉しそうな声だ。喜ぶなよ、これは違うんだ。奉仕じゃない。ただ、恥を共有したいだけ。 耕哉も、パンツの上から触るとすでに濡れていた。トランクスを引き摺り下ろして、熱く硬くなっているそれを握る。ぬるっとして、気持ち悪い、と思ったが、俺自身のそれも濡れまくっていることを思い出し、そのまま勢いよく擦った。 「うわっ、光木、で、出るっ」 慌てて耕哉が俺の手を掴んで阻む。 「早っ」 俺は少し笑ってしまった。耕哉は肩で息をしながら、俺の顔を覗き込む。真っ暗だけどこれだけ近ければ顔が見える。 「い、いくなら、一緒に。なっ?」 「う、うん……」 そんなことを、真剣な顔で言われると照れる。恥ずかしいじゃないか。 耕哉は意地なったようにまた俺のあそこを強く擦り始めた。時々、先端の窪みを指でこねられて、そのたびに頭の中で花火が散ったようになる。 俺もマネして耕哉のを触ってやった。早く出してやろう。俺も、もう出そうだから。 「んっ。光木、光木……」 耕哉が俺の頭を再び抱える。胸に顔を押し付けられて、苦しいけれどなんだか安心するぬくもりだった。 俺も耕哉の名前を呼ぶ。 「耕哉っ」 あ、あぁ、もう駄目。もういっちゃうよ。 「耕哉っ」 「で、出る……んっ、光木っ」 「あーっ!」 がくがくと揺れて、のけぞる体を耕哉が強く抱き締めてくれた。 出した瞬間には、意識が飛んでいた。だけど、薄らぐ意識の中で、耕哉を握っている手がものすごく熱くなったことだけ感じていた。耕哉の出したやつが、すごく熱かった。 俺達はしばらく抱き合ったままぼんやりしていた。俺は多分、1分以上は意識を飛ばしていて、余韻に浸っていた。 意識が戻って来ると、耕哉のを離した。何も考えずに手を開いたから、どろっとそこから床に落ちたのを感じる。 「あっ、垂れちゃった」 「垂れちゃったって、お前……ちょっと待て」 耕哉はポケットの後ろを探る。くしゃくしゃに丸まったポケットティッシュを取り出す。片手でなんとか、ティッシュを1枚取ると、俺の手に押し付けた。自分もティッシュで手を拭く。 それから、床も拭いた。暗いため、どこに零れたかよくわからない。 耕哉は手早くズボンをはくと立ち上がり、教室の隅へ行って電気を点けた。そのまま走って教室を出て行ったかと思うと、数秒で戻って来たその手にはトイレットペーパーが1個、握られている。 紙を手にぐるぐると巻き取って、俺の下腹部に押し当ててくる。足を掴まれ、股間を開かされた。そこにも耕哉はトイレットペーパーで擦り上げる。 「わっ、わっ」 「お前、後ろまで濡れてる」 尻まで耕哉に拭かれてしまった。おしめを替えるような体勢で。ひどい、恥ずかしすぎる……。 「よし、大丈夫だ」 そう言って耕哉が手を離した。俺はすぐに足を閉じる。 「痛い所、ないか?」 「痛みがあんまりない」 「でもアザがひどい」 「うん。でも痛くないから……」 立ち上がろうとして、足に力が入らずによろけた。膝からくずおれるところを耕哉が抱き止めてくれる。床に寝かされて、ズボンは耕哉がはかせてくれた。 「タクシー呼ぶ。下まではおぶってってやるから」 そう言いながら、耕哉は携帯電話を取り出した。 「待ってっ」 俺は急いで耕哉を止める。驚いて、耕哉が俺を見た。 「教室、このままで行くの?」 「あ、や……机とかは直していかないとな」 「そうじゃなくて……そうじゃ、なくてっ!」 起き上がって、立てないから、座ったまま耕哉を見上げた。 「汚いから……きれいにしたいんだ。このままじゃ、いやだ」 ここであった暴力の匂いなんて全て消し去りたい。 耕哉は苦笑して、それから大きく息をついた。 「いいぜ」 そう言って、俺を抱き上げると、教卓まで連れて行った。そこに座らせられる。 それから耕哉は濡れた雑巾を持って来て床を、机を、椅子をきれいに拭いて、元通りに並べ直した。今なら途中で警備員が来ても、掃除してましたって言えばいいから、電気は消さなかった。 俺は機敏に動く耕哉を見ながら、宮崎達が戻って来るんじゃないかと少し怯えていたんだけど、教室に人がやって来ることはなかった。 「そこ、曲がってる」 教室の一番前から、耕哉に注意を出す。俺が言う度に耕哉は丁寧に従った。 耕哉におんぶされて教室を出る時、すっかり、元通りの整然さを取り戻したそこを見渡して、俺は安堵した。まるで、あんな出来事なんて起きなかったかのようだ……。 俺はそれを見ると、安心することができた。 耕哉に負ぶわれたまま、校門前でタクシーを待つ。 「なぁ、耕哉……」 沈黙に耐えかねて俺は声をかける。 「どうした?」 耕哉が喋る度、空気の振動が背中から伝わって来た。 「ごめん」 今なら顔が見えないから言える。俺は素直に謝った。 「何が」 耕哉の返事は意地悪だった。いや、意地悪のつもりじゃなくて、ただ単に俺の謝罪が疑問だったんだろう。だけど俺には、その言葉はさらなる断罪を求めているように聞こえた。 「き、気持ち悪いとか、言って」 「ああ……」 耕哉は答えて、何か考えているようだった。俺はその背中でどきどきしながら答えを待った。許してくれるのを待った。 わかったんだ。俺にとっては耕哉はすごく大事な存在なんだということが。 助けられたから、気づいたなんて、申し訳ないんだけど。昔から俺には耕哉はヒーローで、でも、まさか本物のヒーローだったなんて気付いてなかった。 「俺も、ひとつ言わせてくれ」 耕哉は俺の謝罪に対する返事とは違うことを言い出した。 「何だよ」 「お前が弱ってるところにつけ込んで、悪かった」 「は? つけ込むって何?」 「突っ込むなよ」 「だって意味がわからない…」 耕哉は溜め息をついた。これで、何度目の溜め息だ? そして口を開くと、一気に言う。 「お前は正気じゃないのにエッチなことしてスイマセンデシタ!」 耕哉があまりに大きな声で言うから。それに、あまりに恥ずかしいことを言うから。 俺は一瞬、口を開けたまま声が出なくなった。 「な……な、何、言ってんだよ! 正気だよ俺!」 「正気じゃねぇよ! ほんとのお前なら、もっと嫌がるだろ。気持ち悪いって言って逃げるだろ……」 「に、逃げ……逃げる、確かに、な」 じゃあ、あれは。 暗い教室でのあの出来事は、正気じゃない時に見た夢のようなもの? 俺だったら、絶対に、耕哉になんか触らせない。気持ち悪い。キスも、二人で触り合うことも。 だけど我慢できなかった。気持ち良くて体が流されていた。 それが正気じゃないっていうことなのか。 「でも、後悔してない、俺」 俺は言った。耕哉が振り向こうとする。だけど、背中にいる俺の顔を見れるはずがない。 「じゃ、もう一回、するか?」 「嫌だ」 「なんでだよ!」 「後悔してないけど、もう一回したいってわけじゃない」 ちっ、と耕哉が舌打ちをした。 なんで、ここで舌打ちが出て来るんだ。 「お前が俺とやりたがる意味がわかんない。一人ですればいいだろ」 「一人、ってお前、寂しいこと言うなよ」 ぶぅん、と車の音が聞こえた。ヘッドライトが角を曲がってきて、俺達の前で停止する。タクシーだ。ドアが開いた瞬間に、耕哉が小さく呟いた 「好きだ」 その言葉に驚いて、動けない俺を、耕哉が先にタクシーの後部座席に下ろす。それから自分も乗り込んだ。俺の家の場所を平然として告げるその横顔を、唖然として見ていた。俺は。 翌日、起きると寝汗をかいていて、覚えていないけれど嫌な気分になる夢を見たようだった。体が重くて吐き気がする。 そのまま横になっていると、正午を回る頃になって耕哉が家に来た。母親はもちろん小学生から知っている耕哉を信用しているから、すぐに家にあげる。俺には来たことを告げないが、チャイムの音の後、階段を上って来る足音がすれば誰が来たかは大体わかるんだ。 ベッドに横になったまま、こんな情けない格好を見られるのは嫌だな、と思ったけれど、起き上がってから元気を出す気力もなかった。 ノックの音がして、返事をする前にドアが開けられる。耕哉はまっすぐベッドの横に来て、俺の額に手を置いた。 「おばさんが、まだ寝てるみたいだって言うから心配したけど。具合悪いのか? 熱は……ない気がするけど」 「熱があるわけじゃない。ちょっと疲れてるだけだから」 耕哉の手を力なく振り払って、上半身だけ起こした。溜め息が出るほど体が重い。 「何しに来たんだ」 「様子見に来た」 そう言いながら耕哉はベッド横に座った。 放っておいてくれればいいのに。昨夜のことを思い出すと、耕哉と顔を合わせるのは気恥ずかしかった。俺はカッコ悪いところしか見せていない。呆れられたり、嫌われたり、蔑まれたり、されても文句は言えないくらいだ。 耕哉は昨夜、俺をまず自分の家に連れ帰り、風呂に入れてから、俺の家に送ってくれた。そのまま家に帰っていたら、喧嘩したことが親にすぐにばれて、心配されるに決まっているから。 耕哉の機転のおかげで助かった。親には学校に遅くまで残っていたものだから、と言い訳をすることが出来た。多少、制服が汚れていたり、俺の顔色が悪いってことには気づいただろうけど、何も言われなかったし、一件落着だ。 何もかも耕哉のおかげだ。だけど。 せっかく起き上がったのだが、やはりまっすぐ耕哉の顔を見続けることが出来ず、また横になりながら背を向けた。 「もう様子見ただろ」 暗に「帰れ」と言ってやる。こう言っても耕哉は帰らないと知っているから言ってしまう。 何より、耕哉の顔を見続けることが出来ない理由は別にある。 好きだと言われたことだ。深い意味があったのかどうか、わからない。深い意味があったのか、なんて聞くことも出来ない。 耕哉にとっては、親友として、っていうつもりだったらどうする? 前後の会話からして、親友として好きだっていう意味なわけない。わかっているからこそ聞きづらい。 そういう意味で好きなのか? どうして? なんで俺を? いつから? 考えると混乱するから、考えないようにしていた。 「辛そうだな」 俺の背後で耕哉が言った。見透かされたような言い方に、カチンとくる。 だけど、実際、今は心も体も疲れていて辛いから、反論はしない。黙っていると耕哉は控え目に続けた。 「そんな時に悪いんだけど、俺、光木のそばにいてもいいかな」 「いれば」 「いや、今じゃなくって。今のことじゃなくて、この先の問題だ」 「この先?」 思わず振り返ってしまった。耕哉の言いたいことがよくわからなくて、表情を見てみないと何とも、掴めないから。 耕哉は俯きがちだったが、俺が振り向くと顔を上げた。 「今まで通り、光木のそばにいてもいいか。お前、俺の気持ちを知っても、許してくれるか」 「え……?」 とりあえず、ひっかかったのは、耕哉の言い方だった。 「許すとか許さないとか、お前、そんなに卑屈な奴だったっけ。許す、って、俺、どんだけ尊大な人間だよ、おい。許さないって言ったら従うのか」 「とんがるなよ。言い方が悪かったけど、俺の心境的にはそんな感じなんだよ。そばにいてもいいか?って言って、ダメだって言われたら、すごすごと引き下がるしかないわけだ、俺は」 「今更……」 なんだか。耕哉の「らしくない」言い方にはむかっ腹が立った。 「今更、許可が必要な関係か!」 「わかってねぇな」 なんだ、その鼻で笑うような言い方は。耕哉は呆れたように笑う。 「今までのような関係じゃないんだよ。関係が変わるんだよ。お前もわかるだろ?」 「な……」 耕哉の言いたいことを理解して、俺はこいつがそんなに大袈裟に考えていたことに気付かされた。 許可が必要な関係になるってことか。ただそばにいるだけのことなのに、俺の許可が必要になるって? 「それは、つまり、もう友達じゃなくなるってことか? 俺が許さないって言ったら、友達じゃなくなるってことなのか」 「ま、おまえが友達でいたいって言うんなら、友達のフリはしてやってもいいけど」 「偉そうだな!」 「しょうがねぇだろ。俺は、友達のふりをするか、他人のふりをするか、二者択一だからな。お前に任せるよ」 「俺任せか!」 「決めるのはお前しかいないだろ」 耕哉がいなくなったら困る。友達だった奴が、俺が言ったせいで友達じゃなくなるなんて、寂しすぎる。だけど友達でいたいと言ったって、耕哉はもう友達の「ふり」しかしてくれないんだ。本当の友達じゃなくなる。 いや、俺は間違っていた。俺が今決めるから友達じゃなくなるわけじゃない。 こんな話をしている今、もう耕哉は俺の友達じゃないんだ。 耕哉の気持ちが告げられた瞬間からか? いや、前に耕哉に無理やりキスをされた時から? 違う……端を発するのは、耕哉が俺に好意を持ち始めた時からだ。 なんだか急に、とてつもない寂しさが襲って来て、胃に不快感を覚えた。 友達を失うってこういうことか。耕哉は小学生の時からの付き合いだし、常日頃からべったりな親友というわけではないが、気心が知れた仲だった。居心地がいい仲だった。 幼馴染みだからな、長い年月がそういう関係を構築したんだ。生涯で二度と得られない友達なんだ。 そう考えると、とてつもない寂しさに襲われて、俺は何も言えなくなった。 無二の友達を失う。 胃の不快感を紛らわそうと、大きく深呼吸をする。だけどそれは、耕哉にしてみれば溜め息に聞こえたようだった。 耕哉の眉がぴくっと動く。 俺の答えを待ってる、耕哉が。 いや待てよ。俺が答えを出す必要があるか? 耕哉が言う二者択一以外にも何か選択はないか? 友達のふりをしていて、耕哉の気持ちが冷めて、またただの友人に戻るという可能性は? それは一番、俺にとっては都合が良い。でも好きっていう気持ちはそう簡単に消えるものか? 俺にはよくわからないが、本で読んでいる限りでは、そばにいる限りは気持ちは消えない、っていう感じがするんだが。 今更ながら、俺は人生経験がなんて乏しいんだと気付かされた。 中学の頃、クラスで可愛いと思う女子はいても、好きというほどじゃなかった。 耕哉の言う好きという気持ちが俺には理解できない。女相手であっても。 俺が黙り続けている間に、耕哉の表情はどんどん強張っていった。それが限界に達した時、すっと目が逸らされ、耕哉はまた俯いてしまった。 「悪いな。お前に決断させて。でも俺は、お前に決めてもらわないと動きづらいんだ」 「ん、あ、いや」 考えごとばかりしていた俺は、耕哉の言ったことに生返事してしまった。 早く結論を出さなければ駄目そうだ。 友達のふりをしていてほしい。そのまま気持ちが冷めてしまえばいい。そうしたら元通り…………。でも待てよ。元通りとは言わないが、俺達の温度差を埋めるもう一つの方法があった。 俺は耕哉の気持ちが冷めることばかり考えていて、思い至らなかったのだが。今になって気付いた。 友達のふりをしながらそばにいる間に、俺が耕哉を好きになったら? 俺が耕哉と同じ気持ちを抱くようになったら、友達に戻れなくても俺達は気まずい思いを抱えたままそばにいる必要はない。 ありえない気がした。俺が耕哉を好きになることなんて。 だけど、耕哉に好きだと言われたのは悪い気はしなかった。すごく驚いたが、俺のことを気にかけてくれたというだけで嬉しかったし。 それを思えば、今よりは少し、耕哉を好きになれる気がした。 「お前の言った二者択一には、間違いがある」 俺は偉そうに言ってやった。 「まず、他人のフリはなしだ。友達のフリもない。俺達は友達だ」 「だから、それは俺の気持ちの問題であって……」 「友達だが、お前の気持ちが友情に戻るってこともあるだろ。もしくは、俺の気持ちが友情以上になるってことも」 「え!!」 耕哉の声は、すごく大きかった。口を大きく開けて、力いっぱい吐き出された声だった。 しかも口を開けっぱなしで呆然としている。 だけどその目が何かを期待していて、俺は慌てて言い足した。 「な、なくはない、って話だ。いいだろう、それで!」 「それは結論を先延ばしにしているだけのような気がしないか。俺もお前も気持ちの変化がなかったらどうするんだ。いいのか? 俺はそうやってそばにいるのは……辛いんだが」 「お前の気持ちがどんなものか俺は知らない。でも、そういうのは……冷めるかも知れないだろ」 「冷める、かな。ずっと前から一緒にいて、ずっと冷めないのに」 「未来永劫っていうわけじゃないだろ。俺だって、まだ女子を好きになったことはないし、お前を好きになる可能性がないとも限らな……あ、いや、断言はできないけどな」 「ずるい決断のような気はする。お前は結局、関係を変えたくないだけだろ」 「……う、うん」 そりゃそうだ。言えるわけない。 ずっと友達でいてほしい、なんて恥ずかしいことを。 だけど耕哉は遠回しに告げたかったその言葉に気付いてくれたようだった。 溜め息をついて、立ち上がる。俺の目の前にまで近づいて来ると、突然、顔が近付いてきた。 慌てて身を引く。耕哉は不自然なほどには近付いて来なかった。 「じゃあ、俺はその可能性に賭ける」 「は?」 「俺の二者択一は間違ってたんだろ。つまりお前が言う選択肢は、俺の気持ちが冷めてただの友達に戻るか、お前の気持ちが変わって俺達が恋人になるか、だ」 はっきりと出てきた「恋人」という言葉に、俺は異常に反応した。顔がものすごく熱くなった。耳まで赤くなっているのが自分でもわかる。 「違っ、そこまでは俺は……」 「考えてなかったのかあ? 嘘つけよ」 くすっと耕哉は笑った。いつもの笑いだった。 その後、二人していつも通り、本読んだりゲームしたり、宿題の話をしたりして、耕哉は日が暮れる前に帰って行った。一応、いつも通りの関係だ……。 翌朝、俺は、学校に行くとなると気分が悪くて、制服の袖に腕を通すだけで精一杯だった。どうしても足がすくんで学校には行けない。あそこに行くことが、宮崎達の顔を見ることが恐ろしくて恐ろしくて、貧血気味になって倒れるほどだった。だけど登校時間より少し早く耕哉が迎えに来て、一緒になら何とか家を出ることが出来た。 学校が近付くにつれ、恐怖はやはり襲ってきたけれど、耕哉が一緒にいると思うと倒れるほどにはならなかった。 結局俺には耕哉が必要なんだと思い知らされる。 朝からずっと顔色が悪い俺を、耕哉は支えてくれていた。学校に行って、耕哉と離れてからはまた気分が悪くなり、倒れそうになったので保健室で一日寝ていた。帰りは耕哉が迎えに来て、俺は結局、一度も教室に入ることもなく学校を出る。 耕哉は無言で俺を送り迎えしてくれた。からかうこともないし、励ましの言葉をかけるでもない。 ただ俺のそばにいることが自然なことのように、毎日それを繰り返して。 一週間経っても二週間経っても、俺には耕哉が必要だった。 結局、一度も教室に顔を出せないまま留年が決定した俺は、通信制の高校に転校することを考え始めていた。そうしたら、きっと俺は外の世界に出なくて、外との関わりなんて耕哉以外にはなくなってしまうに違いない。 そうなることを考えると、その後のことは簡単に予想がつく。今以上に耕哉が心の拠り所になって、そのうち、彼がいなければ生きていけないほどになるに違いない。 それは好きという感情ではなくて、ただ彼の存在に寄り掛かっているだけだ。 耕哉と離れなきゃいけない。高校を変えたら、耕哉と会うのはやめよう、と勝手に決めた。 三学期の初日、寒い朝、迎えに来た耕哉を俺は玄関先で拒んだ。 耕哉は制服の上にコートを着て、マフラーで鼻の下まで顔を隠していた。しかも雪がちらついている一月の薄暗い朝だ。俺は私服のままで耕哉を迎えた。 「悪い……」 驚いた顔をしている耕哉に言う。 「もう、迎えに来なくていいよ。留年決定だって、先生に言われたんだ。俺、もうあの高校行かない。そう思ったら、すごく体が軽くて、なんか調子いいんだ」 嘘だ。本当はまだとても、気分が悪い。お前に会えなくなることで辛い思いをしている。 「高校も変わることになったから、もうあんまり会う機会もないかもな」 そう言って、ふと、耕哉が俺を追いかけて今の高校に来たことを思い出した。 「ああ、悪い……耕哉、わざわざ俺と一緒の高校にしたんだっけ。ごめん」 「……いや」 耕哉の声は重く、暗かった。そんな声を聞くことが初めてで、俺はますます、申し訳ない気分になり、 「ごめん」 ともう一度言った。 俺は人生の落伍者のような顔をしていたんだろう。俺にとっては人生は、平穏な真っ直ぐな道のはずだった。理想は高くなくていい。高校、大学、就職、と間違いのない道のはずだったから。 「わかったよ、まぁ、頑張れよ」 冬休み中、何度も会ったのに何も言わなかった俺を、耕哉は責めなかった。前もって言えば、わざわざ迎えに来ることもないのに、と心では思っていたかも知れないが。 言えなかった。二学期の終わりには留年決定したことを先生に告げられて、その後どうするかはともかく、三学期からは学校には行かないんだと、耕哉に言うことが出来なかった。何度も言おうと思ったが、無理だった。結局、当日になってこんなことを言い出した俺に、耕哉は怒っているかも知れない。 だけどそんな様子は見せずに去って行った。 耕哉から連絡は来なくなった。 俺が避けたのだから仕方がない。忘れようと思った。 彼のことは。 離れていても友人だなんて、思えない。だって俺が彼との縁を切ったのだから。 だが、それでも、心のどこかで、いつまでも友人だと思っている。 終 [*前へ] [戻る] |