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短編集
(番外編)病欠の一日

体がぐったりと重くて、布団に沈み込んでしまう感じ。
そのままぶくぶくと沈んでしまいそうな、そんな恐ろしい錯覚に捕われながら、動くことはできなかった。
 
「岬! 岬!」
 
呼んでいる。そのおかげでかろうじて、意識が浮上して。
「ダイジョウブ?」
覗き込んでくる目が、はっきりと見えない。
ダレ……と言い掛けて、さすがにそれは失礼かと思いやめた。
 
「飲み過ぎた? ヘーキか?」
「ん……城条?」
やっとその相手が判別できたので、名前を呼んでみたら、あからさまに嫌な顔をされた。
間違っていたか、と思ったが、そうではない。
「昨日、一緒に飲んだことも忘れたのか」
「あ……ああ、もう朝?」                    「ああ。朝。5時だけどな」
なんでそんな時間に、と責めたくなる。しかし責める前に城条は事情を説明してくれた。
「顔色がすごいやばかったからさ。起こさなきゃと思って」
そんなに、顔色が悪いのだろうか。
なんとか上半身を起こしたものの、吐き気がこみあげ口元を押さえる。心得たように城条はすぐに布団をはねあげ、赤羽の体の下に手を差し入れた。ゆっくり、持ち上げられる。
そのまま城条はトイレへ入った。
「やっぱりね」
と言いながら。
二日酔いにしては、覚えがないほど気分がすぐれない。
吐いた後も胃の中がぐるぐるしているようで、再びベッドに沈み込んだまま動けなくなった。
城条が念のためと言って持ってきた体温計を脇の下にはさむと、3分後にはその小さな窓に38.0℃と表示されていた。
「あー、ごめん」
体温計を覗き込んだまま、動きを止めて城条は珍しくしおらしく言った。何が、と問い詰める気力も赤羽にはない。だからこそ、城条は白状したのだろうが。
「おまえ、ベロベロに酔ってたからさぁ……。覚えてない、よな? 一緒に帰ってきて、ベッドに倒れこんでさ、おまえがあんまり何の反応もないから、ヤっちゃったの……覚えてないよなぁ」
「……」
「その、おまえ、ほんと酔ってたからさぁ。抵抗しないし、いいのかと思って……あの、聞いてる?」
「……」
口を開く元気もないので何も言わないでいると、城条は寝室を出て行くと、水を入れたコップと風邪薬をそれぞれ両手に持って戻ってきた。ゆっくりと飲ませてもらい、またベッドに体を沈める。
「ま、寝てろよ。俺あっちでビデオ見てっから」
 
大学の頃からの友人で、こいつが人に家で勝手知ったる振る舞いをすることなど知っている。赤羽は返事もせず、眠りについた。
 
目が覚めると、窓の外は真っ暗だった。
枕元に手を伸ばし、時計を取って見ると6時だった。当然、夜のだ。
起き上がってみるとアルコールが抜けた分、朝ほど気分が悪くもなく、頭はぐらぐらして体も重いがベッドを降りることはできた。
と、その時、リビングの方から何やら声が聞こえる。
「誰だ、お前」
「あんたこそ何だよ」
その声は明らかによく知っている二人のもので、どうやら言い争っているようなのでよろよろとリビングへと向かった。
ああ、目が覚めたのは、玄関のインターホンが鳴らされたからなのか、と気づく。
そこにはソファーにふんぞりかえったままの城条と、スーツでつったったままの静貴がいた。
「何やってんだ、お前」
決してこんな時間に会社を抜けられるはずのない静貴に、驚いて尋ねる。
「赤羽さんっ、なんなんですか、この人」
静貴は問いには耳も貸さずに城条を指さした。
「学生時代の友人なんだ。昨夜、面倒を見てくれた。気にするな。城条、こいつは会社の友人の陣内。二人とも、あんまり騒ぐなよ」
長く喋ったせいで、また頭ががんがんしてきた。
こめかみを押さえながら赤羽は寝室へ戻りかけ、扉のところで振り向き言う。
「お腹がすいた」
言い残して再びベッドに横になりに行った。
リビングの散らかりようや、城条の髪の寝癖を見る限り、どうやら彼も今さっきまで寝ていたらしい。赤羽が飲んだ風邪薬は一日三回飲むタイプのものだというのに、まだ一回しか飲んでいない。律儀に昼も起こすのが普通だろうが、それに気づかないあたりが城条らしいといえた。
ベッドに横になると、またリビングの方から何やら言い争う声が聞こえてくる。
「おい、夕飯は俺が作るんだ。おまえはどっか行ってろ」
「いいですよ、俺が作ります!」
「俺が買ってきた食材で何するんだおまえ」
「俺の方が料理がうまい、絶対。あなた、ずぼらそうですもん」
「なんだと、俺の料理はうめぇぞ。あ、こらっ、海老をそんな風に…」
「うるさいなぁ、あっち行ってて下さいよっ」
やかましいなと思ったが、聞きようによっては兄弟喧嘩に聞こえなくもない。ちょっぴりほほえましい気分になって、赤羽は目を閉じた。
 
夕飯ですよ、と静貴に起こされた時には、部屋中に美味しそうな香りが漂っていたのだが、熱のせいで五感が鈍った赤羽には何も感じることが出来なかった。
リビングに行った時にも、見ただけでヨダレが出てきそうなほど美しくもりつけられた食事が並べられていたというのに、何の反応もできない。
ただ、器用だなとは思ったので素直にそう言った。
 
「さすがだな、城条」
「まあな」
得意げに笑って城条がキッチンから姿を現す。
「ほんと、驚きました。まさかプロのコックだったなんて」
赤羽の隣に座った静貴も素直に感嘆していた。
「へっへっへっ。じゃ、食うか。岬、よそってやるから皿こっちに」
そう言うと同時に横から静貴が赤羽の皿を取り上げ遠慮なく大皿に箸を突き立て、おかずを取り分け始めたので、城条は差し出した手をしばらく空中に放置してしまった。
「どうぞ赤羽さん」
「ああ、ありがとう」
笑いをこらえて静貴から皿を受け取り、
「城条、ありがとう。いいよ」
「お、おう」
そう言われてやっと城条も手を引っ込めた。
食事は美味しく、静貴は感激していたのだが、やはり赤羽には味がわからなかった。
 
食後、薬を飲んで早々に寝室に引き返してくる。ベッドに横になるとほっと安心した。
すると横に城条がやって来る。
「おい、俺、もう帰るな」
「ああ、ありがとう」
「いいって。お礼はおまえの体で頂いたから」
ベッドの横へ座り、顔を寄せてくる。
「あの、陣内って奴、おまえの何なんだ?」
「ん?  ただの後輩で友人だけど」
「だよな。あんまりおまえの男の趣味と違うんで、驚いたぜ。そうだよな、ただの友達だよな」
そんなに自分の好みはわかりやすいだろうか、と赤羽が眉をひそめると、それを見た城条はすぐに立ち上がった。
「じゃあ、またな」
「ああ」
そそくさと出ていってしまう。リビングではまたしても言い争う声がした。
「おう、俺は帰るが、おまえ、岬に変なことすんじゃねぇぞ」
「あんたこそ!  赤羽さんの首のキスマーク、あんただろ!  あんたこそ変なことすんじゃねぇ!」
「へっ、相手にもしてもらえねぇガキが。じゃあな」
「この野郎、今度きっちり話つけてやる!  あっ、料理は旨かったぜ。ごちそうさま」
ちゃんとそこで礼を言う静貴の素直さに、赤羽はベッドの中でぷっと吹き出した。
 
しばらくして。
静貴が寝室に入ってきた。先程の城条と同じようにベッドの横に座りこみ、手を延ばしてくる。頬に触れた手は、ほんのわずか、上下に肌を撫でさすった。
閉じていた目を開くと、それに驚いたように静貴の手は離れようとする。それをとっさにつかまえて、赤羽はまた自分の頬におしあてた。
「冷たい」
「あ、ええ。洗い物してきたから」
しばらくそうやって、静貴の手の冷たい感触を味わっていた。しかし時間がたてば頬の熱に影響されて手は生温くなり、今度はそれが気持ち悪くてぽいっと放り出してしまう。
赤羽は重いまぶたを閉じた。
「あの……赤羽さん」
「なんだ?」
「城条さんと、どういう関係なんですか?」
「知りたいのか?」
目を閉じたまま逆に問いかけると、静貴は黙ってしまった。
やがてまた、ゆっくりと静貴の指が延ばされる。首筋、耳の下あたりに触れ、そこを軽く押された。
恐らく、城条がキスマークをつけた部分だろう。
「知りたいです」
静貴の意を決したようなその声は、ほとんど赤羽の耳には届いていなかった。
しばらく息を詰めている気配があったのだが、ゆっくりと指は離れていき、赤羽は夢うつつに小さなため息を聞いた。
 
 
 
 


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