短編集
コイビト
キレイな人が電車に乗ってきた。
昼間の空いている電車で。
キレイなので無意識に見つめてしまい、目が合ってドキリとすると、無言のまま微笑んで頭を下げてくれる。
なんて、育ちのよさそうな、優しげな人なんだろう。
そのはかない笑み、風貌に、僕は心を奪われて、自分は頭も下げずにどぎまぎと下を向いた。
少しして、やっぱり気になって彼女を見ると、また目が合う。
もしかして、僕のことを見ていた……?
知り合いに、あんなキレイな子はいない。
ちらりと目をやると、やっぱり視線が絡み合う。
僕はそのたびに心臓を跳ね上がらせて、目を逸らす。
電車を降りる時に、彼女がなぜか僕の隣へやって来て一緒に降りた。
僕の手をつかんで、
「久しぶり」
そう言うので、驚いて振り向くと、ハスキーボイスに似合わない少女のような可愛らしい顔が目の前にある。
その肢体はしなやかで、すらりと手足が長くて細かった。くびれた腰と膨らんだ胸元が目に毒なくらい、魅力的。
びくびくしながら、僕は言う。
「久しぶり…?」
「私のこと、見忘れたの?」
忘れるわけない。こんな、キレイな人。
でも、どんなに記憶を探ってみても……やっぱり思い出せなくて、気まずい。
彼女は強引に僕の腕を引っ張っていく。
着いた場所がラブホテルで、飛び上がるほど驚いた。
逃げようとした僕を、意外に強い力で彼女が引きとめた。
「タツヤ、ほんとに忘れたの?」
僕の上に馬乗りになって、僕のシャツを脱がしながら、彼女が言った。
そのくだけた口調に、僕の脳裏に懐かしい人物の顔がひらめく。
高校の2年間だけの付き合いだった…………彼は。
「み、水井先輩……」
小さな僕のつぶやきを、彼女は、いや彼は、聞き逃さなかった。
「久しぶり、タツヤ」
そう言ってそっと胸を合わせてくる。
柔らかなキス。
その瞬間だけ目を閉じて、唇が離れると同時にまた目を開くと記憶とは違う女性的な美しい顔。
電車の中で僕が見とれたあのキレイな顔。
「水井先輩、なの?」
「だよ? でももう俺、ちんぽでお前を喜ばせてやることはできねぇんだけどな」
僕にわからせようとして、わざと昔のような口調で話しているのか、喋り方がさっきより乱暴になった。
うっすらピンクの可愛い口から、水井先輩の声がする。
それはとても不思議で、同時にとても淫猥。
だって、あの唇は、かつてウブだった僕を乱暴に貪り、淫らなことばをたくさん投げ付けた。
その唇。
「水井先輩……どうして……あっ」
しなやかな手つきで、先輩は服の上から僕の陰茎を撫でた。
「これで、今度は俺をたくさん犯してくれよ」
「あ、あっ」
「そんなに可愛い顔するな」
先輩の器用な手はかつてのように僕を翻弄する。
先輩は僕の上で、自ら体を揺らして喘いでいた。
先輩の股間の陰茎は小さいまま、ゆるく立ち上がってはいたけれど、僕の記憶にあるように元気良くそそり立つというわけにはいかないようだ。
女性ホルモンを打つと勃起しなくなるって聞いたことがある。
「あ、ん……ああ……タツヤっ」
「先輩っ……ああ……」
ぐちゅり、と先輩は僕を締め付ける。
「あ、いいっ、先輩っ」
「俺も、俺も、いいよぅ……タツヤ……」
先輩の腰を強くつかんで揺さ振ると、僕よりも細くなった腕が首にしがみついてきた。
「タツヤぁ、ぁ、あっ」
喘いで、先輩がびくびくと強く震えて、イったのだとわかった。
僕も先輩の奥に強くこすりつけて、最後を迎える。
僕達は息を乱したまま抱き合って、唇を貪りあった。
お前に会いに来たんだ。
先輩はそう言った。
「でも、どうして、女装……? だって、前は、前は……」
言い掛けて、僕はそのことをなんと言っていいのかわからず顔を赤らめてどもった。
クスリと先輩は笑う。そのしぐさは、もう完璧に女性らしい。
「前はタツヤを抱いてたのに、ってこと?」
「そ、そう……」
「そんな単純な理由もわからない?」
のぞきこんでくる、瞳。ぱっちり大きな目がとても可愛らしい。
僕はまた心臓がドキドキして。
「わからない……」
「そうか……」
先輩は一瞬、落ち込んだ顔を見せた。
それからすぐにまた笑顔になる。
「タツヤが、女の方が好きだって言ったからだよ」
切なそうな、そして眩しそうな目で僕を見ながら、そう言った、先輩。
僕は絶句する。
「お前のために……」
「僕のため、に?」
「俺はずっとタツヤが好きだったから。タツヤはそっけなかったけど。俺は好きだ」
どうしよう。
見とれるほどキレイな人に、今、熱烈な告白をされている。
でも彼女は、僕がよく知っている先輩。男子校の先輩だ。
睫毛がバチバチしている目が哀しげに歪んだ。
泣きそう。
泣かないでほしい。
「先輩、あの、俺……」
「いいんだ。俺は、何があってもタツヤのコイビトになるって決めて、この町に帰ってきたんだから」
お前に振られてもあきらめない、と先輩。
僕も、生まれ変わったあなたに一目惚れしたんだ、なんて言えなかった。
先輩の想いには、僕は全然届かなくて、それが申し訳ないと思って。
先輩が里帰りしたその日、偶然、電車で再会した。
僕は、さようならを言ったあの卒業式の日から、止まっていた恋を取り戻せるのかも。
終
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