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短編集
選択の強制
 麻由美が妊娠した。
 俺はその事実を受け止めるのに、数分を要した。俺の部屋、俺のベッドの前。麻由美の顔を見つめ続けることができなかった。
 俺は……ゴムなしでやったことなんて無かった。
「妊娠、するはずない…よな」
 俺の声は動揺していた。平静を装うことなんて出来なかったから。
 麻由美は俺の顔色をうかがうような目をしていたが、その言葉を聞いた途端に責めるような視線が向けられた。
「自分の子供じゃないっていうの?」
「そうじゃなくて……いや、違うんだ。ただ、なんで妊娠したんだろう、って」
「ゴムが破れてたり、中で外れて妊娠したっていう例もあるらしいよ」
「そうか…」
 俺はまだ大学生。3回生だ。
 来年は4年、そして卒業。だがまだ就職も決まってなくて、生活は安定していない。
「麻由美、あのな……」
 おろしてくれなんて、言えない。まがりなりにも、俺は麻由美を愛している。すぐに結婚しようとは言えないけれど、愛してはいるんだから。
「あの……」
 口ごもって、結局、何も言えない。
 こういう時、女のほうが強いのかも知れない。
「おろせ、って言うの?」
 麻由美の声は冷ややかだった。
 俺は目を閉ざして、俯く。うなずきじゃないんだ。俯いただけなんだ。
「おろせって言うのね?」
 確認する言葉。
 責めないでくれ、俺を。
 俺は恐る恐る顔を上げた。麻由美としっかりと目が合う。絡み合った視線は、俺の負けだ。弱弱しくまた、自分の膝へと落ちていく。
 麻由美は小さく息をついた。
「あのね、シンちゃん。あたし、あのね……」
 一転して弱い麻由美の声。俺はこういう声を出されると弱い。
 泣くのか? と思い、麻由美の顔を見た。泣きそうな顔をしている。泣きそうな、頼りなさげな顔をして俺を見ている。俺の、麻由美が。
「あの、あたし……ごめんなさい。こぉちゃんと、1回だけ、したの。ゴム……無しで」
 麻由美の言葉は俺をどん底に突き落とした。


 こぉちゃん、こと光介は俺の大学の友達だ。バイト先の居酒屋で偶然出会い、急速に仲良くなった。
 俺は光介のもとへ走った。バイト後、朝まで飲み会をして光介の家に転がり込んだことが何度かあり、場所をよく知っていた。
「光介! いるだろ!」
 夜中の2時だ。光介の部屋の窓から漏れる電気の光を、外から確認してから、玄関のドアを叩いた。
「光介!」
「なんだぁ?」
 寝ぼけた声がしてドアが開く。逃げられないように、俺はドアノブを掴んで思い切り引っ張った。その勢いにつられて転がり出てきた光介の頬に、渾身の一撃を食らわせる。
 光介は見事に玄関に吹き飛んだ。
 鈍い音をたてて転がり、それから、勢いよく上半身を起こして叫ぶ。
「何すんだ!」
 よく、俺に対してそんなことが言える。殴られる理由がないとでも言うのか。
「お前、麻由美に手ぇ出しておいて、よく言えるな!」
 俺も怒鳴り返してやった。光介は一瞬黙る。その表情は、悪びれているわけではない。あ、バレたのか、という表情だった。
 それを察した俺は、もう一度殴ってやろうと玄関に踏み込んだ。
 そこを、光介に足を蹴飛ばされよろめく。その間に光介は起き上がり、俺の服の肩の部分を掴むと引き寄せた。今度は俺が玄関先に転がる。その上に光介はのしかかってきた。
「てっめぇ…」
 服の首元を締められ、身動き取れない俺は、視線でこいつを殺してやろうと、下から睨みつける。
「麻由美、自分で言ったのかよ」
「そうだ! お前とやったってな! その上、お前……妊娠させやがって!」
 さすがに、その言葉には光介も目を見開いた。
「にん…しん?」
「そうだ!」
「へ、へぇ。それで、お前はどうすんの? おろさせるわけ? 自分の子供じゃないから」
「俺の話をしに来たんじゃねぇんだよ! お前、どういうつもりで麻由美に手ぇ出した!? 自分がやったこと、わかってんのか!」
「わかってる」
 そのせりふは存外、真剣だった。
「わかってるんだよ、俺は……。わかってないのはお前だけ」
「はぁ!?」
 なんで俺が、わかってないとか言われなきゃいけないんだ。
 俺はなんとか光介を押し返そうと、その腕を掴んで揺さぶってみたが、全く外れなかった。それどころか、抵抗した光介にさらに強く首を絞めつけられて、さすがに苦しくなってくる。
「うぅ…」
「麻由美と別れるのか? なぁ?」
「うっせ…」
「苦しいか?」
「はな、せ…ばか」
 もう、呼吸が、できない。
 光介のやろう……絶対、絶対、絶対、許さねぇ。もう二、三発は殴ってやりたいのに……。
 俺の意識は朦朧としてきた。まだ、気を失うほどじゃない。だけど思考がままならない。
 悔しい。
 抗おうとすればするほど締めつけられるから、光介の腕を掴んだまま、自分から動くのはやめた。
 ふと、ぼやけた視界で光介が近づいて来ていた。今までだって目と鼻の距離で話していたのだが、さらにその顔が寄ってきている。
 唇に温かいものが触れた。ひどく温かい、柔らかいもの。ぬるりと舐められ、唇の間から舌も入り込んできた。
「んん!」
 さすがに意識が戻ってきた。首を振って逃れようとするが、しっかり捉えられている俺は逃げようがない。
 だが抵抗しようとしている動きを感じた光介はすぐに離れていった。首も解放されて、大きく息を吸う。
「はぁっ…はぁ、はぁ!」
「くっくっく」
 光介は笑っていた。なんてことだ。
 俺をこんなに苦しませておいて、笑っている。
 だけど、顔を覆って笑っていたはずの光介が、その腕を退けた時、予想よりも遥かに苦しげな顔をしていて、俺は自分の苦しさなんて忘れて見入ってしまった。
 どうして、お前が泣きそうな顔をしているんだ。
「麻由美と結婚すればいいじゃないか」
 光介はあっさりと言った。
「結婚して、俺の子供を育てろよ。麻由美と」
「な、なんでだよ」
「だめなのか? 自分の子供じゃないから愛せないのか?」
 そんな風に、問い詰めるように言われたくない。
 俺のほうが、こいつを責めるためにやって来たのに。俺を待っていたかのように、光介は質問を繰り出してくる。
「俺の子供を大事に育てろよ、なぁ。麻由美は愛してくれるはずだぜ。お前が産んでもいいって言ったらな」
「お前、麻由美のこと……本気で?」
「くくっ、なんでそんな結論になるんだよ」
 光介はまた笑う。
「麻由美はお前が大好きなんだぜ。お前の気持ちを確かめたいから、一度だけ寝てくれって頼まれたんだ。俺だったら、麻由美と寝たって、お前と喧嘩したって、また仲直りできる親友だと思うから、ってよ。でも違うんだ、麻由美は気づいてなかったけどな……俺は頼まれたから抱いたんじゃない。お前の女だから抱いたんだ」 「光介?」
 光介は両手で顔を覆ってしまった。
 狂気じみた笑いはもう聞こえてこない。
「俺の子供を愛してくれよ。それだけでいい。それだけ、頼む。俺達、親友だろう」
 光介、なぜそんなに、切ない声を出すんだ。
 なぜ、俺にお前の子供を育てさせたがっているんだ。
 わからないわけじゃない。さすがに気づかないわけじゃない。光介の思いに。
 だけど知りたくはなかった。そんな思いのために、麻由美が汚されたのなら。許せない。だけどそれは、俺のため……俺への思慕のため?
 そんなもののために、俺の麻由美を……?
 だけど俺は許すだろう。可哀想な声をあげる光介は、やはり、俺の大事な親友だから。







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あきゅろす。
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