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短編集
カタコイ連れて 1
 まだ黒いランドセルを背負っていた頃、耕哉(こうや)は引っ越して来た。先生と一緒に初めて教室に入って来た時、俺は正直、怖いと思った。なんか不機嫌そうな顔をしていたからだ。
 だけど耕哉は算数と理科と体育が得意で、足は学年一速くて、転入して来てたったの一週間で人気者になった。小学生の頃って、足の速い奴がヒーローだったりする。
 皆が、サッカーや野球に耕哉を誘うのを見かけては、俺は思っていた。耕哉は前の学校でもヒーローだったに違いない。前の学校では、ヒーローが転校してしまって皆はさぞかしつまらない思いをしているんだろうな、と。
 俺は学級委員だった。で、子供の頃から几帳面な性格をしていた。先生ですら疎ましく思うような神経質な性質だと、自分でも思う。
皆が校庭で休み時間を満喫している時、俺は教室のごみ拾いとか机や椅子の整理整頓をしていた。まっすぐ並んでいない机がいやだった。一番後ろの席から、教卓まで、机の端が一直線を描いていないと気持ちが悪い。曲がって置かれている机はきちんと直して、一番後ろに立ち、美しい直線で描かれた「教室」という景色を眺めては満足げに笑っていた。別段咎めるようなことをしていたわけではないから、先生も注意できずに俺を放っておくしかなかった。
耕哉と俺には接点はおよそ無いかのように思えた。だが、耕哉は成績優秀だったので、学年一位の成績だった俺は自然と点数争いをするようになっていた。
休み時間は別々に行動しているのに、授業はいつも同じ班で行動し、テストの点数を競い、勝ったの負けたのといつも言い合っていた。決して仲が悪かったわけではない。互いに良きライバルとして付き合っていただけだ。

 俺は耕哉を嫌いではない。だけど特別好きというわけではなかった。

 ***

 俺の模試の結果用紙は、机の上に置いてあった。
「なにお前、H高なの?」
 その言葉に振り向くと、耕哉の手にはプリントがある。彼が持っているのは俺の模試の結果であることは明白だ。
「なに勝手に見てんだよっ」
 俺は掃除用具を放り出して教室の端から耕哉のいる窓際の端まで飛んで行って、プリントを取り上げた。
「お前ならK高行けるだろ。H高に行きたい理由でもあんのか?」
「……」
 無言で手の中の用紙を小さく折り畳む。それをポケットに入れながら、床に放り出した箒のある所まで俺は歩いて戻った。
「どうした?」
 背中に耕哉の声がかかる。
 放課後の教室。俺は自分から進んで掃除をしているが、皆はとっくに帰った後だ。物好きにも居残って俺の帰りを待っている耕哉と、二人きりだった。
 俺達は帰る方向が一緒で、特別な用事がなければ耕哉とは一緒に帰ることにしている。
 だけど、帰る約束をしているわけでもないし、すごく仲が良いってわけじゃないんだから、掃除をしている俺なんて放っておけばいいのに、と少し思ったりもする。
 俺は箒を拾い上げながら言う。
「見ただろ、結果。成績落ちてるんだ。H高なら100%受かるだろうけど、K高はわからない。落ちれないんだ、俺」
「え?」
「不合格だったら親父に何言われるかわかんないし、母親も期待してるし。下手にいいとこ狙って、落ちて、滑り止めに行くより、本命の照準を低くすることにした」
「ふーん……」
「俺達の学年でこの中学からK高行くの、お前だけだろうな。いいなぁ、いつになっても耕哉はヒーローだよ」
「まぁ、上には上がいるけどな。去年の桜木先輩なんか、サッカー推薦でW大付属だろ? そっちの方がさ、なんかかっこいいよな」
「あー、あの先輩、かっこよかったなぁ。顔もいいって、どうよ」
「普通に成績も悪くなかったらしいからな。すげーよ」
 そんな風に他人を褒める耕哉を、俺はどこか冷めた目で見ている。
 自分だって、もっと真面目にサッカーなりバスケなりやってればスポーツ推薦も取れただろうし、実際のところ去年もその桜木先輩にしつこくサッカー部に勧誘されていたって言うのに(先輩は、体育祭での耕哉の活躍を見て目をつけたんだ)。やろうと思えば出来てしまう人間が、同じくらい出来る人を褒めてるのって、なんだか、遠まわしに自分自身を褒めているように聞こえる。
 耕哉が俺を褒める時も、そうだ。お前の成績には敵わないとか、お前ならK高も余裕だろとか、全部、耕哉自身に返る言葉なんだ。
 耕哉と一緒にいると、疲れるかも知んない。
 そう自覚した中学三年だった。

 俺達は高校が離れて、疎遠な関係になってしまったわけではなかった。
 耕哉は俺と同じH高に進んだからだ。
 拍子抜けするほどあっさりと志望校を変えやがった。
「願書、一緒に出しに行こうぜ」
 公立高校の入学願書受付の締切日になって、突然誘われた。お前の受ける学校と俺の志望校は正反対の方向だよ!と言ってやると、耕哉はにやりと笑って言った。
「俺も志望校変えたんだ」
 なに言ってんだこいつ、うちの中学からは4年ぶりK高に進学するはずだったのに。
「馬鹿か! なんで志望校変える必要があるんだよ!」
「いいじゃん、K高に行く奴、誰もいないんだよ。H高ならお前がいるしさ、寂しくないじゃん」
 そう言われ、初めて、俺は耕哉が意外と寂しがり屋なのだと知った。
 だけどそんな理由で自分の進路を変えるなんて馬鹿げていると思う。
「バカバカしい!」
 そう言って俺は耕哉を振り切って、一人で願書を出しに行った。でも結局同じ学校を受けるので、高校の校門で耕哉とすれ違った。俺は思い切り無視してやった。

 でも同じ高校に入学してから特別仲が悪くなったっていうわけでもなく、クラスは違ったけど今まで通り、近くもなく遠くもない仲だった。
 俺はクラスで浮いている存在だった。耕哉は多分、うまく溶け込んで、そのうえまたいつものように皆の中心人物だったのだろう。
 自分から居残って掃除をしたり、委員会を積極的にやりたがる俺に、クラスの連中はどこか敬遠気味な態度だった。まぁ、彼らの気持ちもわからないではない。小学校の時分から先生にすら疎まれていた俺だ。
 だけど高校生にもなると変人もいて、俺なんかに寄ってくる奴もいた。俺もそれなりに仲良く付き合っていける友人が出来た。
 俺は一年から自らホームルーム長をやった。部活動は情報処理部。パソコン室で毎日のようにプログラミングの講義を受け、実習をし、情報処理検定に合格することを目的とする部だ。はっきり言っておたくの集まりだったが、俺は単純に自分の知識を増やしたくて入部した。
 入学当初、耕哉は俺のクラスにまで来て、
「部活どこにするの?」
 と聞いてきたのだが、それなりに長い付き合いで、俺達の趣味が合ったことなど一度もなく、同じクラブに入ることなどありえない。
 耕哉は中学の時にはバスケ部と美術部を行ったり来たりしていた。中学ではクラブは必ず1つは所属しなければならず、そして、運動部の掛けもちは出来ないが文化部であれば2つまで入るすることが出来たから。
「耕哉は今度はどこにするんだ?」
 俺は、「今度は」というフレーズをやたらに強調して聞いてみる。耕哉は悩んでいた。
「いやー、俺はどこにしようか悩んでてな。お前と同じとこにしようかと思ってたんだけど、情報処理はねぇわ……」
「だろうな」
 そんなやりとりの数日後には部活動の入部届け提出期限だった。
 耕哉は結局、バスケ部とテニス部にしたらしい。高校では運動部も掛けもちが出来る。運動部もそれなりに全国区で有名なH高で、未経験のテニスを始めようというのだ。無謀な気もしたが、耕哉ならばそつなくそこそこの成績を残すんだろう。
 俺は一年時には情報処理検定1級に合格し、二年に進級する際にパソコンを買ってもらおうと目論んでいた。

 夏休みも直前の、7月半ば。期末テスト直前で部活がない時期だ。
 ほとんどの生徒がさっさと帰ってしまうのだが、教室の後ろの方の席に固まって話に夢中になって帰らない連中が数人はいる。俺はそんな連中は無視して教室の後片付けを終えると、ホームルームが終わってから1時間後に教室を出た。
 すると教室の前の出口を出てすぐ、目の前に耕哉が座り込んでいた。
 驚いて声をかけようにも口が動かなくなる。
 耕哉は俺に気付くと「よっ」と言って立ち上がった。
「相変わらず掃除してんのか。帰ろうぜ」
「な、なに……? 待ってたのか」
「そうだよ。久しぶりにお前ん家、行ってもいいか?」
「今日?」
「今日だよ」
 俺はしばし考える。今朝、両親が何か言っていなかったかと思い出す。
 そうだ、母はお花の教室があるので帰りが遅くなると言っていた。父は仕事がたてこんでいるらしく、ここのところ毎日のように帰りが零時近い。恐らく今日も遅いだろう。
「いいよ」
 と俺は返事をした。
 父はともかく、母がいると友達にうるさく構うから困る。
 耕哉は小学校の頃から何度か俺の家に来ている。だが、頻繁に来るようになったのは中学にあがってからだった。
 だが高校に入ってからうちに来るのは、初めてかも知れない。
 一緒に電車に乗り、同じ駅で降り、俺の家まで二人で歩く。母はすでに外出しているはずだから、俺は鞄から鍵を取り出しながら門を開けた。
「おばさん、いねぇの?」
「うん、お花の教室」
「続いてんな」
 母が華道教室に通い始めた頃、俺は耕哉に「続かないよ、きっと」と話したことがある。それを思い出しての言葉だろう。
「予想外にね。上達してるのかどうかはわかんない……。展覧会とか行っても、俺には花の良し悪しはわからないもんな」
「小学校の頃はよく展覧会に連れて行かれてたよな?」
「そうそう。男なんだからさ、花とか興味ないっての。姉さんを連れてけばいいのに」
 だが、そう言いながら、母が姉を連れて行くなんてありえないことを俺はよくわかっている。
 姉は家族と仲が悪い。どこがどう、とは言いづらいが、血が繋がった家族なのに馬が合わなくて、早々に家を出たのだ。高校進学時に遠い学校を選び、寮に入ってしまった。
 俺は年が5つ離れた姉のことを、実はよく知らない。家にいる時は外まで響くほどの大音量で音楽CDをかけっぱなしにし、食事の時すら部屋から出て来ないうえ、家にいることの方が少ない人だった。
 だがその一方、俺は姉のことを度々気にかけてしまう。俺達は三人家族なんかじゃない。姉も含めて、四人家族なんだということを、忘れないでいたかった。そうでなければ悲しいから。
「お前の姉ちゃんって」
 耕哉が靴を脱ぎながら言う。
「美人?」
「え?」
 そうか、5つ年上の姉に耕哉は会ったことがない。耕哉が転入してきた時、姉はすでに小学校を卒業していた。
「いや……美人かどうかは。普通、だと思うけど」
「ふーん。姉ちゃんってさぁ、なんか憧れるよな。優しくて美人で、とかさ」
「実際、そんな美人で優しい姉なんていないよな」
「知らね。姉ちゃんがいる奴ってみんなそう言うけどな」
「みんなそう言うんだから、そうなんだよ」
 俺の部屋は二階。階段を上がりながら、ふと思い出す。
「あ、そういえば、山中の姉ちゃんは美人だったよ。俺達が中一の時に生徒会長してた人、覚えてないか? 仲もいいらしいよ。山中生徒会長はすごく優しくてもててたみたいだし。あれが理想の姉ちゃんなんじゃないか」
「ああ、覚えてる覚えてる」
 話しながら俺の部屋に着いた。ドアを開けて中に入るが、耕哉が続いて入って来ない。振り返るとまだ廊下にいて、俺の右隣の部屋の方を見ていた。
 いやな予感がする。そっちは、姉の部屋があったのだ。
「どうした?」
「光木の姉ちゃんってずいぶん前に家出てたよな」
「そうだけど」
「部屋ってどうなってんの? そのまんま?」
「ちょっと片付けたみたいだけど、要らない私物はそのまま残していったみたい。学生の頃の制服とか教科書とかさ」
「へー」
「何考えてんの」
 聞くより先に耕哉は歩き出していた。
 俺は慌てて追いかける。
「おい待てよ」
 耕哉は答えず、姉の部屋の前まで行ってしまった。扉に手をかけると、鍵なんてかけていないので、あっさりと開けてしまう。
 入って行く耕哉を俺は追って行った。
「やめろって。バレたらまずいよ」
「なんでバレるんだよ。当分帰って来ないだろ」
「そりゃそうだけど」
 姉は俺より5つも年上だから、実際のところか弱い女だったとしても、怒らせたら怖い存在だという刷り込みが俺にはある。それに両親も、姉の私物を触ったなんて知ったら気分を悪くするだろう。ましてや耕哉の考えていることは、ただ他人の私物に興味があるというよりも、女の下着か何か置いてないかなという下心で、止めなかったら大変だ、という抑制心が俺に働いた。
 姉の部屋はずいぶん荷物が残されている。耕哉はさっそく、箪笥の引出しを開けていた。
「おいっ」
「うーん……パンツがあったけど、どう見ても子供用だな」
 手に取らないだけましだが、耕哉はまじまじと引出しに並ぶ白いパンツを見つめていた。
「やめろよ!」
 俺は怒鳴って引き出しを強く閉める。危うく耕哉が指をはさみそうになったが、気を遣ってやるつもりにはならなかった。急いで手を引いた耕哉がしゃがんだまま不満げに俺を見上げた。
「なんだよ、いーじゃん、別に。そんなに仲良かったってわけじゃないんだろ」
「そうだとしても、なんかやだよ、身内の下着とか見られるのって……」
 耕哉はやれやれとため息をつきながら立ち上がる。だけど、部屋を出て行ってはくれなかった。
 今度は箪笥の観音開きの扉を開けてしまう。
「おいっ!」
 俺が止めても、気にもかけない。
 箪笥の中には、子供用の礼装や、中学と高校の制服が、クリーニングされたビニールのかかった状態のまま残されていた。
「へー、中学も高校もセーラー服だったんだな」
「耕哉、やめろって!」
 箪笥から制服を取り出した耕哉の手から、またそれを奪い取って箪笥にいれた。そのまま扉を強く閉ざす。
「いい加減にしろよ!」
「悪い。そんなに怒るなよ」
 耕哉は言いながら、俺に背中を向けると部屋を出て行った。
 全く、何を考えているんだろう。俺は自然と息が上がってしまっていた。怒りのあまり心拍数が上がったらしい。
 耕哉を追いかけて部屋を出る。今度は鍵をかけておかなくちゃいけない。
 俺の部屋に入ると、耕哉はもう寝転がって漫画を読んでいた。
 俺は息も荒くその前に座り、漫画を取り上げる。耕哉は不機嫌そうに俺を見上げた。
「なんだよ。……怒ってんの? ったく、シスコンだなぁ」
「別にそういうんじゃ……」
「悪かったよ。謝るよ。二度としません」
 耕哉の言い方に、ひっかかるものを感じないではなかったが、謝ると言っているのにいつまでも怒っているのも大人げない。俺は自分を律することにした。
「わかった、二度とするなよ」
 そう言って、漫画を返してやった。耕哉はそれを見もせず床に放り出してしまう。その顔は笑っていた。
「光木はかーわいいなぁ」
 小さくそう呟くのを、俺は聞き咎めた。可愛い、って、俺をからかっておいて言う言葉じゃない。
 耕哉はいつも余裕の表情。必死になるのは俺だけだ。わかっているけれど、腹が立つ言い方だった。
 明らかに俺は機嫌を損ねた顔をしていたと思う。それを見た耕哉の顔から、すっと笑みが消えた。その雰囲気の変化を眼の端でとらえていた俺は、これで耕哉が真面目に俺に謝罪してくれるだろうかと、少し考えていたのだが。
 耕哉が身を乗り出した時も、俺は警戒しなかった。突然、肩を攫まれて振り向かされる。
 その強い力に驚いて、耕哉を見上げた瞬間には、その表情をはっきりと見て取れないほど顔が近付いてきていた。唇に強く、何か触れる。それが何かなんてわかりきっているのに、驚きのあまり思考が停止してしまった。
「ん……」
 抵抗しようと耕哉の胸を押し返す。その力に負けまいと、耕哉も俺の肩をますます強く引き寄せ、両方の頬に手を添えて顔をしっかりと固定する。そうされると、もう顔を逸らすこともできない。
 耕哉は何度か、ためらうように、俺の唇をついばんだ。軽く吸われると、唇がひりひりするような、奇妙な感覚に陥る。
 嫌だ。こんなこと。
 それだけではなく、突然、とても温かな感覚が触れた。俺の唇の間に割り言ってくる、ぬるっとしたもの。気持ち悪い。舌だ、耕哉の。
「んー!」
 唇を固く結んだまま、抵抗の声をあげる。だけど耕哉は止めなかった。
 気持ち悪い、気持ち悪い!
 俺は頭を無理やり左右に振って、耕哉の手を振り切ろうとした。それでも耕哉は止める気配がない。もう嫌だ。俺は口を開け、耕哉の舌に噛みつこうとする。
 耕哉はさすがに俺の殺気に気付いたのだろう。噛みつく瞬間、ばっと思い切り体を後ろに逸らして俺から離れた。
 その顔は驚愕に満ちている。
「おま……噛みつこうとするなよ! あぶねぇな!」
 なぜおれが責められなきゃいけないんだ!
「ふざけるなよ! 無理やりキ……」
 キスしてきたくせに、と言おうとして、その単語を口に出すことが無性に恥ずかしく、俺は言葉を途切れさせてしまう。すると気付いた耕哉はやっと余裕の笑みを取り戻した。
「なんだよ、嫌だったか?」
「い、嫌だ」
「目を閉じてれば良かったんだよ」
「なんでだよ! やめろよ! もう二度とするな!」
 俺は怒鳴った。この上もなく大きな声で。
 耕哉は動じなかった。笑顔はなくなったが、まだ、まっすぐに俺を見ている。その視線が俺の顔に突き刺さるようだった。
「二度とするなよ!」
「するよ」
 耕哉の切り返しに、俺はたった今舐められたばかりの唇を噛み締めた。
 なんでだ……こんなに俺が嫌がっているのに、なんでするんだ。
「するよ、何度でもするよ。次に二人っきりになったら、またするよ!」
 耕哉は言いながら、だんだんと声を荒げていった。そんな彼の声を聞くのは初めてかも知れない。聞きなれない、興奮した声に、俺は怒りを一瞬忘れて驚きのあまり耕哉の目をまっすぐ見つめ返してしまう。
 耕哉は、なんだか泣きそうな顔をしていた。
「何でもするよ! だって光木のことが好きなんだ! 好きなんだよ!」
 耕哉は怒鳴る。なんで、そんなに興奮しているんだろう。なんで泣きそうな顔をしているんだろう。
 俺は怖くなって、首を左右に振った。
「嫌だ……」
「何が嫌なんだよ」
「嫌だ。気持ち悪い!」
 あんなキス、二度としたくない。それに、こんな怖い耕哉も嫌だ。
 何でも出来る、軽くこなしてしまう、昔から凄い奴だと思って賞賛していた同級生が、なぜか今、必死になっている。体育祭でも受験でも、部活の大会でさえ、そんな顔、見たことない。
「出て行けよ」
 ここは、俺の家だから。
「二度と二人きりで会わないから!」
 俺は宣言した。耕哉の押し付けてくる必死な感情が怖すぎて、それを理解しようという気にはならなかった。なれなかった。
 耕哉は無言で立ち上がる。俺も立ち上がって、耕哉が出口へ歩く間、避けるように部屋の壁に背中をへばりつけていた。
 耕哉は、ドアの前で立ち止まると俺を振り返った。一瞬、俺の顔を見たけれど、そこには拒絶しかないと見て取ったのか、またすぐに歩き始める。部屋のドアが閉められ、玄関のドアが開閉する音が聞こえてくるまで、俺はその場に突っ立っていた。

 夜は眠れなかった。怒りのあまり。
 耕哉が何を考えていたのか、まだわからなくて。
 なんでだよ、なんで突然、あんなキスをして、怒鳴って、泣きそうな顔をしていたんだ。
 良い友達の印象は、薄れて、もう跡形もない。俺は耕哉が苦手になった。

 耕哉はすぐに謝って来ると思っていた。謝っても絶対に許してやらない、と心に誓って学校へ行く。
 だけど、クラスが違ううえに、耕哉が俺に会いに来てくれなければ接点がなかった俺達は、廊下ですれ違う以外には、顔を見ることも珍しかった。耕哉は会いに来てはくれない。
 来ると思っていたのに。
 体育の時に、体育館に行く途中に廊下の向こうで、耕哉が自分のクラスの前で誰かと話している姿が見えた。彼も俺に気づいたはずだ。
 俺は緊張して、ぐっと手を握り締めていた。どうしよう。どうする?
 耕哉が何か言って来たら、無視するか?
 しかしそうすると、その場にいる連中に「何かあったのか?」と好奇の目で見られ、問い詰められる。
 それは嫌だ。
 俺は耕哉の顔を見ないように、そこを通り過ぎた。緊張して背中に汗をかいていたというのに、耕哉に声をかけられることはなかった。
 普通に、通り過ぎてしまった。
 振り返ることはためらわれた。なんで、俺がわざわざあいつのことを気にしなきゃいけないんだ。そう意地を張って、後ろを振り向きはしなかった。
 いつものように、しれっとした顔をして、悪かった、なんて言いに来ると思ったのに。
 あいつ……俺の傷ついた心を何とも思っていないんだろうか。
 そう思うと、また腹が立ってきた。

 翌日も、翌日も、来なかった。
 原因?
 わかっている。俺が耕哉を拒絶したからだ。嫌だ、気持ち悪い、って言ったから。
 だから耕哉は俺のことなど、もう近寄りたくなくなったんだろうか。嫌いになったんだろうか。なんで俺が嫌われなきゃいけないんだ。俺が嫌いになるならともかく。
 苛々とした。モヤモヤとした。


 放課後、教室の机を一人で全部後ろへ寄せた。明日は日曜で学校は休み。今日は土曜で徒の掃除当番はない。
 皆が帰ったと思って始めたというのに、ほうきを掛けていたらクラスでも一際うるさい3人組が入って来た。
 がらりと戸を開けて、入ってきた3人は口を開けて驚きを隠さない。
「おま……何やってんの?」
「そうじ」
 手を止めずに一言で答えた。
 何をしに来たんだ、こいつらは。と思ったら、机の脇にそいつらの鞄が掛けられている。初めから帰ったわけじゃなくて、どこかに行っていて戻って来ただけなのだ。
 3人はどたどたとほこりをたてながら自分の机の所まで行く。そして、机に座って喋り出した。今はとにかく、話しているだけなら邪魔にならないのだが気が散ってしょうがない。
 耳に入ってくる話題は、女の話、自慢話ばっかりだ。この間、誰が主催の合コンで1人連れ帰ったとか、その子の友達も食っちゃったとか、自慢げに話すことか?と思うようなことばかりを、飽きもせず盛り上がって話し続けている。
 ほうき掛けが終わると、モップを濡らしに一度教室を出た。廊下の隅にある水道で濡らすのだ。


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あきゅろす。
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