短編集 (続編)翡翠童話 書類を早めにまとめて午後から退社し、昼食を一緒にしようと約束していた。 リゼー・マースタインの良き友人であり、それ以上に友情などよりも遥かに重要な共同経営者という関係にあるジュール・ラスマンとの、約束だ。 天候も良く、早く会社を出たくてリゼーはあと少しという所で片付かない仕事を躍起になって相手をしていた。 仕事でしか生きることが出来ないジュールからの、珍しい誘いだったのだ。 この書類を明日にまわして、今日はもう出てしまおうか……。 そんなことが許されるはずもないのはわかっているが、つい考えてしまうほど今日は仕事に身が入らなかった。 待ち合わせの店へ行くと、奥の個室へ案内された。テーブルに座った黒一色のジュールの向こうに、きらきらと輝くものが見える。 リゼーは一瞬、足を止めた。店員がわずかに戸惑ってこちらを見ていることに気づき、平然とした顔をしてまた足を進めた。椅子をひいてくれた店員が出て行 くと、改めてジュールの隣に座る少年を見つめた。 彼はジュールの養い子で、フリーアルという。 痩せていて、頼りなげな体つきをしているが、容貌は恐ろしく整っていて華がある。輝いていたのは銀に近い金色の髪だ。きめ細かな光を反射するそれが、白い頬を縁取っている。 リゼーの目線にすぐ彼は気づき、目を合わせて小さく笑った。 「こ、んにちは」 たどたどしく、かすれた声で言う。 彼は半年前まで全く話すことができなかった。リゼーが知っているのは、そんな彼の姿である。 ジュールが引き取ってから半年振りに会った。 彼の挨拶に驚いたリゼーを、ジュールは満足そうな笑みで見た。 「リハビリをして、少しずつ話せるようになって来たんだ」 珍しく得意げな響きを隠さずに言うジュールに目をやり、それからまた、微笑んでいるフリーアルを見る。 フリーアルには哀しい過去があった。 今は廃止された貴族の嫡子として、幼い頃に孤児院から引き取られ、ジュールに育てられた。しかしそれは、ジュールが考え、リゼーが乗った、成功している貴族の財産をまるごと奪ってしまうための策謀だったのだ。 後継者として運営している会社の機密情報にも関わることになるフリーアル……本当の名はアルという、彼をジュールは手懐けて、会社の情報を次々と引き出し、それらを利用して利益をまるごと奪える他の会社をリゼーと設立した。 財産も、そして地位も失ったアルの育ての親は、頼りにしていた顧問弁護士のジュールに裏切られ、心中を図った。 その時にアルが飲まされた毒、そして精神的な打撃によって、彼の体にはいくつかの機能障害が生じてしまったのだった。 生き残った彼は、しかし、死亡したことになってしまっていたうえに、莫大な借財を背負わなければならない身だったので、名前を変えてジュールが引き取った。口をきけなくなったアルを引き取ってから、ジュールは仕事を出来る限りリゼーに任せ、アルの相手をしていたのだ。 リゼーには、アルの声が戻ったのはリハビリというよりも、ジュールという薬が効いたからではないかと思える。 ジュールはリゼーに言った。 お前には話しておかなければいけないと。 アルは生きていて、自分を愛していて、自分もアルを捨てられないから、引き取る。 そういった事情を聞かされ、しかももう決定したことを報告するという形での 話に、リゼーは口を挟めなかった。長い間、友人ではあるが、ジュールがそれほど憔悴した姿を見たのは初めてだったから、ということもある。 何を言っても、無駄だ。 そう知らされてしまった。 そしてジュールは思っていたよりも早く復帰してくれたのだから、もうリゼーには文句はない。 共に暮らしていて、養い親と子という関係なのに、この二人はまだヤっていないんだろうか、と食事をしながらリゼーは不粋な考えを巡らせていた。 目の前に座ったフリーアルがあまりにあどけない様子だったからだ。 しかしばれないようにフリーアルの様子をうかがっていたことに、ジュールは気づいていたらしい。 「リゼー……その不躾な視線をやめてくれないか」 不機嫌な声でそう言われ、リゼーはびくっと顔をあげた。 「あれ、気づいてたのか」 「当たり前だ」 さすが、ジュールの観察眼はリゼー自身も見込んだだけのことはある。 「すまない。目の覚めるような美人だから、つい目が向いてしまうんだ」 「そう言う割には、ずいぶんいやらしい目つきだったんじゃないのか」 なんでわかるんだ、こいつ……とリゼーは内心で呟いた。まるでその呟きが聞こえたかのように、ジュールの眉間にしわが寄る。 慌ててリゼーは謝ることにした。 「すまない。本当に、悪気があったわけでも、なんでもないんだ。お前と仲良くやってるのかなって、ただそれだけ考えてたんだ」 言い方を変えれば随分と柔らかな表現になるものだ。本当は、ヤっていないのかなと考えていたのに。 ジュールは隣のフリーアルを見て、小さく首をひねった。 「別に、仲は悪くない」 「そ、そうか」 ジュールの言葉にフリーアルが少しばかり残念そうにまつげを伏せる。その可憐な姿にリゼーは一瞬どきりと動揺してしまった。 「仲、は、いいです」 ジュールの言い方は気に入らなかったのだろう。フリーアルは主張した。 「そうか、良かったな」 自分達が利益を得るために利用した為に不幸になった少年に、笑みを向ける。 吐き気がするほど、自分達は偽りに満ちている。 それでもフリーアルが幸せそうだから、リゼーには何も言えない。 やがて食事を終え、会話が途切れてそろそろ店を出ようかなとリゼーが思い始めた時。 ジュールが不意に切り出した。 「俺達は、実はあと1カ月ほどでこの街を出る」 「へ?」 何を言われたのか、一瞬、耳を疑ってしまう。 ジュールもフリーアルも真面目な顔をしていて、リゼーだけが口をぽかんと開けて二人の顔を間抜けに交互に見ていた。 「フリーアルがこの街にいるのは危ない。最近、こいつも少しは健康になってきたし、一度田舎町にでも引っ込んで匿うことにした」 「何言ってんだよ。会社…」 「1、2年のことだ。頼む、リゼー」 そうは言われても、とっさに返事ができることではなかった。いや、答えは決まっている。絶対に駄目だ。 「お前、なぁ!」 リゼーが怒って立ち上がろうと、テーブルを叩いた。フリーアルはびくっと肩を揺らし、ジュールは冷静に見つめ返してくる。 「フリーアルの顔を知っている者がどこにいるかわからない。この街にいたら見つかる可能性が高い。だから、もっと静かな人の少ないところへ行くんだ。こいつの声も、きっと元通りになる」 その穏やかな声に、リゼーはなんだかすっかり怒りを吸い取られてしまった気がした。実際、テーブルを叩いた時の激情など、もう忘れてしまった。ただ叩いた手がじんじんと痛むだけだ。 「2年、待つ」 リゼーはそれだけを告げた。 そして一人で個室を出る。ジュールに支払わせるつもりで店も勝手に出た。 フリーアルの不安げな顔や、話せるようになったと報告した時のジュールの嬉しそうな顔。ぐるぐると頭の中で交錯する二人の顔が、リゼーに答えを教えてくれた。 あの二人……ヤってるな。 煙草を取り出し、火をつけながら、リゼーはそう判断した。 あんなに切なげな顔をするジュールを見たこともなければ、あんなにやつれているのに幸せそうな少年を見たこともない。 寄り添って生きる二人の魂が目に見えるようだった。 * * END * * [*前へ] [戻る] |