短編集 遠い海 2 不審な目をしている僕をアートも同じ目で見る。 アート……もしかして…… 同級生なのに、 僕が孤児だってこと、 知らないんじゃないの? 孤児院から入学してきた奨学生っていうことで、僕ってけっこう有名だと思ってたんだけど。 自分から孤児だなんて言うのがためらわれて、僕は目をそらした。アートも何も言わない。 ほんとに、僕のことなんて全っ然興味ないんだなぁ。 孤児だって噂が広まるのはすごくイヤだったけど、でも全然相手にされないっていうか、あれだけ噂されたり陰口言われたりしてたのに、全然アートの耳に入らなかったなんて……ありえないだろうから、耳に入っても覚えていなかったに違いない。 なに、 なんだか、 ちょっと腹立たしいよ。 アートの横にいるのがイヤで、僕は立ち上がる。 「僕、トイレ」 「迷うなよ」 心配されてるんだかバカにされてるんだかわからない言葉で送られた。 初めて飛行機のトイレに入る。 やっぱり狭い。 僕、これからどうなるって言うんだ……。 外国でアートに放り出されて、その足ですぐ学院に帰ったって、退学だろうし。 それに、逆恨みされてアートの実家に睨まれでもしたら、就職もままならない。 ……。 ……。 あ、頭が一瞬真っ白になっちゃった。 うー、ついてきた僕がバカだ。 思い返しても、アートから逃げられる隙はなかったはず……。 ホテルでアートがお風呂入ってる間は逃げられたかな。 あれが唯一のチャンスだったのか! 僕はチャンスを逃したんだ! 涙が出そうだった。 泣けば気楽になるよ。うん。 泣け。 泣け……。 あ、あれ……。 トイレで一人悶々として、涙腺に泣くことを許可したのに、涙はちっとも浮かんではこなかった。 僕って、かなり開き直りのいい性格なのかも。 この先どうなったって、なるようになるよね。 うん。よし。 じゃあ、アートのとこに戻らなきゃ。あんまり長いとまたなんだかんだとからかわれる。 がちん、と重い鍵を開けて、引き戸を開けた。 僕が出ると、黒服の男の人が立っていた。帽子を目深にかぶっている。 トイレが空くのを待ってたんだろう。 「すいません、どうぞ」 と、笑顔で言って狭い廊下を男性を避けるように歩こうとした。 なのに、男性は僕の目の前に立ちはだかるのだ。 え? と思った瞬間だった。 男が懐から黒光りする何かを…… 「キャー! 助けて!」 「男がキャーとか言うな!」 いつの間にか男性の背後までアートが来ていて、即座に怒鳴られたけど。 でも、男が素早い動きで僕の腕をつかまえてアートを振り返ると、さすがに彼も顔色をなくした。 銃をこめかみにつきつけられて、僕は口をぱくぱくと無意味に開閉する。 男はアートに向かって凄んだ。 「席に戻れ」 「あの、俺、トイレ行きた…」 アートは扉を指差して言い掛けたけど、やっぱり却下された。 「戻れ」 押し殺した低い声で男が言うと、アートはじりじり後ずさる。 「うわぁん! 助けてよっ」 「バカっ!」 思わず叫んだ僕をアートは一喝して、ちらりと男の顔を一瞥してからまた僕を見る。 「抵抗しないでおとなしくしてろ」 そう言うと、くるりと僕に背を向けて走って行ってしまった。 奥の方からもライフルや機関銃を持った男が数人走り出てきた。その中の一人が、乗務員の女性を連れている。 僕と同じように銃をつきつけられた女性は、僕が捕まっているのを見てますます顔色を悪くした。客に何かあったらいけないと思ってるんだろう。 でも僕は女性が捕まっている方がかわいそうだと思う。 男達は手際良く人質を連れて客室へ飛び込んだ。 「全員、席に戻れ!」 怒号とともに現れた覆面の男。 一瞬静まり返る客室。 次の瞬間には、全員が同じ言葉を呟いていた。 「ハイジャックだ…」 そして慌てて席に戻る。でも、おびえているわけではないのだった。 「すげぇ、初めて遭ったよ!」 「帰ったら皆に話そうぜ」 「エイミーはきっと俺に惚れ直すな、うん」 「絶対惚れるね。じゃ、デイジーも俺に振り向いてくれるかも!?」 「くれるって、絶対」 「黙っていろ!」 銃口が正確に騒がしい男達を狙う。 「うひゃあ!」 「銃向けられたよ! ここで死んだら有名人?」 「黙っていろ!」 またしても、男は叫んだ。 僕と、僕をとらえている男の思考が一致したはずだ。 この乗客達、絶対頭おかしい……。 僕も思わず叫んでいた。 「そんなに有名になりたいなら、人質を代わってよ!」 「えー? 人質はやっぱさ、可愛い子供の役目だろ」 なぜせせら笑うように僕を見るんだ。 「ひどいよぅ」 「うんうん、そうだな。いい子だから落ち着け」 何故か、ハイジャック犯に頭を撫で撫でされる僕だった。 アートはずっと黙っている。それだけじゃなくて、前のシートの陰に隠れるようにずっと頭を引っ込めて息をひそめている。 彼が何を考えているのかに期待したい。 ただ恐がって隠れてるわけじゃないといいな…。 恐ろしいことに、客席の人達は全然おびえてないし、それどころかだんだん退屈してきて騒ぎ出すもんだから、何度も僕の命は危険に晒された。 でも、客の誰かが小声で話しているのを小耳にはさんだんだけど。 飛行機の中では、弾がどこに当たるかわからないから、そう簡単に銃を撃てないらしい。どこかに穴でも開けちゃったら大変だからね。 だからって、僕の命の危険が減ったかというと、そうでもない気がするんだけど……。 のんきにしている人達が恨めしいよぅ。 一時間程、飛行機はずっと飛び続けた。犯人達は機長に何かしらの命令をしただろうけど、どこに向かうのか僕達には知らされていない。 飽きたのか、僕は客室乗務員と一緒に、乗務員室に閉じ込められた。 女性と部屋に二人きり。 「ねぇ僕、大丈夫?」 憔悴した僕を見兼ねてか、女性が声をかけてきた。 「大丈夫です」 緊張して疲れたけど。 うー。胃が痛い。 「飛行機、どこに向かっているんですか? 犯人の要求は?」 「わからないわ」 彼女は首を振る。 「同僚のメイアが犯人に連れて行かれちゃって、私は最初からずっとここに閉じ込められていたの」 「そ、そうですか」 「あなたは?」 「僕、トイレから出てきたら人質としてつかまっちゃって…」 小さいから、人質には丁度いいとか思われたのかな。 それとも、単に近くにいたから人質にされたとか。 ……イヤだなぁ。運が悪い。 大きなため息が出ちゃう。 「アートに外国で放り出された方がずっとマシだったなぁ…」 そもそも、あいつが僕を連れて来なければ、こんな目には遭わなかったのに! 初めて飛行機に乗ったのにハイジャックなんてついてない…。 「僕、生きて帰れても二度と飛行機には乗れないよ」 「大丈夫よ」 そう言われて顔を上げると、女性はにっこり笑った。 「大丈夫、大丈夫」 何が大丈夫なのか、僕は目で問いかける。 すると、彼女は微妙に目を逸らす。 ……何が大丈夫なんだ。 「犯人の要求さえわかればなぁ…」 「わかったら、どうするの?」 「お金が目的だったら、僕の友達に頼みます。お金持ちだから」 「ハイジャック犯の要求する金額ってどのくらいかしらね」 「さぁ。僕、お金の価値はさっぱり」 「そうねぇ、5億ドルくらいかしら?」 「へぇ」 それがどのくらいの金額か、さっぱりだ。 1万ドルだって、僕には縁遠いんだもん。 ゴオクドルってなぁに? 食べられるもの? っていう感覚だ。 「僕、帰りたい……」 「私もよ…」 二人同時に、はぁーとため息をついた時だった。 がつん、と大きな音をたてて扉が開いた。 「ひっ」 し、心臓が…飛び出すかと。 見れば、女性は平然としていた。 ……あ、でもちょっと額に汗が。 入って来たのは、さっき僕を捕まえて銃をつきつけていた人だ。近くにあった椅子を引き寄せて乱暴に座ると、僕と女性はちょっとずつジリジリと後ずさり始めた。 「あー…くそっ」 帽子を脱ぎ、その辺へ放り投げると、男はイライラと髪の毛をかきむしった。 「なんだ、あの連中は。最近の客は困ったもんだなぁ。なぁ?」 こっちに向かって同意を求めるから、僕は目をそらした。 女性が戸惑い気味に応える。 「は、はぁ」 「あんたも大変だな?」 「え、い、いえ」 「あー……。あ。あのさ、イライラしてる時ってあんたならどうする?」 「は、い?」 あ、僕、今すごくイヤな予感がした。 ぎしりと椅子がきしむ音がする。 こつ、こつ、こつ。 近づいてくる足音。 「やっぱ安定剤には女だよな」 ぽん、と肩に手が乗った。 な、なんで僕!? 「オマエ、可愛いなぁ」 力ずくで振り向かされた。 額に汗をびっしょりかいた女性が、ほっと安心の吐息をもらすのが見えた。 僕が目をつけられたので自分は助かったから良かったと思ってるんだ。 気持ちはわかるけど。 「オマエ、いくつ? すげぇ可愛いよな。さっき顔見た時から、生唾飲んでたのよ、俺」 「僕、男なんです…」 「わかってるよ」 なんでわざわざ言うんだ? とでも言わんばかりの男の声音。眉根にもシワが寄っている。 「あ、あのぅ」 「お前の緊張もほぐしてやるよ」 男の手のひらが直接僕の肌に触れた。 い、いつの間にシャツの中に手が……。 「う、うわぁぁあー……あ、いたッ」 ごつっ。 暴れると、その勢いに任せて男がのしかかってきた。力強く後頭部を床に打ちつけて、一瞬息が止まる。 いた、ぁ…。 呆然としているうちに、なんだか胸がすぅっと寒気を感じた。 「あいたたぁ…」 頭の後ろに手をやって、無事を確かめる。 うん、大丈夫。たんこぶも出来てない。 ……と、安心したら、僕は自分の異常に気がついた。 男が僕の上に馬乗りになっている。シャツもめくり上げられていた。 そ、それに……なんか男の荒い息が顔にかかる。 「肌がキレイだな。柔らかくて…」 「や、やだっ」 必死に暴れるも、腿をがっちり膝ではさんで押さえつけられていて、ろくに動けない。 ふと肩越しに、女性と目が合った。 助けて……。 目で訴える。 女性の口が、ゆっくりと開かれた。 が・ん・ば・っ・て。 声に出さない、応援の言葉。 そりゃ、女の人が男に無理やり乱暴されるよりは、僕が襲われた方がいいのかも知れないけど……。 ひどいよ。頑張って、って! 「やだやだっ」 「暴れるなよ、ほら」 両手をあっさり、男の片手でまとめて掴まれてしまった。 う。手が大きい…。 男の顔が近づいてきた。 まさかキスされるのでは、と顔をそむけると、ふっと笑い声みたいな息がかけられた。 ぺろりとなめられたのは、首筋だった。 ……うわぁ。 すっごい鳥肌がたっちゃった。 顔がおりてきて、鎖骨を噛まれる感じがした。 「う…うー」 涙が出そうだ。 いやいや、堪えなきゃ。 こんな所で泣かされるなんて悔しすぎる。 男の顔がさらに下方へ向かった。吐息が胸にかかって、また背筋に悪寒が走った。 がぁん! また、激しい音がして扉が開かれた。 「あーかったり……あ、おい!」 また一人、男が入ってきた。 がちんと重い金属の音。 も、もしかして、銃の音じゃ……。 「おい、レッド!」 「はい!」 「おう?」 僕と、僕の上にいた男が同時に答えた。 「……」 「……?」 二人で顔を見合わせる。 えと……レッドってのは僕の名前なんだけど。でも、この人の名前でもあるの? 後から入ってきた男が、突然笑い出した。 「お前、レッドってのか?」 「は、はい」 「俺はブルーだ。俺達のコードネームなんだよ。あーびっくりした」 僕の方がびっくりしたよ! 「じゃ、お前は今からスカーレットな」 と、ブルーは男に向かって言った。 「え、ええ!? スカーレット?」 「こいつもお前もレッドじゃ、呼びにくいだろうが」 「スカーレットって……もっと普通な呼び名があるだろ」 「じゃあ、レインボウ」 「ぶはっ」 思わず吹き出してしまった。 でも、男にじろりと睨まれて慌てて口をつぐむ。 見れば、女性も口元を押さえて肩を震わせていた。 笑いを堪えているんだ。 だってださいもん……レッドとかブルーとかいう呼び名。あまつさえ、彼はレインボウと名付けられてしまったのだ。 「じゃあ俺、カーキでいいよ。な、カーキにしてくれよ」 「はぁ? せっかくレインボウって…」 「いや、カーキで!」 「わかったよ、カーキ」 ほっと男が息をついた。 しかし、その直後にブルーの怒声がぶつけられる。 「で、何してんだお前は!」 「いや、ちょっとイライラしてて…」 慌ててカーキが僕の上から移動する。 「ほ、ほら、起きろよ」 腕を引っ張られて乱暴に起こされた。 助かった……。 でも、助かったわけじゃなかった。 カーキは僕の背中を抱くと、ブルーの方へ向かわせて言う。 「可愛くねえ? ちょっといじくってみたくなる顔してるだろ」 「確かに可愛い」 え、なんで男の僕を見て普通にそういうコメントするの? 僕の可愛い顔は思わずひきつる。 「俺もまぜろ」 「よし。じゃ、俺が腕押さえてるから、下脱がせろ」 「えー!」 僕はまた、力いっぱい抵抗した。 下を脱がされちゃったら終わりな気がする。 「やだー!」 「暴れるなよ」 「ちゃんと押さえとけ」 二人がかりで、ズボンをするりと脱がされてしまった。 脚がひやりと冷気を感じる。 冷気だけじゃないよ。鳥肌たっちゃって、もう…。 「助けてぇ!」 「いい子だなー。ほら」 カーキの手が胸元を滑り、きゅうっと乳首を摘んだ。 「やっ」 一瞬、息が止まる。 その間に、ごつい指が器用そうにピンクの突起を揉みほぐした。それを見ているだけで嫌悪感が沸いてくる。 ぶんぶんと頭を振って見ないようにしながら抵抗した。 「やーめーてー!」 「うわっ、こら」 「じゃあこれならどうだ」 ぎゅうっ。 「ぃやっ…」 股間を男の手がしっかり掴んでいて、さすがに動きを止める。 すっぽりと手のひらに覆われてる。 もしかして僕、小さいのか……。 いや、まだ子供だからだよ、多分。 そう、なんで男なのに、子供なのに、こんな目にあうんだ。 「やめてぇ…」 思わず、泣き声が出てしまった。 その声に、はっと動きを止めて僕の顔を見た二人が、同時にごくりと唾を飲む。 ……な、なんで? その唾は何故出てきたんだ? 部屋の中の時間が止まった、その時だった。 またしても、どかん!といい音をさせて扉が開かれる。 ……絶対壊れたね、あれ。 入って来たのは、目出し帽を被った黒ずくめの男。 「あ、グリーン」 掠れた声でカーキが呼んだから、彼はグリーンというコードネームらしい。 [*前へ][次へ#] [戻る] |