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短編集
遠い海 1
 リステ・アートは学院では優等生だった。成績は常にトップとはいかないけれど(何しろ名門校として名高い当校だ)、常に上位に名を連ね、模範生徒であった。
 なのに何故……?


「アート……いい加減、離してよ」
「あ? 何が?」
 振り向きもせず、彼はぐいぐい僕の腕を引っ張り続ける。
「逃げないってば」
「信用できるか!」
「えー…」
 うんざりだ。
 夜道をなんだって彼と二人で歩いているのか。
 それは僕が、寮を抜け出そうとしていたアートを見つけてしまったからいけないんだ。……いや、違う。寮を抜け出そうとしているアートが悪いんだよ。
「……ねぇ、帰ろうよ」
「ほら、まだそんなこと言ってる。信用できないな」
「ムリだよ。学院から逃げたら厳罰ものじゃん!」
「うるさいな!」
 怒鳴られ、ギッと睨まれ、僕は黙ってしまった。
 僕のこと嫌いなのはわかるけど、そんなに怒らなくたって…。
 彼はどんどん歩いて行く。このままだと町に出てしまう。
 僕達が抜け出してきた学院は山の中にあって、全寮制で、厳しい規則があって、町にはなかなか行けないようになっていて……まるで牢獄みたいな所だ。
 逃げ出したい気持ちもわかるけど、逃げたら罰則が待っている。
 一年次にはホームシックで逃げる奴が何名かはいるらしい。帰る所がない僕には羨ましい話だよ……。
 僕はアートの隣に並んで、その顔を見上げた。
 男らしくて凛々しい。でも、学校では見たこともないような厳しい目つきをしている。
 なぜ、彼みたいな優等生が逃げようなんて思うんだろう?
「どこ行くのさ?」
「空港行く。で、そこから明日の朝一番の便に乗るんだ」
「ええっ! どこ行くの!?」
「とりあえず海外に出られれば逃げられる」
「そんなぁ」
 僕はきアートに命じられるまま、さっき貴重品を寮から持ち出してきたことを後悔した。
 パスポートがないって言えば僕だけでも帰してもらえたのに。
「空港近くのホテルに泊まるぞ」
「こんな夜中に学生二人で泊めてくれるわけないじゃん」
「親父のカードがある」
「うへっ。お金持ちめ」
 そうだよ、それが何か?っていう目でアートは僕を一瞥した。
 僕のような貧乏人を見下してるんだ。
「アート……僕、お金ないよ」
「わかってるよ。仕方ないからお前のチケットは俺が買ってやる」
 偉そうに、親の金のくせに。
「でもあっち(外国)着いたらお前とはそこで別れるからな」
「酷いよ! 僕、またここに帰ってくるお金もないのに!」
「知るか。お前が悪い」
「ひ、ひどい…」
 うう、涙が出てきた…。
 なんとか、飛行機に乗せられてしまう前にアートから逃げなければ。
 空港は警備員がたくさんいるんだ。騒いで助けを求めれば保護されるはず。で、アートが飛行機に乗って外国へ逃げようが捕まって連れ戻されようが知るもんか……。


 ……そして、僕達は町にいた。
 アートは歩いて町まで出てしまった。普通、学院から電話でタクシーを呼んで、乗って行かなきゃいけないぐらいの距離なのに。
 アートは元気だけど、僕はもう足が疲れてしまった。
 深夜なのに、ぽつぽつと家の灯りがついていて、人がまばらにも歩いている。町ってすごい。
「まだ最終に間に合う」
 時計塔を見上げてアートが言った。

 ……え?

「えっ、電車に乗るの!?」
「なんだ? 乗ったことないのか?」
 うわ、またバカにした目で見る…。
「あるよ!」

 力強く言い返すけど、アートはふんって鼻を鳴らしただけで相手にもしてくれなかった。
 そこからは、タクシーを拾って駅まで出る。
 電車に乗れば空港のある駅まではすぐだった。
 遠い所まで来てしまった……それが僕は怖い。こんなに遠い所に、来たことがないとは言わないけど、誰にも内緒で来たことはない。僕は今まで誰かの言うことに諾々と従ってきたから。


 空港近くの大きなホテルで、アートは本当にカウンターでカードを提示しただけであっさり部屋へ通されてしまった。
 VIPの子供なんて〜…………うー、うらめしいよぅ。
「おら、行くぞ!!」
「はいはい!」
 アートが荷物持ちのベルボーイを断っちゃったから、なんとなく僕が彼の荷物を持つ係になってしまった。だって、お金は彼が出してるんだし…ね…。

 いや待ってよ。
 なんで無理やり連れてこられて重い荷物持たされてるんだよ、僕!

「アート!」
 廊下で大声を出すと、アートは振り返って人差し指を口元で立てた。
「しー…」
「う、うん」
 アートが取り出したカードキーで部屋の鍵が開けられるのを、僕はじっと見つめてしまった。
 すごい。初めて見たよ。
「こんな物も珍しいのか?」
 呟きながらアートが部屋に入る。
 中は綺麗で、明るくて、寮の部屋よりずっと広くてステキだった。
 目を輝かせて、僕はベッドに飛び乗る。
「すごーい。きれーい」
「ふん」
 アートはさっさとバスルームへ入っていった。ざぁっと水を出す音がする。
「イナカモン」
 戻って来たアートが、ベッドの上で跳ねていた僕の額を小突いた。
 バランスを崩して、
「あわぁっ!」
 あお向けに転がって、

 勢い余って、

 ……落ちた。
「アート!!」
「なんだよ。ベッドで暴れてんじゃねぇぞ」
「う…」
 確かに、思い返せば僕が悪い。
 うん。アートは間違ってない……かな。
「大人しくしてろよ。ガキじゃないんだからさぁ……あ、オマエはまだガキか」
「同い年じゃんか」
「精神年齢だよ。バッカだな」
「……」
 なんだコイツ。ことあるごとにさ……そんなに嫌いなら僕のことを放ってきてくれれば良かったんだ。一緒に来たいなんて、一言も言ってないのに!
 っていうか、無理やり連れてこられたのにこの扱い!
 アートの方がよっぽど大人げないよ。
「俺、風呂入る。オマエは後な」
「うん」
 でも眠い。
 アートは服を脱ぎ散らかしながら、バスルームへ行ってしまった。
 アートがお風呂から出てくるまで、ちょっと寝てよ…。


 がくん、と揺れて、びっくりして目が覚めた。
「わっ?」
 起きると、バスローブ一枚で立ってるアートがいた。
「人のベッドで寝てんじゃねぇぞ」
「えーっ」
 ここ、ベッドはひとつしかないのに。なんでアートだけのベッドなんだよ。
 アートは大きなソファを指差した。
「オマエはあっちで寝ろ。風呂入れよ」
「……うん」
 まだ頭が寝ぼけてるのかな。
 大きなベッドがあるのに、僕にはソファで寝ろって言うんだね。
 でも近づいてみたらソファはかなり大きくて、充分寝られそうだった。うん、よしよし。
 わふわふと表面を叩いて柔らかさを確かめて、そこに横になる。
 すると。
「っおら!」
 ごっ、と頭に拳が落ちる。
「ッた」
「風呂入れっつっただろ!」
 ……あ、そっか。
 眠くてそんな言葉は聞いていなかった。
「うー…眠いよ」
「入れ! 同じ飛行機乗るんだから。そんな奴の隣に座ってたくないんだよ」
 なんだよ、お風呂くらい。
 お金持ちってこれだからさ。
 三日に一回しかお風呂に入れない人間もいるとか、知らないのか?
「なんだよその目は。眠いからって湯船で寝てんじゃないぞ」
 蹴り出されるように、バスルームへ追い立てられた。

風呂からあがると、アートはまだ起きていて、ソファにのびのびと座ってくつろいでいた。
僕、寝たいのに。
どうしよう。
所在なさげにアートのそばに立つ。
 するとアートは僕を見ずに声だけかけてきた。
「おい」
「ん?」
「やっぱりオマエ、ベッドで寝ろよ」
えっ。
どういう風の吹き回し?
「やっぱりこのソファ、ちょっと寝心地悪いし。あのベッドなら二人で十分寝られるだろ」
ぱふぱふ、とソファを叩きながらアートが言うのを、僕は呆然として聞いてしまった。

やっぱりお金持ちなんか嫌いだ。こんなに気持ちいいソファなのに。

「僕と寝たいの?」
「誰が。こんな堅いソファじゃ可哀想だからな、俺のお情けだよ」
「堅い……? どこが?」
「……」
「……?」
 アートは僕と同じくらい怪訝な顔で振り向いた。



それでも僕はアートと同じベッドに滑り込んだ。
確かに、ソファも気持ちいいんだけど、ベッドはもっと気持ちいい!
キングサイズのベッドなんて初めてだし、嬉しくて、今度はなかなか寝付けなくなってしまう。
「ぷぷ、アート……胎児みたいになって寝るんだね。お母さんが恋しいんじゃない?」
「黙って寝てろ!」
ぼす。と、僕の方へ飛んできたのは枕。
「蹴落とすぞ」
うわ。コワイよぅ。
言わなきゃ良かった……。



翌朝は慌ただしかった。
「とっとと起きろ、ガキ」
同い年なのにガキ呼ばわりで起こされ、不機嫌に目覚めてみれば、まだ外が暗い。
「夜!?」
「明け方だ!」
え、じゃあ4時間しか寝てない…………
眠い。寝直そう。

ごそごそ。ぐー……。

「起きろっつっただろ!!」
ごぃん。
盛大な踵落としが僕の脇腹に決まった。
「う、…ッ」
「オマエが悪い」
涙目で見上げれば、まるで悪びれないこの態度だ。
「朝一番の飛行機に乗るって言ったよな?」
「う、そういえば」
じゃあ僕が悪かったのか。
……………………本当に僕が悪いのか?

ともかくコワイ目で見張られて、大急ぎで支度をした。
飛行機に乗るのは初めてで、僕はただアートについて行くしかない。でも、きょろきょろし過ぎて何度かはぐれそうになった。
おかげで、また僕は腕をしっかり捕らえられてしまった。
「オマエに逃げられちゃ困るんだよ」
「もういいじゃないか。ここまで来たら、朝の点呼で僕達がいないことに気づかれて、追いかけられても、その頃には君は飛行機の中だろ?」
「オマエなぁ、この世の中には電話ってもんがあるんだよ。向こうの空港に着いた途端保護されるだろうが。ここで別れたら、オマエ、すぐ寮に戻る気だろ?」
「うん」
当たり前じゃないか。
「俺にはオマエの行動が手に取るようによくわかる。金がなくて電車に乗れないオマエは今度は歩いて戻ろうとするんだ。そして警察に保護される。もしくは、最初っから警察に駆け込んで金を借りるか」
「電車賃くらいなら、あるよ」
なんとかそれくらいは出せる。大事な生活費だけど。
僕が抗議をすると、アートの顔はますます険しくなった。
「オマエが学院に帰って弁明したら、すぐ俺にも手配がかかるだろ」
手配って……大袈裟だと思うけど。
でもアートはお金持ちの息子なんだし、そう大袈裟なことでもないのかも。
「でもオマエを一緒に飛行機に乗せてしまうとだな、俺達がいないことに気づいた学院の連中はまず、寮の奴らに俺達を最後に見たのはいつか、とか聞くと思うぜ。就寝前の点呼の時はいたから夜脱走したに違いない、って話になるだろ?」
「うん。それはよくわかるよ」
「それで、家に帰っているかも知れないって、家に連絡がいくと思うんだ。家に帰っていないってことになれば、次は地元警察だよ。学院から一番近い、つまり俺達が電車に乗った町の警察に通報される。で、昨夜学生を見かけなかったかって聞き込みが始まるんだ。町では誰かが俺達を見かけてただろうさ。駅員あたりは覚えてるのかな。電車に乗ったらしいとわかれば、捜査の手は国中に広がる。国中のホテルの昨夜の宿泊客名簿を洗って、やっと空港近くのホテルで俺達の名前が見つかって、飛行機の上客名簿から俺達が朝一番の便に乗ったことが知れるわけだ」
アートの言うことを僕は頭の中で反芻しながら聞いていた。でも……

「そんなに、時間かかるかな? 警察って、そんなにノロマかなぁ?」
「最短時間でそれだけのことをやっちまうんだよ。でも多分、学院は名誉を重んじてるからそんなに公にしたがらないだろ。だから余計な時間を食うと思うぜ」
アートは笑った。
「でもアート、一年生は毎年、入学後すぐ脱走を試みる人が何人もいるだろ。すぐ連れ戻されるのは何故?」
「あ? 一年坊主がバカだからだろ」
「違うよ。きっと学院近くの警察は、慣れっこなんだよ。学生が脱走しただとか、それがお金持ちの息子だから大騒ぎはできないとか、そんなの慣れてるんだ。だからきっと、捜査はもっと早く進むよ」
「ごちゃごちゃうるさいな。何にしろ、オマエをここで解放するよりは遅い!」
 そんなふうに言って、もうこの話を終わりにする気だ。
 僕は食い下がった。
「僕、警察に駆け込まないから。解放してよ。もういいだろ」
「オマエが悪い」
きっぱりとアートは言った。
理不尽だよ。大体、なんだよその態度。次期生徒会長かも知れないと言われた優等生ぶりはどうしちゃったんだ。
こっちの顔が、本性なんだろうけど。
 悔しいから上目遣いで見てやる。
「うー……」
「諦めろ」
声をひそめて言うと、アートは僕の頭をそっと撫でるように手を当てた。その手が後頭部を抱くように引き寄せて、戸惑って僕は導かれるままアートの胸に額をぶつけてしまう。
え? どうしちゃったんだ?
するとアートはさらに声をひそめた。
「オマエがぎゃあぎゃあと騒ぐから、警備員が注目してるだろうが。このバカ。マヌケ。とっとと笑顔を作れ」
さらに刺々しい声で言われてしまった。

……。

優しいふりは、そのためかよ……。
 ここで本格的に騒いで警備員が駆け寄ってくるのが恐くて、僕はアートと仲良しを演じた。
 その時、騒いでいれば、空港警備隊に保護されて寮に帰れたかも知れないのに……。


 初めて乗る飛行機の中で、正直僕は、興奮していた。
「うわぁ、狭いんだなぁ」
「いつもはもっと広いシートだけど、今回は逃避行だからな。一般人のシートにした」
「……エコノミークラスっていうんだよ」
言うことがいちいち、僕ら庶民をバカにしてるんだよな。
これだけは譲れないとアートにたてついて窓際の席に座って、シートベルトをしっかり締めて、わくわくして出発を待った。
その様子を見ているアートは呆れた声で言う。
「オマエって、開き直りが早ぇな」
「そうでもなきゃ、やっていけないんで」
「金持ちに生まれなかったことから、まずは開き直らないとな」
「そんなの…」
なんだか、僕の傷に触れてくる言い方だ。
こんなことで、傷を見せるのは悔しくて、僕は小さく「そうだね」とだけ言い返した。

やがて、飛行機は出発時間となった。
「離陸の時は、頭痛くなったら耳を塞いでおけよ」
「う、うん。頭痛くなることがあるの?」
「ある。ま、オマエは頑丈そうだから大丈夫だと思うけどな」
「……三半器官は鍛えられないんですけど?」
「なんだ、頭痛がするのって三半器官が関係してるのか?」
「え? わかんないけど、耳塞いでおけって言うからなんとなくそうかなって…」
自信がなくて、語尾がどんどん小さくなっていく。
アートはバカにしないで、首を傾げていた。
「うーん、三半器官だったような…」
「当機は間もなく離陸します。シートベルトをお締め下さい」
そうこう言っているうちに、乗務員の女性がまわってきた。
客席を見回して、シートベルトをしているかをきちんと確認しているのだ。
僕達の横にもやって来て、目が合うとにっこり笑ってくれた。

「…でれでれしてんじゃない」
何故かアートにげんこつを食らわされた…。


離陸って、すごく大変なんだ。
僕は幸い、頭痛がすることはなかったけど、少し頭が締め付けられるような感覚はあった。痛いという程のことじゃない。窓の外の景色に夢中で、ほとんど気には止めなかったけれど。
でも、ふと見れば、横でアートは眉間にすごいシワを寄せて、両手で両耳を塞いで口を開けて必死に呼吸していた。
うーん、アートのことあんまり好きじゃないけど、同情してしまう。
でもすぐ僕はまた窓の外に夢中になった。


安定飛行に入ると、すぐに僕はシートベルトを外した。
「うわぁ、凄いね! 雲だよ、雲。アートっ」
「わかってるよ。はしゃぐなよ、みっともない」
「わー……」
アートの注意も呆れた目線も、今の僕には何にも効果をもたらさない。
初めて、雲の上に出た。
初めての光景はとても興味をそそられるもので、そしてとても美しかった。
「僕……パイロットになりたいな」
「単純」
アートがぼそりと言った。
いいじゃないか、単純でも。
…………あ。
でも、パイロットになるには厳しい条件があることを思い出した。
「パイロットって、家柄重視だよね」
僕のような孤児は就けない職業が、この国には多すぎる。
警察や政治機関や、パイロットのようなエリート職、大学等の研究機関の研究員…。タクシーの運転手にはなれるけど、電車の運転手にはなれないし。
そもそも高等学校にまで上がること自体が珍しい。僕はたまたま、名門学院の奨学生になることが出来たから進学したけれど、成績も落ちてしまって、今学期で退学が決定していた。
…でもこの分だと、学期末を待たずに即退学だろうなぁ…。
「家柄なんて、パイロットならそれほど気にしないだろ」
「えっ」
あっさりとアートが言ったものだから、僕は驚いてしまった。
「なんだよ?」


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