短編集 卵と私 アタシのためのきれいな音。 ミズキが泣いていた。 *** アタシは真理(マリ)。ミズキは、水木亨(ミズキ トオル)。 アタシ達は、高校まで親友だった。 別の高校に行っても、アタシ達は仲が良かった。でもアタシは、アタシを信用してくれた彼にとうとう打ち明けることが出来なかった。 男が好きなんだって。 アタシは、真理(マサミチ)じゃなくて、マリっていう可愛い名前で、可愛い服が似合う女の子になりたかったなんて。 親友だからこそ、言えるわけがない。 高校を卒業して、アタシは進学はしないでバイトだけで暮らしていた。 大切なものを、ずっとどこかに置き忘れてきたみたい。 進学しない理由。働く場所。 全部教えなかったせいで、ミズキはアタシを心配して、とうとう怒って離れていった。 アタシ達の関係を、アタシが壊したね。 ミズキの信頼を失って、友情を壊してまで選んだ道なのに、二年間、心に余裕がなくって恋も出来なかった。 アタシの心は死んでいて、 かわいそうなアタシが心の中で叫んでいた。 ここから、出して。 アタシ、ここにいるのよ……。 *** 二年ぶりに再会した時、ミズキは驚いていた。 「えっと……真理?」 「う、うん」 ゲイバーで働いてたアタシは、まさかミズキがお店に来るなんて思わないじゃない。 大切なものが突然、心の中で蘇った。 ミズキが笑ってくれたから。 「真理……似合うなぁ、女装」 って言って。 朗らかに笑っていた。 よくお店に来る大学生は、仲間内では自分の性癖をカミングアウトしていて、しかもそういう子は決して多くはないけど少なくもないらしい。 あ、男OKなんだ? 俺も、別に好きってほどじゃねぇけど、OKなんだよね。 そういうノリで、アタシが悩んでいたことをあっさり話してしまって、しかもゲイバーに仲間を連れて来るぐらいのオープンさ。 実際、遊び半分でやって来るお客さんは多い。男性同伴なら女性も入れるから。 でも、だからって。 アタシはミズキの隣に座らされて、ちょっと気まずい思いをしていた。 「真理、今どこに住んでんの?」 「住み込みなの…」 「へぇ。親は?」 「……とっくに両親は死んであの家はアタシのものなの」 「そっか…亡くなったんだったよな」 家は近所なのだから、例えミズキが家を出て一人暮らしをしていたって、母親あたりから情報が入ってくるはず。 「ミズキは?」 「うん、大学の近く」 「そう」 ミズキの表情とか、声音とかが、少し変わったことに、アタシは気づかないふりをした。 *** ミズキとアタシの交流は、また始まった。 でも、初めてミズキの家に行った時、そこにはアタシが知らないミズキの二年間をとっくに埋めていた存在がいた。 「こいつ、リカっていうんだ。よろしくしてやって、真理」 可愛い女の子がぺこりと頭を下げる。 すごく可愛いし、よくデキた子みたい。 「ひとつ下の学年なんだけどさ、高校が俺達と同じなんだぜ。で、俺を追いかけて大学に来たんだって告白されちゃって…」 って説明されたのは、その彼女がいない所でだったけれど。 とにかくアタシは出会ったその場で血が引いて、挨拶もそこそこに引き返してしまったのだった。 アタシに彼女のことを細かく話すミズキが、彼女にアタシのことを話さないわけがないじゃない。 ミズキの家に何度か出入りして、三人でいることに慣れたと思った頃だった。 ミズキが買い物に出ちゃった途端、リカは突然アタシに言った。 「ねぇ、いつまでここに居座るつもり?」 って。 「居座るって…?」 リカは大きなため息。 「いつまで、ミズキのそばにいる気よ?って意味よ。あたし達の邪魔なのよ。気持ち悪いじゃない、オカマがそばにいるなんて」 ああ。 ……ミズキ。 あなたのリカは、こういう子なのね。 「ミズキのこと、変な目で見てるんじゃないの? それとも女装して油断させておいて、あたしのこと狙ってたりして?」 この子は、アタシのこと、男として見たらいいのか、女として見たらいいのか、わからないらしい。 だから余計に戸惑っているのね。いっそアタシが男だったら何も気にしなかったのだろう。でも、リカから見ればアタシは、彼氏の周りをうろついて二人の時間を邪魔する女もどき。 「出ていってよ! 二度とミズキには近づかないで! ミズキには、アタシからうまく言っておいてあげるから」 何をうまく言うつもりなのかしら。 アタシとミズキの間には、リカの知らない長い時間があって、かけがえのない友情が存在しているのに。けれど、それも、再会以降は少し変わってしまったのかも知れない。 アタシ達の関係は細い細い糸。 リカによって簡単に切られてしまう。 気づいていた。 ミズキが、かつて親友だったアタシが女として彼の前に現れて、すごく戸惑っていること。 どう接したらいいかわからない、っていう葛藤がミズキの中にあったことに、アタシは気づかないふりで親友ごっこを続けていたの。 失った時間を取り戻したかったから。 足元に転がっているバッグを拾いあげた。 こうして、お客さんに貰ったブランドの新作の高いバッグなんかを持っていることも、余計にミズキを戸惑わせる要因だったのに違いない。 無言で部屋を出るアタシを、リカも無言で見送った。 でも、部屋の扉を閉める寸前に聞こえてきたセリフ。 「うせろ、変態!」 吐き捨てられた言葉。 でも、もしかしたらそれは、彼女の言葉を介して出てきたミズキのセリフかも知れない。 あけすけなミズキのことだから、彼女に言っていたのかもね。親友があんな変態になっちまってうんざりだよ、とか。 アタシのことを見て欲しかった。ミズキには。 *** アタシはすぐにお店を辞めた。 ミズキがあんなに好きなリカが望んだことだから、二度とミズキの前に姿を現しちゃいけないんだと思って。 それから、すぐに家を売る手続きをして、アタシだけは遠い所に引っ越した。 思い出も何もない街で、中傷に一人耐えてやっていくの。 それでも、きっと幸せになれる時が来るよって、心のどこかで信じているアタシがいたから。 けど、親友を二度失ったアタシは、立ち直るのにずいぶん時間がかかっちゃった。 多分もう、友達は作れない。 いいえ、アタシを理解してくれるオカマの友達ならいくらでも作れる。 でも違う。ストレートの人に理解されなきゃ、寂しい。 それにアタシはお仲間は好きじゃない。 ストレートの人が好き。女が好きだけど、男でもマリなら愛せるんだ、とか言われたい。アタシだけ特別っていう人に会いたい。 友達でも無理なのに、そんなふうに愛してくれる人になんて、会えるわけないのにね。 *** 引っ越しの日、荷物をトラックに積んでから、アタシは駅に向かった。 これから電車で新しい街へ行く。 ホームに着くと、アタシ、見つけてはいけない人物を見てしまった。 気づかないわけがない。 アタシが今、一番会いたくない女。 リカ。 彼女は友人らしい女性とホームの端に立って電車を待っている風だった。 だからアタシはその後ろを足早に通り過ぎる。 あっちの自動販売機の陰に隠れて、電車を一本見送ろう。彼女と同じ電車になんて乗れない。 けど、通り過ぎる時にリカの声高に喋る声が聞こえてきた。 「でねー、彼の友達ってのが、最低なの! うちにしょっちゅう遊びに来るんだよ!?」 「え、マジで。邪魔だねー、それ」 思わず歩みがゆっくりになる。 「しかもね、いきなりキレイな女連れて来るから誰かと思ったら、そいつ男なんだよ。女装してんの」 「きもー」 「最低だよ。女連れて来るならまだしも、高校の時の親友だったんだとか言ってさ。そんなのに彼氏取られるのかもって心配してるのよ、あたし。もうイヤなの」 「大変だったね」 「そ。だから追い出してやったのよ」 リカは友達に、ミズキとアタシのことをあることないこと喋りまくっていた。 ……電車は、まだ来ないのかな。 リカは、アタシを追い出した。ミズキには内緒で。 アタシに暴言を吐いて追い出した日、リカはミズキにこう言ったらしい。 「あんたの親友、あたしにひどいこと言って出て行ったの。ミズキには似合わないから別れろって!ひどいよ!」 ミズキは、アタシはそんなこと言う奴じゃないって言って庇った。だから彼女は、 「あたしは本当に言われたのよ。あたしの言うことが信じられないっていうの?」 って言って泣いて、そしてミズキに慰めてもらったのだ。ベッドで。 ああ、最低。 ミズキ……アタシの大切な親友がつき合っているのは、こんな女なのね。 リカは、もっと最低なことを話し続けた。 「あたし、高校の時にミズキ先輩が好きだからずっと見てて、それで大学に入ってやっとつき合い始めたって言ったじゃん?」 「うん?」 「でもね、違うの…………あたし、本当はね」 リカの声が小さくなった。 「本当は、マサミチ先輩が好きだったの」 ……まさみち先輩? 「あたしはマサミチ先輩をずっと見てたの。でも卒業しちゃってから行方がわかんなくなっちゃって……そしたら、同じ大学にマサミチ先輩といつも一緒にいた先輩がいたの。それがミズキなんだよ。今ではミズキが好きなんだけど」 「マサミチ先輩は?」 「マサミチ先輩はね……その、ミズキが連れてきたオカマなのよ!」 さすがにリカの友達も言葉をなくした。 アタシはリカの後ろにそっと立つ。話に夢中になっている二人は気づかない。 「好きだったのに、あの人は今ではあたしからミズキを奪おうとしてるのよ? 女の格好して。そんなの……ひどい!」 ……電車、早く来ないかな。 真っ白な部屋。 アタシ、何故ここにいるの? 何故、リカは死ななかったの? ICUに入ったリカをガラス越しに見つめているアタシは、放心していた。 病院に駆けつけたミズキはアタシを見て一瞬眉をひそめたけど、それでもなんとかひきつった笑みを見せた。 「ありがとな、連絡してくれて」 「いいえ」 渇いた声で答える。 「救急隊員の人に、リカの連絡先を聞かれたから答えただけよ」 「マリっていう人が付き添ってるから、って救急隊員が言ってた」 「そう」 アタシはどこか上の空だった。 ミズキはおろおろとICUの前を行ったり来たりしている。 どうして、リカは生きているのかしら。 アタシは引っ越しのことなんて忘れて、立ち尽くしていた。 彼女の命が尽きることを祈りながら。 リカの友達は取り乱して病院の廊下で警察に怒鳴り散らしていた。 あいつがリカを突き落としたんだと、アタシを指差して。 けれど、その時ホームにいた人がアタシを弁護してくれたらしい。 ホームが混んでいたから、人込みに押された形でリカは落ちたのだと。 アタシは、リカがまだ生きていたので、突き落としてなんかいないと言ったの。だって、彼女はまだ生きているんだもの。警察に捕まるわけにはいかない。 リカはずっと危険な容態で、アタシもミズキも毎日病院に来ていた。 アタシはリカの心臓が止まることを祈りに。 ミズキはリカが持ち直すことを祈りに。 時間が合えば、アタシ達は一緒に食事に行ったりもした。 アタシには、もう。 話すことなんて無いのに。 殺意という強い感情に汚されてしまったアタシは、もう、ミズキと話すことはできない。ミズキを汚してしまう気がしたから。 「リカ……オマエにひどいこと言われたって言って泣いてたよ。この間。その後オマエがいきなり失踪したから、おかしいなと思ってたんだけど……」 ミズキもアタシも、食事が喉を通らない。 珈琲だけを飲みながら、閑散としたファミレスでミズキは言いづらいであろうことを切り出した。 「あのな、俺はオマエがそんなこと言うとは思えなかったんだけど、でもあいつが泣くから一応信じたんだ。マサミチ……? 本当にあいつにひどいこと言ったのか?」 「言ってないわ」 「そっか」 そっか、って……それだけ? ミズキ? ずずっと珈琲をすすって、ミズキは息をついた。 「良かった。……ごめんな? リカのこと信じたりして。あいつちょっと、情緒不安定なとこあって、信じてやらなきゃ駄目だなんて俺は思ったりして」 「いいのよ」 「うん。ごめん」 アタシ、ミズキに対しては怒っていないわ。 三日目に、リカは命を落とした。 彼女の笑顔の遺影の前に立っても。 彼女の死に顔を見つめていても。 何の感慨も浮かばない。 死んだのだわ。とだけ、思った。 葬式が終わったら、アタシはその足でまっすぐ駅へ向かい、引っ越し先へ行くつもりだった。あらかじめ電話をして荷物の運び込みは延期にしてもらっていたけれど、これ以上は預かれないと連絡が入ったから。 もうお別れね。 火葬場まではつき合えなくてごめんなさいね。 心の中でそっとリカに謝罪して、一人でそっと帰ろうとした。 けど、一番そばにいるべき人がアタシを追いかけて来た。 「真理!」 その呼び声に驚いて、アタシは振り返った。 「ミズキ?」 「あのな……おまえ、引っ越すらしいじゃん。連絡先ぐらい教えて行けよ。携帯もいきなり解約しやがって教えねぇし…」 「駄目よ。教えない」 「な、なんで」 ミズキは顔をひきつらせた。 「やっぱり怒ってたのか?」 「違うわよ。だって…」 一瞬、言葉に詰まる。 キレイな目でアタシのことを見つめてくれるミズキを、ずっと覚えていようと思ったから。 その目をしっかり見つめて、まなうらに焼き付けた。 「だって、アタシはリカを殺したんだもの」 重い重い沈黙がアタシ達に降りた。 もう返らない。アタシを見つめるキレイな目。 「だって……オマエ、やってないって」 「ホームから突き落としたのは偶然に見せかけたからよ。ちょうどホームが混んで来たから、押されたふりでリカを落としたの。だからやってないって言ったわよ」 「……」 ミズキは何とも言えない顔をしていた。 その目にはまだ、憎悪の光は生まれていない。 「アタシ、病院でリカの呼吸器をちょっと外したの」 「え?」 「人のいない時にICUに入って、呼吸器をしばらく外したの。彼女の脈拍が乱れてから、元に戻して、看護婦さんを呼んだのよ」 「ICUは監視カメラが…」 「知ってるわ」 「……え」 「アタシは知られてもかまわなかったから。でもリカはいつ死んでもおかしくない常態だったから、誰も疑わなかったのね。でもそのうちバレるんじゃなかしら」 死因に不審な点がなければ、監視カメラの過去の影像をわざわざ見返すことはないのかしら? アタシはよく知らないけれど、今は偶然にも誰にも犯行を知られていない。それを幸運と呼ぶか不運と呼ぶか……。 「リカのことが許せなかったから」 「どうして!?」 やっとミズキは激昂した。 「どうしてだ? リカがお前に何かしたか…」 その問いには答えられなかった。 アタシが彼女に殺意を抱いたのはいつからだったか、正直わからない。 でもひとつだけ確実なことがあるのよ、ミズキ。 「アタシはあなたのこと親友としてじゃなくて、愛してたみたい」 その一言だけでは、ミズキはアタシの殺意をいかようにも誤解するだろう。 それでもかまわない。 「ミズキ、高校の時からずっと。でももうお別れよ。……早く戻らないと、火葬場に移動しちゃうんじゃない?」 アタシはきびすを返した。 「俺はおまえのこと、ずっと親友だと思ってるよ」 思ってた、じゃない。 思ってる。 アタシは振り返った。 アタシは、罪を告白して、ミズキに嫌われ、憎まれることを恐れてはいなかった。 …その、つもりだった。 でも違う。本当は、こんなにも恐れていた。 「お前は違ったみたいだけど。何かあったんなら、相談して欲しかったんだ。高校の時だって」 そうね。一人でおびえていないで相談すれば良かった。 彼女を殺したアタシのことを、まだそんなにキレイな目で見てくれるなら。 ミズキはリカのことを愛していたけれど、同じくらいの強さでアタシのことも思って、心配してくれていた。親友として。 「真理、俺はお前のことが好きだ」 「高校の時に同じことを言ってくれたわ」 『俺が誰にも言えない悩みとか持ってて、本当はすげー性格してたら、おまえ、どう?』 『俺はおまえが好きだけど。』 わかっていたはずなのに、親友の気持ちを疑って、卒業した途端に連絡を取ら なくなったアタシが悪かったの? 親友が恋人を殺した。 その事実をミズキに突き付けてしまったことを、今更後悔する。 悲しむくらいなら憎んで欲しかったのに。 アタシは黙ってきびすを返した。 「真理!」 「もう、行かなきゃ。二度と会わないわ」 「真理!」 ミズキの声に、アタシは振り返る。 「ありがとう、ミズキ」 *** 終 *** [戻る] |