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短編集
雨の唄 1
好きなものを好きと言える人は素晴らしいと思う。
かと言って嫌いなものを嫌いと言って切り捨てていくのは違う。
自分はどうだろうか。 好きなものを好きと。
嫌いなものを嫌いと。 言っているんだろうか。
好きなことからも、嫌いなことからも、逃げ続けている……そんな大人だ。


「赤羽さんが好きなんです」
後輩の陣内静貴(ジンナイ シズキ)は真剣に赤羽岬(アカバネ ミサキ)の顔を見つめていたが、岬には彼の瞳を真っすぐに見返すことができなかった。
二人で飲みに行った帰りだ。
大して酔っていない岬を家まで送ると言って聞かなかった静貴には、そういう理由があったのかと、内心溜め息をつくばかりだった。
「赤羽さん、俺と付き合って下さい」
素直な告白を、羨ましいと思った。
 こんな風に、俺も想いを伝えられたら。
しかし、羨望を抱いても、静貴にうなずいてやることは出来なかった。黙り込んでいる岬を、後輩は不安げな顔で覗き込んでくる。
「赤羽さん……? あの、もしかして、俺、気持ち悪いですか?」
「そんなことはない」
岬は首を左右に振る。
気持ち悪いどころか、こんな身近に同類がいたことに驚いている。告白されている岬当人も、実は男が好きな男であった。
静貴は岬が入社してから一年後の新入社員で、研修期間は岬が面倒を見ていた。
入社してから一年経って、やりたいことがあると言って静貴は、関連会社に移ってしまった。
それから2年。
彼とはずっといい友達で、勤務場所が違う方がむしろ、同じ部署に勤めるよりもずっと気安くなんでも相談できた。
二人はなんでも話してきた。元来、気が合うようだ。
飲み会の席で、
「お二人って、同じ大学出身とかなんですか?」
と言われることもしょっちゅうだ。
その二人が、お互いにわずかも匂わすことのなかった性癖が、ゲイであるということだったのだ。


静貴が入社してから今までの二人の仲を思い返してみても、岬には、彼に好かれる理由がいくらでも浮かぶし、逆に、好かれる理由が全くわからない。
「いつから……?」
岬の方からやっと返ってきたのは、そんな問いだった。
静貴は緊張している面持ちに、わずかに笑みを浮かべる。
「入社した時から、憧れてはいたんです。離れて初めて、赤羽さんが恋しくなって、俺、赤羽さんのこと好きなんだなぁって気付きました」
「そんなに前から…」
岬には、どうして二人はいい友達のままでいられなかったのかが疑問だったが、これで納得がいった。
岬は良い友達だと思っていた。が、静貴は初めから岬をそういう目で見ていた。
岬は友人には恋愛感情を抱けないタイプだから、二人の気持ちはすれ違ってしまったのだ。
それに……。
「ごめん」
はっきりと良く通る声で告げた。
「俺は好きな人がいるんだ」
 ところが静貴は引かない。
「なんで? 俺ほど赤羽さんのことわかってる奴、いないよ。そうでしょ? こんなに気が合う俺達が付き合わない理由がわからない」
「友達じゃ駄目なのか」
「好きになっちゃったから」
「ごめん。付き合えない」
「俺と一緒にいるの、楽でしょ? 俺のこと、俺とは違う意味だとしたも好きでしょ?」
「そりゃ……」
岬がそう言い掛けると、途端に静貴は畳み掛けてくる。
「じゃあ俺のこと、恋愛対象に考えてくださいよ。赤羽さんのことだから、好きな人がいるって言ってもどうせ何の行動も起こせないんでしょ。だったら俺といる方が楽じゃないですか」
「俺は……」
好きな人がいる。
しかし、それだけでは、静貴を断る理由にならないとでも言うのだろうか。
岬は苛々してきた。
「好きな人がいるんだ。それに、俺、その人と付き合ってる」
「……う、そ……」
静貴はしばらく口を開きっぱなしで、声を紡ぐことが出来ないようだった。
あんぐり開けた口が、しばらくすると無音のままぱくぱくと開閉を繰り返す。
 かすれた声が絞り出された。
「赤羽さ…ん。付き合ってる人……いるん、です、か。俺には、な、何も……言ってくれなかった……」
「いいじゃないか。言わなくたって」
「誰? 誰と?」
「……言わない。そういうわけだから、お前はもう帰れよ」 ここは岬の家だ。しかし、静貴は、
「いやです」
などと宣う。
「諦めません」
「しつこいのは嫌いなんだ。知ってるだろうが!」
「諦めません!」
言うなり、静貴が向かってきた。岬の肩をつかんで、二人一緒に勢いよく床に倒れこむ。
「いっ…」
強く背中を打って岬は呻いた。
その間にも静貴の手が明らかな意図を持って岬のシャツにかかる。
飲んでいた後なので、ネクタイなどとっくに自分で外してしまっていた。
乱暴に釦がいくつか外されて、あまり外の空気には晒されない白い胸元が見えると、静貴の頭はそこに降りてきた。
首にキスをされても嫌悪しか感じない。
「やめろ! 馬鹿!」
強い制止にも怯む気配がない。
一応抵抗もしているのだが、体重をかけてのしかかられ、背中をぴったり床に押しつけてしまっているので力が入らない。
このままされてしまうのか……と、絶望の淵が見えてきた時。
シャツを大きく広げて胸元をまさぐっていた静貴の手が止まった。
それどころか、呆然として上半身を起こす。
彼が食い入るように見つめている胸の上に何があるのか気付いて、岬は薄く笑んだ。
岬の情人がつけた゛痣゛があるのだ。
「ほんとに……付き合ってる人がいるの?」
静貴の声は泣きそうだった。
「なんだ、俺が嘘ついているとでも思ってたのか?」
「半分信じてなかったけど……。こんな風に痣をつけるような人がいるんですね」
「……ああ」
静貴を刺激しないようにゆっくりと身を起こすと、それにつられたように彼も後ろへ下がった。
 シャツの前をかきあわせる。
「わかったら、帰れ。お前を嫌いにならないうちに」
突き放すように言って、しまったと思った。
 こんな言い方をしたら逆効果かな……。
だが、静貴はのろのろと立ち上がり、自分の鞄を手に取った。
「今日はもう、帰ります」
「ああ」
「でも諦めない……」
最後にぼそりと言い捨てて、扉は閉められた。
静かになった部屋の中、岬は、やっとシャツの前を押さえていた手を離した。
もし。
もしも、自分に想い人がいなければ、静貴ならばつき合っても良かった。
しかしそれは出来ない。
今は親友を恋愛対象として見直す余裕はない。
岬は自分の情人のことを思い出す。
「亘さん……」
許されないのに、その名前を愛おしく呟いた。

***

一年前の、冬だ。
岬は企画部部長の山崎亘(ヤマザキ ワタル)と飲んでいた。チーフプランナーである岬は、つまりは課長のような立場だ。部長の山崎と打ち合わせを兼ねて食事をしたり飲んだりすることはよくある。
その日、わざわざ岬が個室席を予約して山崎を飲みに誘ったのは、理由があった。
いつになく次々と酒をあおっていく岬を亘は心配して止めた。
「どうした、何か話があるから今日誘ったのか? 悩みごとなら聞くぞ」
いつも通りの優しい声音。
岬はそれを裏切ろうとしていた。
酔って潤んだ目が、同性ですら一瞬ドキッとさせるような色気をはらむことを充分承知の上で、見上げるように亘と目線を合わせる。
酒を飲みまくったのは、酔っていなければ言い出せないからだ。
「山崎さん」
岬達の会社では、社長以外の人間を役職名では呼ばない。
「山崎さん……僕の頼みを、聞いてくれますか」
「どうしたんだ?」
瞳だけは潤ませて、無表情で言う岬を、亘は怪訝そうな顔で見返す。
岬は勢いを止めてしまわないように、すぐに、用意していた次の言葉を告げる。
「あのね……山崎さん、俺のこと、抱いて欲しいんです」
「……なっ」
絶句するのは当然だろう。
言葉に詰まった亘に、さらにぐいっと顔を近付ける。
「僕…ストレスが溜まってしまって、誰かにめちゃくちゃにして欲しいんです。頼めるのは山崎さんしかいない」
「俺が結婚していることは知ってるだろう」
「知ってます」
「駄目だ。……病院にならつき合ってやるから、そんな無茶なことを言うな」
「お願いします」
「駄目だ」
予想していたことだが、山崎はきっぱりと断ってきた。
そこで初めて、岬の唇には笑みが浮かぶ。
山崎はうっすらと笑った顔に疑問を抱いたろう。眉間にしわが寄るのが見えた。
「でも山崎さん、僕……俺は、山崎さんのご自宅も、奥さんのパートの勤め先も、娘さんの幼稚園も、知っているんですよ。断られたら、何をするかわからないですよ?」
「赤羽……」
亘の眉間のしわはさらに深くなった。
今まで温厚な顔しか見せてこなかった岬の、非道な脅し。
結婚3年目で、3歳になる一人娘と妻を大事にしている亘には最も効果的だ。そして、亘にとっては、岬も大事な部下だ。
岬は自分の立場をよくわかっている。チーフである岬がもしも不在になれば、回らなくなる仕事がいくらでもあるのだ。
脅迫には乗らない、解雇にするぞ、だとか、警察に訴えるぞ、などという返事をすれば、困るのは亘だと言えた。

女相手ならまだしも、たかが、男を抱くだけのこと……家族や会社の面子と、岬の要求を比べて、亘はそう考えたのだろう。
「お前の望みは、本当に抱くことだけなんだな?」
「そうですよ」
亘は苦々しい面持ちで、岬から目を逸らした。
一瞬唇を噛み、それから答える。
「わかった……」


その夜に、二人でホテルへ行き、岬は亘に抱かれた。

 ***

静貴が入社した時から岬に憧れていたのなら、岬もまた、入社した時から憧れていた先輩がいた。
山崎亘。彼は岬が入社した時、すでに企画部部長だった。
そして、有能すぎて先輩達からあれもこれもと仕事を押し付けられていた岬を見兼ねて、引っ張りあげてくれた人だ。人の下について仕事をするには惜しすぎると言って。
だから岬はたった一年半で、チーフプランナーになった。
憧れていた人が、自分の仕事をちゃんと見てくれていたということ。
それだけで岬が彼への憧れをはっきりと恋に変えるのには理由は充分だ。
毎日毎日、部長とチーフは顔を合わせる。
二人きりでの打ち合わせや、気晴らしの飲み会を重ね、岬には亘への想いが最大の悩みとなった。
亘が結婚した時と、岬が彼に恋をした時は、ほぼ同時期。打ち明けられるはずがない。
思い悩んで出した結論が、肉体関係だけでもいいから恋を成就させること、だった。
好きだと言ったところで、結婚している男相手にどうにもならない。それにはっきりと想いを知られてしまってから、今まで通りに仕事を続ける自信はない。
きっと支障をきたすだろう。
だから、体だけで満足することにした。
肉体関係ができてからも、思った通り、仕事は全く通常通りにこなすことが出来た。ただ、打ち合わせの飲みの後、ホテルへ行くようになり帰宅時間が遅くなっただけだ。
多忙な部長職だから、結婚3年目ともなると奥さんとセックスする回数は格段に減っているだろう…。
岬の予想は当たっていたかも知れない。
岬を抱く亘の腕は、存外優しく、そして激しかった。

そんな関係を一年も続けている。
抱かれる回数が増えるにつれ、岬は想いを隠しているのが辛くなってきた。
想像も出来なかったわけではない。しかし、これほど辛いとは思わなかった。
体を手に入れたら、心も欲しくて仕方なくなるなんて……。

***

告白の翌日から、静貴の態度は別段変わることはなかった。今までも、犬が主人に甘えるかのように岬にまとわりついてきていたからだ。
翌日は日曜だ。わざわざ土曜に誘って飲みに行き、部屋に押しかけて告白したということは、そのまま岬を抱いてしまおうと考えていたに違いない(岬のプランナーという職業、静貴のプログラマという職業は、週休二日制と言えども土曜に仕事が入る確率が格段に高い職だからだ)。

朝のうちに、携帯電話にメールが入った。
寝ぼけた頭で折り畳み携帯電話を開いてみると、静貴だった。
『今日、暇って言ってましたよね。一緒に食事しましょうよ』
……昨日の今日で、どの面下げて誘ってんだこいつは。
寝ていたところを起こされたこともあって、不機嫌に携帯を枕元へ投げる。
しかも昨日と言っても日付は変わっていたはずだ。
寝直そうと、寝返りをうって目を閉じ……しかし、瞬間、亘の顔が浮かんで眠気が消えた。
手を延べて投げたばかりの電話を拾う。
慣れた手つきで呼び出した番号に電話をかけた。
単調な呼び出し音……たった3コールで相手は出る。
「はい」
「おはようございます」
「おはよう。どうした?」
柔らかな亘の声に、静貴のせいでいろいろと乱れていた心が落ち着いた。途端に、違う意味で胸がざわめき出す。
「山崎さんは今、ご自宅ですか?」
「そうだが…」
「そうですか。じゃあ、今から俺のうちに来てくれません?」
「……」
岬が自宅に亘を呼びつけるのは、仕事なんかではない。
亘は一瞬黙ったが、
「わかった」
すぐにそう答えた。
「ただし昼過ぎになる」
「いいですよ。昼食は食べて来られるんでしょう」
「ああ」
日曜だ。パパが家族サービスに努めていることもちゃんと承知している。
家族での昼食を邪魔するつもりはなかった。
「夕飯までには帰らせてあげますから。みどりちゃんによろしく。では」
そう言って通話を切った。
みどりちゃんとは、亘の娘だ。
何度か亘の家に行ったことがある岬のことを、みどりちゃんも覚えてくれているはずだ。岬が無茶な脅迫をした後は、一度も訪れたことはないが。
それから岬は静貴にメールを打った。
『じゃあ午後2時に家に来いよ。それより早く来たら駄目だからな』
当然、亘との情事を見せつけようという魂胆だった。


午後1時半。
インターホンが鳴らされた。亘だ。
なんていいタイミングだ。
そう思いながら、扉を開ける。
「いらっしゃい」
微笑んで迎え入れるも、亘の方は不機嫌顔。
休日を邪魔されたのだから当たり前だろうか。
寝室に通して、早速服を脱ごうとすると、後ろから亘に抱きすくめられた。
「えっ…」
無理やり、首をねじ曲げられ、唇を覆われる。
「ん…」
そんな無理な体勢も、きついとは感じない。亘に求められることが嬉しい。
シャツの中に亘の手が入ってきて、脇腹や胸をさすり始めた。
応えるように岬も手を延ばし亘の髪を乱し、シャツの釦を外し始める。
一年間も関係を持っているのだから、お互いに慣れたものだ。
二人はベッドへ倒れ込んだ。
亘の愛撫は優しくて丁寧だ。脅されている立場とは思えないほど岬を愛してくれる。
岬の、体を。
「はぁっ……山崎さ、ん」
股間のものを握られながら乳首をなめられて、声が出た。


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