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短編集
紫陽花夜話 3

夏祭りの準備の時には、虫採りに行く僕を子供じゃないんだからとからかった大人も張り切っている。やはり祭りは気分が向上するものだ。
東京の祭りはしょぼいよなぁなんて、帰郷中の友人と語らいながら準備を手伝った。


そして夏祭りの当日。
僕はいそいそと浴衣なんか着込んで平の家へ行った。玄関の所から大声で挨拶しても返事がないので、平以外の人達は祭りに行っているらしいと踏んで勝手に中に入る。
「平、迎えに来たぞ」
「あき兄」
平は2階から顔を出すと僕を呼んだ。
「上に来ない?」
「どうしたんだ?」
すっかり慣れた階段を上がると、久しぶりに平と会ったことに気づいた。
ここ最近は帰郷した友人達とつき合うのに忙しく、平と会う時間はなかったのだ。祭りということで僕は大人げなく、どこか浮き足立っていたから、平の沈んだ顔を見て驚いてしまった。
そうだ、彼は祭りが終われば東北に行くとお母さんと約束をしているのだ……素直に楽しめないのかも知れない。
僕は平の横に座る。それを待っていたかのように平は口を開いた。
「あき兄、お母さん、明日来るって……」
「明日!?」
「お母さんの田舎の祭りも面白いから、一緒に行こうって言うんだ。俺、あっちの田舎じゃ一緒に祭りに行く友達もいないのに…」
「平…」
うつむいていた顔を上げると、平は今にも溢れんばかりに目に涙を溜めていた。
「あき兄、俺、行きたくない……でもこの家にいると、お母さんが泣くんだ。お母さんはこの家に居場所がないからって……。昨日も、電話で泣いてた。お母さんには平しかいないから、来てって……」
「平、平はお母さんと一緒にいたいだろ?」
「ううん、俺、俺は……あき兄と一緒にいたい」
平が不意に僕にすがりついてきたので、僕はためらいなくそれを受け止めた。勢い余ったのか僕は仰向けに転がってしまい、平は胸に顔をうずめたまま一緒に倒れ込んでくる。
「あき兄……あき兄……」
遠くで花火の音がした。はっとして窓の方を見ると、なんと窓の外に花火がよく見える。
 これもあって平は僕を2階に呼んだのか、としばしその絶景に見入っていると、その間に平がもぞもぞと僕の上で動いているのに気づいた。
「平…待て、どうしたんだよ」
「あき兄、好きなんだ」
浴衣の裾から平の手が入ってきたので驚いて阻止しようとしたのだが、その一言で僕は動けなくなってしまった。
平の目はまっすぐで、真剣で、昔と何ら変わらない。
 僕の気を引きたくて言ったのか?
 一瞬そう考えたけれども、目を合わせてしまえばそんな気はひとかけらもないことはわかっていた。
「あき兄が……初恋なんだ。俺はずっと忘れなかった…」
ぐすぐすと、平は泣いていた。
僕の浴衣はすっかり前がはだけられて、帯はまだ解かれてはいないけれど裸に近いような格好だ。僕をそんなふうにしておきながら、平は襟をつかんだままぴたりと手を止めて、とうとう泣き出してしまった。
「あき兄……あき兄……」
それしか言えないようで、僕の浴衣の襟に顔をうずめて涙を拭った。
「あき…えほっ」
「大丈夫か?」
押し倒されたような状態なのに、危機感は感じられずに僕は平の背中をそっと叩いてやった。この時まだ、僕は彼を子供扱いしていたのだ。
だって子供だと思っていたんだ。
その、好きだという言葉も、ただ兄のように慕っているだけだと思っていた。
平はひとしきりむせび泣いて、僕の浴衣はすっかり濡れてしまうほどだったの
で僕も諦めて身体の力を抜いて泣き止むのを待っていた。

平がやっと顔を上げた時、目は少し赤くなっていて鼻をぐすぐすとすすってはいたが、涙はどうやら止まっているように見えた。僕は不安げな顔をしている平にふっと笑いかけてやる。
「浴衣に鼻水つけてないだろうな?」
そう冗談を言って和ませてやるつもりだったのに、何がいけなかったのか平が不意にまた僕の上に覆いかぶさってきた。
「んっ」
唇を噛みつかれるように塞がれ、息が止まる。
放課後、そっと触れたキスとは違っていた。平の舌は恐らく本能に任せるまま、僕の口腔に押し入って来て中をかきまわした。
平の唇は涙のせいかしょっぱい。そして熱い。
熱くて息苦しくて、さらにその上、花火のどぉんという大きな音が響いた時、耳鳴りがして一瞬気が遠くなった。

それはほんの一瞬だったと思うが、抵抗する僕の力がすっと抜けたことに平は気づいていたらしい。
 唇が離れ、ようやっと息をついて混乱する頭を整理しようと堅くつむっていた目を開けると、僕の両足は平に抱え上げられていて大きく広げさせられていると
ころだった。
「たっ…」
名前を呼ぼうとしたのに、息が詰まって言葉にならない。
平は無理やり僕の下着を引きずりおろすと容赦なく指を尻の狭間に突き立てた。
「平、待っ…待て、何する気だっ」
「あき兄……好き。好き…」
ぐいぐいと指が押し込まれて、痛みで腰が浮く。
「あきに……あき…あき……あ」
痛みと屈辱で泣きそうなのは僕の方なのに、熱に浮かされたように繰り返す平の顔は歪んで、切なげだった。

うちひしがれて必死な様子の平を哀れと思うよりも不意に、僕の内に愛しいと
いう思いがこみあげてきた。この家の庭先で数年振りに会った時の平の姿が思い出される。
 泣きそうな暗い顔をして木の陰に立っていた彼が、今またこんな顔をしているのは僕を想ってのことなのだ。
指は僕の中を蹂躙して、もう一方の手が性器を掴んで上下にしごき出す。そうされると、長いこと女を相手にしていない僕は全身がかぁっと熱くなっていくのを感じて、性器もあっという間に張り詰めてしまった。

熱い。
汗の匂いと、平の部屋の畳の匂い。
花火の音はもう、ずいぶん遠くで鳴っているようにしか聞こえない。窓の外の絶景なんて見ていなかった。
平が僕の中に入ってきた時も、僕は痛みと圧迫感と、性器をこすられる快感に混乱しながら平の肩にしがみついていて、平もまた僕の胸元に額を押し付けて腰を揺さぶり続けていた。
「あっ、あっ…はぁっ」
かすれた息に交じって、嬌声とは違うかすれた辛い声が洩れる。
 額から、首筋、脇腹、腕、足も、あそこも、汗が流れて行く。
平の汗も容赦なく僕の身体を伝っていった。

僕達がようやくお互いの精液を腹にぶちまけて、息を整える頃には、花火の音も聞こえなくなっていた。





畳に転がったまま、僕は電気が暗い天井を見上げていた。
浴衣はよれてしまって、汗でぐしょぐしょだ。
自分の腹をティッシュで拭いた平は、僕の腹に撒いた自分のものは拭かずに、僕の汗と一緒になめ取った。そんな行為を咎める元気もない。
その後、平は顔を歪めたまま部屋の隅っこに正座して僕の方を見守っていた。
今更になって自分のやってしまったことの重大さにおののいているんだろう。
腰がずきずき痛む。それになんだか頭も痛かった。泣きすぎだ。
平は僕のことを好きと言った、その思いの激しさを今の行為で実感した。
 僕が思っていたのとは違う、兄を慕うような気持ちではこんなことはしないだろう、多分……。
「平」
呼びかけると平はわずかに肩を揺らして反応したが、近づいては来なかった。充分に反省しているのを見て取って僕は手をのばす。
「起こしてくれ」
「…っ!」
平は慌ててばたばたと駆け寄ると僕の手を取り、強く引っ張った。上半身を起き上がらせるとあらぬ部位に痛みが走り、今されてしまった行為を強く思い出してしまう。
「平…」
間近で目を合わせて呼ぶと、また明らかに平は身をすくませた。部屋の隅へ逃げて行こうとする身体を、今度は僕がその腕を掴んで引き止める。

「平、あれは合意だ」

僕のその言葉は、彼にとっては意外なものだったろう。半ば無理やりだった。けれど、確かに僕も犯されながら、平の動きに合わせていたのだ。

「平、だから、あっちで高校を卒業したら、帰って来い」
「あき…に…」
「あきでいいよ」
ふっとまた笑みを見せてやると、とうとう、ぶわっと平の目から涙が溢れ出した。
また僕にしがみついて泣きじゃくる。
「あき……行きたくない、行きたくない…よ…うっ、ぇっ」
「平……待ってるから……」
背中を何度も上下にさすってやりながら平の頭にそっと頬を寄せた。平の髪の毛からは、夏の匂いがした。

あの日、紫陽花が咲いていた。
平が僕を見つけ、小さくあき兄と呼んだあの日だ。
梅雨の頃に入ったばかりでよく覚えている。平がこの村に帰って来た日だった。









梅雨から夏休みにかけて、僕は毎年必ず平を思い出す。夏祭りのあの日の記憶よりも、紫陽花の咲いていたあの日の記憶の方が鮮明に僕の中に残っていた。

頼りなげな顔をしていたあの少年には、僕しかいなかったのだ。子供の頃からいじめられ、からかわれていた内気な彼には、守ってやると約束してくれた近所の人気者の優しいお兄ちゃん、「あき兄」しか頼りになる人がいなかった。
それをわかっていても、初恋の僕を長いこと好きでい続けてくれた、僕と離れたくないから東北には行きたくないと泣いてくれた、あの少年のことが僕は忘れられなかった。
ただ単に、彼には僕しかいなかっただけなのだと、わかっていても。



 そして、少年は成長して大人になるのだ。

「あき先生ーっ!」
「さようならー」
ばたばたと校門まで走りながら、生徒達が僕に手を振る。軽く手を挙げて応えながらその背を見送った。
明日から夏休みとあって、子供達のはしゃぎぶりは尋常ではない。
あいつら宿題という存在を忘れてないだろうな、と思いながらも、野暮なことは言うまい。
 さようならー、と次々と横を駆け抜けて行く少年少女達に笑顔で応えた。
校門をくぐった時だ。
「あき先生っ」
背後から焦った声が僕を呼び、振り返ったら笑いをこらえる自信がなかったので僕はその場でじっととどまっていた。
 ばたばたとせわしない足音が響いて、僕の隣でやっと止まるとぜぇはぁと息を整える。とうとう僕は笑い出してしまった。
「どうしたんだ、そんなに慌てて」
「ひ、ひど…ごほっ…一緒に、帰ろうよ…っ」
びっしょり汗をかいて膝に両手をつき、彼は僕を見上げた。僕らの横をまた生徒が駆け抜けて行く。
「あきせんせー、椎名せんせー、バス行っちゃうよー」
今、駆けて行ったのは村の子だ。
「あ、バスが出る。平、走るぞ」
「えっ、また、あっ、待っ…」
走り出す僕の後ろで、またばたばたといかにも運動神経の鈍そうな足音がした。
高校前のバス亭へ走り着くとその場にいた生徒達は駆けて来る平を見て笑い転げている。
「椎名先生、鈍いよねー」
「でもそこが可愛いよねー」
前に並んでいた女子生徒達の話に反応してつい顔をしかめてしまう僕だった。



バスを降りてから歩く帰り道。高校生の平と何度か歩いた道だった。
 林はどんどん削られて小さくなり、道もすっかり舗装されてしまっている。
「あきは今も夏休みは小学生が朝早くから誘いに来るの?」
「いや、ここらへんの林じゃ、もうカブトムシはほとんど見られないんだ。虫採り名人もお払い箱だよ」
「……そうなんだ」
「平がいない間にすっかり変わっただろ?」
「うん。じいちゃん家は全然変わってないけど」
「そうだね」
平は今年の春から、町の高校に英語担当教諭として赴任して来た。僕と同じ日本史の先生になりたかったけれど、同じ教科だと同じ高校に入れないかも知れないと思って英語にしたんだそうだ。実は大学の時にアメリカ留学の経験もあるらしい。
 山形の家にいるお母さんと、家を継いでほしいというこっちの祖父母を説得して、教師という道を彼は選んだ。
 あき兄と一緒にいたいから、というその言葉だけを頑固に言い張り続けて説得したというから、家族や親戚には「お兄ちゃん子ねぇ」と子供扱いされているが、僕だけが平が大人に成長したことを知っている。
 僕のことを、彼は好きでい続けてくれ、僕と一緒に生きていける道を真剣に考えて進路を選んだのだ。男の僕と長く一緒にいる、そのことがどれほど大変かわかっているだろうし、浅はかな気持ちで進路を選べないだろう。
 それほど真剣な気持ちを持っていることを、僕だけが知っている。決して親戚が思うような、近所のお兄ちゃんを慕う子供と同じ心持ちではない。

 平の家に着くと僕も一緒に門をくぐった。
「俺、あそこの紫陽花ひっこ抜いて、柿でも植えようかと思うんだ」
「えっ、駄目だよ」
「なんで?」
「紫陽花、いい花じゃないか。平は……あ、お父さんのことを思い出すから嫌なのか?」
「お父さん? なんで?」
ガラガラと相変わらず立てつけの悪い引き戸を開けながら平が肩越しに僕を振り返る。
「いらっしゃい」
平のおばあさんが出て来てそう言ったので、一度会話が途切れた。
「こんにちは」
「どうぞどうぞ。後でお昼ご飯運びますよ」
「ありがとうございます」
おばあさんは早速仕度をしに台所へと向かった。僕達は2階へと。
平の部屋からは庭先が見える。僕は木の陰になってよく見えない垣根の方を見ながら言う。
「平、この家に帰って来た時、あの木の下で紫陽花を見てたじゃないか。紫陽花にお父さんが亡くなった時の思い出があるから、抜きたいのか?」
「違うよ。俺ん家、お母さんの趣味でシクラメンがいっぱいあったんだ。シクラメンにならお父さんの思い出があるけど。あの日は、あそこに咲いてるのがシクラメンじゃなくて紫陽花で良かった、って思いながら見てたんだ…」
「じゃあなんで抜くとか言い出したんだ?」
「なんとなくだよ。柿の方がいいなぁって。あきが嫌なら、紫陽花はあのままにしとく」
「うん。紫陽花、いい花だよな」
涙を思い起こさせる、青や紫の調和を見せる花。
あの花をじっと見つめていた、少年の頃のお前を思い出す。
僕はすっかり精悍な顔つきになった平の横顔を見つめながら、あの日の平の顔と面影を重ねて見ていた。ふと、庭先を見ていた平が僕の方を向く。
 僕の視線に気付いたらしい。
「どうした、の…? あき」
「お前が幸せになるんだったら、俺は何でもしてやるよ」
「……」
平は無言で、ぎゅっと僕の手を握った。
見つめ合っていると、平の目はすぐに潤んでくる。
こいつは、子供だったから泣き虫だったんじゃなくて、本当に泣き虫だ。
「俺、あきのためなら何でもするよ。俺があきを守るから」
「ああ」
手を強く握っていた平が、ためらいがちに腕を僕の背に回した。暑い、と言って突き飛ばしたい気持ちも少しあったのだが、そんなことはしない。泣き虫なこいつが本気で泣いてしまう。
「子供の時みたいに…もっとがむしゃらに抱きついて来れば、拒めないのに」
僕が苦笑しながらそう言うと、平の腕にさらに強い力が加わって、僕は抱き潰されそうだった。
 平の髪の匂いは、今日も夏の匂いだ。
平はもう大人の男なのだが、約束通り、僕はずっと彼を守っていくつもりだった。

汗の匂いや、畳の匂い、草いきれの匂い。
虫の声や、花火の音、ざわめく木々の音。
 日が沈む景色、雨が降り続ける梅雨に、どこの家でも見かける紫陽花。

 それらが、懐かしいだけではなくとても愛しいのは、彼のおかげだ。






**終わり**



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