[携帯モード] [URL送信]

短編集
天使の羽音
教会の鐘の音が聴こえた。
夕日が差す礼拝堂。
「ジャック」
呼ばれて振り返ると神父様が立っていた。
「よく来たね。いい子だ」
薄暗い礼拝堂では、神父様は消え入りそうにはかなげだった。
日のもとにいても、この人はいつも、どこかに消えてしまいそうな雰囲気を醸し出している。
白い手が僕に延びる。
「神父様」
「おいで」


神父様の下に組み敷かれて、揺さぶられながら僕は、細い声をあげていた。
初めて神父様が僕の肌にお触れになったのは、僕が聖歌隊に入ってすぐだ。
僕は、夜、礼拝堂の片隅で自慰をしている所を見咎められてしまったのだ。
僕は礼拝堂の雰囲気が好き。だから、そこで自分を慰めるととても気持ちいい。
でもそれは、してはいけないことなんだと怒られた。
おびえた僕に、神父様は優しい手を差し伸べた。
「私がしてあげよう」
と。

それから一年近く経つけれど、神父様のなさることがいけないことだと、僕にはもうわかる。
本当は初めて抱かれた時からわかっていたのだけれど。
神父様があまりに神々しい笑みを浮かべていたので、僕は罪を善だと思い込んでしまったのだ。
お優しい神父様のものに貫かれても、痛みはほとんど無かった。全身全霊で、神父様のものを受け止める。
僕の中に精液を放つ時、神父様は汗を散らして眉をひそめる。
その美しいお顔を、近くで見られるのは、僕だけ。
でも、僕は幼くて、神父様をただ好きだということしか考えていなかった。


「君の声が好きだ」
僕の髪をもてあそびながら、神父様は言った。
「ありがとうございます」
照れくさくて、神父様をちらちらと見ながら僕はなんとかお礼を言う。
そうすると、神父様は嬉しそうな穏やかな笑みを浮かべる。
あなたの笑顔を見ていたいのです。
あなたが望むなら、罪でもいいから、おそばに居たいのです。


聖歌隊の子供達が大人になる過程で声変わりをして、除隊していっても、僕だけはずっと真ん中で歌い続けた。
変わらない外見。変わらない歌声。
ただ、心だけは成長する。
神父様の愛する歌声が、いつまでも変わらないことが嬉しい。
そして僕は毎日、夜近くになると礼拝堂へ赴く。


神父様は僕を抱いて、激しく腰を動かしながらいつも、呟くように言う。
「君の声が好きだ」
「あ、…あん」
「もっと、その声で私を癒して…」
「はい、神父さ…ま、あ、あぁッ!」
神父様の白い背中に手をまわしてしがみつく。
年々、痩せていかれるように思えるのは、僕の気のせいではないはず……。
「神父様っ、神父様ぁっ」
感極まって泣く僕を、神父様はきつく抱き締めた。
「あ、私も…もう、いくよ」
「はいっ、あ、ぅ…」
僕の中で神父様ははじける。
抜き出したそれを、僕は口にくわえて綺麗になめ尽くす。でもそうしていると、すぐに神父様のものはまた大きくなってしまうのだ。

毎晩の淫荒でも、僕だけが疲れない。
そして神父様は、僕の声に癒されているはずなのに、どんどんやつれていく。



僕には十年に一度、メンテナンスが待っている。
神父様との関係が始まってから、10年。
僕のもとに、メンテナンスのために技士が現れた。
「久しぶり、ジャック。と言っても、君にとっては初めましてだろう」
「初めまして…」
技士のエインさんは男性だった。
神父様のことをよく見ている僕には、その人はずいぶん体格がいいように思えた。
10年前の記憶が、とても曖昧になっている。
「僕…初めてあなたに会うんですか」
「そうだよ。聖歌隊に買われていった君は、教会で初めて目覚めたからね」
「買われて……いった」
ああ、そうだった。
僕は歌うために教会に買われた、少年の姿をした人形。
人間とは何も姿形が変わらない、現在の最新技術だ。
人間のレプリカ。
それは美しい芸術。
僕の声は、人間が作り出した最高の芸術品だと、エインさんは言う。
僕の、声。
神父様の愛する声。
でも、10年間歌い続けた僕は、声帯が限界だった。
エインさんに声帯を取り替えると言われ、僕は血の気が引いた。
「お願いです、やめて!」
「今よりも綺麗な声が出せる喉にしてあげるよ。そんなにおびえないで」
「だめ!」
人形である僕には、逆らう権利なんてないのに。
「だめ……お願いです。やめて」
「ジャック、一体どうしたんだい?」
泣き出した僕を、無理やり手術台には乗せず、エインさんは頭を撫でて問いかけてくれた。
「エインさん……神父様は僕の声を愛して下さっているんです」
「そうだね。でももっと綺麗な声になったら、喜んでくれるよ」
「……今の声がいいって」
「……? もっと綺麗な歌声が出せるようになるんだよ?」
「今の声がいいんです」
神父様が僕の声を愛して下さった10年間が、リセットされてしまう気がした。
「お願いします」
「ジャック……いい子だから、手術をしよう」
「エインさん、お願い」
エインさんの真摯なまなざし。
でも僕だって本気だった。
長い沈黙。見つめ合っていた間に、エインさんは何を思ったのだろう。
「わかったよ。声帯を今のまま、メンテナンスだけしよう。ただし、ジャック」
「わかっています」
取り替えなければ、この喉はあと10年ももたない。
それでもいい。
あと10年近くは神父様のおそばにいられる。
神父様に愛してもらえる。
メンテナンスが終わって、5日振りに聖歌隊の練習に行くと、見知らぬ子がいた。
くるくるの金髪で、真っ白な肌の美しい少年。人間離れした綺麗な子だった。
神父様はその少年の肩を抱いて、隊の皆に紹介する。
「聖歌隊に来たリゼルだよ。彼も、ジャックと同じく聖歌隊のために買われた人形だよ」
神父様は僕を見て言った。
「仲良くね、ジャック」
「は、はい」
「リゼル、皆に挨拶をして」
「はい」
リゼルが答えると、皆がしんと静まって彼を見た。
「歌うことが大好きです。よろしくお願いします」
リゼルの声は、とても、とても美しかった。


リゼルは僕よりも新しい人形で、聖歌隊のために特別な声帯を持っていた。
美しい声。綺麗に歌う為の喉。
彼の話す声は綺麗だったけれど、歌う声はもっともっと綺麗だった。
一人でも、広い礼拝堂に玲瓏と響く歌声を出せる。
僕よりも歌は上手だ。
それでもいい。僕の為に作られたはずのあの新しい声帯は、僕が拒んだのだ。
あと少しだけ、神父様のそばにいたかったから。


夕方、いつも通りに僕は礼拝堂へ行った。
そこにいたのは、神父様ではなくて、リゼル。
僕は入り口のところで立ち尽くした。
なぜ、彼がいるの?
まさか、神父様が呼んだの?
「何しに来たの?」
リゼルの問う声が響いた。
本当に、彼の声は綺麗だ。
「僕…神父様に用があって」
「神父様をたぶらかしたのは君?」
「え?」
思いもかけないことを突然聞かれて、僕は混乱した。
たぶらかすって何?
僕達の関係のこと? なぜ、リゼルがそれを知っているの?
「僕達、人形はね、人間に仇をなしちゃいけないって知ってるよね?」
「そんなつもりじゃない」
「神父様に人の道を外れさせたのは君だろう」
「違うよ」
神父様が、僕の声で癒してって言うから。
何も悪いことはしていない。
「メンテナンスしたばっかりなのに、頭が壊れちゃってるのか?」
リゼルは眉をひそめてそう言った。
「違うよ」
「技士に言って君は廃棄処分にしないとね」
「何も悪いことはしてないよ」
「どうせもうすぐ歌えなくなっちゃうんだろ?」
「そうだけど……まだ歌えるよ」
「頭が壊れちゃってるんだから無理だよ。感情が破綻していたら、良い歌声は出せないからね」
僕が悪かったの?
悪いことをしているって、わかっていたけど、神父様が僕を求めたんだ。拒めるはずがないよ。
 リゼルの正しい声が響く。


「僕達は、歌うための人形なんだよ」



 ……。

僕の廃棄処分が決まった。
神父様を道から外れさせたことが、理由だった。
そして、神父様も破門が決まった。
けれど。
処分される前に、僕は神父様にお会いしたかった。

正式な破門の勅令書が届くまで教会の寮に謹慎している神父様の所へ、他の神父様と一緒に行った。
他の神父様は怒らずに僕の「会いたい」という望みを聞いてくれた。
こんこん、と神父様の部屋の扉を叩く。
「トゥーリさん、元聖歌隊のジャックが会いに来てくれましたよ」
神父様が呼びかけても、返事はない。

僕の敏感な鼻は。
 とても、とても苦手な匂いを嗅ぎとった。

「神父様……血の匂いがします」

「えっ?」
慌てて神父様は鍵を取り出す。
「トゥーリさん、返事がないようなので開けますよ?」
そう声をかけて、扉の鍵を開けた。
神父様が開くより早く、僕は扉に体当たりするようにしてそれを開く。
「神父様!」

真っ赤な部屋。
血の海の中に、神父様が倒れていた。

「神父様!」
 駆け寄って呼びかけると、うっすらと目が開く。
「もう、神父じゃないよ、ジャック」
青白い顔をして神父様は微笑まれた。

僕の頬に、熱いものが流れる。こんな感覚は初めて……。僕、泣いているの?

どう見ても助からない量の血を流している神父様。

意識も朦朧としていらっしゃるようだった。

「神父様…」

「ジャック。ごめんね。私のせいで」

「違います。違います。僕は幸せでした」
「ジャック」
神父様の手が震えて、持ち上がる。その手首はばっくりと肌が割れて、熱い血がとめどなく溢れていた。その傷は、神経までも切りつけているみたいだ。
神父様の腕は持ち上がるけれど、手首のところでだらんと力なく折れ、動きはぎこちなく、僕の頬に触れることは出来なかった。

「愛しているよ」

「僕もです」

「声だけじゃないよ。ジャックの全てを愛しているよ」

「神父様…」

「初めてジャックの歌声を聞いた時、天使様の姿が見えた」

神父様の哀れな血だらけの手をそっと握る。
その御手を、僕の頬に押し付けた。
「ジャック、その声で僕を癒して」
「神父様……愛しています。愛しています…あ…」
 ああ……。
嗚咽が邪魔をして、何も言えない。


うつろな神父様の目は、最後まで僕を見つめていらっしゃった。


僕は、神父様の目から光が失われても、ずっと、その御姿を見つめ続けていた…。


「トゥーリ神父の自室の机の上には、遺書として日記が残されていました。彼は、少年しか愛することが出来ない己の性癖を変えたくて神父を志願しましたが、神の教えを説く立場になって尚、少年に対して欲望を抱いてしまう己に嫌悪し、とうとう憔悴していきました。
日記の内容を精神科医に鑑定してもらったところ、やはり、思い悩むあまりに精神にも異常をきたしていたらしいことがわかりました」
神父様の告げる言葉を、僕は一言一句聞き漏らすまいと、必死に耳を澄ませていた。
「これを、君に」
差し出されたのは、一冊の日記。
「最後のページは遺書です。彼の遺言により、君の廃棄処分は中止し、君にこれを」
僕は両手を差し出して日記を受け取った。
繋がれた鎖が重い金属音をたてる。
しかしその鎖も外され、床に落ちた。
僕を戒めるものはもうない。
「ただし、君の記憶は消去されます。これは、犯罪に関わった人形には、どのような事由があっても必ず施さなければならない処置ですので」
「愛し合うことが罪ですか」
神父様から、答えはなかった。
僕の問いに対しては、答えてはいけないことになっているから。
ここは人形のための独房。
処分される人形や、処分の決定を待っている人形は、ここに放り込まれる。
「明日、施術をして、君はここから出られます」
「はい」
何を聞いても無駄なので、僕はもう何も問わない……。

明日、記憶を消されて、ここを出る。
闇の中、僕は月明かりだけで神父様の日記を読んだ。


『ジャックを愛している。
いつまでも一緒にいたかった。』


神父様の思い出を、取り上げられるのは嫌だ。
神父様を愛した僕の心も、取り上げられたくはない。
僕が死んだら、神父様と同じ所に行けるのかな。
僕は目を閉じた。神父様の思いを綴った日記を胸に抱いて。
僕の体の機能が全て停止することを想像する。
最後に、神父様の姿を想い描いて。



 僕の望む通りに、
僕の体は、生命活動を止めた。






僕、本物の天使になりたい。

そして神父様に会いたい。

そしてずっと、神父様の御魂を抱いて……

ずっと。

ずっと、

 ずっと、


ずっと、神父様と一緒にいたい。




***終***



[戻る]


第3回BLove小説漫画コンテスト開催中
[小説ナビ|小説大賞]
無料HPエムペ!