短編集 陶磁器に似せた殻 2 「ふーん」 高遠さんは納得しないみたいだった。 そして、当然、あの人のことだから。 納得しない答えに従うはずもなく、その日のうちに彼が不動産まわりを始めたという話を同級生に聞いた。 *** 一週間もしないうちに、高遠さんはいい部屋見つけたと言って俺に間取り図面を持ってきた。 「どうよ、この部屋。こっちが寝室で、ここがお前の部屋な。こっちが俺の部屋」 「広っ!」 二人のそれぞれの私室以外にも、六畳の寝室用の部屋がある。 ……広さがどうこうよりも……。 「高遠さん、寝室は一緒にする気なんだ?」 「当たり前じゃん」 有無を言わせない返事。図面から目も上げずに彼は言った。 「かなりいい物件だから、早めに決めなきゃいけないんだ。もちろん、オッケーだろ?」 「えっと…」 「何をためらってんのか知らないけどな。お前にはっきり聞くぞ」 「は、はい」 「俺のこと、好きなのか? そうじゃないのか?」 「好きです」 間髪入れずに答えると、眩しいほどの笑みが返ってきた。 「じゃ、決まりな!」 その日のうちに、引っ越し前祝いがしたい、と言って高遠さんは俺の部屋へ押しかけてきた。 俺が断れるはずもない。 とにかく、引っ越しをしてから、落ち着いていろいろ考えなきゃと思っていた。 ところが。 俺の部屋で一晩を過ごした朝。 大学は休みなのに、なぜか良くない夢を見て、俺は目が覚めた。 どんな夢だったかは忘れたけど、胸騒ぎだけがする。 布団の中、目を開けば、そこには高遠さんがいない。 どうしたのかと思って体を起こした。 すると。 俺の勉強机の前に座って、真剣な顔でうつむいている横顔が見えた。 うつむいているのは、机の上を見ているからだ。 また間取り図でも見ているのかな。 けど、目つきが切れそうに怖い。 俺はちゃんと起き上がった。すると高遠さんがこちらに気づく。 「おはよう」 その声音は強ばっていた。 一体、どうかしたのだろうか。 「お、おはようございます」 「朝っぱらから、悪いんだけどさ…」 「はい?」 「これ、何? 何のシャレ?」 高遠さんが、これ、と言ったのは机の上に広げられた紙。よく見れば図面じゃないみたいだ。 「え?」 もしかして、それは……俺が引き出しに放り込んだままの遺書……。 高遠さんに告白した日の翌朝、帰ってきてから引き出しに放り込んだままだ。 「それ…は」 冗談ですよ、って言うのを高遠さんは期待している。だから、何のシャレ?と聞いたのだ。 でも俺は、舌が強ばって何も言うことが出来なかった。 言うんだ。 シャレで書いてみたんですよ、机ん中に入れたまま忘れてました。 そう言えよ、俺! 「あの……それ、は」 からからに渇いた口からは、ろくな言葉が出てこなかった。 「はー……」 高遠さんの深いため息に、俺の肩がびくっとすくむ。 ばん、と高遠さんの手が、机を叩いた。 俺の遺書が、くしゃりと音をたてる。 「こんな物書いて、なんで俺に告白したんだ。1か月も前の日付じゃねぇか」 「……」 「なんで答えないんだ。俺をからかうつもりだったのか?」 「そんなんじゃありません」 強ばる口の筋肉をなんとか動かして俺は否定した。高遠さんのきつい目が俺を射抜く。 「断られると思ってたから…」 「で? 俺が断らないから、お前はのうのうと俺とつき合っていたのかよ。こんなこと考えてたのなら……相談してくれれば良かったんだ」 「だって、まだ付き合い出して1か月だし…」 「1か月の付き合いじゃないだろ。その前から友達だったじゃないか」 そんなこと言われても。 高遠さんにとって俺は、数多い友人のうちの一人に過ぎなかったわけで。 俺にとっては憧れの人だったし、こんな相談ごとが出来るはずない。 「あなたに、うざい奴って思われるのが恐かった」 「……思うかよ。自分がつき合ってる奴に対して、そんなこと」 きっぱりと高遠さんは言ってくれた。 それだけで嬉しくて。 でも。 「お前、俺との付き合い、ちょっと考えた方がいいぜ」 そう言うと、高遠さんは荷物を持って、部屋を出て行ってしまった。 止める間もない。 俺は彼の言いたいことがわからなくて、呆然としていたから。 考えた方がいい、ってどういうこと? やっぱり、つき合うのはやめようって言うこと? ばたん、と玄関の扉が閉まる音が遠くで聞こえた。 のろのろと、俺は机に近づく。 広げられた白い紙。 俺の遺書。 勝手に引き出しの中を見た高遠さんを怒る気持ちなんて全然沸いてこない。 こんな物を隠したままつき合っていた俺の方が悪い。 しかも、死にたいという気持ちは今でも変わっていなくて。 いつ死のうかと、そればっかり考えていた。 だから同棲にも同意できなくて……。 ばん、と高遠さんと同じように、机にてのひらを打ちつける。そのまま遺書をぎゅっと握り締めた。 怒っていた高遠さんの顔が脳裏から離れない。 「ごめんなさい……」 遺書を握り締めて、呟いた。 *** 俺は考えた。 高遠さんとはすっぱり別れて、遠い所へ行って死のうと。 だから、大学に行って高遠さんを見つけると、まっすぐその正面まで行き、 「話があるんです。いいですか」 と言って講義をさぼらせた。 しばらく黙って俺の顔を見ていた高遠さんは、無表情でうなずいてついて来てくれた。 入学して以来、初めて来る屋上で、俺は高遠さんと向き合った。 「俺、高遠さんと別れます。つき合ってくれるなんて夢にも思わなかったから、自殺志願のこととか何も言わなくて、すいませんでした」 「ふーん……それで俺と別れてどうすんの?」 「別れて……」 死にます、という言葉をはっきりと口にするのはためらわれたが、高遠さんには何を言いたいのか伝わっただろう。 「そうか……俺を振るのか」 「え! いえ、そんなつもりじゃあ」 「つもりじゃなくても、そうだろ?」 そう…かも。 「お前はなんで死にたいんだ? 俺、生きてるくらいなら死んだ方がまし、とかいう考え方は理解できないんだよな」 そう問う声は、いつもと変わらない。 死のうと思ったのは、高校生の時だった。 それ以降、ずっと考えていた。 俺だって以前は、死ぬなんて考えたこともない、あっけらかんとした性格だったのに。 *** 高校生の頃、俺は自分がゲイであることを家族に告げた。その時つき合っていた男を紹介すると同時に。 つき合っていた男は、クラブで知り合った美容師。忙しい合間を縫って俺のわがままを聞いて家に来てくれた。 俺は、カミングアウトを気楽に考えていた。 楽天家だったし、そんな俺を育てた両親だから、あっそう、と言って気軽に納得してくれると思っていたのだ。 しかし、家族の反応は俺が考えていたものとは正反対だった。 とんでもない泥沼になった。 俺は姉と弟がいるのだが、その二人までも俺を嫌な目で見た。 そして、母親が漏らした言葉。 「こんなことになるなら、引き取るんじゃなかった!」 それは、俺がこの家の養子であると言う言葉。 その言葉にショックを受けたのは俺だけだった。 姉も、俺より年下の中学生の弟すら、俺が養子だということを知っていたのだ。 知らなかったのは、俺だけ。 家族に騙されていた気がした。 誰も、俺が養子ということを教えてくれなかったなんて……。 その後、家族全員が明らかに俺を他人扱いし始めた。今まで本当の家族だったのに、いきなり俺は貰われっ子扱いだ。 父親が、母親を慰めている姿を目撃してしまったこともある。 「あいつが二十歳になるまで辛抱だから」 と言って。 俺が二十歳になれば親権も関係ないからだ。 姉も弟も俺をバイキン扱いで、一緒に食事をするのも嫌、同じ部屋にいるのも嫌、といった感じ。 つき合っていた男も、俺が家族と泥沼の関係になっている間に逃げた。 俺も悪かったんだ。 俺だって、自分のことでいっぱいいっぱいで彼氏に構わなかったんだから。 大学に入る時だって精一杯勉強をして、ノイローゼで胃を壊したりして。 やっと家を出た。 そして今年で二十歳になる。 誕生日が来れば、俺の戸籍だけ独立させるのだ。 両親はもう役所から書類を取り寄せていることだろう。 俺に家族はいなくなる。 けど。 その前に、俺は死ぬつもりだった。 *** 話し終えると、高遠さんは神妙な顔をしていた。 俺が泣きそうな顔をしていたからかも知れない。 けれど、突如、彼の口から苦笑がもれる。 「ははっ……お前、そんなことで自殺しようとしてんの?」 「そんなこと!?」 家族に裏切られたのに。 俺が高遠さんを睨むと、彼はまだ笑っていた。 「家族なんかいなくてもさ、俺がいるじゃん。俺のこと、まだ好き?」 「え…………好き…です、が…」 「じゃ、いいんじゃない? 高校生くらいの時だったらさ、家族に冷たくされて辛いっていう気持ちもあるかも知れないけど。でも今は俺がいるんだからいいじゃないか。死ぬとか……そういうの、忘れろよ」 言いながら、彼の顔から笑みが消えていく。 その目がまっすぐ俺を見た。 「俺も、お前のこと好きだからさ。なっ」 好き……高遠さんが俺を? そんなことがあるだろうか。 「好きって……今、言いました?」 「何言ってんのお前。言っただろ、今」 呆れたような声で言われた。 それでも嬉しい。 「だから、別れる気はないからな」 はっきり、きっぱりと。 高遠さんは真剣な顔で言ってくれた。 「お前がなんで相談してくれないのか怒ってたんだよ。つき合ってるんだろ? 昔の男はお前を捨てたかも知れないよ。でも俺はわからないだろ。相談してくれよ。俺のことを支えにして欲しいんだよ」 「はい…」 ど、どうしよう。 俺はあふれてきた涙を隠すために深くうつむいた。 けど、高遠さんは近づいてきて、かがんで俺の顔をのぞきこむ。 「ちょっ……」 「泣き顔も見せろよ」 「い、いやですっ」 「いいだろ。ベッドの中では散々見せてくれたじゃーん」 にや、と笑って俺をからかう。 腕で顔を隠そうとしたところを、すかさずつかまえられた。 腕を取られて、高遠さんの顔が近づいてくる。 「んっ…」 口づけられた。 やっぱり、この人が好きだ。 俺の憧れの人だ。 遺書は昨日、破って捨てましたと告白しなくちゃな……これ以上、心配させない為に。 そしてもう二度と、遺書なんて書きませんと誓おう。 ***終*** 番外編 俺の友人の宮内薫は、ゼミ内での人気は高かった。 おとなしいし、積極的でもないんでちょっと敬遠されがちだが、優しい性格なんだってことは皆知ってるし、真面目で金にはうるさい奴だ。 一人暮らしをしているらしいが親からの仕送りもないらしく、バイトに明け暮れて付き合いが悪いと評判だし、学食で見かける時はいつも一番安いうどんを食べている。服にも金はかけないらしく、三日連続で会えば四日目には見覚えのある服を着ている。 しかし、そんなことでは俺の目はごまかされない。 宮内薫は顔がいい。男の俺が見ても、おっ、と思うような美人だ。 もっとも俺は男でもいける方なんだが。 ただ、本人のいない所であいつの噂をすれば、ほとんどの男が、 「宮内なら相手をしてもいい」 と言う。 相手をしてもいい、という言い方は非常に失礼だ。 俺は、こっちからお願いしてもやりたい、と思っていた。 その、宮内に、突然告白されたものだから、俺は驚いた。しかし、次の瞬間には嬉しくて舞い上がっていた。 宮内は友人の中でもおとなしくて、あんまり他人に心を開いていない感じがある。だから俺もちょっと避けてたんだ。 しつこくして、疎ましがられたら嫌だ。 けど、宮内は、俺が好きだと言った。 だから俺達はつき合うことにした。 つき合おうって俺が言った時、宮内の驚き方が半端じゃなかったような気もしたが、舞い上がっていた俺にはそんなことはどうでもよく……。 それが、1か月前のことだ。 つき合っているわりに、薫の態度は全く以前と変わらない。 そのことに軽く疑問を抱いてはいたのだが、まさか……自殺志願者だったなんて。 態度がおかしいから、何か隠してるんじゃないかって思って、あいつの部屋に押しかけて、寝ている間に机の引き出しを開けてみたら、見つけてはいけない物を見つけてしまったのだ。 それが、遺書。 日付は2か月も前のものだった。 俺も頭が混乱していて、そのまま薫の部屋を飛び出して来たのだ。 閑散とした講義室で、俺はぼんやりしていた。 何分、そうしていたかわからない。 声をかけられて我に返った。 「よっ、おはよう。今日は早いじゃん」 「おう」 隣の席にやって来た野田が、荷物を置きながら言った。 「どうしたんだ? なんか、疲れた顔してない?」 鋭いな、こいつ。 「いや、ちょっとな。いろいろ考えてて、寝てなくてよ」 そう。薫のことばっかり考えちゃって、寝不足なのだ。 あいつ、今日大学来るかな……。 まさか、俺が帰った後、部屋で死んでたりして。 うわぁ、また嫌なこと考えちまった……。 ぶんぶん、と頭を振ると、野田が奇妙な顔をしてこっちを見ていた。 「そんなに悩んでんの?」 「まぁなー」 「高遠がそんなに悩んでる顔は初めて見たな」 「そうか?」 「なに悩んでんだよ? 力になるぜ」 「いやー……おいそれと話せることじゃなくてよぉ。解決したら話すわ」 薫とつき合っていることは、誰にも言っていない。 薫が嫌がるかも知れないと思うからだ。 それにしても。 薫もこうやって野田みたいに、友達が悩んでたら力になるのが当たり前ってことを知って欲しいものだ。 悩みがあるなら、俺が聞いてやるのに……。 無理だろうな、とは思うけど。 俺のことが好きだから、俺の前に来ると緊張する、とか言っていたくらいだ。 「はー…」 「まっ、元気出せよ。今日飲みにでも行く?」 「そうだなー…」 「あ、宮内が来たぜ」 野田が俺にそう教えたのは、最近俺達がよく一緒にいるってちゃんと覚えているからだ。 「どこだ?」 「今入ってきたとこ。あ…こっち来る」 言われて見てみれば、薫と目が合った。 生きてて良かった。ずいぶん、悲愴な顔をしてるけど。 薫がこっちへ近づいてくる。 そして、俺の目の前に立った。 「話があるんです。いいですか」 必死なその声音が、可愛くてたまらない。 俺にちゃんと、自殺したいなんて考えてることについて話をしてくれる気になったのかな。 俺は真面目な顔をして、うなずいた。 俺の悩みは、今のところ、この自殺志願者の恋人のことだけだ。 ***終*** [*前へ] [戻る] |