短編集 この道は天国に続く 2 「家は継いでやってもいい、ただし嫁をとったら彼女に家督を譲ると言ったんだ。そうすれば一応、我が家の名は残る」 そんなの、旦那様がお許しになるはずない。 そして反対されて、お二人は大喧嘩されたのだ。 「星朝様、お家を継がれてから……自由になさればよろしいのでは」 「飛行機乗りは若い頃から訓練を積んだ方がいいに決まってるだろ!」 「す、すいません」 星朝様がずいぶんな大声で怒鳴るので、僕は身をすくませて謝ってしまった。悪いことを言ったつもりはなかったけど。 僕はいそいそと寝台を降りると、 「今夜はもう、お休み下さいませ」 そう告げて部屋を出ようとした。 扉の取っ手に手をかけた時、 「怜彩」 静かな呼ぶ声に振り返ると星朝様は寝台から身を乗り出して僕を見ていた。 「怒鳴って悪かった。八つ当たりしちまった」 「はい。わかってます。ゆっくりお休みくださいね」 僕に嫌われるのが恐い、不安げな顔に、僕は笑みを向けて優しく告げた。 何があっても嫌うはずないのに、というおかしさからも笑いがこみあげてくる。 僕は静かに扉を開けて、閉じた。 星朝様はそれからずっと、旦那様と喧嘩をしていた。 そしてとうとう、星朝様の18の誕生日の前日。 僕は先に年を取り、16になっていた。 昼頃に、お部屋へお茶を運んだ僕はまたそこで星朝様と抱き合って、口吻けを交わし、その後、星朝様は僕をきつく抱き締めたまま耳元で囁いた。 「怜彩、一緒に逃げよう」 その言葉の意味を理解できず、僕は呆然とする。 僕の返事がなくても、星朝様は続けた。 「今夜、零時、第2裏門で待ってる」 「え…?」 「一緒に逃げよう。海外へ行って、1から始めるんだ。俺達、恋人として。俺は飛行機乗りとして」 「せ、星朝様…っ」 僕はぐいと星朝様を押しやるとその顔をまっすぐに見つめた。 「なぜそんなこと…! 駄目ですよ!」 「怜彩は俺と一緒になることだけ考えてろよ。お前が俺を拒み続けてるのは、身分違いが恐いからだろ? 逃げて、一緒になろう!」 「だ、駄目…です……だって星朝様は大事な方なんだから」 星朝様が今の身分でなくなるなんて、僕には考えられなかった。 身分違いが恐くて拒み続けているけれど、星朝様が僕と同じ身分になったとしても受け入れられない。僕の中では、やっぱり星朝様は星朝「様」なんだから。 戸惑ってばかりの僕に、星朝様は念を押す。 「零時、第2裏門だからな」 その後、有無も言わさず星朝様は僕を部屋の外へ押し出した。 僕が来ないなんて、星朝様は疑ってもいなかったのだ。だから返事も待たずに僕を追いやったのだ……。 その夜、僕は恐れるあまり部屋から出られず、そして星朝様は姿を消された。 翌朝、いつもの刻限にお部屋へ起こしに参ると、星朝様の姿はなく、僕はその場で卒倒しそうになった。 星朝様の姿はすぐに見つかった。 お屋敷から10キロほど離れた山奥で、車が崖から転落して燃えかすとなったのが見つかり、そこから出てきた男性らしき死体が星朝様のものだったのだ。 死体はあまりに惨いものだったと言う。灰になる寸前にまで綺麗に焼け焦げ、人間とは思えない状態で、旦那様以外の血族の方、使用人にまで、死体となってしまった星朝様との対面は禁じられた。つまり、旦那様以外の人は死体を見せてもらえなかったのだ。 旦那様は警察に言われて死体の確認へ行かれたのだけれど、見た目では星朝様とはわからなかった。 ただ、事故に遭った車は星朝様の物で、崖から落ちた際に窓から転がり出たと思われる荷物も全て星朝様の持ち物であり、焼死体の歯形が専属の歯科医のもとに保存されていた星朝様の歯科的治療痕と一致した。 旦那様からじきじきに使用人に対してその説明があった時、女性が何名か失神し、僕もその場で力を失って座り込んだ。 お葬式ではお顔も拝見できず……僕の脳裏には、星朝様が僕に「一緒に逃げよう」とおっしゃった時の必死のお顔がぐるぐると回っていた。 あれが、あれが……最後に言葉を交わした時になるなんて。 事故があった崖は、山を下ればすぐ港町だった。そこへ、お一人で行こうとされたんだ……。 厩で一晩、泣き続けた僕は翌朝、目が腫れてしまって侍女頭に怒られた。気持ちはわかるけれど、使用人がしっかりしていなければ旦那様や奥様の生活に支障があるからと。 僕はその日、旦那様の側仕えのお役目を頂いた。 仕えていた星朝様がいなくなってしまったから。 旦那様は星朝様が亡くなってから、明らかに落ち込んでいた。 星朝様をとても愛してらしたんだ。 飛行機乗りになることを許していれば、と旦那様はことあるごとに口にされるようになった。 許していれば家出することもなく、幸せに生きていただろうに……と。 僕は誰にも言えなかった。 星朝様が家出されたのは、飛行機乗りになりたいという夢のせいもあったけれど、僕と一緒になるためでもあったんだって。 旦那様が、飛行機乗りになられることを、反対しなければ。 そして僕が、星朝様を受け入れていれば。 そうすれば、あの方は身分を捨てて逃げようとはせず、事故にも遭わなかったのに。 *** 旦那様の側仕えを命じられた朝、さっそくお部屋へ行った。 寝室の扉を軽く叩き、廊下から声をかける。 「旦那様……?」 「もう起きておる。珈琲でも持って来い」 低い声がすぐに答え、僕は驚いて引き返した。 珈琲の仕度をしようとすると、朝食の仕度をしていた給仕女達が僕を見咎める。 「ちょっと、カップをひとつしか持って行かなくていいの?」 「え?」 「交鐘様がご一緒じゃなかったの?」 どぎまぎしてカップをふたつ用意すると、その様子を見ていた他の給仕女が、 「寝室に交鐘様がいらっしゃることもあるから、カップは毎朝あらかじめふたつ用意しておくといいわよ」 と教えてくれた。 今までは交鐘が用意していたんだろうに……と思ったら、寝室の前で服をきちんと着た交鐘が僕からお盆を受け取り、それを交鐘の手から旦那様にお渡しするのだった。 寝室の前でお盆を取られ、ばたんと扉を閉められてしまった。 星朝様がいらっしゃらないのなら、僕は何のために生きているのかわからない。 星朝様が僕を雇って下さったから、だから頑張って仕事をしてきたのに……僕は何のためにここで働いているんだろう。 もう、母さんに対する恩も何も、感じられない。 何も、生きている意味さえも、感じられなかった。 その日の夜。 交鐘が久々に家に帰って来た。 「旦那様が…今夜は一人で眠りたいとおっしゃって、僕は追い出されたよ」 そう言って交鐘は薄く笑ってみせたけれど、僕も彼も、旦那様の心中を察して身を切られる思いだった。 ずっと側に置いていた交鐘さえも追い出して、旦那様はお一人になりたかったんだ。今頃、お部屋で泣いていらっしゃるのかも知れない。星朝様のことを思い出しながら。 交鐘も乳兄弟の星朝様が亡くなったからか、やつれて顔色が悪かった。帰って来るとすぐ自室にこもってしまったくらいだ。 僕も食事が喉を通らず、早々と部屋へこもった。 一人になると星朝様のことしか考えられない。 泣きすぎたせいで今日一日、頭痛がおさまらなかったのに、また涙はあふれてきてしまう。 愛していると、何度も告げて下さった星朝様……。 寝台で丸くなり、自分の膝に額を押し当てて僕は泣いた。泣き声が廊下へもれると母さんが心配するから、今日は声を殺して泣いていた。 その時だ。コンコンと控えめに扉を叩く音がした。 慌てて涙を拭いながら寝台を降りると、静かに扉が開いて母さんが顔をのぞかせる。 「怜彩……ちょっと、いいかしら?」 「はい」 泣いていたのには気づかれてしまっただろうから、そう答えると母さんはすぐ部屋に入り、扉を閉めた。 そして寝台に腰かけている僕に近づくと、一通の封筒を渡してくれる。表面に「怜彩へ」とそれだけ書かれた封筒。その文字に見覚えがあるような気がして、一瞬くらりと視界が歪んだ。 まさか、そんなわけない……。 ところが。 「星朝様が、自分に何かあったら誰にも知られずに怜彩に渡すようにと。何かって……まさか、あんなことになるなんて……」 母さんが遠慮がちにそう言った。 やっぱり、星朝様の手紙なんだ……! 僕は目を見開いて「怜彩へ」という文字を凝視してしまう。けれど、すぐに涙で目が見えなくなった。 用を済ませると、母さんはあとは何も言わずすぐ部屋を出て行ってくれた。 そう。母さんには悪いけれど、この手紙は一人で読みたい。すぐに封を切り、中に入っている手紙を取り出した。 『怜彩へ お前がこの手紙を読んでいるということは、俺の愛はお前に受け入れられなかったということだな。 でも俺はお前を恨んだりはしない。 生涯、お前を愛している。 この手紙を読んだら、零時に、よく遊んだボート小屋へ来い。 お前に見せたいものがある。 俺の愛の証だ。 一生、愛しているよ。 星朝』 読んでいる途中、何度も涙で文字が見えなくなり、何度も何度も目元を拭って読んだ。 星朝様はこれを書きながら、僕がこの手紙を読む時、ご自分は海の向こうにいることを想定していたんだろう。 行方不明になった星朝様を僕が心配することも、ちゃんと知っていたから、こうして手紙を残して下さったんだ。 僕は何度も手紙を読み返した。 零時が来るまで、何度も、何度も。 だって、思い返せば、星朝様が僕に形として残して下さったものは、これだけなんだ。 僕の心の中にはたくさんのものを残して下さったけれど、確かな形あるものは、この手紙……遺書となってしまったこの手紙だけ。 手紙に涙が落ちてしまうと、慌てて布の間に挟んで水分を拭き取ったりした。 一生、この手紙を大事にしよう。 星朝様のことを、僕も一生、愛している……。 *** 零時になると、僕はカンテラを持って家を飛び出した。 胸ポケットにしっかり、手紙を入れて。 馬に乗ってボート小屋へ行く。星朝様が旦那様と喧嘩されてからは、なんとなく湖畔へ行くことはなかった。 星朝様はもう、ボート遊びで喜ぶようなお年じゃなかったからかも知れない。 半年ぶりに見るボート小屋。 ここでよく遊んだ幼い日々を思い出す。そして、ここではよく抱き合って口吻けをした。 なぜ拒み続けてきたんだろう。 身分違いなんて……それでも、こんなに僕の中に、星朝様への愛があふれているというのに。 ボート小屋の前で僕はまた泣き出してしまい、涙を拭いながらそっと扉を開けた。 星朝様が僕への愛の証として、残して下さったもの。それを、はっきりこの目で見ようと、涙をぐっと堪えて目をみはった。 古びた小屋には似合わない、新しいボート。 それから……それから……。 背後でぱたんと小さな音をたてて扉が閉まった。風のせいだろう。僕は後ろを振り返って確かめる余裕なんてなかった。 なぜなら。 ボートの前に、立っているんだ。 僕がかざしたカンテラの明かりの中に、星朝様のお優しい笑顔が見えるんだ。 これは幻なのか。 星朝様が僕に残してくださったもの……って…… 「怜彩!」 はっきりと、幻の星朝様が僕を呼んだ。 頭が混乱して、足がすくんで全く動けない僕に、星朝様の方から近づいて来る。そしてその手がしっかりと僕の両肩をつかんで引き寄せた。 どすんと星朝様の胸の中に倒れこんでしまう。 温かい。 とても、温かい……。 「せいちょう、さま…!!」 カンテラを持たない方の手を背中に回して僕もしがみついた。ありったけの力で、星朝様にしがみついた。 星朝様だ。 星朝様だ! 星朝様がいらっしゃるんだ! 何がなんだかわからないけど、もともと星朝様が亡くなって以降、僕の頭は正常じゃなかった。 今はただ、目の前の星朝様にしがみついて泣きじゃくっていたかった。 だが、次の瞬間、後ろから何者かに羽交い締めにされ、口元をハンカチで覆われた。 ハンカチからつんとしたアルコールの匂いが漂う。それを感じた途端にがくんと体から力が抜けた。意識もすぅっと遠ざかってしまう。 カンテラががつんと音を立てて落ちた。 一体、誰……? この袖口、見覚えがある……もしかして、交、鐘……!? そして、意識が途絶えてしまった……。 「綺麗な寝顔だ」 ぼそぼそと誰かがそう言った。 「可愛いな」 そう言う声がして、すっと頬を誰かの指がなぞる。 一体、誰? 意識はぼんやりしていて、目を開けることが出来ない。 頭が重くて辛い。 もう一度、寝てしまおう……。 次に目覚めた時、僕はまだ、意識が霞がかったようになっていた。 真っ先に視界に入って来たのは星朝様で、 「気分はどうだ?」 と笑いかけてくれたので、僕もわずかに笑んで答える。 「なんともありません」 「良かった。もうすぐ夜が明けるぞ。もう少し寝ていてもいいぞ?」 「いいえ…もう……」 充分に寝たと思う。 僕はゆっくりと寝台に起き上がった。星朝様は僕の隣で寝てらして、続いて体を起こされた。 その手が僕の顔へのび、いとおしそうに前髪をかきあげ、耳の後ろへと撫でつける。くすぐったくて微笑むと星朝様も嬉しそうな笑みを浮かべた。 まるで甘ったるい恋人達の朝のよう。 そう思ったのだけれど、その瞬間に僕は、僕達が恋人同士ではありえないことを思い出してしまった。 はっと顔を強ばらせると星朝様もすぐその僕の変化に気づいて、きゅっと表情を引き締める。 「星朝様……星朝様、ですよね?」 「そうだ。最高の贈り物だろ?」 「そんな…おどけて、おっしゃって……! だって、亡くなったのに! 亡くなられたはずなのに!」 「ああ。それも、お前との逃亡のための計画の一端だったんだ」 星朝様は寝台を降り、扉へ向かって、 「交鐘、怜彩が目覚めたぞ」 と声をかけた。すぐに扉が開いて交鐘が入ってくる。隣の部屋とは続き部屋になっているらしくて、扉が開いた時にちらりとあっちにも寝台が見えた。 交鐘……やっぱり、気を失わされた時、見覚えのある袖の服だと思ったけれど、交鐘のものだったんだ。 「無理やり連れて来て、悪かった。また拒まれたら、俺はもう生きていけないんでな」 星朝様はおどけてそうおっしゃった。 でも一度、死んでいるんじゃ……なんて思ってしまったのは、僕は星朝様が生き返られたと思っていたからだった。 でも違う。 「死体は、俺じゃない他人のものなんだ。身寄りがなくて、俺と同じ年齢で似たような身長体重で俺と同じく健康な男を見つけて、身替わりにした」 「身替わり…って…」 恐ろしいことだと思うが、しかし星朝様が生きていらっしゃると知った僕には、誰の命より星朝様の命は大事なものだった。 「僕があの男を見つけたんだ」 交鐘がそう言った。 「そう。で、秘かに仕事を頼みたいと言って近づいた。誰にも言っちゃいけない、って言ってボート小屋の掃除を頼んだのさ。2か月前に。もしあいつが誰かに、俺に仕事をもらったことを話していたとしても、誰も信じないだろうし、俺が知らないと言えばそれで済む」 確かに、そうだ。 貴族の嫡男である星朝様が、直々に、秘かに仕事を頼みたいって言ってきたなんて、一般の人は信じない。 「程良く愚かな男だったな」 冷淡に交鐘がそう言い、星朝様もうなずいた。 星朝様は寝台を降り、扉へ向かって、 「交鐘、怜彩が目覚めたぞ」 と声をかけた。すぐに扉が開いて交鐘が入ってくる。隣の部屋とは続き部屋になっているらしくて、扉が開いた時にちらりとあっちにも寝台が見えた。 交鐘……やっぱり、気を失わされた時、見覚えのある袖の服だと思ったけれど、交鐘のものだったんだ。 「無理やり連れて来て、悪かった。また拒まれたら、俺はもう生きていけないんでな」 星朝様はおどけてそうおっしゃった。 でも一度、死んでいるんじゃ……なんて思ってしまったのは、僕は星朝様が生き返られたと思っていたからだった。 でも違う。 「死体は、俺じゃない他人のものなんだ。身寄りがなくて、俺と同じ年齢で似たような身長体重で俺と同じく健康な男を見つけて、身替わりにした」 「身替わり…って…」 恐ろしいことだと思うが、しかし星朝様が生きていらっしゃると知った僕には、誰の命より星朝様の命は大事なものだった。 「僕があの男を見つけたんだ」 交鐘がそう言った。 「そう。で、秘かに仕事を頼みたいと言って近づいた。誰にも言っちゃいけない、って言ってボート小屋の掃除を頼んだのさ。2か月前に。もしあいつが誰かに、俺に仕事をもらったことを話していたとしても、誰も信じないだろうし、俺が知らないと言えばそれで済む」 確かに、そうだ。 貴族の嫡男である星朝様が、直々に、秘かに仕事を頼みたいって言ってきたなんて、一般の人は信じない。 「程良く愚かな男だったな」 冷淡に交鐘がそう言い、星朝様もうなずいた。 「逃げ出す前夜、あの小屋でお前に使った薬と同じ薬で男を気絶させた。気絶したあいつを車の運転席に乗せて、うまくアクセルに体重がかかるような体勢にして崖から落としたんだ。ブレーキ痕がないから警察は自殺に思ったんじゃないか?」 僕は問われて首を左右に振った。 「そこまでは…聞いていません」 「旦那様が隠したんだ」 交鐘が横からそう教えてくれた。 そうか……星朝様が自殺したなんて、旦那様にはとてもお辛い事実だったろう。だから隠したんだ。それと、貴族としての体面というやつも、あったのかも知れない。 「事故の後、俺は崖を下りて車にガソリンを撒いて、徹底的に燃やしてやった。死体は判別が出来ないように。あと、荷物なんかは外に放り出しておいて、身元が特定しやすいようにして」 「でも…死体の歯科的治療痕が星朝様と一致して……」 「僕が記録をすりかえた」 その声に振り返ると、交鐘が迷惑そうな顔をしながら続けて言った。 「旦那様の使いと称して、歯科医に近づいてな。僕が探してきた身替わりの男は、星朝と同じ歯科医にかかってたんだ。カルテも歯形も、全部すりかえた」 骨を折ったのは星朝より僕だ、と言いながら交鐘は軽く星朝様を睨んだ。得意げに計画の全貌を語る星朝様がちょっと憎らしかったらしい。 睨まれた星朝様も交鐘の言葉を慌てて肯定する。 「ああ、交鐘がいろいろ手伝ってくれたんだ。もしお前が俺との約束通り、零時に来て一緒に逃げてくれたら、交鐘がお前の辞表を旦那様に渡して、試衣を説得してくれるはずだったしな」 「僕の辞表?」 「わざわざお前の筆跡を真似して書いたんだぜ」 「そうだよ。僕はこれから屋敷に引き返して、辞表を旦那様に渡す役目」 僕は複雑な思いで交鐘を見た。 僕はこいつが嫌いだったんだ。それに、交鐘も僕のことを疎ましがってると思ってた。 視線に気づいた交鐘は、僕に向かって言う。 「僕は別に、お前のことを嫌いじゃない」 「え…」 「星朝がお前と一緒になりたいって言うんだ。俺は応援するしかない」 そしてちょっとだけ間を置くと、ふいっと視線を逸らして、 「幸せになれよ」 そう言って頬をわずかに赤らめた。 僕はそのはにかんだ交鐘の表情の綺麗さに、思わず心臓がはねてしまう。 嫌いだと思ってたのに、子供の頃されたいろいろな意地悪も、全部忘れてしまった。 星朝様と僕のために、こう言ってくれたんだから。 「ありがとう」 「ああ」 僕達、兄弟なのに、こうして初めて心を通わせることができた気がした。 「俺はお前が、約束通りに零時に来ない可能性なんて、ちゃんと計算してたぜ」 完全に夜が明けるまで休むと言って、交鐘が部屋を出て行った後、星朝様はそう言った。 「でも俺のことを愛してくれてるのは、ちゃんとわかってた。今回の件で、俺への愛を自分でもちゃんと自覚できたろ?」 「はい……僕、もう死んでしまいたい気持ちでした」 「ごめんな。でも俺は絶対、お前を放さないつもりだったから。死んでも放さない、なんてな」 「ひ、ひど…。どれだけ泣いたと思ってんですか」 「約束を守ってたら、ちゃんと計画を教えてやってたのに。あの夜、お前は来なくて、俺はやっぱりなって思ってた。お前はやっぱり、俺との愛を突き進むのが恐いんだなって」 「…………はい」 「今日も、逃げられたり騒がれたら困ると思って薬使って気絶させたりして、ごめん」 ぎゅっと抱き締められて、僕は安堵のあまり涙が出た。 もう、こうして星朝様が生きてくださってるだけで、いい……。 「愛してる」 そして口吻け。 今までで一番、甘くて幸せだった。 「いいだろ?」 そう言いながら星朝様は僕の服を脱がそうとなさった、けれど。 「い、いや…です……隣に交鐘がいるし」 「あいつは気にしないよ」 「い、いやっ…! 初めてするのにっ」 僕がそう言い張って抵抗すると、星朝様は「そうだな」と言って手を止めた。 「お前の初めての時の声を、あいつに聞かせるのも嫌だしな」 改めてそんなふうに言われると、恥ずかしくて顔に血が昇ってくる。 そうこうしているうちに、夜は明けていった。 *** 僕が気絶している間に連れて来られた場所は、港がすぐ目の前の宿だった。 それにどの船に乗るのか、手配は全て交鐘が終えてくれていた。 「元気でな」 「気をつけて」 幼馴染みで兄弟の二人が、固く抱き合って別れを告げるのを、僕は見守っていた。 すると星朝様と体を離した交鐘が、僕までも抱き締めてきた。驚いて一瞬強ばってしまうけれど、おそるおそる僕も背中に腕を回す。 だって、これで最後なんだ。 「星朝と幸せにな」 「う、うん」 「僕の兄弟達が一緒になって、正直、嬉しいんだ」 「うん…」 初めて交鐘を愛しいと思った。 僕のことまで、兄弟と言ってくれて、それに僕達を祝福してくれるのは彼だけなんだ。 「いろいろ、ありが…と……」 「泣くな。母さんのことは、僕が全部面倒を見るから。何か伝言はあるか?」 「ご、ごめんなさいって…」 「それだけでいいのか?」 「あ、ありがとうって…」 「わかった」 交鐘はにっこりと笑って、請け負ってくれた。 船は星朝様が乗るなんてとんでもないくらい、ぼろっちかった。乗船料も安い。 でもこれからは、僕達は身寄りのない二人旅で、星朝様は貴族じゃないんだ。貧乏な生活も耐えて行かなければいけない。 やっぱり、星朝様にそんな惨めな生活を送らせるのがとても辛い。 しかし当人は楽しげだ。 「こんな船じゃ、個室って言っても隣に声が洩れるだろうな。やっぱりここじゃ嫌?」 「せ、星朝様、そんなこと…」 そんなこと考えてらしたんですか、と言おうとした口を手でぐっと塞がれてしまう。 「様、じゃないだろ」 「は、はい。すみませ…」 「敬語もなし」 「えっ」 それは、無理。 星朝様に普通に口をきくなんて、無理だ。 そう言うと星朝は苦笑して、 「お前の方がこれから大変そうだな。じゃ、お前が敬語をやめなきゃ、俺も敬語を使ってやる。怜彩様、今夜のお食事は携帯食ですが、我慢なさって下さいね?」 「駄目ですっ、そんなの、駄目っ」 「え、携帯食は嫌か?」 「違います。やめて下さい…僕に敬語なんて」 「じゃあ、怜彩も敬語はやめろよ。不審だろうが。それに俺達、もう対等な恋人だよな?」 まっすぐに目を見つめて言われ、僕はどぎまぎしてしまった。ついさっきまで冗談を言っていたのに、星朝様のお顔が急に真剣になるから。 「はい、恋人…………だよ…」 「うん」 星朝様はきれいに笑って下さった。 つられるように僕も笑う。 こんなに大事にして下さる星朝様を、僕もこんなに愛している。 きっと、幸せになれる。 そう思った。 **終** [*前へ] [戻る] |