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短編集
この道は天国に続く 1
僕の仕える主人のお葬式では、旦那様のご厚意で僕達使用人も末席で参加することが許されていたのだが、参列者の中では僕が一番泣きじゃくっていた。あまりに泣くのでその声が旦那様のお耳に障ってはいけないと、執事の仲見(チュウケン)さんに厩に追いやられてしまったくらいだ。
主を失って普段よりも薄暗く感じる厩にうずくまり、僕は大声をあげて泣きじゃくった。
僕の主人は旦那様の一人息子の、星朝(セイチョウ)様だ。
けれど、僕達は主従の関係を超えて愛し合っていた。僕はとてもとても星朝様を愛していたけれど、身分違いに恐れおののいてずっと星朝様の求愛を拒んでいたんだ。
こんなことに、なるなら……!
愛を受け入れていれば良かったのに……!!

そんな後悔を抱えているのは僕だけではなかった。旦那様も、大きな後悔を抱えていらっしゃるはずだ。
 星朝様の飛行機乗りになりたいという夢を、反対さえしなければと、旦那様も後悔していらっしゃると思う。

「星朝さま……星朝さまぁ……」
僕は辺りが暗くなり、夕飯の時間になってもそこで泣き続けていた。使用人頭である執事の仲見さんが気をきかせて、僕をほったらかしにしてくれたに違いない。
翌朝まで、僕はそこでうずくまっていた。



 ***


僕の母は使用人で、給仕女を勤めていた。
母が死んで施設へ放り込まれるところだったのを、星朝様が、家で雇えばいいじゃないかと言ってくれたんだ。
僕はその時、まだ5歳だった。星朝様は7歳で。
僕は早速、星朝様の乳母である試衣(シイ)母さんに引き取られ、彼女の実の子供であり星朝様の乳母兄弟でもある交鐘(コウショウ)と共に育てられた。
交鐘は類希な綺麗な顔をした奴だったけど、星朝様の乳母兄弟であることをことあるごとに自慢げに振る舞うこいつが僕はキライ。
星朝様は幼馴染みだから別に気にされてはなかったようだけど。
それから、僕は学校には行けなかったけれど星朝様のお下がりの教科書なんかを貰ってこっそり勉強しながら働いた。僕の仕事は掃除夫で、母さんよりずっと低い身分の仕事だったけれど満足だった。
僕と交鐘の身分も全然違うものだったけれど、星朝様は分け隔てなく接してくれたんだ。
 なにしろ僕を使用人に雇ってくれたのは、星朝様なんだから。
僕にとっては一番大切なご主人様だった。

「怜彩(レイサイ)、ボート乗りに行こうぜっ」
って、いつも僕を誘いに来てくれる。
いつも星朝様と交鐘と僕、3人で広大なお庭で遊んでいた。
でも僕は二人よりも2つ年下だったから、置いて行かれることもある。例えば、二人が馬で遠駆けする時は連れて行ってもらえない。

「行きたい〜」
そう言って、愛馬を連れて歩く星朝様の袖を引くと、横で交鐘が自分の馬を引きながら、
「怜彩はまだ馬に乗れないだろ」
冷たい声でそう言う。
星朝様も、
「俺達まだ誰かを一緒に乗せてやれないしな」
と残念そうに言うのだ。
 そして二人が駆けて行くのを見送っては、落ち込んで家に帰った。二人とも、朝早くから出かけて行き、昼には戻って来てくれたんだけども。
そして僕もそれから2年過ぎる頃には乗馬を教えてもらえるようになった。
星朝様は学校へは行かず、一週間のうちの5日間、1日6時間、家で様々な分野の家庭教師から学問や音楽を教わっていた。
その間は、僕達は仕事をするのだ。
交鐘の仕事は星朝様の補佐をすることだから、あいつはいつも星朝様と一緒に家庭教師の授業を受けていた。
僕はどうして駄目なの、と小さい頃に母さんに泣きついたこともある。
仕方ないんだ、と言われた。
星朝様は雲の上のお人で、交鐘は運良く星朝様とほとんど同じ時期に産まれたから乳兄弟としてお側近く仕えることを許されたんだから、って。

或る日、僕がまた母さんの胸でわんわん泣いた後、一人で庭の奥の方……多分、今思えば子供の足で行ったんだから大して奥ではなかったんだろうけど……林の中でしゃがみこんで落ち込んでいると、がさっと背後に人が立つ気配がした。泣いていたのでかなり近づいて来るまでわからなかったらしい。
振り返ると僕の嫌いな交鐘がいて、僕はぷいっとまた前を向いてしまった。
交鐘は構わず僕に向かって言う。
「おい、お前があんまりわがままだとな、母さんは育児の能力がないって思われて、身分を格下げされちゃうんだぞ。乳母だから」
その言葉で、僕は、泣いちゃいけないんだと知った。
わがままも、言ってはいけないんだ、って。
僕を引き取ってくれた母さんは、本当のお母さんみたい優しくて、僕は大好きだ。母さんは出来ない人だって、他の人に思われるのは嫌だ。
「僕……わがまま言わない」
泣き虫もやめる。だって嫌いな交鐘に負けるような気がするから。
交鐘が家庭教師に誉められているのを僕は遠くから見てたこともある。星朝様と同じくらい、筋がいい……そう誉められていた交鐘が羨ましくて仕方がなかった。
交鐘に負けるもんか。絶対、交鐘よりいい子になるんだ。
子供の頃、僕はただそう思っていた。


星朝様と僕、二人だけでよく遊ぶようになったのは、星朝様が15歳になられた頃だった。
交鐘はなぜかその頃、旦那様の側仕えに変わったのだ。
なぜかなんて、本当は僕、知っていたんだけれど……。
旦那様は、男色も貴族のたしなみだと堂々とおっしゃるような方だったから。
綺麗な綺麗な顔をした交鐘が、旦那様の側仕えに変わって、夜になっても家に帰って来なくなった時、僕は男色という言葉の意味をやっと、なんとなく理解した。
旦那様はお忙しい方だし、僕なんかにとっては星朝様よりもっともっと雲の上の方だ。遠目に見る旦那様のお側に、交鐘がいるのを見るのは、写真を見るかのように遠い出来事だった。


星朝様と僕は二人で、馬で遠くへ駆けたり、ボートに乗ったり、本を読んだりチェスなどのゲームをしたり、毎日毎日、二人きりで遊んでいた。
二人でいることが自然になっていって、僕は交鐘のことは忘れかけていた。だって、あいつは仕事で外国回りをする旦那様といつも一緒で、家にもほとんど帰らないんだもん。あいつの家は、お屋敷の中の旦那様の隣の部屋になったのだと、星朝様もちらりとおっしゃっていた。


 ***

星朝様が初めて、お庭の湖畔のボート小屋で僕に告白をしてくれたのは、それから1年後だった。
馬で湖畔まで行き、ボートを出して二人で水遊び。僕のお気に入りの遊びだったけど、その頃もう16になられる星朝様には子供っぽくて退屈な遊びだったかも知れない。
或る日、いつものようにボート小屋で僕は真剣にボートの点検をしていた。一緒に点検していた星朝様はどこか上の空な目をボートの表面に漂わせている。
そしてたまに、僕をちらりと上目遣いで見るんだ。
「星朝様……どうか?」
「い、いや……。あ、ボート、新しい物を作ろうか」
「えっ、本当ですか?」
僕は目を輝かせた。
「ボートを作るのですか? 僕達二人で?」
「いや、違うよ」
星朝様は苦笑して、
「ボートは注文して作らせるんだ。怜彩の好きな形の物にしよう。エンジンが付いてる大きな物でもいいよ」
「ええー、やったぁ!」
僕はわくわくと本で見た船をいろいろ思い描いた。
お庭の湖は大きくて、一番長いところが直径3キロ。僕にはそこが、海に見えていた。
だからどんな船でも大丈夫だと思ったんだ。
けれど、やっぱり目の前の古びたボートに目を落とすと、これで星朝様と、あと交鐘と遊んだ思い出が思い起こされる。
「僕、これと同じボートがいいです」
顔を上げて星朝様の顔を見て言うと、星朝様も微笑んでうなずいてくれた。
「新しいボート、楽しみです」
「良かった。今日はボート遊びはやめて、ここで少し休んでから帰ろうか」
「え? あ、はい」
星朝様はそっと立ち上がると、ゆっくり僕の背後へと回った。何をするのかな、と思いながら僕は首を回してその動きを見守る。
すると星朝様は僕の真後ろで立ち止まって、すとんとそこに座り込んだ。僕を、大きく開いた両足の間にはさむようにして。
星朝様はそのまま僕をぎゅっと抱き締めて下さった。
僕は嫌じゃなかったし、理由も聞かずしばらくそうしていた。首を戻して前を向くと、うなじに星朝様の吐息が触れる。なぜだか、それを感じた途端、どきりと心臓が高鳴った。
「せ…星朝、さま。どうされたのですか?」
「嫌か?」
「いえ、ぜんぜ…ん…」
語尾が小さく消えていってしまう。
星朝様の腕がさらに強く、僕を抱き締めたからだ。そしてそのまま、星朝様の頭が僕の肩に乗って、後ろから頬と頬をすり合わせてくる。
僕がどきどきしちゃってるの、星朝様に感じられちゃってるだろうなと思ったら、僕は、僕より大きく心臓が跳ねている感じに気付いてしまった。背後の星朝様は、僕よりずっと心臓をどきどきさせていたんだ。
どうして?
なんで、そんなにどきどきしてるの?
緊張しながら僕はじっとしていて、星朝様もしばらくそのままの体勢でいた。
僕を抱き締めている腕の力は、緩むことはない。
「怜彩」
どのくらいの時間が経ったのか、わからなかった。
沈黙していた星朝様がふと僕の名前を呼んだのだ。
僕は緊張して、
「はい」
とだけ答えた。
ふーっと星朝様が息をつく。何をそんなに、緊張していらっしゃるのか……。
「怜彩、好きだ」
びく、と心臓が止まった気がした。
どうして、そんなことを言われるのか全くわからなくて。
だってその時、僕はまだ14歳だったし……まぁ同い年の使用人仲間に言わせると「奥手」だったそうなんだけど。
とにかく僕は、星朝様の言いたいことをその時、ちゃんと理解していなかった。
「僕もです」
あっさりとそう僕が言った時、星朝様は首を曲げて僕の方を見た。僕も星朝様を見る。
あれ、星朝様の目が、少し赤くなっていらっしゃるような気が……。
 僕がそれに気を取られていると、星朝様はまた驚くようなことをおっしゃった。
「じゃあ、口吻けてもいいか?」
「えっ」
「嫌か?」
「……」
星朝様がすごく緊張しておられるのを、僕は感じていた。
僕はその時、自分の本当の気持りよりも、幼い頃から決められていた僕の使命に、身を委ねた。
つまり。
星朝様の言うことになら、なんでも従う、という僕の使命に。

「いいですよ」
そう言った僕に、星朝様は笑顔を見せて、そっと優しく、羽が触れるような口づけをした。



その一件以来、二人きりで誰も見ていない場所へ行くたびに、星朝様は好きだと言って、僕を抱き締め、優しい口吻けをした。
僕はなんだか違和感を感じていた。
僕が星朝様を好きと思う気持ちとは、違う気持ちを星朝様は持っていらっしゃるみたい……。
それに……それに、もう16歳なのに星朝様はご婚約もまだなんておかしい、と使用人が口々に言う。

僕は何気ない素振りで食事の時に母さんに聞いてみた。
「星朝様はそろそろご婚約されるの?」
すると母さんはふと眉根を寄せて、
「それはお前が気にかけることではないでしょう」
と厳しく言った。
でもすぐ、ふぅと吐息すると、眉間のシワは消して僕を見る。
「お前は星朝様の遊び相手だから、仕方ないでしょうね。そうよ、もう婚約していておかしくない、いいえ、婚約していなければいけないお歳なのよ」
「でも…まだ……」
「そうよ、まだ決めていらっしゃいません。でもあなたが気にすることではないのよ。決して、星朝様にそのようなことを尋ねてはいけませんよ」
「はい」
厳しい口調でさとされてしまった。
けれど、母さんには言えないけれど、婚約者をお決めにならないのは僕が関係しているかも知れない。
母さん、もし僕のせいで星朝様がご婚約されないのだとしたら、僕はどうすればいいのかな……?



星朝様はもともと、変わってらっしゃると言われていた。そう言うのは使用人の中でも特に身分が高い侍女の方々。
どのように変わっていらっしゃるのか僕にはわからない。
或る日、僕がお屋敷の使われていない部屋を掃除していると、極力足音を消した走り方をする音が聞こえてきた。その走り方をするのは侍女の方達だ。
 僕もお屋敷を走る時はそうするように教えられてはいたけれど、お屋敷内を走っていいのは旦那様の血族の方や、火急の用を言いつけられた時の執事や侍女などの側仕えだけ。
小さな足音だけで素早く駆けて来た侍女が、僕を見つけると近づいて来ながら声をあげた。
「怜彩っ!」
「は、はいっ!?」
「怜彩、すぐに星朝様のもとへ行って差し上げて」
「え?」
きょとんとしていると、僕の目の前まで来た侍女がはぁはぁと息を整える。
「星朝様が旦那様と喧嘩なさって、荒れてらっしゃるの。掃除はいいから、お側に…」
「はいっ」
僕はいつの間にか、侍女達にも星朝様の側仕えとして認められていたらしい。多分、彼女が僕を呼びに来たのは独断だ。口ぶりがそんな感じだった。
 星朝様が僕を呼んでいるなら、「星朝様がお呼びよ」って言うんだから。

荒れていらっしゃると聞いて、僕は心配だった。
喧嘩をして外に飛び出して、どこに行かれたかわからないって言うから、とりあえず厩に行くとやっぱり星朝様の愛馬がいない。
星朝様は一人になりたいはずだ。お行きになる場所はなんとなくわかる。
僕も馬を出すとすぐに駆け出した。


果たして、星朝様は僕の予想通りの場所に一人でいらした。
湖畔の古いボート小屋だ。
ボートは始末させてしまったから、新しい物が届くまで湖では遊べなくて、しばらくボート小屋には近づいていなかった。
僕が中に入ると、星朝様はぼんやりと遠くを見つめてらしたんだけど、ぱっと僕を振り返った。
「怜彩」
笑みを浮かべてはいたけれど、星朝様のお顔はどこか浮かない。
「星朝様…あの…」
「どうしたんだ」
「あの…旦那様と…」
「ああ、親父と喧嘩したって話?」
「お、やじ…?」
そんな乱暴な言い方をなさるのに驚いて、僕は絶句してしまった。
手招きされて僕は隣に寄り添って座る。
星朝様はすぐにぎゅっと僕の肩を抱いてきた。
「婚約者を今週中に決めろって言われてさ、婚約はまだしないって言ったんだ。お前とのことは、言ってないけど、親父は怒り出しちゃって…」
「せ、星朝様はお家を継がなくちゃいけないから…」
「俺は今は、お前のことしか考えられない。親父みたいに母上も愛しながら交鐘も愛するなんてこと出来ないからさ。婚約はまだ先だって大丈夫だろ」
「僕のせい…?」
僕は小さな声で尋ねてみた。その声は震えて、すごくすごく小さかったんだけど、聞いた途端、星朝様にハハハッと笑い飛ばされた。
「お前のせいじゃない。俺がお前を好きなんだ。な、怜彩、お前も好きだって言ったな?」
「でも…」
星朝様は僕に向き直ると、両手で僕を抱き締めた。
そのまま、また唇が近づいてくる。僕は目を閉じてそれを受け入れた。
けれど、それはいつもとは違っていて。
強く押し付けられたと思ったら、星朝様は唇を開いて僕の下唇を軽く吸った。それで僕がびくっとしても、逃がさないと言うように強く抱き締めて今度は舌で唇をなめてくる。
初めてのそんな行為に戸惑って、僕は星朝様の体を押し返そうとしたんだけれど、頑張っても力ではかなわず押し返される勢いのまま、その場に二人で転がってしまった。
下敷きにされてとうとう身動きできない僕は、口の中に星朝様の舌を受け入れて、ずいぶん長い間、二人で舌を絡めていた。
「んっ…あ…」
唇がやっと離れていった時、反射的に小さく呻いて、僕はぷはっと息をした。
「はぁっ…はぁっ…」
二人の息は乱れていて、僕は酸欠でぼーっとしていたんだけれど、星朝様は上半身を少しだけ起こして僕の服をぐいぐいと脱がせていた。
ようやく息が整うかという頃、星朝様の手が僕の下半身に触れた。しかも直に。
星朝様はズボンの中に手を入れて僕の股間をつかんだのだ。
僕は当然、驚いて星朝様を見上げたけれど、真剣な顔をしている星朝様は目を合わせずにまた上半身の体重を僕にかけてきた。
前はすっかり開かれて、星朝様の舌がぺろりと胸に触れた。
すっかり混乱して僕は星朝様の肩をぐいぐいと押し返す。けど絶対に力じゃかなわないのだ。
「やめてください…星朝さま…っ」
「愛してるんだ。怜彩、一緒になろう」
「やっ…やだ……やめてくだ…さ…」
ぽろぽろと涙がこぼれて来て、星朝様がぴたりと動きを止めた。
僕の顔を窺うように見てくるけれど、僕はもう涙を止められない。
下半身に触れている星朝様の手が、試すようにぐにぐにと僕自身を揉んでいたけれど、僕は勃つことはなかった。
諦めたように星朝様が体を離す。
寝転がったままひっくひっくと泣いている僕の服をきちんと整え、腕を取って肩を抱き、起き上がらせてくれた。
泣いている僕の肩を、星朝様はしばらく黙って抱いていた。
「怜彩……悪かった。お前はまだ子供なんだよな」
諦めたような言い方だった。
僕はこの時のことで、やっと星朝様の思いが僕よりもずっと激しいものだと気づいたのだった。



星朝様と僕は、たびたび唇を重ねたけれど、肌を合わせたことはなかった。
星朝様のお部屋、厩、ボート小屋、お屋敷の裏……。
激しい口吻けもしたけれど、僕は星朝様を拒み続けて来た。
それでも星朝様はなぜか、女遊びなどはなさられず僕だけを見つめ続けてくれていた。不思議なほど。
 ***

星朝様が18、僕が16になる年。
星朝様は旦那様と、生涯二度目の大喧嘩をされた。
その頃には、僕は星朝様の側仕えに昇格していた。

その夜、星朝様に就寝前のブランデーを運ぶと、辞する前に突然、星朝様に腕を掴まれ寝台に引きずり込まれてしまった。
「あっ、せ、星朝様…ん…」
柔らかな寝台に押し倒されて、唇を奪われる。
星朝様は強い力で僕の両手を寝台に縫い止めていた。そんなことしなくても、抵抗なんてしないのに。
やがて星朝様は唇を離すと、僕達の間には濃密な空気が漂っていて、僕の目を間近で見つめながら手をそろそろと胸の前に持って行った。その手が荒々しくボタンを外していく。
間近で見つめ合う心地よさに、僕はしばしそれを止めずにいた。
「星朝様、どうされたのですか」
今日はやけに乱暴だ。荒れているように見える。
「怜彩……今日はいいだろう? 愛している」
星朝様は答えず、ボタンを全て外してしまうとシャツをズボンから引きずり出して襟ぐりを大きく開いた。
そこに顔を落とそうとするのを、やっと僕は額に手を当てて止める。
「おやめください」
「いいだろう?」
「駄目です」
「……」
「……」
僕達が無言で見つめ合っていたのは、ごく短い時間だった。すぐに星朝様は僕の顔のすぐ近くに拳を振り下ろす。ぼすっという音が耳元でして、その後、彼は体を起こした。
「なぜいつも、駄目なんだ…っ」
僕に背を向けるように座った星朝様の背中は、うなだれているように見えた。いつも通りのお背中なのに。
「何か…あったのですか?」
前をかき合わせながら僕は聞いてみた。
「親父が…」
「旦那様が?」
もう一度、ぼすっと星朝様は拳を寝台に叩きつけた。
「俺は来年、大学に行かなけりゃいけない。親父が望む、貴族の子息が集まる一流大学だ。俺は……さっき親父と話し合って来た。親父が望む大学には行かないって」
「え……じゃぁ」
星朝様が何に憧れているのか、僕は知っている。
でも星朝様のようなお立場の方は絶対になれない職業なんだ。星朝様はもう、とうに諦めていたと思っていた……。
「そうだ、言ったんだ。飛行機乗りになるって、親父に……。で、大喧嘩さ。絶対に許さんとな」
「だって……」


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