短編集 遠くに在りて思うもの 3 久幸はコップに水と、タオルを用意してトイレの前で待っていてくれたが、待たれている方が恥ずかしい。いっそ放っておいてほしかった。しかし、差し出されたそれらはちゃんと受け取る。大人だからな。 「ありがと」 言ってから、コップの水を口に含んで、洗面台に吐き出した。歯ブラシを手に取る。吐いた後は口の中が気持ち悪い。 歯を磨きながら、胃の痛みに耐えた。 鏡の中の俺は顔色が悪い。真っ青だった。 久幸は俺を置いてキッチンへ戻った。火をかけっぱなしのはずだ。戻ってくれなけりゃ、困る。 俺がダイニングへ入ると、椀に入れられた粥と、味噌汁が待っていた。 「食べられるか?」 箸を差し出してくれながら久幸が聞いてくる。 「おう、食べる。食いたかったんだもん。あー、やっと食べれるなぁお粥。あ、悪い、スプーン取って」 「ああ」 箸を受け取らず、スプーンを出させる。そのくらいのわがままは構わないだろう。 あちこちの引出しを開け、久幸は3回目にスプーンを見つけ出した。 「手に力が入らなくてさ」 スプーンを受け取りながら言い訳をする。歯ブラシを握っているだけでも、手に力が入らなくて、腕が痺れそうなほどだったんだ。 レトルトのお粥は美味かった。味噌汁も美味かった。 あちあち、と言いながら食べる俺を、久幸はビールを飲みながら横目に見ていた。 「うまいな、結構。お粥って久しぶりだな」 「そんなに食べたかったのか」 「ああ。って言うかな、食材もなくて困ってたんだよ。助かったよ」 「友達でも呼べよ」 「あー……こういう時、誰を頼っていいかわからなくて」 スプーンをくわえて笑う。親には見放されるし、小さい妹には頼れないし。 会社の同僚だって、4月の入社から4か月しか付き合いがない。大学の同級生はどうせ、夏休みは予定が忙しくて俺の家になんか来れないだろうし。 たまに熱を出したから、どうしたらいいかわからなかっただけだ。誰も呼べる奴がいないなんてことはない、多分。 「呼べば誰か来てくれたのかも知れないけどな。熱出したのなんて久しぶりで、独りでなんとかなると思ってたもんだから」 くす、と久幸は笑って立ち上がる。俺がたいらげた後片付けをしてくれた。その間に風邪薬を飲む。 薬を飲んだらビールが飲めない。だが、さっき吐いたのでビールは完治するまでやめておこう。 久幸には悪いが、眠気が襲って来ていたので、ベッドに戻った。病人なんだから許されるだろう。 「久幸……」 キッチンで洗い物をする、初めて見る後ろ姿に言う。 「わり、少し寝る」 「ああ、ゆっくり休めよ。俺はこっちでお前の分までビールでも飲んでるから」 「ああ……」 ふわぁあ、とあくびが出た。少しだるい。ベッドにもぐりこみ、冷房で冷えた体が布団に包まれると安堵感がわいてくる。良かった、食事もとったし、すぐ治るだろう。 久幸が来た時は、まだ昼前だったはずだ。 どこかでテレビの音がしている、と思い、目が覚めた。テレビの音はダイニングから聞こえていた。久幸がまだいるのだ。カーテンを閉めっぱなしの部屋だが、差し込んで来る太陽の光がオレンジ色になっていることはわかる。もう夕方なのだ。 起き上がると軽い頭痛がした。だが、熱があるという感じではない。寝過ぎだ、多分。 ダイニングに入って行くと、テーブルの上には空き缶がごろごろしていた。そして、テーブルに肘をついてテレビを見ている久幸。……と思ったら、目は閉じられている。薄く口が開いていて、どうやら寝ているらしい。 俺はまだ開いていない缶を手に取りながら椅子に座った。プルトップを開け、ビールを口に運ぶ。今度は吐かない。 気持ちの悪さはもうないし、熱っぽさもない。体温計を手にするまでもなく、恐らく、熱は下がったのだろう。いや、もしかしたら37度くらいはあるかも知れないが、ずいぶん体が軽いようだ。 俺が座った音で、久幸は目を覚ました。 「お……起きたのか」 口元をぬぐいながら俺に問いかけてくるが、別によだれは垂れてはいない。 「今起きた。悪いな、こんな時間までいてくれたのか」 時計を見ると17時を回っている。半日、ここで過ごさせてしまった。 「いや。どうせ休みだ。明日も休みだし」 「なんだよ、彼女はいいのか」 「千里?」 「ああ」 久幸は答えず、じっと俺を見た。ビールを飲みながら俺はその視線を受け止める。 久幸が何を言いたいのかわからない。ただ、俺の目を凝視してくる。 「なんだ?」 缶を置いて問いかけた。すると、スッと視線は逸らされた。 「俺、何かお前を怒らせたか」 久幸が告げたのは意外な言葉だった。 どうして今更、そんなことを聞くんだろうか。俺は確かに怒っていた。だけど、もう流そうと、どうせ俺一人があがいていたって無駄なことなんだし、忘れ去ろうと努力していたことだ。 俺は答えに窮した。久幸が、どのことを「怒らせた」と思っているのか、まだ聞いていないからだ。 だけど、俺が黙っている理由を、久幸もわかっていたらしい。 「千里と付き合ったことで、俺はお前を怒らせたのか?」 今度こそ、明確な問いだった。 怒ってはいた。だけど、見当違いな怒りだって言うことはわかっているんだよ。 お前が俺との付き合いを、何とも思っていなかったのなら、俺だけの一人相撲だった。一人で怒る方が恥ずかしいな。 久幸が俺のことを憎からず思っているんじゃないかと、勝手に勘違いして、勝手に幻滅したのは俺なんだ。 怒ってなどいない、と、そう答えるべきなんだろうか……。 考えているうちに、久幸は、俺が怒っているから黙っている、と思ったのだろう。一度、問いを発してからつぐんだ口をまた開く。 「何だか怒っているような気がして、聞きそびれているうちに、諒に避けられ始めたから、ずっと聞けなかったんだが……。千里と付き合ったことで、お前が廊下で俺に言ったな。何か俺に言うことはないのか、って。その時から、諒の様子がおかしいと、思っていたんだ。怒らせたのなら、教えてくれ。何が悪かったのか」 「うーん、お前は本当に、悪気なかったんだな」 呆れてしまう。何か俺に対して、悪いことをしたなんて、思ってもいなかったのだ。気づいてもいなかった。ただ、俺の様子がおかしいから、何か怒らせたのだろうと思って、その理由を聞きたがったのだ。 嘆息すると、久幸は俺に怯えたように、ますます深く俯いた。 「悪いなんて、思ってないんだな……」 俺は暗い声で言ってやった。 無言で久幸はうなずく。俺が本気で怒っていると、感じているのだろう。 でもな、そんなに可愛い顔して怯えなくてもいいんだ。だって全部、演技だから。 「嘘だよ、嘘っ」 俺はいつも通りの口調に戻り、言ってやった。驚いた久幸が俺の顔を見る。 ほら、俺の顔は、怒っているか? いつも通りだろ? 「怒ってるわけじゃない。ただ、ちょっと面白くなかっただけだ」 「何が、だ?」 「俺とお前は、肉体関係アリの、やらしい関係じゃないか。それなのに、俺に黙って他の人と付き合ってたことが、ちょっと面白くなかったんだよ。それだけだ」 あまりの悪気のなさに、負けてしまった。俺は正直に自分のカッコ悪いところを白状する。 「拗ねてただけだ。俺に何も言ってくれなかったから。せめて、さ……中川と付き合いたいからもうこういう関係はやめよう、とか、そういうことを言って欲しかったんだよ」 「でも、それは……」 「わかってるよ。久幸にとっては俺とのことなんて、大したことじゃなかったんだろ」 「そうじゃなくて。千里と付き合うことになるかどうかわからないのに、お前に素直に言って、やっぱり振られたら恥ずかしいじゃないか」 「でも、中川ちゃんとは好感触だったんじゃないのか?」 「うまくいきそうだな、とは思ってたけど。千里も俺のことをかなり好いてくれてる気がしたし。でも、そんなことを言ったら、諒はあっという間に離れていくと思ったから」 俺が、離れていくと? 俺が離れていくのが嫌だったのか? 俺は久幸の正面に立った。顎をつかまえて上向かせ、目を覗き込んだ。 「俺が離れていくのが、嫌だった?」 「嫌だった……千里と付き合っても、諒との関係は続けていきたいと。でも、お前は怒っていたから、もう無理なんだと思うと」 「思うと?」 「無理なんだと思って、悲しかった……」 ありがとう、久幸。 その言葉だけで、俺は報われる、と思った。 俺のことを、ないがしろにして中川と付き合い始めた久幸。だけどそうじゃなかった。 中川のことを大切に思う気持ちと同時に、俺との関係も壊したくないと思ってくれていたのなら、もう、許せるよ。それだけでいいよ。 俺は身を屈めて、久幸の唇にキスをした。触れるだけのものを。 唇が離れると久幸は、 「久しぶりだな、諒に触れるの……」 と言った。その言葉に、興奮が沸き上がってくる。 久しぶりだ。俺も、久幸に触れるのは。 お互いの体を抱きよせるようにしながら、久幸を立ち上がらせた。ベッドまで行く間にも何度かキスをする。 ベッドに二人で一緒に倒れ込んで、向かい合って寝転んだ。久幸の頬に手を当ててその顔を見つめる。なんだか、久幸も熱があるような顔をしていた。 俺が怒っていなかったと知って安堵したのかも知れない。硬直が解けているが、別の緊張で張り詰めていた。 「彼女がいても、俺とこうしたい?」 「したい。諒、したい…っ」 久幸のセリフを奪うようにキスをした。唇を舌で割って中に押し込む。久幸の舌も応えていた。 久幸のシャツをめくり、へそに口づける。穴のふちを尖らせた舌で辿ると腹筋がびくびくっと震えた。感じているのがわかり、そのまま、上までなめ上げる。 久しぶりに見る乳首。その胸元にはキスマークひとつ付いてはいない。中川はあまり激しいことはしないのだろうか。 無粋なことを勘繰ってしまう。 乳首に吸いつくと、「あぅっ」と小さな声が頭の上でした。久幸の手が必死に俺のシャツをたくしあげようとしている。それに気づいて、俺は一度体を起こすと、シャツを思い切り脱いだ。だが、脱ぎ去った瞬間に久幸に体当たりのように抱きつかれ、背中からベッドに倒れ込む。 久幸が俺の鎖骨に噛みついた。一瞬の後に噛んだ部分に舌を這わせる。左手が乳首の先端を押しつぶしてきて、顔は逆側の胸に向かって降りて行く。 「ん……」 舐められるとぴりぴりと感じた。腹の下が疼く。 爪を立てて先端を弄られると足が跳ねあがるくらいに感じた。下はパジャマではなく、そのままボクサーパンツをはいている。久幸が俺のそこを、パンツの上から撫で上げた。 そして俺は、はっと気づく。 「あっ、俺、風呂入ってねぇっ」 「いい、そんなの」 「馬鹿、俺は気にするんだよっ」 言って起き上がろうとするが、頭がふわふわと軽く浮いているようで、体に力が入らなかった。熱が上がって来たのだ。確かに、体温が上がりそうな行為をしようとしているのだが。 だけど下半身は興奮している。 久幸は俺の様子になどお構いなしで、どんどん頭を下に下げていった。とうとう、パンツの上まで顔が来る。期待した顔の久幸が俺のボクサーパンツをゆっくりと下ろした。 ぴんと立つ俺の中心部は、久しぶりだからなのか、ほとんど触れていないのに随分と固くなっている。そこにすぐに久幸は食らいついた。口に含まれ、吸い上げられ、舐められて、俺は声を抑えられない。 「んぅ……あ、いい、久幸……ふぅ、あっ」 「諒……の、これ、ひさしぶり、だ」 久幸は舐めながら喋る。腰が浮きそうなほどに感じる。 どうしよう、俺の方が、感じてどうするんだ。 だけど体を起き上がらせるほどの力が入らないのだ。久幸のしてくれる愛撫に感じて、頭の中がえろいことでいっぱいになる。 いつの間にか、後ろの穴まで触れられていたことには、すぐに気付かなかった。 なんだか、違和感はあるが、痛くはない。俺も後ろを使ったことはあるのだが、滅多にやらない為、もう感覚を忘れてしまっている。だが、俺の後ろをしばらく一本の指で探っていた久幸は、突然、指を二本に増やして激しく突き上げてきた。 しかも、正確に感じる場所を。 「うあっ、ひ、久幸っ、そ、そこっ!」 ずぶ、ずぶっ、と指に突かれて、すぐにでも射精しそうな感覚が下半身全体に走り抜ける。前立腺をいじられて、俺はもう腰を浮かせてしまっていた。 「はぅ、あ、あぁ、ダメだ……久幸ぃ」 「諒、すごく、欲しいよ。諒が欲しい」 久幸は俺の後ろを突きながら、自分のパンツを降ろして中心部の物を取り出すと、もう一方の手でしごいていた。まさか、それ、俺の中に入れる気じゃないだろうな。 だけど、腰がびくびくと揺れている俺は、もうあそこの穴に入れてほしいと言わんばかりに久幸に押し付けてしまっている。どこから見ても、「早く入れてほしい」という態度だ。 自分でわかっている、わかっているけど……! 「あ、ああぁっ」 耐えきれないように、久幸は俺の後ろに挿入してきた。 押し進んでくる感覚に自然と声が上がる。久幸の顔を見ると、蕩けそうな顔をしていた。 悔しいことに、俺が今まで抱いてやったどんな時よりも、イイ顔をしている。 俺は必死にシーツだけを握り締めた。腕が上がらないのだ。目が回ってきたし、どうやら本格的に熱が上がってきている。 だけど、気持ちよくて下半身だけはしっかり立っていた。 久幸は俺の両足を抱え上げた。情けない格好にされても、一番深い所には久幸が入っていて、認めるしかない……俺は満足だ。 「あっ、あっ、んぅ……はぁっ」 久幸が腰を使い始めた。突き上げるだけの動きや、深くまで押し込んだまま、円を描くような動き。 どこを擦られても気持ちがいい。久幸のものが凄く熱い。俺の中も熱いだろうか。 「あっ、久幸、い、いぃ……駄目だ、俺っ」 「いって、いいよ。諒、諒……んぅ、な、なんか可愛いしっ」 「可愛いて、おま、あ、あぅっ」 ダメ、ダメだ。いってしまう。 久幸の腹に、俺の白いのをかけてしまう。 「久幸、頼むっ、一緒に……っ」 「ダメだよ、俺、もういっちゃ……ぅ、あ、あぁっ」 深くに久幸は押し込んできた。一番奥で、びくびくと震えている。 俺もほとんど同時に絶頂に達していた。久幸のイキ顔でいってしまったと言っても過言ではない。俺の真上で、久幸はいい顔をしていた。 気持ちがいい。でも、だから。なんで俺が抱く時よりいい顔してんだよ……。 終わった後には、久幸に頼んで風呂に入れてもらった。 いくら自分の家とはいえ、いくら相手が久幸とはいえ、全く風呂に入っていなかった状態でやって、汗と精液でどろどろで、さすがに体を洗いたかった。それに、穴の奥も洗いたかった。久幸はゴムの用意もなく中出ししやがったので。 シャワーを浴びせてもらいながら、俺は風呂場の床に座り込んでいた。 「あー、熱、上がったな……」 「風呂あがったら薬飲ませてやるから」 久幸がなんだか、男らしく見える。逆に久幸は俺が可愛く見えるらしく、始終、微笑んでいた。 「いつもの諒と違うな。なんか、可愛いな」 「治ったら覚えておけよ」 「治っても、またやらせろよ」 久幸はご機嫌な笑みを浮かべている。 いいんだろうか。中川を抱くその腕で、俺を抱いても? 久幸がそれでいいと言うのなら、構わないか。俺は当分、恋人なんて出来そうにないし、今は久幸以上に大切な人間なんていない。 あ、そうだ。ひとつ、確認しておかなきゃいけない。 俺の肩の泡を流すようにシャワーをゆっくりと使う久幸を見上げて問いかける。 「なあ、やっぱり、俺達の関係は内緒なんだろ?」 「もちろん」 久幸は照れたように笑った。 彼女がいるんだから、今更、ばらせるわけないだろうけどな。 だけど、これで俺は久幸の弱点を握ったことになる。このこと、中川や会社の連中にばらすぞ、と言えば、久幸を脅せる。何があっても、当分、久幸は俺のものだ。 だけど今は、なぜか嬉しげに俺の体を洗う久幸が幸せそうだから、脅すのはやめておいてやろう。彼女も一緒に過ごせない久幸の夏休みは、俺のものだ。 恋人とは違う内緒の関係だ。 終 恵様リクエスト/221221HIT おとな同士の友情以上で限りなく恋愛に近くてほとんど相思相愛なんだけどやっぱり恋愛未満なお話 [*前へ] [戻る] |