企画小説
バレンタイン -side girl-
ぽーん、ぽーんと柱時計が11回。
そろそろ皆が寝静まろうという時、小倉悠菜はそわそわと部屋の中をうろついていた。
そろそろ約束の時間である。
ふと横を見ると、この前買ったばかりの初号機が半開きのクローゼットのすきまからこちらを見ていた。
蛍光灯はつけていない。光はベッドライトのみ。そのせいもあって、若干不気味にも見えた。
やっぱり閉めておこう。悠菜はクローゼットへと近づく。
いくら好きな物とはいえ、気味悪くては意味がない。
コンコンコンコンコンコン。
丁度閉めようとしたその時、控えめながらも回数の多いノックが室内に響く。
悠菜はドアに近づいた。
「鏡よ鏡」
「ブランシュネージュ」
かちゃり、と鍵を外してそっとドアを開ける。
「おばんでございます」
開いたドアの前にいたのは、海野さやか。
後ろ手に持った荷物はかさかさと、最近は聞かなくなった買い物帰りの音を立てていた。
とは言っても、まっすぐ部屋に来たわけではないのだろう。髪がまだ濡れている。
「ばんは。とりあえず中入ってよ」
おじゃまします、といってさやかは中に入り、かちゃりとドアを閉めた。
さやかはふと視線を感じ、部屋の中を見渡す。クローゼットが開いているのが見えた。
閉め忘れていたクローゼットである。
よくみると零号機と初号機がこちらを見ていた。物言わぬ顔で。
「……彼らへ?」
さやかがそう言って指さすと、そんなわけないだろ、と悠菜は手刀をあてた。
ふわりと体勢を崩し、どさりと床に倒れ込むさやか。
がさ、と袋が床へと落ちて、中身が少し露わになった。
いいところに当たってしまったのか、倒れ具合といい散り具合といい、まるで殺人現場である。
悠菜はすぐさま座り込んでさやかの頬をペちぺちと叩く。しかし目を開ける様子はない。
これは大変な事をしてしまった。悠菜は慌ててドアへと駆け寄る。
「You win.Perfect」
突然のさやかの声に驚いて振り返ると、さやかは椅子に座っており、袋の中身をテーブルの上に並べていた。
「……Round2.Fight」
さきほどよりも強い手刀が飛んだが、さやかは気にせず袋を改めていた。
2月12日。いや、後1時間もすれば13日になるであろう。
そして14日は、国民全員にとって重大なイベント、゛バレンタインデー゛だ。
「そういうわけで、チョコレートを男衆に渡したいんだけど」
「渡せばいいんじゃないでしょうか?」
ぱき、とチョコレート板を割り、さやかは一欠片を口に入れた。
甘い、とつぶやきながら食べているさやかだが、表情が変わらないため、伝わってこない。
「ちゃんと聞いてる?」
うん、とさやかはうなずいてから、もう一欠片を口に入れた。
甘い、とまたもつぶやく。嫌いではないのだろう。
なら食うな、と悠菜は自分も手を伸ばし、一欠片を口に入れた。
ぽりぽりとかみ砕くと、じんわりと口の中が甘くなった。
「で、後は包装を行えばいいんですよね?」
「このまま渡すつもりない!」
小声で怒る。壁は薄くないとはいえ、深夜に怒鳴れば流石に響く。
ごめんなさい、とさやかは静かに謝る。
「流石に外装は外さないと失礼ですね」
「未加工から離れて!」
「じゃ、食べやすく割ってから?」
「未調理からも離れて! あんた今日は絶好調ね!」
ここまで引っ張るさやかもめずらしかった。よほど楽しいのだろう。
冗談はさておき、とさやかは立ち上がった。かさり、とビニール袋の音がする。
言いたい事もやるべき事も分かっている、と言わんばかりである。
「おとなりさんが静かになった頃に、行動を開始しましょ」
ケータイで呼ぶから、と言ってさやかはバタンと出て行った。
なんなんだ。意味が分からない。
悠菜はベッドに倒れ込んで、うなり声を小さく漏らした。
さやかに相談したのを失敗だったのかもしれないと、本気で思った。
後に悠菜がこの意味を知るのは、おおよそ2時間後の事である。
「さやかって魔女?」
「飼うなら三毛猫って決めてますね」
肯定なのか否定なのかよく分からない返事と共に、さやかは湯煎からチョコを引き上げた。
キッチンしか灯りが付いていないので、何とも怪しい雰囲気ではあった。
今頃203号室では、うら若き男ふたりがチョコをもらうための作戦でも練っているのだろう。
練っていた、というのは正しいか。さやかが言うには、二人して眠っているという。
いや、そもそもそんな作戦会議が開かれたのかさえ分からない。さやかだけが知っているのだろう。
「で、こうやって湯煎でチョコを溶かして、冷ます。冷めたら少しだけ加熱して、調整する」
「1回じゃ駄目なの?」
「1回で冷ますと油が浮くそうです。夏のチョコを思い出して」
思い出すも何も、そもそも悠菜は見た事がない。
それ以前にチョコレートを放置しておくという行為が想像できなかった。とけてしまうだろうに。
さやかは放置した事があるのだろうか。
物音も聞こえないキッチン。聞こえるのはふたりの吐息だけである。
流石に寒い。
「というか、本当に大丈夫なの?」
静けさと寒さと不安に耐えられなかった悠菜はもう一度聞き直す。
うん、とさやかはうなずいた。
「十中八九。帰って来た時に、後藤さんが遊さんの部屋に入るの見えたので」
「ということは、今すぐ出てくるんじゃ?」
寝ていなければ、後藤が出てきてもおかしくない。向こうとこちらを遮るのは扉1枚だ。
しかしそれはないですね、とさやかはあっさり否定する。
その上それ以上は何も言わない。
何を根拠に。悠菜は不安と不満と寒さに肩をふるわした。
そもそもふたりがバレンタインチョコをもらうために必死に作戦を練っているというのも、さやかの根拠なき言葉である。
もしかしたら、単純にCDの貸し借り程度なのかも知れないだろうに。
でも絶好調のさやかがいうならそうなのだろう、と悠菜は自分でもよく分からない根拠でむりやり納得する。
彼女の言葉は話半分で聞かないと意味が分からなくなってしまう。
将来は本当に魔女志望なのかもしれない。悠菜の中で現実味が帯びてきた未来である。
ふとさやかが手を止めた。
思考でも読まれたのだろうか。びくっ、と悠菜は震えた。
「悠菜さんはどうします? どういうチョコに?」
「……どういうチョコレート、って?」
「ちなみにカイさんは、ミルクチョコが好きだって」
だからミルクチョコをベースにしましたが、とさやかはちいさなハートの型にチョコを流し込んでいく。
へー、とさやかの若干おぼつかない手つきを見ながら、悠菜は生返事をした。
ふと違和感を感じた。悠菜は会話を脳内で再現し、その違和感を確かめた。
それに気が付いたのは、さやかが流し込みを終えた直後だった。
「で、こうやってチョコを流し込んだらほぼ完成……優菜さん?」
さやかがボールを置いたのを見てから肩を掴む。
にやにやする悠菜に首をかしげるさやか。
「カイさん狙い?」
にっこりしながら悠菜は尋ねる。
さやかは悠菜が何を言っているのか理解できていない顔を浮かべた。
少ししてから思い当たったようにさやかは、ああ、と言葉を漏らした。
「キッチン勝手に使ったら、罰金とられるでしょ?」
こともなげに。
夢がなかった。
悠菜はがっくり肩を落とした。その時にきいたと言う事か。
「後、ビターチョコ溶かしておいたので」
選択権もなかった。魔女が絶好調である。
結局そのまま悠菜はビターチョコをベースにして、星形の型に流し込んだ。
ふたりでそっと悠菜の部屋へと戻る。それを小さな冷蔵庫にしまっていく。
さやかの意見で全員分、つまり7人分作ったそれは、結構な量になっている。
冷やすとなると流石に場所が足らないかもしれない。
悠菜はそう危惧したが、ぴったりおさまった。多くもなく少なくもなく。
絶好調なさやかの魔法だろうか。
「後は待つだけ。お疲れ様でした」
当のさやかはおやすみ、と言ってあっさり部屋を出て行った。偶然らしい。
少ししてから、はあーと息を吐き出した。
ひとりになって、はじめて一息付けた悠菜。絶好調のさやかと付き合うのはここまで疲れるのか。
そのままベッドに倒れ込む。無音の部屋の中で、ふと壁の向こうが気になった。
隣のふたりは作戦とやらが決定したのだろうか。
既に終わっているのに必死なふたりを思い浮かべると、なんだかおかしかった。
了
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