欲情


 目が覚めると、自分の腕が痺れているのがわかった。痺れのせいで動きにくい腕。それを見て目だけ細めて息を吐いた。
 自分が何をしていたのか、自然と呑み込める胸と、少々苦しさを孕んだ喉に驚いた。近くに置いてある水を口に含んだ。べたべたと口腔を覆うものが水とともに流れていく気がした。
 ふと俺は思い出した。過去にも今のように痺れた腕を見つめていたことがあると。今とは違う状況ではあった。いや、それでもあの時、俺は、痺れる腕を仰向けに寝る顔を曲げ、そっと見ていた。静かに、静かに見つめていたのだ。そのことを覚えている。そして思ったのだ。もう一度、あの熱を感じたいと。まだ胸に残る、あの時の情を噛み締めながら。

 ああ、俺は、あの時はまだ幼かったのだ。今ならわかる。感情のままに行動し、愛しいものを大切にし、嫌いなものは遠ざけていた。しかし、その結果が、今のこの状況だ。それだけでは何も愛せやしないのだと、あの時は知らなかった。
 否、違う。
 愛してくれると言ったから、俺は愛おしいと思ったのだ。大切にされたかったから、痛みでさえ受け入れたのだ。間違いなどではなかった。きっと、知らなくて、幼くて、飢えていて、愛されたくて……。

 思う。しかし俺は、愛されたのだろうかと。
 俺はあの時、愛したのだろうかと……。

 手が汗ばむ。あの時と同じように。もう、腕に痺れはない。

 もう一度口に水を含んだ。そして目を閉じる。あとどれほどの時間がかかるのだろう。半時ほどだろうか。いや、一時とかかるか、それとも、もっと……。
 残りの道などほとんど知らず、俺は今、ここがどこであるかも知らず、また、先ほどと同じように、揺れ動き、居心地のあまりよくはない汽車の窓際の席で、腕に頭を置いた。心地よい場所を探す。そこで落ち着くと、安らぎが俺を誘う。また誘われる、その場所は、夢の世界か、思い出の街か、心の隙間か、愛しいあの熱か。
 あとどれほどかかるのだろう。
 俺は知らないが、ただわかることは、確実に故郷の香りが近付いているということだけだ。







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あきゅろす。
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