プライド


 警察庁の一室。荒くドアを開けて椅子へ彼は向かう。高価なスーツがやや疲れているのが見える。まるで着ている本人と同じように。

「ふー」

 大分座ることのなかったようなその椅子に彼は腰掛けた。自分仕様にと、他の者たちより少し豪華に作らせ、その差額は自分で出した椅子だ。
 椅子の座り心地は仕事の効率に影響を与える。彼の持論の一つだった。
 その彼の後ろからその場所には不釣合いな、安物の服を見に纏った一人の青年が現れた。くせっ毛の黒髪が首にまとわりつく。青年は全くそれを気にかける様子などない。その証が肩まで伸ばされたその髪であろう。
 青年はその鋭い目で椅子に腰掛け、それをくるりと回し窓の外を見ている彼を見ていた。
 脱いだスーツはだらしなく机の上に投げられている。恐らく今、ぐいぐいとネクタイを緩めているのだろう。おまけにどこだかのブランドの無駄に高い眼鏡を外して、年寄りみたく目頭を押さえているのかもしれない。
 そこまで彼の行動を考えた後、青年は「そんなことはねえか」と口をへの字にした。彼はやり手で、自分の部屋を持ち、私用の密偵――青年のことだ――を持っているが、まだ若い。
 仕事が片付かなかった。警察の仕事――事件だった。片付かないがために、帰っても寝るだけの自宅に、ここ2日、帰っていない。そんなことは四六時中で、着替えなどを数日分、自室のクローゼットにしまってあるが、自室と事件の資料と容疑者の事情聴取と、仮眠室と、シャワー室の行き来に、いささか飽きていた。酒を飲んでいない。煙草も半日以上吸っていない。彼は机の上のスーツを、椅子を動かさずぐいと引っ張ると、内ポケットを探った。いつも煙草を入れているところだ。スーツと共にばらばらと机の上のペンやクリップが落ちたが、彼がそれらを拾う様子はない。拾う気もないのだろう。

「原海くん、煙草を買ってきてくれたまえ」

 彼はぽいとスーツを机の上に投げ、言った。

「……おい、獅堂、人に物頼む時くらいこっち見ろ」
「行くのか行かないのか」

 今度は少し低い声で言う。有無を言わさず「行く」と言わしめる何かを秘めたように。原海と呼ばれた青年は、若干右頬を引きつらせ、「ああ、行く」と答えた。

「あとついでにコーヒーも買ってきてくれ」
「……」
「領収書は切るな。これで払え」

 彼――獅堂はスーツの内ポケットに入っていた財布を手に持っていた。その中から一番高い値の札を一枚出すと、相変わらず椅子を動かさずにばたんと机に置いた。億劫そうに原海は獅堂の机まで歩いていくとその札を取った。何かを胸に秘めたような顔をしている。重い口を開く。獅堂の顔をうかがい知れないのが、一番嫌だった。

「大目に見ないのか? ……同族なんだろ?」
「同族などと言うな」
「……」

 獅堂は吐き捨てた。原海はそれを聞くと、強く札を握り、ドアへと歩き出した。新札だったその金は、まだ固いだろうが、彼の手の中でしわくちゃになっていた。
 原海が部屋を出ると、獅堂は眼鏡を外し、目を手で覆った。体に随分疲れがたまっている。目にも疲労が出てきた。獅堂の目の奥がぎゅうっと痛くなった。
 それから椅子をくるりと回し、机を見た。資料やペン、時計などが乱雑に放られ、その上にスーツが置いてある。また、ふうと深く溜め息をつき、顎の下に重ねた両の手の甲を持ってきた。
 そのまま少し、秒針の触れる時計を見ていた。ゆっくりと視線を落とし、引き出しを引いた。一枚の写真が収められた写真立てがあった。
 獅堂はそれを手に取り、椅子にもたれた。目は張り詰めた緊張から解かれ、少し寂しげな色を滲めていた。

「……どうすればよいのでしょう……」

 写真は少し、古そうに見える。背広を着た男性と、椅子に腰掛ける女性。その間に正装をした少年。少年は幼い頃の獅堂だ。

「同族……同じ獅堂と、許容すべきなのでしょうか……?」

 少し、迷っていた。決めた道に、揺れる自分がいた。道標が欲しかった。
 一つ息をすると目を閉じたまま写真を戻し、引き出しを収めた。眼鏡をかけ直し、スーツを着る。ネクタイも直すと汚くなった机の上と周りに散らばってしまった物を整理し、椅子に深く座るとまた両の手の甲に顎に置く。
 その直後、その部屋のドアが開いた。

「遅いじゃないか、原海くん」
「なっ……はあ、はあ、……ふっ、ふざけやがって……!」

 缶コーヒーを二本と煙草を一箱持った原海がそこにいた。

「てめえ、これでも急いだんだよ」

 そう言って、煙草、コーヒーの順で獅堂に投げる。獅堂は両手でそれぞれ取ると、口元の両端を上げた。

「ご苦労」
「お……おう」

 缶コーヒーをあけ、一口飲む。無糖のブラック。彼が好んで飲むものだ。次に煙草を開ける。一本くわえ、訝しげにパッケージを見る。

「……原海くん?」
「あん?」
「……」

 まだ息の整わない原海は缶コーヒーを開けることもなく扉にもたれていた。視線の先には机の上に缶コーヒーを置き、右手に一本煙草を持つ獅堂。左手で、くいと眼鏡を上げ、顎を引いた。

「なんだよ、獅堂」
「この煙草は何だね?」
「は?」
「……いつも私が吸っているものと、違うが」
「……な! お前、前それだったろ?!」
「……つい先日変えたんだが……。少し軽くした」
「て……てめ……」
「まあいい。今回は免じてやろう」

 獅堂はそれをくわえ、ライターで火をつけた。口に広がる煙を吐く。そしてくっとまた口元に力をこめた。
 原海はやっと缶コーヒーをあけ、飲み始めた。ブラックではない。少しだけ砂糖が入っているが、甘すぎないものだった。

「獅堂」

 整った息で獅堂まで歩み寄る。獅堂の吐いた煙に少しだけ眉間にしわを寄せる。

「一本もらうぞ」

 釣りの札と小銭を机に広げながら獅堂に買って来た煙草を一本手に取ると、ズボンのポケットからライターを出した。安っぽいライターで、中の液が透けて見えていた。

「向こうで吸え」
「てめ」

 火をつけるとその部屋の自分へ与えられた席へ戻った。椅子に座り、背にもたれると「あー」と声を漏らす。

「ふっ……」

 鼻で微笑を浮かべると、まだ半分ほど吸えるのではないかという煙草の火を消した。

「原海。寝られるだけ寝ておけ。また2時間後に捜査を開始する」
「な?!」
「俺はシャワーを浴びて仮眠を取る。2時間後、俺を起こしに来い、いいな」
「……」
「いいかい? 原海くん」
「……ああ……」
「よろしい。では頼んだ」

 原海は不満を滲ませたが、獅堂には逆らえなかった。口元だけに笑みを浮かべた獅堂がその部屋を出ると、室内にある彼が眠るようにと与えられたベッドへと背から倒れこんだ。手を伸ばしベッドの端に置いてある目覚まし時計を手に取り、2時間後にタイマーをセットした。

「あー……」

 寝煙草にならぬよう、煙草の火を消すと、目を瞑った。原海が帰ってきてから、獅堂は出て行く前と、何か違って見えたが、決意をしたのだろうか、そう思った。
 まあいいか。俺には関係ない。
 どれくらいぶりかも忘れるほどのベッドの感触が、彼を眠りへと誘った。







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