その猫の鳴き声は綺麗ではなかった。
彼は行き慣れた公園で何本目になるか知れない煙草に火を点けた。ヘビースモーカーではないが、今日一日で、この公園に来てからの今までで、もう一箱あけてしまうのではないかという勢いで、彼の煙草は減っていった。
「ふー……」
白く、人体には悪影響を及ぼすという煙を肺から出す。いつもは晴れるはずの気分も、どこか晴れない。ああ、そうか、だからこの煙は白いのか。彼は虚ろな瞳でぼんやりそう思った。
ここの公園も俺がここに来たときから寂れた公園だとは思っていたが、いよいよ寂れてきたな。
手入れの行き届いているとは言い難い草花。遠目から見てもわかる錆に侵された遊具。水などもう出そうもない見かけの水飲み場。
しかし、そんな公園が彼の一番落ち着く場でもあるのだ。誰も来ない、静寂と空と雲、太陽の陽射しと自分、それから野良猫しか、そこには存在しないからだろうか。
「なごー」
その時だった。一匹の猫が、彼に近寄ってきた。それは彼を落ち着かせる野良猫の一匹。決して綺麗な声では鳴けない猫。彼にはその鳴き声が「なごー」に聞こえるのだ。
「……久しぶりだな。残念だが、今日は何も持ってきてないぞ」
猫は彼の座るベンチに飛び乗ると、彼のズボンのポケットというポケットに鼻を近づけてきた。彼はいつもここに来るとき、猫たちへの餌を持ってくるのだ。缶詰、乾燥フード、時には買ったものの消費期限の切れた刺身なども持ってくる。いけないとわかっていても、猫たちに餌付けをしているときが、彼の心が一番無になれるのだった。
「なごー」
「ごめんな、今日は、そういう気分じゃなくて」
彼が手を伸ばすと、猫は彼が撫でやすい角度に顔を持って行った。二人のお決まりの角度、お決まりの優しさ、お決まりの温度で、優しく撫でる。
「なごー」
猫は喉をごろごろとしてまた鳴いた。
「……前に俺、お前に言ったよな。お前は自由でいいな、って」
彼は吸っていた煙草の火を靴の裏で地面と摺り合わせて消すと、猫に話しかけた。
「済まなかったな、あんなこと言って……」
彼がこの公園に来るのは久しぶりのことだった。彼も彼なりに忙しい日々を生きていた。そんな生活の中でこの公園に来ることも少なくなってきたのだった。
そしてそれは最後に公園に来た日のことだった。大きな壁に行き手を遮られた彼は、目の前ではしゃぐ猫たちを前に吐き捨てるように言ったのだった。
「いいよな、お前たちは自由で」
その自由の意味も、自分がどうであるかも、その時の彼には見えていなかった。だからこうして今、自分がここにいることに、多少の罪悪感すら覚えている。
けれど、それよりも、謝りたかった。きっとその言葉の意味も、謝罪の理由も、猫は何もわからないかもしれないが、罪悪感を拭う手段として、けじめとして。
「わかったんだよ、俺も自由だって。お前たちは生きるか死ぬかをかけて自由だ。野良じゃあ、十分食べてもいけないかもしれないだろうしな」
そう言いながら、煙草に手を伸ばす。なかなか出てこなかった煙草は、最後の一本だった。
「そして、俺は他のことで自由だ。悩むも、楽しむも、止めるも続けるも、そして、」
煙草を口にくわえる。
「煙草を吸うも、俺の自由になる」
ライターで火を点ける。隣でまた、猫が鳴いた。
「しかし、お前は本当に、綺麗な声で鳴かないな。どうだ、一回くらい、他の猫みたいに綺麗な声で鳴いてみたいと思わないのか?」
彼を見て、また猫は鳴く。その姿を見て、彼は両手を頭の、ちょうど耳の上の当たりに持っていくと、猫の耳のようにした。そして、
「にゃあー」
ふざけて猫の鳴き真似をして見せた。
「にゃごー」
と、猫もいつもは聞かせない声で鳴いた。
「ふふ、ありがとう」
猫を撫でる。猫は至福の表情で目を細めた。
彼はそれを見ると曇らせていた表情をやっと、少しだけ明るくさせ、立ち上がった。
「じゃあな」
「なー」
彼は煙草の吸殻を、空になった煙草の箱に入れその公園を去った。
「にゃあー」
猫は彼の姿を見送るように鳴いた。その声は彼には聞こえていない。遠くで響く、正午を知らせる街の鐘にかき消されてしまった。
そろそろ太陽がその公園の真上に差しかかる時間だ。
"THAT CAT" is NOT "the gloomy cat".