神の庭園


「私ね、神様に神の庭園に呼ばれたのよ」

 その日のこと。彼女は嬉々として僕にそう言った。神の庭。彼女はそこへ行くと言う。

「……神の、庭園?」
「そう、神の庭園よ! そこには何があるのかしら……。極楽浄土には美しい蓮の華があるというでしょう? 神の庭には、どんな植物があるのかしら」

 彼女に信仰はなかった。どこか頭がいかれているということもなかった。確かに学校では真面目で、物静かで、昼休みには窓際の席で独特のオーラを纏って小説を読みふけっていて、幼馴染みの僕が話しかけない限り、その美しい瞳を人に向けることなどほとんどないけれど、それが今の彼女の言う神の庭への招待を説明する力を持っていないことなど、僕でなくてもすぐにわかることだった。

「きっとね」

 彼女の話が信じられない僕の表情のことなど気にもしない彼女は続ける。そういえば、これほど饒舌な彼女を、活き活きとした彼女を、僕は初めて見るかもしれない。

「きっと、食べ物は木々に生るの。果物だって、お野菜だって、……お肉もそうなのよ! ローストビーフに生ハム、ソーセージや、もしかしたらお寿司だって木々から取れるかもしれない! それから、ワインの泉が湧くの。命の水……、白ワインの泉や赤ワインの噴水……。きっと美しいわ。神の庭園には、この世の全てがあるの! ねえ、そう思わない?」
「う、うん……」

 彼女には、何かが見えているのだろう。僕には見えていない、何かが。
 僕は、そんな僕の知らない彼女が怖くなってしまって、少し、身を引いて聞いていた。いつもの彼女ならば、そんな僕に気を遣い、「私、おかしいかな?」と、きっと訊いてくるところだ。しかし、全くそういう気配はない。
 彼女は、いつもの彼女ではない。

「ね、ねえ、でもどうして、君だけが呼ばれたの? 僕も呼ばれても、おかしくはないよね?」
「どうして……? さあ、どうしてかしら。……そうね、敢えて言うなれば、私が神の高みに、きっと、一番近い人間だからじゃないかしら」
「神の高み……」
「そうよ」

 そう言って、笑みを浮かべる彼女。僕は背筋を伝った汗を、精一杯隠して、また一つ、彼女に質問を投げかけた。

「じゃ、じゃあ、いつ呼ばれたの? どこで、一体、どんな神様に?」

 彼女は僕の質問を聞くと、その顔を美しい笑みで埋めた。しかしその口から言葉が漏れることはなかった。

「……教えてくれないの?」
「言ってはいけないと言われているの。教えられるのは、ここまで話したことだけなの」
「どこで、誰に、どうやって呼ばれたのか、それは話せなくても、どうして神の庭に呼ばれたことは話せるの?」

 それは僕の頭にごく自然に浮かんだ疑問だった。矛盾に溢れてはいないだろうか。彼女の言動も、彼女を神の庭園に呼んだ者の与えたきまりも。

「それはね、私が神の庭園に行く事を、たった一人にだけ伝えてもいいとその方に言われたからよ」

 どうして?

「だから、あなたを選んだの。あなたに私が神の庭園に行く事を伝えると、決めたの」

 どうして、僕?

「……いつ行くの?」
「明日よ」
「帰って、来るよね……?」
「……」

 彼女は何も言わず、微笑した。

 次の日、学校に彼女の姿はなかった。真面目な彼女が無断欠席をしたのには、何かしらの事情があるのではないかと担任は彼女の家に連絡をした。しかし彼女の母は、彼女はいつも通りの時間、いつも通りの格好で、いつも通り鞄に勉強道具をつめ、いつも通り弁当箱を片手に、いつも通り玄関で靴を履き、いつも通り見送りの母に振り返り、「いってきます、お母さん」と学校へ向かったのだと言う。

 それから、彼女は消えた。

 次の日も、その次の日も、彼女は学校に来なかった。そして家にも帰っていないという。
 何かの事件かと警察が僕にも何か知らないか、と訊いてきた。けれど僕は神の庭園のことは一切口にしなかった。それから事件は迷宮入り。


 彼女はどこへ行ったのだろうか。



 あの日から彼女の姿を見た人を、僕は知らない。







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