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小咄
虚無に捕らわれ、

貴方の視界が閉ざされる瞬間

ほんの一瞬、
私の世界も無に変わる。





【虚無に捕らわれ、】









────…シャリリ…チャリン、

成実が槍をふるう度、大ぶりな耳飾りが音を奏でる。本来の機能を失った右手を上手く用い、荒々しくも機敏な動きで仮想の敵を倒していく彼の瞳は固く閉じられていた。麗らかな春の午後にも関わらず、辺りにはピンとした張りつめた空気が漂っている。城内の騒動が成実には遠く感じられた。
一方、職務に追われていた藤次郎は現実逃避のため、煙管片手に成実の鍛錬を眺めていた。成実の出す戦場の生々しい空気をものともせず、のんびりと紫煙を楽しんでいる。


「莫迦実、その癖はどうなんだい?」

「ん〜?」


長く煙を吐きながら呟かれた言葉に、鳥すら鳴かぬ空間が壊れた。成実は閉じられていた瞳を開け、二色の瞳を瞬かせる。
縁側で寛いでいた藤次郎はゆらりと立ち上がり、柱に寄りかかる。さも愛おしそうに煙管へ口付ける様は妖しげな薫りを漂わせており、成実は何となく藤次郎が誰を想って煙管を玩ぶのか分かるような気がした。


「目、瞑るだろう?敵を目の前にして瞳を閉じるなんて…怖いのかな?」

「えぇ〜?そんな訳ないじゃん!これでもオレ、武の成実だよぉ」


たっぷりと間をおいた後、藤次郎は僅かな微笑みを浮かべた流し目で成実を見やり、小馬鹿にしたように言った。それを聞き、成実はムキーっと効果音が聞こえるような様子で地団駄を踏む。その顔があまりに酷くて、藤次郎は声を出さずに笑った。


「だってさ、つまんないじゃん。」

「ほう?」


面白いものを見るような表情をした藤次郎の視線の先には、鋭く何処か遠くを見つめる成実がいた。先程とは全く異なる雰囲気に、自然と藤次郎の口角は上がっていく。


「目ぇ開けて戦うと、相手すぐ殺しちゃうんだもん。」


仄暗く光る二色の瞳が更にその深みを増した。重くなる空気すら可笑しいというように、藤次郎はにやりと嗤う。それは彼が普段見せない、とても好戦的で荒々しい、年相応の感情であった。


「…まぁ、」


いつもより低い藤次郎の声に、成実は視線を向ける。女物の着物を着崩した藤次郎はその挑戦的な眼差しに雄の匂いを漂わせ、あくまで傲慢な態度で煙管に唇を寄せる。薄ら嗤いを浮かべながらも、完全に人を見下したその隻眼に、成実は槍を握る左手に汗が滲むのを感じた。


「、私の小十郎には一生適わないだろうけどね。」


嘲笑を浮かべながら言い放った言葉は自信が満ち溢れており、成実は一瞬険しい顔をした後、頬をだらしなく緩め態といつもの様子に戻った。


「煩いよ、梵。」








「まったく、あのお二人は何をなさっているのか…」


景綱は職務を放り出して中庭で戯れている主と莫迦を、やっとのことで見つけ出した。此処にいたのかと溜め息を零しながら眉間に深い皺を刻み近付くと、その2人から少し離れたところに重長が佇んでいることに気付く。重長の背中は儚く、瞬きをしてる間に消えてしまいそうな程であった。景綱に似て闇のような黒髪は、柔らかくしなりながら春の風に弄ばれている。


「……重長?」


景綱が隣に立ち、声を掛けても彼はぼんやりと前を見つめたままで、覗き込んだその瞳はぞっとするほど虚ろであった。
重長は木の芽が芽吹くように長く艶やかな睫毛を瞬かせ、薄く開いていた唇を合わせた。再び開いた唇から漏れた声は、酷く掠れていて、何ともいえない欲を感じさせる。


「…しげざ、ねさまが、しげ実様があの様に瞳を閉じる瞬間をお見かけすると…、いつも、私の世界は一瞬無に帰すのです。」


所々詰まりながらもそう告げた重長の瞳から、一筋の雫が流れ落ちた。景綱はその雫に何の色もないことに心の中で小さな溜め息をつく。


「音も景色も感情も、全て抜け落ちてしまのです。」

「……そうか。」


景綱は重長にそう短く返すと、前方に見える2人を見つめた。二色の瞳を持つ青年は長身で体つきが良く、武術に関してだけは確かに認めている。でも景綱は何だか苦々しい想いが胸に広がってしまい、自ずと表情が厳しくなった。


「今まで、お父上もこの様な経験をされましたか…?」

「そうだな…、」


重長は助けを求めるような視線を景綱に向けたが、父の瞳には金色の輝きだけが映っていた。

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あきゅろす。
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