[携帯モード] [URL送信]

小咄
夜空に浮かぶ


奥州の厳しい冬は終わりを告げ、近頃は随分過ごしやすい気候となった。梅や桜が綻ぶにはまだ早いが、夜風は既に優しい。その優しさに育まれるように緑は増え、何処からか新しい命が息吹く匂いがした。
夜の帳を降ろした外は深い濃紺に包まれていたが、梵天丸の自室はまさに深い闇の中にあった。






【夜空に浮かぶ】







奥州に初雪が降ったあの日から、梵天丸は徐々に景綱に心を開いていった。昼間は未だに入室を断られるが、夜が訪れると蝋を灯さないこの部屋で共に過ごすのが日課となった。景綱は主・輝宗からの呼び出しで早々に退室しなければならないことも多いが、出来るだけこのひと時を大切にしたいと考えている。それは単に自らに課せられた任務だからという理由ではなく、梵天丸と過ごす時間を心地好いものだと感じていたからであった。一方、梵天丸も独りで過ごすことを寂しく感じる程に、知らず知らずの間に景綱を受け入れ始めていた。
眼が慣れてくれば、閉め切った灯りのない部屋であってもなんら問題はない。一日中その部屋で過ごす梵天丸は勿論、景綱も暗闇からぼんやりと周囲の輪郭が浮き出してくる感覚に、すっかり慣れてしまった。この密事のような遊びが厭な訳ではないが、やはり童の成長には外界の刺激も必要だろう。それに景綱には、月の光を浴びた梵天丸のあの姿をもう一度見たいという気持ちもあった。


「梵天丸様、この様に閉め切っていてはお身体に障ります。」

「…平気だ。」


いつものように訪れた梵天丸の自室で奏でていた笛を止め、景綱は少しだけ咎めるような口調で言った。それを敏感に感じ取った梵天丸は、強張ったでも完全に拒否を示す言葉を返す。それまでじっと景綱を見つめていた左眼は宙をさ迷い、桜色であろう唇を強く結んだ。
梵天丸の頑なな様子に心の中で小さな溜め息をつきながらも、童らしい表情を見れたことが嬉しくて景綱の顔は緩んでしまう。殆ど闇色に近い鋼の瞳を細めて、柔らかい口調で諭した。


「今宵はとても美しい下弦なのですよ。小十郎めは、是非梵天丸様と共に愛でたいのです。」

「………っ!で、でも…」


闇の中浮かび上がる琥珀はいつもより水分を多く含んでいるようだった。薄く瞳の上に張った水膜は、言葉と共に次第にその厚さを変えていく。
梵天丸はやせ細った小さな両手を痛いくらいに握り締め、下を向いた。声は枯れたみたいに出なくて、急に掠れる。握り締めた掌にじわっと汗が噴き出したのを感じた。


「この醜い姿が誰かの瞳に映るやもしれぬ…。」


梵天丸が引き籠もる理由を知った景綱は、この童が実母から受けた仕打ちを思い出した。その理由に今まで思い至らなかったこと、この事を幼い主の口から言わせてしまったことに胸が苦しくなる。あの美しくも恐ろしい姫君に憎しみを感じるも、自分自身がそれ以上に苛立たしく、眉間に深い皺が寄る。
景綱は徐に立ちがあり、中庭に続く障子を勢い良く開け放った。


「こ、こじゅうろ…!!」


梵天丸は月明かりの届かない暗がりへ咄嗟に飛び退き、隻眼をまん丸にして景綱を見上げた。何だかんだ言って自分に甘いこの家臣が、この様な強行手段をとるとは思わなかったのだ。


「私は貴方様より美しい方を見たことが御座いません。」


景綱は煌々と月明かりを受けながら、優しく光る鋼で梵天丸を見つめて言った。その優しい眼差しに頬を染めながらも、梵天丸は自らの姿を隠すように身を丸める。
夜風に流された雲が下弦の月を半分ほど隠してしまい、周囲が僅かに仄暗くなる。寝静まった城内に、草木が囁く声がこだました。


「でも、髪も瞳もこんな色で……、」

再び顔を出した月に反射して、梵天丸の柔らかい頬に伝う雫が光る。景綱は開け放った障子に寄りかかり、夜空を仰いだ。


「私は美しいと思いますよ、梵天丸様の御髪や瞳の色。煌めく黄金色で…ほら、丁度あの下弦の月と同じ色だ。」


その時自分に向けられた微笑みが本当に美しくて、梵天丸は身を隠すことを忘れて、彼を見つめた。いつの間にか月の光が照らす範囲まで乗り出していたその姿は、何よりも神々しく景綱の瞳に映る。その神々しさに似通ったものを感じ、景綱は梵天丸を見たまま呟いた。









「あぁ、…小十郎は月が  です。」



[*前][次#]
[戻る]


第3回BLove小説漫画コンテスト開催中
[小説ナビ|小説大賞]
無料HPエムペ!