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小咄
散桜




「…そろそろですかね、」


小次郎はそう呟くと、そっと瞳を閉じた。







【散桜】









敬愛してやまない実兄の足音は、真っ直ぐ此方に向かっていた。
残り僅かとなった灯が微かに揺れる。細やかなその光は、閉め切られた室内をぼんやりと照らしていた。今宵は風が強いらしく、木々のざわめきが止まない。
小次郎はしっかりと姿勢を正すと、近付く足音に集中した。風のなき声に混じって聞こえるそれは、何度も思い描いたものだ。


「兄上がわたくしの部屋を訪れて下さるのは、初めてのこと…」


産まれてこのかた運命を違えた実兄とは、愛していても交わらぬ定めであった。今となっては何がそうさせたかなど、つまらぬ問題だと小次郎は考えている。小次郎にとって、実兄を心から敬愛する。其れだけが全てであった。


「…実に喜ばしい、」


小次郎がそう言葉を紡ぐと、力尽きた灯が消え、廊下に繋がる部屋の戸が勢い良く開いた。愛おしい気配に、閉じていた瞳を開け、部屋の入り口に佇む実兄を見上げる。
実兄は美しい満月の光に照らされ、その稲穂色の御髪を風に遊ばせていた。鋭く光るただ一つの琥珀は、手にしている長刀の如く凛として麗しい。
久しぶりに眼にした実兄の妖艶さに、小次郎は闇色の瞳を瞬かせた。


「…………、」

「……。」


先程まで煩いくらいであった木々のざわめきが一切耳に入らない。
母である義姫が実兄に毒を盛ったのは聞いていたため、此処にくることは分かっていた。だからこそ、色々話すことを考えていたのに、何も喉から出てこない。
どこか冷静な頭で小次郎は思った。これが正解なのだと。

小次郎は由々しく御辞儀をし、僅かな微笑みを湛えて実兄を仰いだ。真紅の衣を首から胸にかけてはだけさせ、その白々とした首を差し出す。肩につかないくらいに揃えて切られた漆黒の髪は、さらりと流れて肌に影を落とした。長い睫毛で縁取られた眼は、じっと実兄を見つめている。
それまで入り口にいた実兄は足音もなく近付き、来たときと寸分違わぬ表情で小次郎を見下ろした。冷たい視線の中にどこか悲しみに似た感情を感じて、小次郎は目を細める。


「(…あ、にうえ)」


小次郎が声無く呟くとほぼ同時に、実兄が手にしていた鋼が走った。小次郎の生白い首筋から、暖かな鮮血が噴き出し、部屋を真紅に染めていく。
小次郎は崩れる身体と薄れゆく意識の中で、真紅の衣濡らす雫を見た。

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あきゅろす。
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