小咄 撰道 秋の視察は領主の大事な任務の一つである。 民との交流や今年の作物の出来を知るすべであるため、藤次郎自身毎年欠かさず行っていた。 景綱は他務で城に残してきたが、廻るのは領地内のみ。腕の立つ家臣も多いし…と景綱の反対を押し切ってきた。 毎年恒例のことだと、皆、油断していたのかもしれない。 《撰道》 「………っ!」 藤次郎が咄嗟に避けたため急所は外れ、髪の毛一房と左頬に良く研がれた銀が走った。途端に散る金と真紅。甘い血の薫りが広がり、藤次郎は両手で頬を押さえながらよろめく。 引くために鳥のように高く飛び上がった忍を、重長は太腿に潜めていた南蛮鉄砲二丁で撃ち落とした。乾いた音を二度響かせると、右脇腹と左足首に鉛玉を命中させる。結われた長い漆黒は、風に遊ばれ宙を舞った。その姿があまりに火薬の香りと合わなかった為、成実はただ茫然とその光景を眺めていた。 忍びがもう動けぬ事を悟ると、重長は慌てて藤次郎に向き直る。家臣たちに囲まれた藤次郎の表情は見えないが、手と布で押さえられた白い頬からは真っ赤な血液が流れていた。 「藤次郎様…?」 迷子の子どもが途方に暮れた時のように、掠れた声で主の名を呼んだ重長は両手で口元を押さえる。ガタガタと震えながら暗い瞳に涙を浮かべ、勢い良く踵を返した。 「お前っ!!我が聖君を…っ!何という愚行!!その身をもって、罰を償え!」 「ひぃ…っ!!」 一度は下げた二丁の銃を忍へ真っ直ぐ掲げると、何の躊躇いもなく引き金を引き続ける。 辺りには乾いた破裂音と、肉を裂く歪な響きが轟いた。鉛弾が当たる度、呻き声を上げていた四肢も直ぐに静かになる。それでも重長は撃つことを止めず、弾がきれると足元に転がる死体を何度も踏みつけた。 闇色の瞳孔は開ききっており、その顔に表情はない。ただただ無心で死体を踏みつける重長の肩を、成実は後ろから掴んだ。 「はぁ…はぁ……、」 「重長、…もういいだろ?」 ― ―――― ―――――― 「、重長は?」 「禅を」 「…そうか。」 藤次郎は床から半身を起こし、長閑な午後をむかえた中庭を眺めた。暑さが和らいだこの頃は、雪国の冷えもまだ訪れず過ごしやすい。冬支度で忙しい時期ではあるが、過保護なこの重臣は床から離してくれなかった。報告は常に聞いているし、何より抜かりない男であることは己が一番理解しているので政の件で心配事は無いが。 よって藤次郎の心配事は、政の他にあった。 「…虐殺ねぇ。誰に似たんだか、」 己が頬にこの傷を負ったあの日、重長の暴走を目の当たりにした藤次郎は呟く。相手方の刃物には毒物など塗られておらず、頬の傷も浅かったため痕は、残りそうにない。 だが、あの光景が藤次郎の心に暗い痕を残していた。自らに依存しがちなところがあるとは思っていたが、普段華のように微笑む重長の新たな側面は、あまりに仄暗い。 「貴方じゃないですか?」 景綱は藤次郎の傷みを悟ったのか、珍しく似合わない冗談を言った。日輪の下で見る鋼瞳は、いたわりをもった闇色に輝く。 のぞき込むような深い闇に、藤次郎は救われる気がした。 「ははっ!そうかもしれないな、アレはお前と私の子だからな。」 「ふざけないで下さい。」 眉間に深い皺を寄せた景綱は、藤次郎を睨みつける。鋭く言葉を遮られた藤次郎は、苦笑を零した。 心地よい秋の風が開け放した襖から入ってくる。優しく包むようなそれは、でもどこか死の季節の匂いを含んでいて、景綱はまるで重長のようだと思った。厳しく力の篭もっていた目元を哀しげに緩ませ、静かに瞳を閉じる。 「あれは闘いに非ず。ただの虐殺でしょう…」 景綱自身が自ら眼にしたわけではないが、成実が語る内容は散々たるものだった。相手が息を引き取った後も尚、誇りを傷つけることは武士として如何なものか…少なくとも褒められることではない。 景綱が静かに考え込んでいると、藤次郎は憂いを秘めた声で呟いた。 「あの子を壊したのは…私なんだろうな。他の道も有っただろうに…」 藤次郎は重長の命を救った遠い昔を思い出していた。その黄金の瞳には、悲痛な色が映る。 景綱は藤次郎の優しく肩を押し、床に臥せさせた。首まで掛け物を上げると、瞬く隻眼に微笑みかける。一定の速さで寝かしつけるように胸元を叩き、静かに囁いた。 「例え他に明るい道が有ろうとも、重長は今の修羅を撰んだかと。……私が、貴方様の御傍を撰んだように。」 「……ん。」 隻眼を細めて笑った藤次郎は、穏やかな風と心地良い振動を感じながら眠りについた。 [*前][次#] [戻る] |