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NOVEL 天使の顎 season2’ OVERDOSEEXOCIA
25 *祈祷/Inori*2
 藤咲乙姫からの着信が残っており、絹夜はリダイヤルした。
 すぐに彼女は出て、緊迫した様子で話を切り出した。
 夕刻、黄金色のこの時間、喧騒から離れた地理教材室は最早馴染んで絹夜の声も少し大きくなっていた。

『絹夜くんにとっては良くないニュースだよ』

「おう、一気にトドメさしてくれ」

 絹夜の様子が変わった事に対し、乙姫は一瞬言葉を詰まらせたが勢い任せに結果を言った。

『雛彦様は二階堂礼穏を処分するつもりだったらしいの』

「……レオを、処分?」

『色々と複雑な事情があるみたいなんだけど、彼女が近いうちに魔女、法王庁のどちらの敵にもなりえるっていう情報が流れたの。
 ルーヴェス・ヴァレンタインと同じ、世界の敵判定。雛彦様、どういうことかルーヴェスにやたら固執してて最近ちょっとおかしいのよ』

「……ま、そうだろうな」

 雛彦はすでにルーヴェスが絹夜の本当の父親である事に感づいているのだろう。
 そして、自分との接触を図る前にいなかった事にしたい。
 黒金雛彦と言う男は偏愛と冷酷が合わさったような人間だ。
 愛する者の為に平気で手を汚す。それさえも愛だと押し付けてくる。

「ルーヴェス・ヴァレンタインはどうやら俺の本当の父親らしくてな。
 あの兄貴なら俺が知らないうちにぶっ殺したいって考えるかもしれない」

『…………父親。そう、それなら納得いくわ。雛彦様ならやりかねないわね。
 ただ、二階堂礼穏の処分決定はルーヴェスより判断が早かったの。
 ルーヴェスは完全に私怨って事なんだろうけど、彼女に対しては恐らく確実な情報があったんだと思うわ。
 絹夜くん、何か知らない? 彼女がそれほどまでに至る理由を』

「いや、字利家が言っていたように、邪神配列DNAとゲートの遺伝子配列についてしか」

『そう……別動隊から得た情報なんだけど、二階堂礼穏の母親が育った家で、黒い雌獅子のオブジェが置いてあったの。
 これに似せた文様とかも床のタイルで見つかっているわ。
 エジプトで信仰されているバステト神かと思ったんだけど、専門の人たちが言うには微妙に違うみたい。
 多分、これが邪神配列DNAの主なんじゃないかって今調査を行っているの』

「こっちでも呱呱の角病院の院長がそれと同じものを崇拝していたという情報がある。
 実際にそのオブジェも手に入れた」

『同じかもしれないね』

 デスクからそのオブジェを取り出し大きさを伝えると、全く同じもののようだった。
 吾妻がこの雌獅子を崇拝していた事は間違いなさそうだ。
 しげしげと獅子のオブジェを見ていると、その土台に何か書いてある事を初めて知る。

「これ、何か書いてあるな」

『どこ?』

「土台の部分」

『ああ、それなら――』

 刹那、血がぞっと沸き立つような感覚だった。
 頭が一気に興奮状態になって、意識が飽和し掛けた。

『――アサドアスル、アラビア語で『時代の獅子』よ』

 アサドアスル。
 黒い獅子のオブジェが夕陽の光を受けてほくそ笑むように輝いていた。
 ――これが、貴様の末路だ。
 突如、その雌獅子の像の瞼が開き、ペリドット色の双眼で視線を合わせた。
 次の瞬間、絹夜が見ていたのは倒れている仲間たちと自分、そしてその前では黄金の装飾に身を包み虚ろな表情をしたレオだった。
 いや、彼女がアサドアスルだ。
 それは長く息を吐いた。
 露出した体が呼吸と共に静かに脈動する。
 ――私の血が欲しいか、腐敗よ。
 彼女は優雅な動きで近づき、体を添わせるように立った。
 ――私とお前の、甘美な血の宴を。
 耳、首筋、と彼女の鋭利な黄金の爪が当たって、ひりひりと痛んだ。
 血が流れている。
 そして妖艶にほほ笑むと、アサドアスルも自分の左胸の上に走る静脈を苦悶の表情をして掻き切った。
 舞い上がる血の匂い。
 体を震わす、高揚の香り。
 負ける。
 意識がはっきりしているのに右手は彼女の肩を掴んで引き寄せていた。
 ――食うがいい。愛してやろう。
 食え。それは我ら腐敗に与えられた供物。

「ダメ!!」

「ぬわッ!!」

 がちゃがちゃと安っぽい金属音がしたかと思うと後頭部に柔らかい感触があった。
 両腕に絡まる手、自分の右手には抜き身の2046が光っていた。
 そして、つるりとのどから血の珠が流れ落ちていた。
 心臓は早鐘を打って、ようやくレオが自分の下敷きになっている事に気がついた。
 強く頭を打ったのか、後頭部に手を当てている彼女の上からどいて、絹夜は乙姫が叫んでいる携帯電話を耳に当てる。

『どうしたの絹夜くん! ものすごい音したけど!?』

「……アサドアスルってのに引きずり込まれかけた。
 危うく自分の首刎ねるとこだったぜ」

『えッ? ええッ!?』

「話題にするのもヤバそうだから手短に話すが、
 そいつが恐らく邪眼ゴールデンディザスターの主で、アテムの一族が作り出した対腐敗の最終兵器だ。
 吾妻の一族には時代の獅子――アサドアスルの邪神信仰が残っていて、遺伝子のゲートからそいつの意識が漏れ出してる。
 大方、”先見の魔女”か”真実の魔女”あたりの情報だろう。
 アサドアスルが本格的にゲートを乗り越えてくる前にその器を処分しようって魂胆だな。そんなところでいいか」

『う、うん。こっちで考えている話もそんなところ』

「それから、藤咲。浄化班最高責任者黒金雛彦に言っておいてくれ。
 ”いつでもかかってこい”ってな」

『……言われても仕方ないよ、雛彦様。わかった、必ず伝えておく』

 そうして電話を切ると絹夜はため息をついた。
 振り返ると、不安げな顔をしたレオが座ったまま見上げている。
 夕刻の、昼と夜が混濁した光の中で彼女はぐっと言葉を飲みこんで耐えていた。
 手を貸しても、彼女はそれを取ろうとはしなかった。
 そして似合わないか細く震える声で問う。

「……私、世界の敵になるの? その、邪神に乗っ取られて、いなくなるの?」

「お前……全部聞いてたのか」

「…………」

 呼吸を落ち着かせてレオは唇を無理やり釣り上げた。

「やっつけちゃえば、私の事。世界救えるよ」

 2046を消し、絹夜は手を差し伸べ続ける。
 彼女は俯き、夕日から目を反らすが、黄緑色の瞳、その淵はきれいに輝いていた。

「せめて、絹夜に……君に殺されるなら」

 自分と思っている事は一緒だった。
 ただ、目いっぱい否定したい気持ちになって絹夜は彼女の腕を無理に引っ張り上げた。
 それでも背を向ける彼女に、絹夜は静かに、窓から見える風景と記憶に残っている情景を重ねながら告白した。

「俺は……大事な人を殺して世界を生き永らえさせた事がある。正しい選択をしたと思う」

 ぽろりとレオの頬に涙が流れて、そして彼女は微笑んだ。
 だんだんと暗くなる。
 太陽のかけらが溶け落ちて、空だけが名残惜しんで黄金色。

「正しかった。後悔してる」

 矛盾した事を言って絹夜はレオに視線を戻す。
 彼女は赤くなった目の下を隠すように少し俯きながらこちらを伺っていた。
 風見チロルを、大事な人を乗り越えなくてはならなかった。
 それが正しいと理性が命じ、まさしく真実で、間違っていなかったのに後悔した。
 後悔を疑えば疑うほど、理性を信じようとした。
 彼女を倒さないで世界を救う方法があったんじゃないか?
 いいや、ああするしかなかった。
 贖罪の果てに本能を殺し、目の前に並んでいる選択肢を機械的に選ぶだけになっていた。

「もう二度と――」

 そこまで言って絹夜の顔つきが急に変った。
 ぐるりと首を閉じられた出口に向けて音を立てずに近づくと足を振り上げてドアに叩きつけた。
 派手な音を立てて外れたドアは連中の頭上を舞って、最後尾にいたクロウの顔面に着地する。
 聴診器片手のユーキとコップ片手のジョー、そのユーキの後ろでこそこそし始める銀子。

「おや、奇遇ですね、黒金先生」

「おう、奇遇だな。パンチとキック、どっちか選ばせてやる」

「いえ、お忙しいようなので続けていいですよ。僕らの事はお構いなく」

 全く悪びれた様子を見せないところが赤羽ユーキのすごいところである。
 中腰に聴診器、完全に盗み聞きの体制のままユーキは絹夜と視線を外しながら横に横にと歩いていく。
 しかしその肩に絹夜の手がかかって足払いと同時に床に叩きつけられた。

「あがッ! 保健医に暴力振るうなんて!」

 さらにその上を歩いて絹夜は屋上への階段に向かった。

「ほらぁ、ユーキちゃん。やっぱお冠じゃない!
 きぬやんはナイーブなんだよ!」

「く、くそお……ナイーブ一言で片付きますか、この仕打ち……」

「最近の赤羽先生、怖いです」

 的を得た事を言って銀子はクロウに立てかけられていたドアを持ち上げる。
 クロウもよろよろと立ち上がり顔を抑えながらレオの元にかけていった。
 本人は気が付いていないだろうが、打ち所が悪かったのか鼻血が出ている。

「レオちゃん、大丈夫?」

「大丈夫かわからんのはお前だ」

「そうじゃなくて……あの、黒金先生に何言われたの」

「…………」

 空気を読まず核心をついたクロウに全員の視線が突き刺さる。
 よく聞いた!
 何を聞いているんだ!
 入り混じったその中でクロウはきらきらした目を向けていた。
 ため息の末、レオは何でもないような顔をしてさらりと言った。

「私、世界を滅ぼしちゃうかもしれないんだってさ」

 あまりにさらりと言い過ぎて、だからこそ冗談に聞こえなかった。
 字利家が話していた彼女の可能性なのかもしれない。
 レオはすっと横を抜けて絹夜の向かった階段を駆け上がっていった。



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あきゅろす。
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