NOVEL 天使の顎 season2’ OVERDOSEEXOCIA
22 *背中/Yearn*2
ジョーの家は住宅街から外れた川沿いの木製家屋だった。
補強に補強を重ね無駄に膨張した木の壁はこの季節隙間風が酷い。
いつもは締め切って静かな家の中から温かみのある光と笑い声が聞こえた。
一体何事かと思って玄関を開くと、手狭な部屋の中に入院中だった母が盆を持って立っている。
「あら、ジョー、おかえり。どこに行ってたのよ」
「あかっか、母さん! 何で!」
「ん? 春野に言ったわよ、外出許可貰ったって。だって、ほら、今日はお父さんが帰ってくるって――」
お父さん。
意味不明な単語だが、母の視線を追って視線を部屋の中に向けると、バカでかいヤマアラシかと思うほど頭ボサボサの大男が一升瓶を抱えていた。
柔道着一丁でろくに風呂にも入ってなさそうな山男だ。
「親父……」
「げはははは、ジョー。久しぶりだな」
ジョーはさらに釣り上った目を鋭くした。
今一番会いたくない人間だ。
ふらっと家を出て、ふらっと帰ってくる。
そして自分が稼いだ金で買った酒と刺身を食って飲んで暴れてまたふらっと家を出る。
それが鳴滝豪という男だった。
「ご、ごめんなさい、お兄ちゃん……最近、忙しいみたいだから……声、かけられなくて……」
怯えた様子で妹の春野が言い訳をした。
そうだ、母は病院で、父はふらついてジョーの変貌ぶりには気が付いていない。
いや、ただ元に戻っただけだ。
3年前に戻っただけだ。
「おい、丈。挨拶ぐらいせんか」
「冗談じゃねぇ。誰がお前みたいな飲んだくれに」
「冗談はお前だ。お前はその飲んだくれの息子だ」
「……帰ってきたら酒ばっか飲みやがって! ろくに働いてから父親面しろよ!」
しん、と静まって、しかしそれがいつものことだったので母はなれた調子で苦笑し二人の間に入った。
「せっかく家族全員そろったんだから。ほら、丈。座りなさい、ご飯まだでしょ」
「いらねぇ。そのくせぇオッサンとメシなんか食えるか」
「……丈」
「ほっとけ、そのうち腹へって泣きついてくるんだ」
その子供扱いも気に食わなかった。
働いて、働いて、それでも切りつめて。
だというのに家族全員でふらふらしているあの男が来ると盛大に金を使って出迎えて。
夜の帳の中に出たジョーは持ち合わせの金を確かめた。
ほぼ無いと言っていい。
それに、今は働く気になれなかった。
上着もないまま11月の寒い夜空の下、惨めな気分だ。
* * *
「おい、丈。稽古だ。いくぞ」
「……うん」
いつもぼろぼろの道着を着ていて、頭はボサボサ、ひげも伸びっぱなしで時代錯誤な男だった。
不格好で木材をそのまま切り出したような木刀を担いでおり、手にマメがいっぱい出来ていて手をつながれるとざらざらとして嫌だった。
本当は父の稽古には付き合いたくない。
痛いし、苦しいし、とにかく嫌なことばっかりだ。
大嫌いだった。
自分の大事なものをないがしろにするあの男が大嫌いだった。
体が痙攣した。
「あ、ふ、ふえぇーっぐしッ!!」
勢いよく体を起こすと、そこは駅前の公園のベンチだった。
まだ霧のある明け方らしく、人通りも少ない。
水道で水を飲み、顔を洗ってコンビニで一番安い菓子パンを買って食う。
そこまでしてまだ1時間しかすぎてなかった。
その上、全く腹が満たされなかった。
残金は300円ちょっとだ。
とにかく学校に行って保健室――いや、今更どんな顔して会えばいい。
字利家もクロウの差し金だという事はわかっていた。
連絡が取れるのは自分か彼か、絹夜だけのはずだ。
「…………寒い」
父は1週間は家にいる。
その間、1週間は、家に帰るつもりはなかった。
とにかくどこか風のしのげる場所に行かなければ。
いくつか候補が浮かんだが、誰かを充てにするのは嫌だった。
公民館の図書室にどうにか落ち着き、昼飯に同じ菓子パンを腹に詰めた後も端の席で眠っていたが、
そこも夕方5時で閉館し、また寒空の下に戻ることとなった。
「……すげぇな、ホームレス」
凍てつく夜の中、公園の端のダンボールに老人が出入している。
もちろんジョーより厚着なのだが、日中もそこで過ごしているに違いない。
その日は人通りが少なそうなところで新聞紙に丸まって眠りについた。
翌日、といっても4時間後、体の異変にきがついて起きた。
えらく頭ががんがんと痛み、咳が出た。
ただ、動けなくなるほどでもなくジョーはそのまたを引きずりコンビニで同じ菓子パンを買って水道水でどうにか腹に収めた。
もう金はない。
どうにかあと5日ほど雨風をしのげるところを探さなくては。
そう思いながらも体の調子はひどくなる一方で、公民館で夕方まで過ごしたがその後は公園に戻るしかなかった。
その頃には歩くのも精いっぱいの体たらくだった。
「……レオ……きぬやん……クロウ……俺、何やってんだろ」
心細い。
早いが人目を気にせず新聞紙にくるまって横になるしかなかった。
眠りについたのか気を失ったのかさえもわからないまま、ジョーの意識は途絶えた。
* * *
「名前、なんて言うの? どっかの国のハーフ? モデルみたい、スカウトとかされないの?」
「…………」
黄緑色の、まるで亜熱帯の豹のような眼差し。
美しいと賛美するには鋭過ぎる少女だった。
気持ちを切り替えて高校に入学した当初、二階堂礼穏は物静かで、根暗という言葉が似合う女生徒だった。
可愛らしいと思っていた。彼女にしたらさぞ自慢できるのだろうなと考えていた。
大きな間違いだった。
「気易くしないで」
「……あれ」
そして1か月もしないうちにあの事故が起こって、彼女は凶暴な本性を露わにした。
粗暴、破壊、身勝手、傲岸不遜。とんでもない女だった。
それから何度か衝突して、共闘の末にぐだぐだと親友と言える仲になった。
いや、自分は彼女を尊敬しているし、彼女が女性でなかったら”アニキ”と大手を振って呼び慕っていただろう。
そんな彼女が本能的な愛の末、記憶の底に沈んでしまった。
そしてあのダメ人間は心がからっぽになってしまった。
やりきれない思いがくすぶって、自分がそこを突破しないといけないのに。
「……何やってんだろうな、俺」
体中汗ばんでいた。熱い。
――熱い?
「……ッ!」
起き上がると、そこは見た事のないモダンカラーのベッドルームで自分の頭にはぬれタオルが乗せられていた。
高級そうな羽毛布団、センスのあるカーテン。
壁沿いの本棚には難しいタイトルの本がならんでいた。
「……フロイト?」
良く見れば自分は真新しいパジャマを着ているし、まさかと思ってパンツも確認するとそれも新品のようだった。
「ナニコレ!」
パラレルワールドというやつだろうか。
考えられる可能性が無く、ぐるぐると思考が空回りする中、ベッドルームの扉が開いて見覚えのある顔が入ってきた。
ワイシャツにスーツスカート、キャリアウーマン風のぱりっとしたメイクをした字利家ひとみだった。
「起きたか」
「……わけがわからん、説明してくれ」
「落ちてたから拾った」
「…………」
完全に喧嘩を売っているニュアンスであっさりと言ってのけた字利家にジョーは盛大に頭を抱えた。
昨夜も公園で寝ていたところをこの姉さんは拾ってきたという。
「俺は犬か猫かッ! 帰る。俺の服どこにやったんだよ」
そういうと彼女はカーテンを開いてベランダ先でぶら下がっている制服とTシャツ、うさぎさん柄のトランクスを指した。
なんて柄を履いていたんだ。
ジョーはまたしても頭を抱えた。
「鳴滝、昨夜は40℃も熱があったんだ。その上うなされていたよ。
変に意地張ったところでお前はその程度なのさ。ガキはガキなりに大人に甘えてればいい」
「……俺はガキじゃない」
「いいや、ガキのサイズだった」
「あんた、何の話してるんだ」
冷笑を湛え、字利家はカーテンを閉めると腕を組んでベッドに腰かける。
そしてジョーの額に手を当てた。
「まだ少し熱いな。安静にしていろ。たまご粥を作って置いた。
冷蔵庫にあるものは勝手に食べていい。じゃ、私は忙しいものでな。
ああ、それと。抜け出すなよ。お前がまた道端で倒れていたら簀巻きにしてお前の家に運ぶからな」
ちょろりと彼女の怒りの炎が垣間見えた。
極上の作り笑で小さく手を振って戸を閉めた字利家にジョーはやっぱり頭を抱えた。
呪をかけられたり、助けられたり、彼女は彼女なりに描いた筋書きに強引にもっていきたいらしい。
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