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NOVEL 天使の顎 season2’ OVERDOSEEXOCIA
21 *紅/BloodLake*4
「彼の心は、誰もが思っているよりも繊細で、脆く、儚げだ」

 表情のない頭で、よだれを垂らしながらミスター・イレギュラーは足元に倒れている絹夜をつま先で蹴飛ばした。
 魔法陣の効力対象ではなかったレオ、そして逸早く脱した過去そのものが薄いクロウ、過去に陰りが無い銀子だけが意識のある状態だった。

「何をしたの」

 レオの言葉は重く冷たかった。

「秘密」

 ミスター・イレギュラーはしゃがみこんで絹夜を見やる。

「二階堂さんの、事故の時の記憶を見ました……!
 そのあと、自分と二階堂さんの記憶がぐちゃぐちゃになりかけて、でも、自分の事を思い出したら戻ってこれたんです」

 代わりに銀子があった事を簡潔に話して、それを聞くなり問答無用でセクメトがミスター・イレギュラーに襲いかかった。
 ミスター・イレギュラーは抵抗もする気が無いのかそのままセクメトに押し倒される。

「レディ・マイノリティ」

 ミスター・イレギュラーが意味不明な単語を口にすると、セクメトの右腕がはじけ飛んだ。

「あ、ああああぁぁぁぁぁああッ!!」

「レオちゃん!!」

 その痛みはレオの体にも走り、彼女は右腕を抑え膝をつく。
 レオがそれでも睨んだ眼前には黒い喪服の少女が銃を構えていた。
 冷徹な表情をした、ストレードゴールドを滴らせる美しい少女だった。

「イノリさん……どうして、どうして二階堂さんを!!」

「……申し訳ありません。私もゲートの番人の一人。レディ・マイノリティと申します。
 黒金様がお集めになったゲートの権限を全て、頂きたく存じます」

「まさか……初めから黒金先生にゲートの権限を集めさせて、数がそろったところで横取りするつもりだったんですか!?」

「か弱く意思の薄い番人が支配するより、私たち意思と魔道を備える番人が支配した方が門は固く閉ざされます。
 貴方がたにも、ギーメルギメルにも、ヘラクレイオンを開かせるわけには参りません。あしからず」

「…………イノリさん。黒金先生が……悲しみますよ」

 銀子の言葉に一瞬動揺し、しかしイノリの銃口はセクメトを狙ったままだった。
 セクメトに首を掴まれたまま、悪ガキのようにくちゃくちゃと音を立てて何かを咀嚼しているミスター・イレギュラー。

「うひゃひゃひゃひゃ! 生きても返さん、死んでも返さん!
 ここは永劫の魂の牢獄! 過去を何度も繰り返し、何度も絶望しようではないか!」

「黙れ、草食動物……ハラワタ引きずり出すぞ」

「ご、が、は……ッ」

 セクメトの腕がミスター・イレギュラーの首を締めあげる。
 だが、彼は明後日の方向を見たまま笑っていた。

「何が可笑しい」

「黒金絹夜が落ちた。底に落ちた」

「――ッ! それ以上わけのわからないことを言ってみろ!」

「ぐぼぉッ、お、おち……うひゃひゃ……ごッ……マイノリ、ティ」

 乾いた音と共に、セクメトのもう片方の腕も宙を舞った。
 同時に、セクメトが咳込むミスター・イレギュラーから、標的をイノリ――レディ・マイノリティにかえ、両腕が無いまま彼女に襲いかかる。
 何度も乾いた音が響き、セクメトの体に何発も弾丸がめり込んだ。

「レオちゃん、これ以上は無理だ!」

 レオの体を後ろから派がいじめるクロウだが、セクメトはレディ・マイノリティを攻撃し続けた。
 唸る電撃、舞い飛ぶ銃声。
 いくつも重なった末、セクメトの顎がイノリの肩を捕え、フェンスに叩きつけた。

「ッ! ……強い!」

 重い金属音を立ててレディ・マイノリティの手からスカラベの銃が落ちる。
 クロウを振り払い、レオはその銃を拾い上げて彼女の額に突き付けた。

「二階堂さん! ダメですッ!!」

「お撃ちくださいまし。我らは元より死人に御座います。死など、恐れてはおりませぬ。
 我らも粉砕し、踏みつけ、地獄のゲートを開くと良いでしょう。我らはただの影に御座います」

「……ヘラクレイオンに何が眠っているのか知っているの」

「ご存じないままの方が、お幸せでしょう」

「勿体ぶるじゃない。一体どういう心の変わり様? 影のクセしてさ! 薄っぺらい!」

「左様で御座います、影に御座います! ただの、過去でしかございません!
 私はこの世ならざる心の残像……このような苦しみも全て、幻に御座います……」

 レディ・マイノリティの頬に涙が流れ、彼女は表情を隠すように片手を目元に添えた。

「貴女にはお分かりになりません。
 死んでしまった我々が、どんなに想い馳せようとも、全て幻なのですから……」

「わかんない。わかんないねぇ……それに気に食わない。
 あのクソ馬鹿男と同じ事言うんだねぇ。全てが幻だから何だってのよ。
 それがあんたの”しない”理由? 馬鹿! ぶぁーっか! だから薄っぺらいって言うのよ!」

 ごり、っとスカラベの銃がさらにイノリの額に押し付けられ、セクメトの牙がイノリの体に突き刺さった。
 苦悶の表情をするイノリの前でレオは犬歯をむき出しにして笑った。

「私なら”する”ねぇ! 全部幻だろうが、指さされて笑われようが、無駄だろうが! やりたいだけやって、気持ちよくなっちゃうね。
 お前ら、そんな事も恥ずかしくて出来ないクセして、おっかなびっくり歩いてるクセして、欲しがらないクセして、与えてもらわないと文句ばっーかり。
 大っ嫌いなのよ、無駄に生きてるフリしてるバカ男も、無理に死んでるフリしてるアンタも!!」

 レオの腕がぐるん、と翻って見てもいないのに発砲した。

「んわぁ」

 乾いた音がミスター・イレギュラーの角に当たって彼はそのままはじかれるように倒れる。
 ようやく意識を取り戻したジョーとユーキだったが、目の前の状況に頭が追い付かず茫然としていた。

「だーいっきらい! 心配させるヤツとか、守ってあげないといけなくなるヤツとか! 大っ嫌いなのよ!」

 そう唱えながらレオが絹夜の前にかがみ、彼の襟首を掴んだ。
 セクメトがダメージを受けた腕が痛むのか、レオは額に汗の玉をいくつも浮かべていた。
 絹夜の目は開いていはいるものの視線がこもらない。

「絹夜、おきなよ……! 反省喰らいたいの!?」

「ぐ……一度落ちた心は戻らぬ、うひゃひゃひゃひゃ!」

 よろよろと起き上がりながらミスター・イレギュラーが立ち上がり口元をぬぐった。

「……彼が落ちたっていうのは、どういうこと。
 元に戻すためにはどうしたらいいの」

「無駄無駄! うひゃひゃひゃ!」

「接続の印をさっきの魔法陣に加えれば、黒金先生の意識にたどり着くことは出来るよ。
 出来るけど……戻るのはやっぱり自力だ、危険だよ、レオちゃん!
 黒金先生の意識は君の過去と入り交ざってまた別のものになりかけてる、いくら体験し終えた君でも――」

「クロウ、私……」

 絹夜の肩を抱きしめて、彼女はその胸に引き寄せた。
 痛み、軋む腕で包みこんで、不器用にほほ笑んだ。

「……手放したら、私の魂が空っぽになっちゃうそう」

「――え」

「私は絹夜がいなくなっちゃうなんて絶対に嫌」

「……レオ、ちゃん……」

「生意気かもしれないけど……守ってあげたいの」

 彼女が泣くのをこらえているのがクロウにはよくわかった。
 その表情を良く知っていた。
 本当は泣きたいのに、弟の前ではお姉ちゃんだから、と泣けなかった。
 守りたいものの前で泣けるほど、彼女は器用じゃなかった。

「――そっか。でも僕は、そんなレオちゃんだから好き」

 そんな彼女と同じように泣くのをこらえてクロウは無理やりに笑顔を作った。

「ちょ、ちょっと! 危険な方法なんでしょう!?」

「菅原先生、お言葉ですが、黒金先生が起きなければ我々は裏界から出る事ができません。
 ここは二階堂さんに賭ける以外に脱出の方法がありません」

「あ……そんな」

 ユーキに諌められた銀子、その横を通ってジョーがクロウの肩を叩き、レオに目をやった。

「さっさとスリーピングビューティーを起こしてやんな。待ってんぜ、きっと」

「うん。お願い、クロウ」

「任せて」

 クロウが先に見たミスター・イレギュラーの描いた陣を再現し、さらに接続の印を加えた。
 光る複雑な魔法陣、それがレオに向かって柔らかに発光していく。

「そうはさせんよ。うひゃひゃひゃひゃひゃひゃッ!!
 ハッピーエンドは大嫌いだ!!」

 一足早くレオの体が前のめってクロウの魔術は成功する。
 間に合った!
 そう思ったのも束の間、倒れたレオの背中に束縛の印を描いた魔法陣があった。

「う、うわああぁぁあぁぁあッ!!」

 クロウが絶叫する、ミスター・イレギュラーは腹を抱えて笑った。

「うーひゃ、うひゃひゃひゃひゃ!! 娘は己の過去に溶け込んだ男の過去に縛られた!」

 スサノオと銀子、ユーキがミスター・イレギュラーに飛びかかろうとしたが、
 それはレオが持っていたスカラベの銃を拾い上げレオの後頭部に突き付けていた。

「ぬ……!」

「ゲートの主が浮上も出来ず、お前たちは永遠にここで彷徨い果てる。
 うひゃひゃひゃひゃ! ここがシャンバラ! ここが――」

 次の瞬間、青白い光が閃いてミスター・イレギュラーの首が90度曲がった。

「――あれぇ?」

 どさっとおちたガゼルの頭。
 そこからどろりと赤黒いものが流れ出、しおしおとしぼむととうとう全てが流れ落ちて消えてなくなった。

「…………きぬやん」

 そこには膝をつき青白い炎の剣を構えた男が、動かぬ少女を抱えたまま背中を向けていた。
 肩は小刻みに震え、彼はレオの体をぎゅっと抱きしめる。
 レオは瞼を閉じたまま、何も言わなかった。
 怒らなかった。自慢もしなかった。強がりもしなかった。
 彼女はどこにいったの?
 聞けなかった。

「黒金様……」

 そこにセクメトが消え解放されたレディ・マイノリティが彼の足元にある銃を拾い上げる。
 彼女には、絹夜の表情が見えただろう。
 レディ・マイノリティは怒っているような、悲しんでいるような、歪んだ表情をして彼を見上げていた。

「何故黒金様はその娘に執着するのですか!」

「……消えてくれ。今は何も考えたくない」

 がちゃりと絹夜に銃口が向けられる。
 だが、彼はそれが見えないようにレオを抱えて立ち上がった。

「撃ちます! その娘を置いてゆきなさい!」

 絹夜はレディ・マイノリティに背を向けて歩き始めた。

「撃ちます! 私は撃ちます!」

 それでも止まらず、とうとう銃声が響いた。
 銃弾は絹夜の右肩を掠め、ジャケットの生地が舞い飛んだ。
 しかしやはり絹夜は止まらず、屋上の中央まで来ると掌を向けゲートを開く。

「何故……! 何故なのですか! 邪神のようなおぞましい少女を、何故!」

 青白い瞳だけがレディ・マイノリティを貫き、それがまったくの空っぽである事に彼女は気がついた。
 まるでレオが言っていたのと同じではないか。
 彼は手放し、そして空っぽになってしまった。
 ゲートが開き、彼らが去っていく。
 レディ・マイノリティはその場に泣き崩れた。

                    *              *             *

 タバコが灰になって膝の上に落ちているのに絹夜は全くの無反応で呼吸しているのかも怪しかった。
 当然保健室は禁煙だし、それを絹夜もわかっていたはずなのだが、ソファに座るなり彼はタバコを咥え、しばらくしてから火をつけた。

「あ、あの……ユーキ先生、二階堂さんは……」

 ベッドに横たわったレオとの間にカーテンレールを挟みながらユーキは複雑そうな表情でやんわりと説明した。

「幸いにも彼女の強烈な精神力で安定している様です。
 しかし、術者が死んでも――いや、元々死んでいるのですが――消えない魔術は取り払うのが厄介ですよ。
 症状を言ってしまえば、魔法陣は二階堂さんの体そのものではなく、記憶の方に描かれています。
 無理に切除すればその部分に関連する記憶がごっそり消えます」

「その記憶って……?」

「…………」

 ユーキは苦虫を口いっぱい噛み殺したような顔つきになって上手な返事を考えているようだった。
 だが、そこに絹夜の乾いた声が結論を言った。

「俺に関する記憶だ」

「……この際ですからはっきり言いますが、僕もそうだと考えています。
 二階堂さんが接続したのは黒金先生の記憶の部分。二階堂礼穏と黒金絹夜の関係の部分です。
 だから……その、つまり……切除すれば、お二人の関係はリセット、されます。
 二階堂さんは黒金先生の事を一切、覚えていない状態に……」

 はっきり言うと言っておきながらだんだんと歯切れが悪くなってユーキの言葉はとうとう消えていった。
 沈黙の後、ようやく絹夜はタバコを指でもみ消し、ゴミ箱に突っ込むと背中を丸めて出口に向かう。

「切っといてくれ」

「ちょ、ちょっと! そういうわけにいきませんって!!
 だって、二階堂さんは――!」

 言う前にバン、という大きな音を立てて絹夜が保健室のドアごと廊下に吹っ飛ばされていた。
 その上に馬乗りになってジョーが拳を振り上げ下ろす。

「鳴滝くん! 暴力はダメですーッ!!」

「うるせぇ!! 人間のクズにゃちょうどいいんだよ!!」

 さらにもう一発振り下ろして胸元を掴んだ。
 唇を切って鼻血を垂らしている絹夜だが、目は無機質に遠くを見ている。

「鳴滝くん。黒金先生を責めても致し方ありません。冷静に――」

「なれるかよ!! あんたら大人はいつだってそうだ! 大事なくせに手放しちまう! 何だよ、そりゃ! 物わかりがいいフリか!?
 レオがなんつっててめぇの事を助けに行ったか聞こえてなかったのか!?
 いなくなるのが嫌だって! てめぇみてぇなダメ人間を、クズを守るって!
 何でてめぇはレオを置いてきたんだよ!! 何でそんなに簡単にレオの気持ち、切除させちまうんだよ!」

「……クズの記憶なんて、いらないだろ」

 絹夜の口からぼそぼそとそれが聞こえてジョーの瞳孔がきゅっと引きしまった。
 獲物を見定める攻撃的な目だった。
 それが上手に隠し切れていない彼の本性で、過去であることはよく知っていた。

「本物だよ、本物のクズだよ、あんた」

 そう言ってジョーは絹夜から手を離し、暗い廊下を歩いていった。
 おろおろとしながらクロウがジョーを追いかける。
 トドメをさすように銀子が大声を張り上げた。

「見損ないました! 黒金先生! ちょっとは人の事大事にできるんだなって思ってたのに!
 黒金先生のばかーッ!! ふ、ふええぇえ〜ん!! 私も帰ります〜ッ!」

 迷子のように泣きながら去っていく銀子の声が遠ざかって、ユーキがようやく彼に手を貸した。
 それを受けずに絹夜はよたよたと立ち上がる。

「ともかく、切除までまだ少し猶予がありそうです。最善を考えましょう。
 師匠に連絡すればあるいは――」

 最早絹夜の耳には言葉がただの雑音でしかなくなっていた。










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