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NOVEL 天使の顎 season2’ OVERDOSEEXOCIA
21 *紅/BloodLake*3
 ぶくぶくと泡の音が耳を掠めていた。
 真っ赤な血の池の中を落ちていく。
 水面も底もどこなのかわからない。
 底なしの血の池の中を落ちていく。
 真紅の諦めが手足の感覚を麻痺させる。
 彼女はこの絶望の中で、安らぎの中で抗い戻ってきた。

「形容することなんて不可能なのさ」

 自分の声が聞こえてきて、絹夜はゆっくりと目を開いた。
 すると、落ちている自分の裸体が視界に映っていた。
 ホルマリン漬けの肢体のように手足をピクリとも動かさず、開いた眼で仄明かりが射す上を見ているだけだった。

「彼女は死にたくないから抗った、それだけだ。
 絶望の深さ、敵の強大さ、払うべき代価、受け止めるべき真理。それらは関係が無い、好き放題。
 あの娘の性質は、欲しいものを奪い与えたい愛を捧げる、放埓な邪神だ。それが答えだ」

 なんだと?

「じゃあ、続きを見せてやろう」

 目の前はだんだんと暗くなり、そして次に眼に映ったのは緑色の手術服と手術室だった。
 心拍計が軽薄な調子で停止を意味する高音を響かせていた。
 文字通り血だらけの少女が手術台に乗せられ、胸に機械を押しあてられる。

「ECTを行う。離れて」

「はい」

 電気ショックと胸骨圧迫心臓マッサージの繰り返しが何度か行われたが蘇生の気配はない。
 跳ね上がる少女の体、そんな中医師がぎょっとした顔つきになった。

「……泣いている」

 レオの瞼から血の涙が落ちていた。
 さらに続く心肺蘇生、それでも彼女の心拍は戻らなかった。
 電気ショックが繰り返され、それでも蘇生の見込みが無くなると、医師が機器を彼女の体から掃けた。
 心停止、呼吸停止が確認され、医師がペンライトを取り出しレオの瞼を持ち上げた。

「12時56分、死亡確――」

 そこにはペリドット色の美しい瞳があり対光反射を確認する――以前にぎょろりと動いた。
 さらに彼女の唇はシューシューと息を吐き出しながら動いていた。
 ――

「っうわ!」

「どうされました!?」

「……目が、あった」

「どういうことですか……?」

 もう一度冷静になって少女の瞼を持ち上げると、ぎらぎらと輝き、確かにこちらを睨んでいるのだ。
 相変わらず心拍計は絶え間なくなり続けているし、呼吸もない。
 生きた死体だった。

「…………あ」

 医師は睨まれ、黙りこくり、そして敗北を認めるかのようにまたETCの機器を握った。

「蘇生処置を、再開する……」

 その様子は何か強大なものに脅され、彼女の蘇生を命じられているようだった。
 違和感を覚えながらも他の助手たちは何も言わず、電気ショックが再開される。
 心肺停止から12分、異例な程長い蘇生処置の末、ようやく許しが出たように心拍計がよわよわしいリズムで歌い始めた。
 奇跡というには、邪悪な力が働いていた。
 本来、助かりようもない患者を救った医師として喜ぶべきであろうが、得体の知れない力の具現を目の当たりにして顔色を悪くするばかりだった。
 目の前は暗くなり、不思議なヴィジョンを見た。
 ベージュ色の神殿、黒衣の魔女。
 その女の目の前に倒れているのは仲間たちと法王庁の制服、魔女たち、大天使、そして自分自身だった。
 ――キヌヤ。
 魔女は聞き覚えのある声で直接頭に語りかけてきた。
 答えられずにいると、彼女は笑って、倒れた絹夜の体を獣のカギ爪のような指で指した。
 仰向けになっているが生きているとは思えない出血量だった。
 ――貴様の末路だ。
 お前は何者だ。
 ――アサドアスル。
 長い髪、しなやかで美しい肢体。振り返らぬ彼女が強烈な力を有している事だけは理解でき、そして倒れている自分の姿も当然のように思った。
 次の瞬間、またしても血の池の中を沈んでいく自分の姿だけが見えた。

「死んで尚も生を望む事がお前に出来るか。具現するまで願う事がお前に出来るか。
 それほどの愛を以てこの世に執着し、惨めたらしく、不格好に欲する事がお前に出来るか」

 死んでもいい。
 心のどこかでそう思っているのは確かだ。
 いや、大事な物の為なら消えてなくなったっていい。
 償えるのなら、差しだしてもいい。
 誰かの為の犠牲に成れることは喜びだ。
 献身こそが愛なんじゃないか。

「結局お前はお優しいだけだ。愛してなんかいないんだよ。
 良く言うじゃないか。愛は金で買えないと。別の代価を払っても同じだ。例えそれが命でも。
 お前の考えは所詮、お前の嫌いな”真白き神”でしかないんだよ」

 しこりの様に頭の中で膨張していたものがとうとう爆発して全て叩きつけられた気がした。
 言葉にできないのをいい事に見て無ぬふりを決め込んだ議題だったはずだ。
 すごくわかりやすく言われて、納得して、しかし反論して自分を守ろうと頭は働いた。
 ――もう嫌だ。こんな自分。
 体が冷たい底にあたり、ぬめぬめとしたものが全身に絡みついてきた。
 それらがきっとこんな自分を分解して、なかった事にしてくれる。



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