NOVEL 天使の顎 season2’ OVERDOSEEXOCIA
20 *黒犬/Blackshuck*1
夢を見た。
いつもの狭い箱の中、あの時藤咲乙姫と別れたエレベータの中だ。
鉄格子の填まった眼前、上方向に流れていく風景。
絹夜はエレベータの中に置かれた背もたれの高い椅子に座って誰かを待っていた。
すると、チン、と最下層を示す番号でエレベータは停止し、光る廊下の奥から誰かがやってくる。
自分はそれを待っていた。
彼女は黒い犬の姿をしていた。
「お行儀よく待っているじゃないか。
死人の帰りがそんなに待ち遠しいのかい?」
黒い犬はそう言って目の前に腰を落ち着けた。
「お前は死んでなんかいないんだろう?
いいや、お前はあの時死んだ字利家ではないんだろう?」
口からすんなり言葉が出て、絹夜は自分で驚いた。
「ご名答。私は連続世界にいくらでも存在する、葡萄のような繋がりだ。
お前の知っている私は反逆罪ですでにメインからキックされたアナザーだ。
お前の知らないこの私は彼女が残した反逆の記録を抹消するために存在するバックアップに過ぎない。
さてさて、しかしだ。忠告はきちんと理解できたようだね。君はネガティヴ・グロリアスの――物理の模倣をしなくなった。
それでこそ私が持っているデータと合致する、ようやくまるで”黒金絹夜”だ」
「そりゃどうも」
「だけれども、君の考えている要求の代価には程遠いね。
2046の事だろう? 確かに私が持っている力の断片から2046を再構築することは可能だ、それは元々我々の世界のものだからね。
しかしこの私は私の残した痕跡を消すためにここにいる。私はタダで力を貸すほど融通が効かないのを君は覚えているだろうか。
私にも君に飲んでもらいたい条件があってね」
「回りくどいのも覚えている。で、その条件ってのはなんだ」
「アナザーが取得したお前の――いや、”神”と呼ばれた可能性の一部をお前に返す。
2046最早、この世界の可能性だ、取り上げるとまた面倒な話になるのでどうにかうまく再構築しよう。
だが、2046がお前の手に戻ったとしても、その付属物でもある”神”を再び浮上させて
ようやく他人の模倣をやめたお前がお前でいられるとも思っていないんだよ。
まぁ、わかっているだろうから言わせてもらうと、このままでもお前は長くないだろうな。
毒をもって毒を制すか、それとも力の全てを捨てるか? 確率は是か否かの五分と五分だ」
「ちょっと待て。字利家が俺の力を取得したって……あれはあいつ自身が分解すると――」
「すまんな、詭弁だ。あの時はああ言うしかなかった。
”在”を”無”にする事は出来ない。1を0にするのが何より難しい。
お前を心配させたくはなかった。勘違いするなよ、お前に心残りを作ってしまえば”神”との戦いでお前自身が折れていたとも限らん」
「……なるほどな。そりゃどうも」
「さぁ、どうする」
ほんの数ヶ月前の自分だったら間違いなく安全牌に走っただろう。
だが、もうそんな電卓人間じゃない。
先行きも見えないし、勝算があるわけでもない。
だが、どうしても賭けてみたい気分だった。
「断る理由がねぇな」
その答えに黒い犬は生意気にも鼻で笑った。
* * *
覚悟はしていた。
10月30日の午後、絹夜の携帯電話が鳴った。
とうとう来た。
ハロウィン――今日は死者が蘇る日だ。
着信は見たことも無い、半分以上が”2”と奇妙な番号だった。
電源を入れて耳に当てると、挨拶は向こうからだった。
『昨夜はよく眠れたかな』
だらだらとした口調、詩のような奇妙なテンポ。
彼女は思考を参らせるリズムで喋る。
「ガキじゃないんだ。俺はどこに行けばいい」
冷たく突っぱねると電話の先で彼女は人を小馬鹿にするように笑った。
『私も忙しい身でね。手っ取り早く、済ませたい。
お前が首突っ込んでる裏界に案内してくれ。私も都内に住んでいてな、一時間で着くだろう』
「わかった……一つ、聞いていいか?」
『何だ』
「また、犬か?」
電話越しに彼女は盛大に笑った。
絹夜は言って後悔したのだが、彼女が笑った意味も納得できた。
まるで再会を楽しみにしているみたいな言葉だった。
彼女に対面するのを心待ちにしているかのような言葉だった。
そんなものが自分の口から出てきて絹夜も笑った。
彼女は自分で選んで勝手に死んだ。
人にやさしくする事を我慢できずに矛盾だらけに誰彼かまわず愛した結果、彼女の予想通りに一人で死んだ。
その女との再会を楽しみに思うだなんてあまりに幼稚だし、正直楽しみには思えなかった。
なんせ彼女が存在するということは、この世界の敵が消えたわけではないということだからだ。
『ははは、私が行く。心して待っていろ』
そう言って彼女から電話を切った。
かつて藤色の制服に身を包んで現れた彼女は18だったが、今なおそうなのだろうか。
心白、と相手の認識を操る女に言われても妙な気分だった。
メールでジョーに来客があるから来なくていいと連絡をすると、何が間違いだったのか三人そろって地理教材室にやってくる。
「だってさぁ、きぬやんの知り合いって美人のお姉さんばっかじゃん〜。
邪魔しないから。おねがいッ!」
ジョーはそう言ったが、絹夜は激しく顔面にしわを寄せた。
好きであんなとんでもない女に囲まれているわけではない。
相手がいいというのなら、と条件付きで話がまとまったところ、まだ時間には早いというのに再びあの番号からコールがあった。
駐車場に車を止めたというのでそこに向かうとさえない白い乗用車が止まっていた。
「……字利家。字利家蚕」
忘れかけていた。
あの造形物めいたナルキッソス。
あのいけすかない友愛の大天使。
勝手に現れ、勝手に戦い、勝手に死んだ女。
白い乗用車のドアが開いてラブラドールレトリーバーが姿を現し、その次に重い色合いのコート姿が車から降りた。
それでおしまいで、本当に珍しく絹夜は目を点にした。
赤いコートに黒ネクタイ、サスペンダーをつけた黒いスカート。
コートの下にごついホルスターが見え隠れしている。
「待たせたな」
孔雀の尾羽のいちばん深い色をした髪、そして非の打ちどころと特徴のない容貌。
ふわっとボリュームのあるロングヘアにメガネ、まるっきりの女性じゃないか。
知っていた彼女の姿より10歳以上老けているのだが、間違いなくそれは字利家蚕だった。
「うおぉお、やっぱり美女ッ!!」
ジョーが後ろで叫んでいる。
美女。
あり得ないほど似合わない言葉だった。
彼女の称号は”黒電波”だったはずだ。
媚びるように作られた容姿、まるで安いジャンクフードのようだ。
非個性的な外見と刺激的な味付け。連続世界に大量生産された安い女だ。
「一応、念の為、とりあえず聞いておくが……お前が字利家なんだな? 字利家蚕なんだな?」
絹夜の呆けように彼女はにやりと頬笑んだ。
「お前と同じ28歳、独身。だが、字利家”蚕”ではない。
字利家Ver.1.3、一三の”ひとみ”。字利家ひとみだ。
字利家で構わない。アナザーと私はある分岐まで同じ記憶を保持しているはずだ」
考えてみれば同い年なのは当然である。
しかし絹夜の認識の中の字利家という女は男性で、そしてもっとネチョネチョ(形容不可)した性格だった。
その上名前も変わっており、微妙に字利家蚕とは異なる事を実際に感じた。
「そうか……スカートか……」
「? 気色が悪いか?」
「ちょっとな……変に気を遣う」
絹夜の呟きに首をかしげ字利家は車のドアを閉めると校舎の影でこそこそしている三人に目をつけた。
ジョーはさらっと髪をかきあげパチンパチンとウィンクしているのだが、残り二人は警戒色丸出しの目をしている。
レオに至っては警戒音か”シャー”とヘビかネコの様な音を上げていた。
「あれは何かな」
「愉快な仲間達だ。あんまり見るな。恥ずかしい」
「ふ〜ん。相変わらず人気者なんだね。ちょっと一服していいかい」
そう言って彼女は胸ポケットからヘヴィスモーカーが好む銘柄のタバコの箱を取り出し、ぼこぼこに凹んだジッポで火をつけた。
「Ver.1.3っていうと、お前がアナザーといっている字利家より後に、誰かの意志で生まれたってことでいいのか?」
絹夜の質問に字利家はしばらく呆けてから煙を吐いた。
「私は私の意志でバージョンアップを行う。人間でいえば心構えを新たにするだけだ。
アナザーが何をもってして反逆に至ったのか、ただそれが気になってな。
とりあえずは自分を安売りしない事にした。能力も極力使わない。出来る限り”人間”のフリをしているつもりだ」
彼女は、疲れたと言いたげにため息をついた。
彼女の能力を使えばそれこそ神に近しい存在にもなれるだろうし、思うがままに生きていける。
その可能性を望まないところがやはり字利家であり、しかし矛盾してタバコになんか手を出しているところがらしくなかった。
喜んで友愛の犠牲になった激情家の字利家蚕とはやはり微妙に異なり、字利家ひとみは彼女の言うとおり感情をどうにか抑える事のできる人格らしい。
一服を終えた字利家を屋上に案内すると、さも当然のように黒い犬まで連れてきた。
かしゃかしゃとリノリウムの床を歩くのだが誰の目にも入っていないようで、絹夜は彼女が”認識”を操る能力者であることを思い出す。
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