NOVEL 天使の顎 season2’ OVERDOSEEXOCIA
19 *楽園/WonderLand*2
『あんた、今何時だとおもってんの……!!』
日本時間3時。
フランス、パリ午前7時。
「そんなこと言われる時間か……? どうせまた昼後に起きて徹夜して朝方寝てるんだろう。もう年なんだ、無理するなよ。
用件なんだが、どうやらルーヴェスがしびれ切らしてヘイルをやっちまったらしい。
その辺でちょっと聞きたいことがあってな」
『またその件〜?』
低い声で答える庵慈はまさしく二日酔いの朝らしく、コーヒーを淹れる音が電話越しに聞こえた。
『一応ユーキからわかりづらいメールは来たけど、私に古代エジプトの事聞かれてもわかるわけないじゃない。
紀元前よ、きげんぜん。そこまで化石じゃないっての』
「初代腐敗の魔女についてもさっぱりか?
お前はどういうわけかゴールデンディザスターについて知ってたな、保健医」
『……あんた、まさかアテムの一族にまでたどり着いたの』
やはり彼女はアテムの一族を生贄として喰らっていた腐敗の歴史についてを隠していたらしい。
そうなるとやはり彼女は腐敗の魔女について何か特別な経路で情報を得ているに違いない。
問いただすと、庵慈はあっさりと、しかし絹夜にとって何もうれしくない情報を吐き出した。
『法王庁よ、法王庁。10年前、法王庁の手ごまやってた時にちらっと資料盗み見てね。
腐敗は最も古い魔女よ? それ以上詳しい資料あるわけないじゃない』
「お前が見た資料ってのは誰が作ったもんなんだ」
『んー、さぁねぇ。腐敗に詳しい人間なんてもうこの世にはいないのよ。
当時の魔術師も腐敗がみーんな食っちゃったし、生き永らえてるわけもない。
ベレァナを倒した貴方の両親も、それに字利家ももうこの世には――』
それ以上の庵慈の言葉を絹夜は聞き流していた。
字利家。
先代である腐敗の魔女ベレァナを討伐したのは彼女だ。
庵慈は彼女が死んだと思っているし、自分もついこの間までは記憶の底に沈んでいた存在だ。
それが現れたのは夏の盆の日。死者が返ってくるという日に彼女は黒い犬の姿をして現れた。
『ちょっと、聞いてんの、絹夜くん』
「聞いてない。何だ」
『だから、手を引けって言ったの。その裏界、ちょっとヤバいわよ、やっぱ。
押し付けといてなんだけど、金目のものが埋まってる可能性ほぼ無いわよ。
そんなもんギーメルに掘らせていいと思うけど。腐敗の魔女に関係があるったって固執しすぎじゃない?
地中海にはあんたの先祖が色々やらかした遺跡なんてごろごろあるじゃない。
少し雲隠れして魔力高揚しっかり治してから他の山踏めばいいじゃない』
「金儲けはとっくに期待してない。魔力高揚はどうしようもない」
『なら何を期待してるの』
「さぁな。それは事が終わってからのお楽しみだ。
宛てが定まった、多少は役に立てたな、保健医」
『……そうね。正直、あなた、ここのこと凹んでたみたいだったから、その減らず口を聞けてよかったわ。
ふっきれたんならそれでいいんじゃない。
もしあんたがそこで何か手に入れたのなら、高い値段で買い取ってあげるから精々がんばるのよ』
さて、売れるものなのだろうか。
おどけてわざと言わず、絹夜は電話を切った。
昼食を抜いて資料を読み明かしていたので少し腹が減ったところだ。
保健室でたかるか、コンビニでうまくもない弁当を買うかを検討しながら窓の外を眺めていると校門の奥から見覚えのある連中が現れた。
今日も御苦労な事だ、絹夜が感心してまたしてもジョーが呼ばれるのだろうと鼻で笑ったその時だった。
「二階堂ーッ!」
「…………?」
聞こえたのはいつもの木甲漢大将の野太い声ではない。
少女の、しかも読んでいる相手がいつもと違う。
窓を開けて校庭を覗き込むと、そこには木甲漢大将を片手に引きずって持ち歩いている白い少女の姿があった。
いつぞやのホムンクルスだ。
ぽいっとおざなりに大将を地面に投げると、彼女はもう片手にしていたロッドを持ち直す。
木甲漢の大将はこっぴどくやられているのか地面に伏したままピクリともしなかった。
「二階堂礼穏! 今日は私が相手してあげるわよ!」
あの大馬鹿、これほど人がいる前で。
さて、あの馬鹿弟子たちはどうするのか。
見守っていると二階の窓からクロウが頭を出した。
「ルゥルゥ! 帰んなさい! 今日レオちゃんはお休み」
「裏切り者の言いなりになんかなるもんですか!
ウェルキン博士から伝言預かってるよ。今戻ってくるなら許してやる、ってね。
お兄ちゃん、何の弱みを握られてるって言うのよ!」
「えッ!? 弱み……あ、うんと……惚れた、弱み……かな」
急に少女漫画のように頬を赤くして目を潤ませたクロウ。
そのクロウの顔面が急に窓に叩きつけられ、その窓を開いて二階からレオが降りてきた。
しゅたっと着地を決めると早速指の骨を鳴らす。
「相手してくれんだってねぇ。楽しみ」
「で、出たわね! 二階堂礼穏! 今日こそアンタの目玉くりぬいて、お兄ちゃんを取り戻すんだから!」
「言っとくけど、私、泣かすのは得意よ」
どんな風に笑ったのか絹夜からは見えなかったが、相手の力量がわかっているうえで言っているし、ルゥルゥも威圧されている。
邪眼の力も相まって、さぞ不気味に見えただろう。
わざわざ出ていくほどでもないようで練習がてらに魔力供給だけをしておくことにした。
「さぁ、どっからでもどうぞ」
その時だ。
余裕をぶちかますレオの頭上から顔面を赤くしたクロウが叫ぶ。
「二階堂さん! 気を付けてください!
その倒れている人の首に――!」
言われた通りに視線を向けるとそこには何やら巨大な瘤が出来ている。
拳一つも入りそうな瘤はビクビクと動き初め、その動きに連動するように木甲漢の大将の体も跳ね上がる。
いや、大将だけじゃない。
その後ろに控えていた連中も全員、ゾンビのように首をかくかく曲げながら近づいてきた。
多勢に無勢、それどころか不気味である。
「レオ、お邪魔するぜ!」
いつもの調子でジョーも2階から降りて木刀を構えた。
一方クロウはだばだばと下駄箱から出てくる。
3対20そこそこ。
ルゥルゥはともかく、残りがただの不良だったら余裕だ。
しかしやはり様子がおかしい。
目立たないように小さく魔法陣をかきながらクロウは二人に説明した。
「あの首に着いているのが種子――インスタントホムンクルス、僕を作ったウェルキン博士が研究していたものだと思う。
脳の近いところに植えつけられると数秒で体を乗っ取られて、頭を支配されるんだ。
早く引きちぎらないと、命が危険になる! ルゥルゥは僕が押さえるから、二人は彼らの種子を!」
「無理やり引きちぎっていいの? 大事な神経に絡んでるかもしれないんでしょ?」
「そうならどの道もとには戻れない」
「そのウェルキン博士ってのは若干趣味が合わないみたいね。全然楽しそうに思えないわ」
そう言いながらレオはやはり唇を釣り上げた。
「いけ! 二階堂礼穏を拘束しなさい!」
ルゥルゥの号令と共にがくん、と体を揺らして生気のない顔をした不良たちが襲いかかってくる。
いつもなら雄たけびを上げながら隙だらけでチームワークの無い動きで向かってくるのだが、
白目をむいているくせに統率がとれていた。
いつものようにさらりと受け流したジョーの腕を白目をむいた大将が捕える。
「あれれ、いつもより調子いいんじゃないの」
言ってもリアクションがなく、ジョーはそこで余裕の笑みを消し、凛と冷めた気配を放った。
ざわ、と彼の木刀に絡む蔦が細く鋭利な形に変わる。
途端、彼は目にもとまらぬ速さで腕をひねり上げ、背後をとると大将の首筋で脈動する瘤に木刀を当てる。
いつ覚えたのか、身体の魔力補正だけでなく、木刀にまで魔力を流し込む術を覚えており木の刃が光った。
次の瞬間には大きな瘤が血を巻き上げながら切り離される。
さらに一人、また一人、と今までの抗争がお遊びだったと知らしめるようにジョーの動きは鋭敏だった。
「んなッ! 二階堂礼穏と黒金絹夜だけじゃなかったの!?」
「僕はあまりギーメルに情報を流してなかったからね。
今となっては安心しているよ。大人しくするんだ、ルゥルゥ!」
目の前に小さな魔法陣をいくつも連ねていたクロウは端から発動させる。
小さなリングがルゥルゥに向かっていったがその半数は彼女のリングに撃ち落とされ、半数がかわされた。
「そんなの、きかないもんねッ!」
と、調子よくルゥルゥが跳びはね着地したところだった。
ちょうど彼女の足を中心に魔法陣が浮き上がる。
「げ」
ぴっとクロウが手を上げると同時にルゥルゥの両足に氷がまとわりつく。
がっちりと両足を固定されて彼女の頬に焦燥の脂汗が流れていた。
「ひどい! お兄ちゃんのばかーッ!!」
「ヒドイはのお前だ! ウェルキン博士の実験台に関係ない人たちを巻き込んで……!
この人たちが助からなかったらどうする!!」
「どうもしないわよ! 博士の実験が失敗だったってだけでしょう!?
何で私が怒られんのよ!!」
足が自由にならず、踏ん張れない状態でもルゥルゥはロッドを振り回しだだをごねるようにリングで抵抗した。
大きなバリアを張ってもよかったがあからさまに見える魔法を使いたくないクロウは回避に回る。
「ルゥルゥ! 人が死んでいなくなったら悲しいだろう! 何でお前にはわからないんだよ!」
「すぐ死んじゃう生き物と一緒にいたら悲しいでしょ?
博士にとっては実験動物も同然なんだから! お兄ちゃんこそ、人間ごっこなんてやめ――」
その時だった。
バアアァァァァァン!
心臓が震えあがるような音を立ててルゥルゥの足元に真っ赤な閃光が落ちていた。
次の瞬間にはルゥルゥのすぐ隣のコンクリートから煙が上がっている。
「あれ、外しちゃった」
わざとらしくそう言って意地悪く笑ったレオだが、目は笑っていなかった。
文字通り、彼女の雷が落ちたのだ。
「何すんのよ、この乳牛女!」
「黙んな、洗濯板。自分の事にはピーピーギャーギャー五月蠅いんだな。
人を散々傷つけておいて自分の擦り傷は泣きわめくのか! いいザマだね、大好きだ。
大好き過ぎて一回、反省してもらわなきゃいけないみたいだね」
反省。
その言葉が耳に入ってクロウはただでさえ白い顔からさらに血の気を失った。
まさしく”必殺”と言うに相応しいドS技だ。
木甲漢をあらかた片づけたジョーはすでにスイッチを切り替えのほほんと事の成り行きを見守るモードである。
その顔にはありありと、今度は何の技なんだろうなぁ、ともはや楽しみにしている節すらあった。
「レ、レオちゃん……その……ルゥルゥは社会とか、人間とかの事をちゃんと知らないんだ……だから」
肩越しに振り向いたレオの目は爛々と輝いていた。
「あんたも一緒に反省したい……?」
「滅相もない」
体が生命維持のために反射的に言葉を吐き出した。
ぐるり、とレオの首が正面に戻ってルゥルゥをロックオンしていた。
「ふん! 何がゴールデンディザスターよ……!!
私がお前を倒してやるのよ!!」
それでもロッドを構えるルゥルゥ、そしてレオの視線は彼女の背後にある木の上に向かった。
「出・て・こ〜い」
獣のように唸った彼女だが、相手が応えないとわかると手招きするように指先を上下させた。
するとまたしても重い轟音とともに閃光が走ってルゥルゥの頭上の木の枝が音を立てて折れていく。
あれよあれよという間に木の枝は直角に折れ曲がって、同時に白い影を振り落とした。
ドシャっとコンクリートの上に落ちてきたのはみすぼらしい白衣姿の中年オヤジだった。
「ウェルキン博士!」
整った顔を盛大に歪ませて叫ぶクロウにウェルキン博士は鋭い視線を投げつけ、そして白衣の汚れを振り払いながら立ち上がる。
白髪にシワまじりのさえない中年代表みたいな痩せたオジサンをルゥルゥがまたこれも冷めた目で見上げていた。
「博士、もうちょっとマシなところにいられなかったんですか」
「具体例を言ってみろ!」
唾を飛ばしながらルゥルゥに怒鳴った博士は分厚いメガネのブリッジを押し上げてレオ達に向き直る。
すると肩を揺らして手にした一昔前のラジコンのコントローラみたいな鉄の物体を操作した。
「そ、その辺の子供たちでは力不足なのは十分に承知していた。
こ、こうなることも予測済みだ!」
がっちゃがっちゃと手なれない動作でいい歳のおっさんが一生懸命機械を操作しているものだから生温かい目で見守っていると
じゅろじゅろと水っぽい音がそこらじゅうから巻き上がる。
ジョーが木甲漢の連中から引きちぎった種子の触手が動いているのだ。
こいつが操作していたのか、と納得している間に種子が触手を広げてレオを囲んでいた。
「おふ、おふふふふふ……二階堂礼穏。そ、その邪眼の色以外はクレアによく似ているなぁ。
ク、クレアはわがギーメルギメルの研究者としての実力と美貌を併せ持った最上の女だった。
ヘイルも、あんな妹を殺してしまうなんて、もも、もったいない事をした」
いちいちどもるおっさんだ。
レオが仁王立ちで種子が何をしてくるのか待っていると彼女の周りで円になってピタリと止まった。
「お、お前の弟がギーメルギメルを乗っ取ってくれた途端に急に研究費用が増えて助かるよ、ふふふ。
ホラ、これで包囲した!」
「ちんたら長いのよ。で、どいつからぶっ飛ばせばいい。前に出な」
「…………な、なにか私は失礼な事をしたのかな?」
閑古鳥が鳴いた。
この状況で逆に失礼じゃない様を言ってみろ、と頭の中ではわかっているものの口に出すのもくだらない。
メガネを光らせ脂汗で額をぎとぎとにしているウェルキン博士の足はがくがくと遠目で見てわかるほどあからさまに震えていた。
「存在が失礼だ」
レオは強い口調で言ってウェルキン博士に指を突き付ける。
すると、彼は上半身をびくんと跳ね上がらせた。
気の強い女の扱い方が分からず萎縮してしまう様を見ているとなんだか誰かに似ている。
ジョーの視線はおのずとクロウに向かった。
「博士! 役に立たないんだから!!」
彼からコントローラをもぎ取りルゥルゥが操作し始めると種子の触手がぬらっと動いたのだが、すでにその場にレオの姿はなく、
助走をつけて飛び上がり、滑空していた。
「不毛な事に時間掛けやがって!」
一回転半かかと落としだ。
「反省しろおおおぉぉぉおおおッ!!」
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