NOVEL 天使の顎 season2’ OVERDOSEEXOCIA
18 *覚醒/Awaken*4
「ぐ、げ、げほっ!」
どばっと青いものを吐き出して絹夜は片手をつく。
そこに悪びれない声がふりかかった。
「ああ、すいません。魔力流動がものすごかったんで接続きっちゃいました」
ユーキが相変わらずへらへらと平謝りをして頭をかいていた。
おそらくわざとであろう、ユーキは流し込むことで支えられていた絹夜の魔力を遮断し、故意に魔力暴走を引き起こさせたのだ。
突然そうなれば絹夜の体に保証はない。
「二階堂さん、下がりなさい! 彼の力が暴走する前に!」
「こんな楽しい事って他にないじゃないッ!! だって――!」
言い淀み、やはりレオは動かなかった。
「気の強いお嬢さんだ。いいや、もはや狂ってると言っていい。
しかしそれだけでは腐敗の定めは覆せない。お前一人では覆せないよ。
アテムの神官たちが束になってもかなわなかった腐敗に、小娘一人が立ち向かえるはずもない」
「アテムだか腐敗だか知らないけれど、私が向かい合っているのはそういう付属物じゃないの。
”黒金絹夜”なの」
「それはもういなくなった。彼はもう腐敗の――」
「外野はすっこんでろ!」
ものすごい剣幕でルーヴェスに一喝する。
するとルーヴェスは参ったといわんばかりに腹に手を当てて笑い始めた。
「はは、なんて! ははははは、なんて面白いお嬢さんだ!
どうしてどうして本能が理性を支配できる! 脳は危険を察知しているというのに、なんだその様は!
己の死を目の前にしてどうしてそんな恍惚の表情を出来る、お嬢さん!
どうしてそんなギリギリな状態で!」
壊れた人形のように笑い出すルーヴェス、その前で絹夜がゆっくりと体を持ち上げた。
「たっぷりしてあげるわよ」
魔力の供給もされていない、ただの人間であるという事以外にもはや何もないレオはそれでもにやりと、悪魔のように笑った。
絹夜は右腕をゆっくりと水平に上げると、同じようにバラバが右腕を上げた。
――刹那、絹夜の右腕に巻きつくように変形し、あっという間に彼の顔半分と右腕がバラバのそれになっていた。
同化した、自分のオーバーダズをどういうわけか右腕に再装着させたのだ。
巨大な銃を掲げ、絹夜の顔面からは白い羽のようなものがつきだしている。
そしてその銃口を天を向けた。
「何!?」
青いエネルギーが銃口に集中し、そして放たれる。
光の矢が雲を貫き、遅れて低い音が地面を揺らした。
びりびりと周囲が蜃気楼のように歪み、小さな礫が舞い上がる。
「ぐ、ああぁぁぁあああッ!」
そして、二発、三発と放ったところで地面に亀裂が入った。
「うっわ! なんだよ、どうなってんだよ!」
「黒金先生の”腐敗の魔女”の力が暴走しているんです!
よりにもよって、五大魔女の中でもっとも凶悪で攻撃的な力が……!」
「こんなの喰らったら木端微塵どころじゃ済まないですよー!!」
「レオちゃん! 早くこっちに――」
その瞬間、レオは仲間たちの思惑とは逆に絹夜に向かって駆け出していた。
セクメトも使えない、むしろ傷だらけの状態で一体何をしようとしているのか、もはや見守るしかなかった。
「絹夜ああぁぁぁぁッ!!」
絹夜が銃口を下し、彼女に狙いを定めた。
いや、だめだ、せっかくの血の持ち主を焼き払って焦がしてしまってはもったいない。
その腐敗の迷いのせいでレオのストレートパンチを食らった絹夜は、よろめいた。
本当なら顔面を粉砕されてもおかしくないハードパンチだが、魔力補正の為、瞬間的な衝撃だけだったが、絹夜は左胸を抑えた。
知っている。
この痛みを何度も味わってきた。
もったいない――失いたくない。
誰の手にも渡したくはない!
「お前を誰にも渡すつもりはない!」
がちゃり、と重い機械音がレオの額の前で止まった。
その一方、レオの腕も絹夜の胸に――心臓のあたりに人差し指を突き付けていた。
「何もできないはずのお前が何故そうまでして……」
「何もできないのか、それとも何かできるのか? つまんない。つまんないんだよ、そんな線引き。
”する”のか、”しない”のか、でしょう? ねぇ、絹夜」
ああ、なんてシビレる。
まるで本当にヒーローじゃないか。
「”する”でしょう?」
ぼろぼろの姿、相手を討ち果たす武器も無く、トリガーを引けば頭が吹っ飛んでしまうというこの状況で不敵に、勝利を確信して笑っていた。
どこかおかしいとしか思えない。
それでも、間違いなく彼女には期待してしまう。
戦意がほぐれて、体がようやくいうことを聞くようになったのだが、結局全身に力が入らず立っているのがやっとだった。
体からもバラバは抜け、満身創痍な体だけが残る。
腐敗の意識も無いはずだ。
安心した中、ぱん、ぱん、と乾いた拍手の音が鳴る。
「面白いものを見せてもらった。よくわかったよ二階堂礼穏。君がただの生贄の少女ではないという事がね。
なるほどなるほど、ニャルラトホテプが言っていたのはその事か」
すでにニャルラトホテプは消え、戦闘態勢を解いているルーヴェス。
彼は何を思ったか、ゲートの魔術を発動させながらレオに語りかけた。
「見くびっていた。非礼を詫びる。お前は十分に私の敵となりえる存在だ。邪神そのものだ。
まさか君のような美しいライバルが出来るとは思わなんだ。いやしかしまだ可能性の淡い可憐な少女だ」
「勝手にライバルにすんな。用が済んだのならさっさと消えろ」
「ああ、お言葉に甘えて。今日の戯れ、楽しかった。礼を言うよ」
そして彼の構築したゲートが光りだし、光に包まれる。
夜の闇に視界が慣れた時にはそこにルーヴェスの姿はなかった。
静寂が戻る。
そして絹夜の胸に突き付けられていたレオの指がはじくように動いた。
「ダーン。うちとったり〜」
確かに胸が痛む。
涙腺が痛むのをこらえて絹夜は不器用に笑った。
ようやく、苦しい脱皮が終わってあるべき自分でいられる気がした。
レオも柔らかく微笑み返し――と思ったのだが、その彼女を白い影がさっと奪っていく。
「レオちゃん、大丈夫だった!?
どこも怪我してない!? 怖かったよね、僕がいるからもう大丈夫だよ!
はぁー、はぁー、久しぶりのレオちゃんのカ・ン・ショ・ク」
「お前が一番怖い」
レオをかっさらっていったクロウの後頭部に穴が開くんじゃないかと強く睨みつけた絹夜だったが、
そういう類はホムンクルスに効かないのか、性格の問題なのかクロウは全く気が付いていないようだった。
「お疲れ様です、黒金先生」
そのかわりにやってきたのがユーキで、しかし彼は深刻そうな顔をしていた。
「……2046はどうなったんですか」
「あの素因数分解っていう数式魔術で消されたみたいだな……。
いや、引き出せないようになっただけみたいだ」
「ならば尚更……あなたを二階堂さんに近づけるわけにいきません。
魔力膨張の原因はあなたの”腐敗”と二階堂さんの”吾妻”にある事がわかりました。
ここはやはり、少し……」
「……わかってる。女子生徒に手ぇ出すなって話だろ」
「そういうことにしておきましょう。
僕はもう少し師匠にお伺いをたててみます。あの人も無駄に長生きしているわけではないと思いますので」
「ああ、頼んだ」
クロウをとうとう蹴り飛ばし、そのままぐりぐりと踏みつけるレオ。
クロウは嬉しそうなのだが、その光景を見てジョーはあわあわとレオを止めていた。
日常が返ってきた。
だが、絹夜はどこか釈然としない気持ちを抱えていた。
腐敗が彼女を欲しがっている。
自分の気持はただその現象で、そして彼女を手にかけてしまうかもしれない。
血の匂いが甘美だったのは確かだ。
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