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NOVEL 天使の顎 season2’ OVERDOSEEXOCIA
18 *覚醒/Awaken*2
 数時間前。
 レオとの連絡が途絶えたまま一日が過ぎた。
 今頃どうしているだろうと考えるばかりで、未来の事は頭になかった。
 オクルスムンディの力も使えず、バラバもきっと制御がつかなくなるだろう。
 まさしく手足が出なかった。
 考えても先手を取れる気がしない。
 先手が取れないのなら後手で力押しすればいい。

「わかってる……わかってるってんだよ……」

 十年前なら絶対に人の気持ちなんて考えもしなかった。
 自宅のリビングで資料を広げて次の対策を考えようとする。
 ルーヴェスについて調べても何も分からなかったが、彼が自分の父であることが明確であるとも知っていた。

「わかってんだよ……!」

 しかし何も噛み合わず、考えたくもなくなった。
 立ち上がってしまいそうな体を押さえつけるのが精いっぱいだった。

「教えてくれ、風見……俺はどうしたらいい」

 風見チロル。
 十年前に出会い、焦がれ、この手で弔った少女。
 貫けばいいじゃないか。期待されるがまま踊ればいいじゃないか。
 神を踏破し、真っさらになってしまえばいいじゃないか。
 彼女はそう言いそうだった。

「真っさらになんかなりたくないんだ……」

 どういうわけだか、自分は抗っているし苦しんでいる。
 無理をしている、そう気が付き始めていた。
 風見チロル。
 彼女がどうなったのか知りたい。
 どこへいってしまったのか知りたい。
 あの物理のような絶対的な意志の最果てはどこだったのか知りたい。
 いや、彼女は真っさらになってしまったはずだ。それを望んでいたのだ。
 絹夜はソファに横になり目を閉じた。

「もう、手遅れなのか……?」

 風見チロル。
 彼女に突き付けられなかったカードかまだ自分の中でくすぶっていた。
 十年前の自分のように危険で、風見チロルに寛容な二階堂礼穏という少女が現われた。
 彼女の邪悪な本能が、そしてそれを華麗に操作する理性が自分が憧れていた”黒金絹夜”であるような気さえしている。
 そして彼女まで何も出来ずに失うのか。
 そんな結末、馬鹿馬鹿しくて予想もしたくない。
 タバコに火をつけてしばらく煙を眺めていたが気分は落ち着かなかった。
 レオ。
 今何を想っているだろうか。
 人として、女性として、ひどい目にあっていないだろうか。
 まさか命まで奪われていないだろうか。
 何があろうと、彼女は受け入れてしまいそうな危険な女だ。
 そうでなくとも。

「腹、空かしてんだろうな……」

 我関せずで紫煙は天井に上っては薄くなる。
 ”魂殺しながら生きるんですか!?”
 銀子の言葉が蘇る。
 いや、無理だろう。無力な自分がのこのこ出ていくわけにいかない。
 ただでさえ策もなく突っ込めば最悪の事態を招きかねない。
 今は冷静になって考えろ。
 頭の中で誰かが言い聞かせたが、そいつが大嫌いで仕方ない。

「…………」

 あまりにもあからさまで、自分らしくて、絹夜は思わず自嘲してしまった。

「つまんない奴だな、俺は……」

 合理的で無駄がなく、他人が面倒でつまらない。
 感情を押さえ込んで相手を大事にする、それが間違いだったと藤咲乙姫は教えてくれたじゃないか。
 あの時代が鮮明だったのは、理性のフィルターともっと仲良しだったからだ。
 世界に上手にお相手されて、自分は選び取ることを楽しく思わなくなった。
 感情がすり減って、一喜一憂することを忘れていた。
 何も感じなくなっていた。
 理性が淡々と処理をして本能がすっかり眠りこけてしまったのだ。

「あい、した……」

 それは別に、相手のご機嫌をとることでも過保護に大切にすることでもない。
 第一、ここでくすぶっていては全部嘘になってしまう。
 上半身を起こし、絹夜はタバコを灰皿に押しつける。
 自分を押さえつけて上手に生き残るなんてダサすぎるだろう。
 せっかく馬鹿馬鹿しい祭りを始めようとしているのだ。
 参加者を募ろう。

                    *              *             *

「まったく、この時間になって、乱暴な呼び出しですかッ!」

 薄暗くなり校内から人気も減った時刻、雨の中だがしっかりと顔見知りか並んだ。
 銀子の第一声にジョーやユーキが苦笑する。

「面白いことになるんでしょう? 黒金先生」

 銀子が図べ手話していたのか、その場にいた全員が事情を知っているようだ。
 それにさらに絹夜がらしくもなくにやりと邪悪な笑みを浮かべた。

「ようやく空気感染するバカが発症したらしくてな。
 ルーヴェスにはちょっかい出したこと、お前らには俺の側についたことを十分に後悔させてやる」

「なんで僕たちを巻き込むんですかッ!」

 哀れっぽいクロウの言葉以外にはため息と苦しい嘲笑だけが空気を満たした。
 もはや彼が何をしでかすのかはわからないが、本人だけが楽しい事だけは明白だ。
 早速容赦もなくレオの携帯電話にしつこくコールをかける絹夜。
 ようやく相手が応答したのか急に人格が変わったように目を爛々とさせた。
 がさがさという音のあとに軽い溜息、そしてあの男の声。

『やぁ絹夜。法王庁の方から私の小説を受け取ったかな?』

「ああ、着払い喰らったぞ。いい加減な仕事してんじゃねぇ」

『いやいや、あれでよかったんだよ。法王庁の方がらは利用させてもらったのだが、
 ヘイルを殺すという任務も全うした。ちゃんとお金も振り込んでもらえたよ』

『なんだと!?』

 その言葉がルーヴェスのすぐ横にいるであろうと絹夜で重なり、ルーヴェスは息が切れる程笑った。
 ひぃひぃといいながらようやくルーヴェスが軽い調子で説明する。

『私は本来殺し屋みたいなことはしないんだけどね、手っ取り早いと思って。ギーメルギメルは欲しがってる子にあげてしまったよ。
 私が欲しかったのはヘラクレイオンの情報だからね。何もかもが私の思惑通りだ。
 それにしてもお前たちはよく似ているね。兄弟みたいだ』

「用件を早く言え。俺は機嫌が悪い」

『はははは、おっかない事を言わないでおくれ。
 すごくすごく早く、君のもとへいけるよ』

「……何?」

 電話の奥でレオが色気のない悲鳴を上げていた。
 ほぼ同時に、銀子が窓の外を指さしている。
 校庭の暗がりに怪しげな赤い光が浮かび、その中に人影が立っていた。
 黒づくめの中年男と椅子に縛り付けられた少女だった。

「レオ……!!」

 立ちあがり肉眼で窓の外を見る絹夜。
 だが、レオは拘束されてはいるが、一切の危害を加えられているわけでもなさそうだった。
 目隠しは彼女のゴールデンディザスターを封じるためのものなのだろう。
 となるとルーヴェスも攻撃的な邪眼の持ち主だということになる。

『はははあはははッ! 早い到着だろう! あははひゃはひゃっ!』

「貴様、いつここにゲートをぶちあけた……!」

 もはや乗り込んでくること前提だったのだろう。
 校庭にもゲートの出口を作ってルーヴェスは準備万端だったということだ。
 窓を開きそこから校庭に出た絹夜にルーヴェスは不敵に笑いかけた。

「私は無意味な戦いは嫌いでね。ひとつ意見を言わせてもらうと、私と君たちの目的は一緒だ。
 裏界の深層部に眠っているものだよ。それが何なのか、君たちは知っていているのかな?」

「さぁな。裏界なんかに封じたもんが金銀財宝だとは思わねぇけどよ」

「その通りだ、勘がいいね絹夜。だからみんなを巻き込むんじゃない。
 私とお前で裏界を調べよう。私たち親子にとって、大事なものがあるはずだ。
 ヘラクレイオンの楽園に行こう!」

 親子、という言葉に驚愕したジョー達の視線が背中に突き刺さる。
 ルーヴェス・ヴァレンタインが黒金絹夜の父。
 魔女の母と魔術師の父、その血統であればこその強烈な魔力だった。

「おいで、絹夜。きっとそこには楽しい世界が待っているよ」

 大げさに両腕を広げたルーヴェス。
 奴の目的は小説に十分書かれていた。
 息子と妻を取り返し復讐する男の物語だ。
 なんて胡散臭くて忌々しいんだ。

「鬱陶しい」

 雨が強くなってきている。
 大嫌いな展開だ。

「鬱陶しい! もう父親に干渉されたい年じゃねぇんだよ!」

 絹夜の左腕に炎が灯る。
 聖剣2046が闇に浮かぶ。
 しかしそれは剣というには異様に大きく燃え上がった。
 あっという間に大剣になった2046を軽々持ち上げ、絹夜はルーヴェスにつきつける。

「そんな体で魔力を扱うとは、ずいぶんと危険な事をするんだね。死ぬよ」

「だったらどうだって言うんだ」

 早速、絹夜の体に変調が起き始めていた。
 手足がしびれ、目からは青い涙がこぼれる。
 早期決着をつけなければ自爆する、誰の目から見ても明らかだった。

「お前にとって、このお嬢さんは随分と大事な存在なんだね。
 よろしい、よろしい。ならばお前が諦めるか果てるまでお相手しよう」

 ぱちん、とルーヴェスが指を鳴らすと、ぞるっと彼の影がせりでた。
 それは形容しがたい、様々な生き物の束だった。
 ねばついた影から鳥の足やら人の腕やらが飛び出している。
 爬虫類のような太い足が一本のぞいているのだがそれが何の生き物に該当するのかはわからない。
 どこからともなく咆哮が聞こえるが、どこが口なのかも定かでなかった。
 出来そこない過ぎのチョコレートケーキみたいなソレの頂上にはほっそりとした真黒な女が鎮座していた。
 女の顔には縦三つに燃えるような巨大な目があり、ぎょろぎょろとあたりを見回している。
 下のほうではぐちゃぐちゃと入れ替わり立ち替わり、生きているのか死んでいるのか分からない生き物の体がうごめいていた。
 そのたびにぬちゃぬちゃと不快な音を立てている。

「這い寄る混沌……」

「ニャルラトホテプ、ご存知かな?
 私はクトゥルフ神話のファンでねぇ。小説を書き始めたのもその影響なんだよ」

 あらゆるものが影の口の中でもがき苦しんで、あるものは死に絶え、あるものは発狂し、あるものは歓喜して、あるものは助けを求めている。
 それをやはり影はぬちゃぬちゃとあまがみして楽しんでいるようだった。
 影は人の精神、心、”バァ”を形容する。
 だが、これに限っては形容不可能だった。
 これそのものが、ルーヴェス・ヴァレンタインという男の精神。
 そしてその頂上で鎮座しているのが、魔女ベレァナを模した女性なのだろう。

「美意識のかけらもねぇ……!」

 同時に絹夜はジョーとレオに魔力を配分した。
 正直その配分量もすっかり間違えてジョーとレオの頬にも青白いものが流れる。

「承知!」

 しかしジョーはそれを受け取り、スサノオを呼び出す。
 合わせて銀子、クロウ、そしてユーキも絹夜の背後に立ち臨戦態勢をとった。

「ユーキ、魔力配分を任せる」

「仕方ないですね、こちらにください」

 回線を換えるようにユーキに魔力を流し、そこからさらに他メンツへと力が流れ込む。
 飽和状態で余っていたので払いだすには問題ないが、それを払いきったら戻すわけにはいかない。
 全員の体質を確認してユーキが魔力を分け与えていた。
 全員がオーバーダズ状態だった。
 ニャルラトホテプが騒ぎ出す。

「かかってこい!!」

 絹夜が剣先を向け、吠えた。


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