NOVEL 天使の顎 season2’ OVERDOSEEXOCIA
18 *覚醒/Awaken*1
「黒金センセーッ!」
ようやく昼休みになって一服ができると思っていた矢先に何を騒ぎたてる。
たっぷりと嫌味を用意して迎え撃ってやろう。
廊下から響く銀子の大声に辟易しながら椅子を回転させ廊下に向く。
丁度銀子がドアを開いたがそのドアは勢い余ってレールからはずれさらにはぶっとんだ。
「にかっ二階堂さんがっ! 妖怪っ!」
確かに妖怪みたいだし本人からも妖怪みたいなものは出る。
そう口を開きかけた絹夜を静すように銀子は首を振って言い直した。
「妖怪に食べられちゃったんですッ!」
* * *
銀子も直接目撃したわけではないが、生徒から証言があったらしい。
レオは校内で、いや、この地域ではそこそこ目立った不良少女だ。
それが喧嘩に負けただけでも大ニュースだというのにさらには誘拐事件とは。
この状況でなければそう思った。
銀子は三時限目で今日はレオがいない事に気がついた。
いないのは時折保健室か屋上にいってしまう彼女の事だから誰も気にしなかったのだが、一応は持ってくるはずのカバンもなく、
銀子は念の為、彼女の携帯電話に電話をしたが出る気配はなかった。
そんな時だった。
突然職員室に美剣学園から電話があり、ものすごい剣幕で電話先の伊集院ユリカが問い詰めてきた。
「二階堂さんが妖怪に食われたって噂、本当ですの!?
いるなら二階堂さんをお出しなさい!!」
レオがいない事を丁寧に伝え、逆に彼女が持っている噂についての情報を聞くと
何やらいやな展開であることがわかり銀子は絹夜のもとに乗り込んできたのである。
「何でも、昨日の夜に二階堂さんは紳士系のおじさんと……その、忍者村みたいに飛び回って戦ってたみたいなんです。
ただ、おじさんの足元から黒いものが出てきて、それが二階堂さんを食べたって……。
出所がどこかわからないんですけど、美剣学園ではその話で持ちきりだって……」
「話がシュール過ぎてわからん」
「わかんないのは私のほうですよッ! とにかく、噂の現場に行ってみましょう」
「……ああ。お前の言うとおりだな」
紳士系のおじさん。
心あたりがばっちりあるじゃなか。
とうとう動き出したか、ルーヴェス。
彼の考えは全くわからない、本当に狂人だとするならばレオの命はもうないだろう。
だが、そうでなければ生きている、それも無事でいる可能性が高い。
自分との交渉材料にするつもりだろう。
だったら奴の望みはなんだ。
”腐敗”の力か?
いや、まずは体を動かそう。考えるのはそれからだ。
バイクの後ろに銀子を乗せて現場の桜並木に行き着くと、レオが抵抗したのかコンクリートが焼け焦げていた。
その近くに蟲の死体が散乱している。
「うわぁ、なんですか、これッ! ギボヂワルッ!」
「菅原、警察に通報したのか?」
「あ、えと……確証のない噂だったんで多分誰もしてないと思います。
そうですね、本人がいない以上、相談したほうがいいかもしれないですね」
すぐに携帯電話を取り出そうとした銀子だったが絹夜はその頭に手を置いた。
「いや、いい。よくやった」
「は、はい?」
「菅原、いいかよくきけ。誘拐とかそういうレベルじゃない」
「えと……どど、どういうレベルですかッ?」
「相手はルーヴェス・ヴァレンタインだ。
警察に通報したところで役にも立たないだろうし、下手すりゃ俺たちが慌てふためいていることをルーヴェスに教えることになる。
素知らぬふりしろ、そのうちルーヴェスがレオを盾にして現れる」
「……でも、それはあ二階堂さんはルーヴェスに捕まったままほっとかれちゃうんですか!?
生徒が怖い目にあってるのに、ほっとくんですか!?」
「あいつが誘拐でびびるわけないだろ」
死んでなければ。
絹夜の頭はあっさりと冷たい考えで満たされていた。
こんな非常事態だからこそ、絹夜には経験があり、常套手段ともいえる方法を知っていた。
リアクションがあるまで待つ、それが最善だ。
「そうじゃないんです、そうじゃ!」
反論しようもないはずなのに銀子は頭をかきむしって地団駄を踏んだ。
なんて地団駄が似合うんだ、と絹夜がどこでもいいところで感心していると、ずばん、と彼に指を突き付けて怒鳴った。
「大事なものを奪われて黙っていられるんですか、先生はッ!!
私は頭にきてます! ルーヴェスだかなんだか知りませんけど、大事な生徒の、大事な青春の時間を奪って腹が立ちます!
黒金先生は頭に来ないんですか!? 何でもかんでもそうやって冷静に受け流すんですか!?」
「――わかってんだよ、そんな事! だが、俺にはオクルスムンディが使えない……! 戦えないんだよ……!!」
「わかってないから言ってるんです!!
オクルスムンディが何ですか、魔力暴走がなんですか!
戦えないとか、そんな物理的な事情に負けてあなたの気持は折れちゃうんですか!?
あなたの感情は、そんな簡単に負けちゃうんですか!?
私は例え、狼の力がなくても探しに行きます! そうしたいからするんです!
そうしたいのに、絶対に正しいのにそう出来なかったら、命は助かっても魂が死んじゃいますよ……!
黒金先生、そうやって能率とかに囚われて、魂殺しながら生きるんですか!? つまんない人生ですね!!」
どいつもこいつも同じことを言いやがる。
そんなに俺がつまんない男か。
ふと、精神体”バァ”と生命エネルギー”カァ”を引き離す実験をしていた呱呱の角病院の研究内容が頭によぎった。
この場合銀子が言っているのは”バァ”の部分で、影はそれにあたる。
自分の影を、心を殺しながら生きるのか。それは確かにつまんなそうだし、理屈はわかっている。
だが、変わろうともがいてはいるが上手に脱皮ができない蛇の気分だった。
確かに、このままじゃ銀子が言うように”バァ”は死んだままになる。
「……失うくらいなら、半分死にながら生きていくほうがましだ」
この手で奪った大好きな両親の血のぬくもり。
己の命を生かすためにたくさんの犠牲が払われる。
そんなのは嫌だ、だから戦ってきた。
しかし今度はその戦う力も無い。
「黒金先生のアホーッ! 意気地なし!
いいです、いいです! 私は勝手にやりますからね! ぼけーっとしててください!」
小さな肩を怒らせて歩き、銀子は途中から走って行ってしまった。
失うということを理解しているのだろうか。
軽快に走っていく銀子の姿を見て、そして自分の足にはまだ、死刑囚のような重い鉄球が付いているような気がした。
外れていないのだ。
両親を殺した罪で投獄されたあの時の足枷は。
* * *
鉄骨むき出しのビルの一室、ままごとのように並ぶテーブルと椅子に腰かけルーヴェスはレオを見つめていた。
ゴールデンディザスターを封じるために目隠しをされ、さらには手足を拘束されているというのに穏やかな呼吸を保っている。
妖艶な肉体に宿る小さな少女のような聖魔の流動、そしてどっちつかずな生命エネルギー。
「キマイラだな……まるで」
ルーヴェスにはそれが自然界の上で精製された魂だとは思えなかった。
何か人の手心を加えられてあるべくして作られた命だと感じた。
レオの腕には針が刺さっており、そこから延々と血液が抜かれている。
フォアグラ用に養殖されているガチョウのように、栄養剤を飲ませ、数時間後に採血、とただひたすらを繰り返し、
すでに3リットルは彼女から血液を抜き取っている。
さすがに顔色が悪くなり、採血の量も緩和させたがタンクにたまっていくレオの血にルーヴェスはひたすら感心した。
彼女は一言も怯えを、恐怖を口にしなかった。
それどころか少し興奮していて、遊園地にでも遊びに来たようなゴキゲンなテンションだった。
それは精神力というには少しとっぱずれていて、ルーヴェスは彼女の精神がどこか小さく、わかりづらい形で欠損していると考えた。
狂っているのだ。自分と同じように。
レオン、と呼ぶと彼女はレオでいい、と親しげに応えてくれた。
本当は血液だけがあれば十分だったのだが、それもあって、ルーヴェスは彼女を死ぬまで血液を搾り取るのをやめた。
「レオ、君は自分の邪眼――ゴールデンディザスターについてご両親は話していたかな?」
「その前にヘイルに殺された」
「教えてほしいかね、興味があるかな?
私は全てを話せるわけじゃないが、少なくとも君のお母さんが何故君を生んだのかを知ってもらいたい。
こんな状況だ、私は命を失うかもしれない。その前に君に教えておきたいんだ」
「あんた、死にたがり屋さんなんだね」
レオの言葉があまりに的を得ていてルーヴェスは笑った。
それがわかるのは同族だけだからだ。
太陽光だけがようやく刺す部屋の中で換気扇が回る音だけが響く。
ルーヴェスは頬杖をついて愚痴でもこぼすようにポツリポツリと話し始めた。
「吾妻クレアはギーメルギメルの化学班を率いる美しい科学者だった。
彼女の功績は大きく、君も出会っただろうが、ホムンクルスを作ったのも彼女だ。
だが、彼女がホムンクルスを作ったのは、さらなる実験の媒介としてだった。
彼女が作りたかったものこそが、邪眼ゴールデンディザスターだ。君のそのペリドットのような瞳を欲しがっていた。
彼女は自分の卵子と、古代遺跡から発見された吾妻の起源――アテム神官達の遺伝子情報が載った人工精子を結びつけ、君を生んだんだ」
一瞬だけだったが、レオに呼吸の乱れがあった。
つまり、彼女は半クローンのような存在で、邪眼のために生まれてきたのだ。
「……じゃあ、母の研究は成功したの?」
「ゴールデンディザスターを生みだすことには成功したのだろう。
しかし、その邪眼は”邪眼封じの邪眼”という強力な力故に限られた人間だけが使うことが出来たんだ。
君の弟が生まれて、クレアはそれを察した。 ゴールデンディザスターは、アテム神官の思春期の少女だけが使うことのできる、時期限定の邪眼だったんだ。
クレアは絶望し、その後はゴールデンディザスターを元に様々なホムンクルスを作る研究に没頭した。
しかも、クレアはゴールデンディザスターの能力を知らなかったんだろう。
あれは”対魔女”の力であって、クレアが求めていたものではなかったようだ。
だが、見切りをつけられたのかクレアはヘイルの手にかけられた。用済みだと言わんばかりにね。
ほかにも色々と知ってはいるのだが、友人に口止めされていてね。私が話せるのはこの程度だが満足いただけたか?」
「……満足」
彼女はその単語を嘲笑した。
するわけがない、そんなニュアンスにルーヴェスは内心慄いた。
まるでそのなしの欲望を司る邪神のような娘で、味のない栄養剤だというのにもっとよこせと言うし
抜かれているのが自分の血だというのに見てみたいと要求してきた。
何か嫌な予感がしてどちらにも応じてはいないが、確かに一線外れた精神の持ち主であることに間違いない。
やはり血に興味があるのか、彼女はその事を口にした。
「私の血、どうするの」
言おうかどうか躊躇って、ルーヴェスは静かに首を振りくだらない考えを振り払った。
教えてしまうときっと彼女は、息子の――絹夜の事を嫌いになってしまうだろう。
「秘密だ」
誕生日のサプライズでも隠しているようにルーヴェスは優しくそう答えた。
すると場を見計らったかのようにレオの携帯電話が鳴る。
最近はやりの女性歌手のメロディーが1ループしてルーヴェスはようやく彼女のスカートのポケットから携帯電話を取り出した。
”絹夜”と登録された着信にルーヴェスはさらに子供のように微笑む。
通話ボタンを押すと、やはり間違いなく彼だった。
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