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NOVEL 天使の顎 season2’ OVERDOSEEXOCIA
17 *膨張/Overflow*4
「…………」

 血の匂い。
 食えるんじゃないか?
 なんせそれは供物だ。
 彼女は供物だ。食べていい、その為のイノチでその為のケツエキである、太陽信コウのイチゾクからセイなるチカラを吸い上げて
 我らがフハイの力に変換し、生き永らえ繁栄し、やがて眼に見えるスベテを服従させ、統治し、そして”カミ”となるのだ、
 なんせ”カミ”はワタシ――。

「!?」

「どしたの? 気分悪くなったの?」

 気がつくとじっとりと額が濡れて体中が熱を帯びていた。
 レオがずたぼろになった袖口を絹夜のほほに充てる。
 魔力結晶が流れ出ていた。

「使うなって言われてただろうが」

「……使ってない。それでも溢れ出るんだ」

 末期症状だ。
 最悪、このまま魔力が体から流れ出て何もできなくなるかもしれない。
 黒金絹夜でいられなくなるかもしれない。
 その不安を読み取ったのか、レオは急に冷めた表情をした。
 タクシーは絹夜の住んでいるマンションまでたどり着く。
 レオが手を貸す気がなさそうなのでふらつきながらも絹夜はなんとか自分の部屋にたどり着いた。
 だが、当然のようにレオが玄関先にまで入ってきて部屋の奥に逃げ込もうとする絹夜の腕をつかむ。

「でさ、絹夜はそのまま症状が悪化したらどうなるの」

 やはり気が付いていた。
 それが女の勘というやつなのか、彼女の観察眼が優れているのかは知れないが厄介な能力だ。
 絹夜は壁に手をつけながら簡単に説明した。
 魔力も聖力も使えなくなれば自分はただの人で、危険なことが一切できなくなるということ。
 そして、そんな人生にはきっと耐えられない事を話した。
 力の損失は黒金絹夜でなくなってしまう、そんな意味だった。
 聞き終わったレオはぐっと拳を握り締めたが、例の必殺技”反省しろ”は出ず、その代わりに深呼吸だかため息が出た。
 
「つまんない男ね」

 彼女らしくもない無機質な、むしろ言いたくないのに無理やりひねり出したような言葉だった。
 絹夜のとってのトラウマと知っていて、それでも言ったレオだったが絹夜の返答を待たず、首を振って自分の言葉を否定して言い直した。

「つまんないのは、あんたのせいじゃないけどね」

 慰めや。共感なんてしてくれなくてもいいのに。
 この苦しみも虚しさも全て一人で乗り越えてきたんだ、今更同調なんてお節介もいいところだ。
 そのはずだ。
 黄緑色の瞳はそんな生ぬるい同情を抱いているわけではない。

「どうしてお前はそうなんだ。感情の模倣で何が救われるって言うんだ。
 子供じゃないんだ、甘えや不安は押さえつけるしかないだろう。頭でわかってそれを制御できる、そうしないと俺の生きたい世界は生きていけない。
 同情なんてまっぴらなんだよ。やめてくれ、お前の言葉が心地よすぎる、頭がおかしくなりそうなんだ。
 俺は誰かに甘える資格なんてないんだよ……」

 途中から喋っている言葉に統一性がなくなった。
 本能、理性、それから別の何か。
 いっしょくたに一片にそれがしゃべり始めて絹夜の頭は収拾がつかなくなっていた。
 やめろ、誰だ、もう喋るな!

「絹夜……?」

「俺が欲しいのは情念じゃない!!」

 絹夜の腕がレオの方に伸びた。
 意志とは全く無関係で、絹夜は驚愕したが体はいうことをきかず、まるで傍観者のようだった。
 そして彼女を投げ飛ばすように廊下に叩きつける。
 レオの体が跳ね上がるほどの衝撃――自分は魔力補正をしている!
 彼女がガードをとる前に両腕をつかんでそのまま胴の上に乗っていた。
 さらに別のだれかが自分の口で喋り始めていた。

「欲しいのはお前の体に流れている、その――」

 絹夜の右腕に炎が宿る。
 そのまま振り下ろした2046の剣先がレオの心臓の上でぴたりと止まった。
 欲情だか恐怖だかは定かではないが体がぞくりと震える。

「血だ」

 囁くように顔を近づけてきた絹夜。
 ぼたぼたと魔力結晶がレオに滴った。

「痛がれ、お前の声が聞きたい」

 2046がレオの胸につきつけられ、とうとう赤い血だまりが噴き出る。
 このまま少し体重を傾ければそれで彼女は死んでしまう。
 この手が不本意に奪ってしまう。
 それだけはいやだ、あの血の感触がよみがえってパニック寸前だった。
 だが、レオが口にしたのは悲鳴でも叫びでもなかった。

「あんた、誰」

 低く唸るようにそう言って絹夜を――犬歯をむき出しにして笑い、その奥にあるものを睨んだ。
 彼女は自分の意志とは無関係な事を察しており、また死の間際になりかねないこの状況を怯えているわけでもなかった。
 むしろ、彼女は一瞬にして冷徹な少女から妖艶な娼婦のように気配を変えた。
 ようやく意志が定まり、絹夜は彼女の精神的なタフさに感謝した。

「俺を否定するのか? 大いに結構。憎んでくれ、痺れる程恨んでくれ」

「御託並べんじゃないよ。ぞくぞくしてきたじゃない。やるならさっさとして。
 言っておくけど、お前の両手に収まるような、安い命じゃないよ。
 ほら、欲しいんでしょ。でも渡さない、私も、彼も、全部私のモンなの。いいでしょ」

 彼女のこんな挑戦的で妖艶な表情は見たことはなかった。
 10年前の自分、そして風見チロルに宿らなかった”邪悪”だ。
 顔が引きつり、それならばと2046に力を込める。
 渡すものか、彼女が言った。
 ならば応えなければと熱いものが胸に宿る。
 理由を算出する前に右腕がいうことを聞くようになった。
 止まれ!
 それ以上ピクリとも絹夜の腕は動かなかった。
 魔力補正に青い炎が次第に大きくなる。
 ニヤリ、と歪んだ笑顔を見せたレオ。
 邪神のような怪しげな笑みに絹夜は安堵した。

「ッダメ、だろう。オクルスムンディは使うなと言われていたのに」

「……ゴールデンディザスター!」

 彼女は元来、邪眼の持ち主だ。
 だがその力は不完全のはずで、ぎちぎちと縛られているのは邪眼のせいだけではなかった。

「ふふ、残念。戯れはおしまい、負けを認めろ」

 そして2046が消え絹夜は両手を垂らして茫然としていた。
 絹夜を動かしていた別の何ものかも同時に消える。
 体の自由がきくようになったが何をどうしていいのかわからなかった。
 その間にレオは今になってやっと呼吸を乱し、茜が射した頬に手をやる。
 本当にこの女の度胸には、呆れかえる。
 底なしの大馬鹿だ。

「ちょっと。いつまでのっかってんのよ」

「……あ」

 ようやく脇に退くと、レオは起き上がりしゃがみこんで絹夜の顔面を拭う。
 姉が泣き腫らした弟にするように乱暴だった。

「あんた、私の前で泣いてばっかり。ほんっと、ガキなんだから」

「ちげぇ、バカ……ッ」

 どうして彼女には泣いているとわかったのか。
 魔力結晶の涙に埋もれていたはずだ。
 カッコなんてつけたくない。
 がんばりたくもない。
 そんな事、無意味じゃないか。
 だって最終的には、甘えを許して欲しいんだから。
 それじゃいけないのか?
 問いたいことがたくさんあって、ようやく意を決して絹夜は口にした。

「レオ……俺は、お前のものなのか? 渡さないって、どういう意味なんだ?」

「…………」

 すると彼女は眼を白黒させて首をかしげた。

「何を?」

 何を。
 合計三文字で片付いた。
 絹夜もレオと同じ方向に首をかしげた。
 もしかしたら自分の幻聴だか妄想だったかもしれない。
 それを裏付けるかのように、さっきの邪悪さからは想像もできない、年相応の少女の笑みを浮かべた。

「じゃあな、また明日」

                    *              *             *

 実のところ方向が一緒で絹夜の家からレオのアパートまでは歩いて十分程度のところにある。
 暗さもあってあまり服装に気にしなくてもいいと踏んだが、服より傷のほうが目立ってレオは足早に桜並木を歩いていた。
 バッグの中には何故か伊集院ユリカが押しつけてきた下着が入っているのだが正直なところどんなもんか試着してみたい気持ちはある。
 何より腹が減った。
 まずは腹ごしらえからと冷蔵庫の中身を思い出そうとしているレオの目の前を、大きな影が遮った。
 見上げるそこには夏場だというのに黒いコートを着込んでいるオジサンが立っていた。

「お久しぶりです、お元気でしたか?」

 その正体が判明していなければにこやかに迎えられただろう。

「ヘビィな展開ね……」

 ルーヴェス・ヴァレンタイン。
 目的不明のその魔術師はレオの言葉にやさしく微笑みかけた。













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