NOVEL 天使の顎 season2’ OVERDOSEEXOCIA 17 *膨張/Overflow*2 そして本日も放課後、保健室にてたむろすのだが、絹夜がなかなか姿現わさなかった。 ようやくやってきたと思えば何やら顔色が悪い。 「どうしたんですか、黒金先生。また……魔力膨張ですか?」 「かもな。あの時ほどじゃないが……」 「今日は控えた方がいいですよ。裏界は逃げません。 ゲートも5つ支配しているでしょう? 最悪、それだけでもお金になるんですからあまり深層部にこだわらない方がいいのでは」 「こだわる」 そう言って絹夜は顔をそむけ、視界にレオが入らないようにした。 頭の中で整理できていないがあれからレオは何事もなかったように嫌味をくれる。 心地よい、そう安穏ともいえる感情が確かにあって、それが藤咲乙姫を思っていた時のものと類似しているのは認められた。 違うのは、藤咲乙姫は自分の間違いを正してくれる薬のようなもので、 そして二階堂礼穏は間違いを間違いのまま受け入れてくれる中毒性の高い麻薬のようだった。 必要なのかと言われると、きっとまだそこまで依存していないし、愛しているのかと言われると明確には答えられない。 ただ、今は裏界だかゴールデンディザスターだか、目の前に並んだもの全て薙ぎ払ってこの辺境の島国から連れ去りたい。 最早、その為の裏界でしかない。 だからこだわる、絹夜はその決意をもう一度念頭に置いた。 「適当についてこい。屋上から入る」 「もー、きぬやん、無理しないでねぇ」 そういいながら止めないジョーに続き、銀子とクロウも続く。 少し如何わしく思っているのかレオは眉をひそめたが何も言わずにやはりついていった。 「危険だと思ったら引き返すんですよ!」 まるで子供を送り出す母親みたいな事をいうユーキ。 絹夜は当然と言わんばかりに手を上げて了解の意を示した。 屋上のゲートから裏界に入ると空に流れていたナイアガラのような重油は少し勢いを弱くしている。 恐らくはゲートの支配権をとっているのが影響しているのだろう。 着実にこの裏界は蓋を開いている。 「今日もゲートの番人をお探しですか?」 屋上の端にいたイノリが少し寂しげに呟いた。 その視線は絹夜と、そしてレオの間を行き来した。 「ああ」 「なら良かった、私みつけておきました」 そう言ってイノリは自然に、顔の前で手を打って笑った。 影だというのにだんだんと生きている人間に近くなってきている。 そんな不自然な状態を目の当たりにして絹夜は微笑んだ祈りに対し眼を鋭くする。 「どうか、されましたか?」 「……いや」 影のくせに? なんて言って追求したらいいかわからない。 昔の自分だったら思うがままに口にしていただろうが、どうにも彼女の容姿も相まって、口にはできなかった。 イノリが案内してくれたのは体育館なのだが、そこには影がほとんどいなかった。 ゲートの番人はこういった広々としたところを好むのか、それともゲートの番人がいる箇所には他の影が寄り付かないのか。 がさごそと怪しげな音が早速立って、全員が戦闘態勢に入る。 すると、ばさばさと羽音を立てて体育館の舞台の裏から巨大な影が転がり落ちてきた。 赤黒い翼をばさばさと鳴らしていた。 「ハヤブサ!?」 「ホルスの化身だ、急降下に気をつけろ!」 ハヤブサは猛禽類の中でもとくに急降下速度を誇るハンターだ。 影がそれと同じ特性を持つかはともかく、前回のマントヒヒは他の影と比べて知能が高かった。 『ギエエェン!』 一つ鳴いてハヤブサは翼を広げる。 人間の倍もありそうな体が持っていた翼はまるで鋼鉄の様にきらめいていた。 まさか、あれひとつひとつが刃物のようなものだったら。 いやな予想が頭をよぎる。 次の瞬間、ハヤブサはその身を回転させながら宙を舞い突進してきた! 鋼を武装した翼の攻撃に散らされてしまう。 前から後方へ駆け抜けたそれは二階部分の手すりにとまり、こちらの様子をうかがっていた。 一度の攻撃に全員がダメージを負っている。 大小あるが、肌が切り裂かれ血がにじみ出ていた。 「捕獲しないとまずい相手かもね。俺が受け止める。きぬやん、こいつの動きを止めてちょうだい」 「言われなくとも。クロウ、お前も手を貸せ」 ジョーはスサノオを構える。その後ろで絹夜はメガネを下げ、ゆっくりと魔力を集中させた。 がたがたと不安定に魔力が流れる。 まるでおんぼろの車で舗装されていない下り坂を走っているようだ。 不安定な流動の中から慎重に力を集める。 ばっと再びハヤブサが滑空しはじめた。 「来いいぃ!!」 今度ハヤブサはスサノオめがけてその鋭いかぎづめを向けてきた。 がちん、とスサノオの持つ十握剣とハヤブサの爪が噛み合った。 「ぐッ! 重い……ッ!!」 スサノオが押され、ジョーの体も下がる。 そこにセクメトと銀子が加勢に入るとハヤブサは両翼を広げ、羽ばたいてもいないのに垂直に舞い上がった。 瞬間、ジョー、そしてレオと銀子の体勢が崩れる。 「わきゃッ!」 再度体勢を立て直して攻撃態勢に入ったハヤブサは三人を狙うつもりだ。 ジョーがようやく上半身を起こしたところですでにハヤブサの爪が彼を狙っていた。 「ぬわッ!」 「させません!!」 パン、パン、と2発の銃弾がほぼ同時にハヤブサの右足に着弾し、3発目の着弾とともに片足がもげた。 しかしそれはぐらついたまででもう一方の足で標的を狙い続けている。 間に合え!! 魔力の集中が不十分だったが絹夜はオクルスムンディを発動させた。 青い瞳がハヤブサを捕えた! さらにそこにクロウが構えていた氷結の魔術が発動する、だがその瞬間だった。 『キェーンッ!』 甲高く鳴いてハヤブサは体をひるがえした。 同時に絹夜の鼻から青いものがだらりと流れ落ちる。 視線が届かなくなり、さらには氷結の魔法陣からも脱出する赤黒い影。 「そんな! 逃げられるなんて!」 ごろごろと体をきりもみさせながら床に落ちたハヤブサだが、さしてダメージがなく紙一重で攻撃をかわしたようだ。 「黒金先生ッ!!」 がくん、と両膝をついた絹夜にイノリがかけよりその体を支えるがそれも間に合わず彼は前のめりに倒れた。 口と鼻からはだらだらと青白い魔力まじりの体液が流れて絹夜の手足は痙攣している。 「無理に、邪眼を発動させたんですか!?」 イノリの言葉に絹夜は答えるどころか瞳孔を開いたまま不規則にようやく呼吸をしているだけだった。 その一方、騒ぎに乗じてハヤブサが起き上がり――甲高く吠えた。 『キエエエェェェェェェンッ!!』 それはまるで体を分解するような振動で――それもそのはず、スサノオとセクメトの姿が砂の城のように崩れていった。 「な、なん……ッなに、これ!!」 「耳が痛いですーッ!!」 影に多大な影響を与える音波のような攻撃、はっとしてジョーとレオは振り返った。 イノリが胸を苦しそうに抑えている。 影そのものである彼女にとって体を焼かれるような痛みなのだろう。 そしてとうとう座り込んで前のめりになり苦しみ始めるイノリ。 効いたと判断したのか、ハヤブサは直接的な攻撃よりも音波を発し続けた。 ぎりぎりときしむ体を引きずりながらハヤブサに突っ込んでいくレオに、ハヤブサは笑うように目を細め、 そして十分に引き付けたとわかると翼を翻す。 レオのわき腹から肩までにかけてが切り裂かれた。 「ははっ! あきらめたと思うなよ!!」 目を見開いて、彼女は笑っていた。 血が中空を舞っているその間にレオが体をひねり懐に入るとその横っ面に雷をまとったフックをたたきいれた。 バランスを崩した片足のハヤブサは翼にレオを巻き込んで横なぎに倒れる。 刃の翼に押しつぶされたレオだが先に動いたのはハヤブサのほうだった。 残った片腕がレオを踏みつぶしかぎづめが彼女の上半身を捕えていた。 まるで人質をとったと主張するようにハヤブサは視線を上げる。 オクルスムンディによって魔力暴走を引き起こした絹夜、そして大きなダメージを負ったイノリ。 ジョーや銀子だって影を含んでいるだけ直接的なダメージはないが影を討伐するだけの力がない。 この状況下で対抗手段となるのはクロウだけだった。 しかも、これまでにクロウが構築していたのは、氷結魔術の大技で、このまま使えばハヤブサを討伐できるだろうが確実にレオまで巻き込むこととなる。 だからこそハヤブサはレオを人質にとって彼に見せつけたのだ。 魔法陣を解除しろ。 訴える目に対し、クロウは躊躇い、しかしやはり魔法陣を解除した。 「何やってるんだ、ばかッ! そんな事してもこいつは!」 「そんなことわかってるんだよ! でも、レオちゃんを傷つけてうまくいっても、僕はきっと、ずっと後悔するよ! 耐えられないよ、怖いよそんな後悔!」 ――同感だ。 薄れゆく意識の中で絹夜は聞いた。 後悔が怖いから怯えるし、慎重に選択する。 間違わないように懸命になるしかないじゃないか。 レオ、どうやって覆すんだ。 期待している。 何と答える、獅子乙女。 床に磔にされている状態で、ハヤブサを睨みながら彼女は叫んだ。 「――弱虫が! 後悔しない人生なんてあるわけないだろッ! 死んで後悔したらもう遅いんだよ! 生きて後悔しろッ!」 その答えを聞いた瞬間、絹夜は蒙昧する中、腕を動かした。 魔法陣は得意ではないが、かつて炎を扱うことに長けた魔女が使っていたのを覚えている。 一重、裁きを下す乾きの王者、二重、罪人を屠る熱の処刑台、三重、再生を許さぬ地獄の霊帝。 「クロウ……ッ!!」 青白い魔力結晶と一緒に絹夜は言葉を吐きだした。 クロウが振り向くと、絹夜の腕のすぐそこに彼の青で描かれた火炎の魔法陣が発動のきっかけを待って僅かに点滅していた。 「これ……は……?」 ひどく古めかしい様式の組み合わせ、何度も重なる炎を表す三角形の印。 だが絹夜はすでに気を失っているらしく脂汗を額に浮かべて倒れたままだった。 『ギエエェェェェェエエンッ!!』 警告するようにハヤブサが鳴く。 「お前が決めろッ! ぞくぞくする、早く!!」 煽るようにレオが吠えた。 笑っている。巨大な爪の下で磔にされているのに、体から血が噴き出しているのに、彼女は身悶え頬を紅潮させていた。 「お前の決めた未来に乗ってやるッ!」 瞬間、クロウははっとして素早く絹夜の横につき、魔法陣に手をかざす。 『ギエエェェェェェエエンッ!! ギエエェェェェェエエンッ!!』 良くできた炎の魔術だった。 しかし自分には向いていない形式だ。 幾重にも重なる炎を表す三角形を六芒星に書き換える。 純粋な魔力流出の意味に変換し、さらに絹夜からこぼれた魔力結晶と連結させた。 「イノリさん、おつらいでしょうが黒金先生を少し離れたところに!」 「い、いえ、何とかします……!」 黒金絹夜の魔力の属性が何なのかは知れないが、自分が放つ氷結魔術よりもずっと強力なはずだ。 だが、これでレオを巻き込みたくはない。 それとは別に素早く特異な氷結魔術を中に描いてハヤブサに向けて発動させた。 『ギギィィイ!!』 効いているというよりも狙いをクロウに定めたようだ。 そうだ、相手がやったと同じように魔力発動のタイミングを計る。 後は全員満身創痍、これでしくじったらおしまいだ。 「来い!」 鋼の翼、影を分解する超音波、猛禽類そのものの凶悪な性格。 クロウはふと、自分が相手にするには少し不釣り合いなのではないかと思った。 だが、だからこそ十二分に満足していた。 『ギエエェェェェェエエンッ!!』 超音波をたたきつけるハヤブサ。 しかし、ホムンクルスで影のない彼にとっては微風のようなものだ。 十分な位置に引き寄せ、タイミングを計る。 そして、絹夜が作った魔法陣のスイッチを入れた。 「喰らええぇッ!」 それはまさしく悪い夢だった。 媒体と同じ美しいペールブルーの翼がばりばりと生え、霜のようにのびでは炎のように燃えて散っていく。 それはやがてハヤブサの体にめり込み、同化し、赤黒かった影は白く染まっていった。 構築と破壊を繰り返し、それはやがて巨大な翼のオブジェになり、しかしその基盤はだんだんと闇の色に飲まれて、闇は無に飲まれ、 まるで戯れだったかのように簡単に消えていってしまった。 当然、ハヤブサの影が残るはずもない。 だが、クロウが目の当たりにしたのは聖魔混在の、何を象徴しているのかわからない魔術の属性だった。 ようやく脅威が去って頭を抱えながら立ち上がるジョーと銀子、レオは物理的なダメージが大きいらしくシャツを破いて止血をしていた。 そんな中、イノリが絹夜の顔を覗き込む。 「黒金様、しっかりしてください……!」 唇をわななかせながらゆっくりと目を開くが彼の眼球は魔力結晶の色に染まっていた。 宙を舞う絹夜の手を、イノリは握って僅かに動く彼の唇に耳を寄せた。 「……レオ」 彼の口はそう動いて、イノリは絶望にも似た表情を浮かべた。 ただ、どうしてそんなにも彼女を頼るのか、イノリにはよくわからなかった。 あの邪神のようなおぞましい少女を、何故。 [*前へ][次へ#] [戻る] |