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NOVEL 天使の顎 season2’ OVERDOSEEXOCIA
17 *膨張/Overflow*1
 観葉植物がならび清潔感のある白い空間、大きなテーブルを囲むように彼らが座っていた。
 席は12程あるのに埋まっているのはたったの1席だった。
 ヘイルはその凪のような光景を見て唇の両端を釣り上げた。
 半分以上の幹部達を裏切り切り捨て、ウェルキンやそのペットも離れていった。
 純粋な吾妻だけが支配したギーメルギメル、これこそあるべき姿だ。
 今までの小悪党たちが掻き集めた金と権力者が延ばしたコネをたっぷりと利用して楽園――ヘラクレイオンへの道を開く。
 それが代々の吾妻の望みであり己が全てをなげうって手に入れたいものだ。
 誰もいなくなり、ヘイルは楽園へ近づいたのを実感した。

「伯父様、失礼します」

 ノックと共にカイの緊張感のない声が扉の奥から届いた。

「ああ、入れ」

 反射的に答えてヘイルは彼を招き入れた。
 またくだらない嫌味をぶつけられるのだろうか。
 彼はまだどこか姉を崇拝しており、吾妻であることを受け入れなかった。
 物心ついた、いや、多感な時期に両親を殺されてわけもわからぬままこんな怪しい組織に引きずり込まれたのだ。
 歪んでも仕方ない。
 扉をくぐってきたカイは今日に限って上機嫌な様子で、それでもにやりと癪にさわる笑い方をしていた。

「一体なんの用だ」

「実はですね、ふふふ。
 法王庁がこっちに向かってきてるんです。伯父様もここでおしまいかと思いまして。
 時の人、というのは大変ですねぇ、伯父様」

「何!?」

 法王庁。
 今まで魔女ばかり相手していた古びた組織だ。
 いや、近年どういうわけか浄化班などというものを立ち上げ、今では世界中を法で縛る存在と化している。
 軍部がないわけではないが、幹部を失っている今、以前より衰えているのは確かだ。
 よわってよろめいたところを蹴りつけてくれるのか、連中は。
 そんな事態でもけらけらと笑うカイにヘイルは苛立った。

「何がおかしい……お前が思っているよりも連中は手強いぞ」

「すぐに引きます。引かせて見せましょうか」

 それこそ子供のように遠まわしにして嘲り笑っているカイにヘイルはついカッとなった。
 つかつかと足音を鳴らし近づくと握った拳を彼の顔面に叩きつける。
 カイは図体のわりに簡単に吹っ飛んで出入り口の柱に後頭部をぶつけたようだった。

「う……い、いたい……っ」

「策があるならさっさと実行しろ。敵を撤退させるんだ」

「……言ったね、伯父様」

「……?」

 カイは無理やり笑みを作ったように口の端を吊り上げた。
 それがあまりに無理やりすぎて犬歯をむき出しにしたようで気味が悪かった。
 そこで初めてヘイルは危険を感じ取る。

「お前、何を――」

 その瞬間だった。
 彼が入ってきた扉から影が現れる。
 暑い季節だというのにコートを羽織った黒服の男だった。
 肩まで垂らした黒い髪、鋭く整った顔立ち。
 それはまるで、狩るべき相手の――黒金絹夜によく似ていた。
 いや、彼より20歳は年上だろう。

「僕さ、伯父様のいうヘラクレイオンに興味があるんだ……そろそろ準備も整ったんでしょう?」

 そういいながら口元をぬぐい立ち上がるカイ。
 そして今まで見せた事もないようなあからさまに攻撃的な視線で射ぬいてきた。

「ヘラクレイオンを夢見てきたのは、あなただけじゃないのさ」

「……貴様、一体何を――」

 答えたのは黒金絹夜に似た男だった。

「あなたという中途なキャラクターは悪の組織のボスとしてふさわしくないのだよ、吾妻ヘイル。
 夢を追う少年のようなあなたでは、あなたのような”純粋”な人間には少し事が難しすぎる。
 これは単純な物語ではないのだよ、ヘイル」

「何をする気だ……!!」

 ずるり、と男の背後から何ものかの腕が出る。
 いくつもの関節が連結した、それでも人間の腕のようだった。
 五本の指がヘイルの顔を掴む。
 そしてヘイルは黒い闇の中にじわじわと何者かが蠢いているのを悟った。

「わ、私をどぉするつもりだぁッ……!」

「君がヘラクレイオンの為に差し出した供物を頂くだけだ」

 ぎょろり、とヘイルを掴んでいた掌に巨大な眼が開いた。
 まるで地中海の海のような、胸を鷲掴みにされるような青い瞳。
 だがその目はぶるりとふるえ、身もだえしながらせり出てくる。
 目玉、ではなくまるで巨大なミミズのようなものの先端だった。

「何の、なんぉごろだぁああッ!」

 手のひらからさらに小さな、赤ん坊のような手が伸びてヘイルの口をこじ開けた。
 その中に目玉の蟲がずるずると入り込む。

「ぐ、ご、ぼぼ」

 ヘイルの喉が震えながら太く膨張する。
 みしみし、と彼の体中が軋み始めた。

「一つだけ、いいこと教えてあげるよ、伯父様。
 ヘラクレイオンは楽園なんかじゃない。あんたの夢は全部、幻だったのさ。
 だから、あんたの命も幻にしてあげるんだよ」

 べこ、とアルミ缶のように急にヘイルの体が凹んだ。
 同時に彼の口やら鼻やらからは大量の血液が流れ出る。
 びくんびくんと跳ね上がっていたヘイルの体もやがて動かなくなり、最後にぐちゃぐちゃと水っぽいものを吸い上げる音が派手に響いた。
 とうとうずるん、と目玉の蟲が影に戻って、影は黒金絹夜に似た男――ルーヴェス・ヴァレンタインの中に戻った。
 そこに残ったのは、まるで飲み終わった紙パックの様な惨状の男の死体だけだった。

「……酷い匂いだな。何をしたんだ」

「私の影はペットを飼うのが好きでね。そのエサにしてやったまでだ」

 げぼん、とルーヴェスの影から何かが返還された。
 床をころころと転がったのは三つほど連なった、脊髄と思われる骨の塊だった。

「おや、つまらせたのかな。可哀想に」

 能天気な事を言いながら血も滴らないヘイルの死体をつまみあげ、ルーヴェスはそれを引きずりはじめた。

「ええと、カイ君でよいかな。これは適当に目のつくところに捨てておけばいいよねぇ」

「適当にしてくれ」

 そういうとルーヴェスは快く頷いてそのまま部屋を出て行ってしまった。
 異様な血の匂いだけが残り、しかし血痕そのものがない。
 奇妙なその場所、カイは正面の椅子についた。

「いやぁ、しかし。法王庁の皆々様がこれを見たらどう思うのかなぁ?
 ははは、いやだなぁ。私は前向きな話をしているんだよ、そんなに怒らないでおくれ。
 ああ、そういえばなんだったかなぁ。前にコマーシャルで見た、ピーナッツの着ぐるみを着ていた子は。とても可愛らしい!
 時代の獅子? 君は一体何の話をしているんだ?」

 えらくデカイ声でいないはずの誰かと話をしながらルーヴェスが遠ざかっていく。
 狂人だと人は言う。
 だが、彼ほど歪んで一途な人間をカイは知らなかった。
 そしてルーヴェス・ヴァレンタインこそ同胞と言える立場の人間だった。

「誰も彼もを巻き込んで、絶望と諦めの甘美な夢に落ちてしまおう」

 こうしてカイはギーメルギメルのボスの座を奪う。
 その後、ヘイルの死体と共にその文面が法王庁に発見された。

                    *              *             *

「鳴滝ぃーッ!! 出てこいやコルぁああ!!」

 新学期早々だった。
 さわやかな晩夏の中、久々の教室で国語の教科書を広げて真面目に学業に励んでいたジョーを呼んだのは、今日も今日とて木甲漢。
 もちろん黒板の前には銀子が背伸びをしながら懸命に文字を書き連ねていたのだが、
 ぼきり、というチョークが複雑骨折した音を最後にその動きはすっかり止まった。
 そろりと木刀を担いで窓に向かうジョーに銀子が刺すよな声を浴びせかけた。

「鳴滝君、どこが痛いんですか……」

「え、あーっと……おなか、かなぁ」

 はっとレオが顔を上げる。
 臨場するように彼女も腹に手をやった。

「センセ、私も」

 返事を聞く前にがらっと窓を開けるレオ。
 そしてひょいっと淵に乗った。
 一方銀子は手をひらひらとさせてさっさと出て行ってしまえ、という合図を送る。

「見てません。私は何も知りません。授業を続けます」

「ひゃっほぅ、銀子ちゃん話わかるねぇ!」

 そう言って窓から降りていったレオを追うジョー。
 二人がいなくなると銀子は溜息を体の体積分はいて気を取り直し、本当に何事もなかったように授業を続けた。
 一方校門前。

「おいーっす!」

 元気よく挨拶したジョーに対し、一部の不良が顔をひきつらせている。
 一部メンバー編成を行って初顔がいるが戦闘の大将のリーゼントだけは変わらなかった。
 そのロカビリーな髪型にジョーは愛着を持っているのだが、いかんせんそれを表現する機会がない。

「今日こそは落とし前つけさせてもらう。覚悟しろ」

「落とし前田のクラッカー。いいよ、つけてつけて。請求書とか病気とかじゃなかったら全然もらう」

 鳴滝ジョーがそののほほんとした言動からは想像も出来ない凶暴な手腕の持ち主だという事は覚悟しているだろう。
 あるの意味での”ワルさ”で言ったら彼も相当なものである。
 飄々としているのも同い年の不良を子供扱いしており、彼自身もダークな世界を十二分に理解しているからである。
 そこまで木甲漢が理解しているはずもないから何度も律儀にやってくるのだが、ジョーはやっぱり連中のそういうところが憎み切れなかった。

「今日は強力な助っ人がいるんだ、鳴滝。そっちの女は手助けできないと思え」

「何々?」

「野郎ども、あの方をお呼びしろ!」

 目を輝かせるジョーに対し、大将はごくり、と生唾を飲み込んだ。
 どれだけ危険な相手を助っ人に呼んだのか、と構えているとパッカパッカというテレビなどで聞き覚えのある音が聞こえた。
 ジョーとレオの眉間にみっちりシワが入ったところでそれは姿を現した。

「おーっほっほっほっほっほ!
 ひと月ぶりですわね、二階堂さん!」

 白馬に乗った伊集院ユリカだった。
 相変わらず非常識である。

「驚かれました? そうですわよね、そうですわよね!」

「いや……何それ」

「馬、ですわッッッ!」

 そういう事聞いてんじゃねぇ、というレオの表情をべらぼうに無視してユリカは高笑いの末ひらりと馬から降りた。
 木甲漢が恐れる助っ人とは、この非常識極まりないお蝶夫人の事に違いない。
 確かに恐るべき相手だ。

「さて、あっせ臭い男子高校生はそっちで砂ぼこりにまみれて好き勝手おやりなさい。
 しっし! 鳴滝、しっし!」

 木甲漢もろともハケられてジョーは非常に困惑したようだが
 どういうわけか木甲漢はう伊集院ユリカのいいなりでささっと移動すると息を揃えてジョーに襲いかかった。
 いたしかたなくジョーも応戦し、合戦が開かれる。
 そんな状態を背景にしてユリカはレオの前に華麗なステップでやってきてエナメルコーティングされた高そうな紙袋を差し出した。

「ノルウェーのお土産を持ってきましたの。
 私、他校にまで乗り込んであなたと闘ったとあれば、取り巻きの女の子たちに怒られてしまいますので今日の所はそれだけですわ。
 探すのに苦労しましたのよ……開けてみてくださる」

 半ば押し付けられていたしかたなく中を開けてみると、何やら黒い布のようなものが入っていた。
 取り出して見ると、水着と見違う程ごてごてとした装飾のついた下着の上下セットとガーターベルト、そして何故か紫色のストッキングが入っていた。

「…………」

 黙って紙袋の中にしまって突き返すレオ。
 しかし当然、ユリカが受け取る様子もなかった。

「ピッタリのはずですわ。99、58、86、ですわ」

「なんでお前が知ってるんだ」

 バチっと視線が火花を散らす。
 やっぱりやるのか、と思ったがユリカは首を振り、肩をすくめた。

「やっぱりお変わりないようですわね。たかだかセクシャルハラスメントに顔を赤くなさるなんて」

「赤くなってるか? お前の不気味さにぞっとしてたところだが」

「二階堂様、いらぬ夏デビューはなさっていないようですわね!
 鳴滝とくっついてでもいたりしたら私、きっと彼の自宅に火を放っていたところですわ」

「んなことされてたまるかッ!!」

「ぼーッ! ボーッ! 藁のおうちはよく燃えますのよ、おーっほっほっほ!」

「この成金悪趣味がッ!! 勝ったと思うなよ!」

 木甲漢の面々をなぎ倒しながらジョーがユリカに罵声を飛ばすがそれに対してもユリカは高笑いするだけだった。

「いいですこと、次の私との決闘ではそれをつけてきなさい。
 これぞまさしく勝負下着!」

「帰れ」

 呆れきってレオの口からようやくそれだけが出た。
 すると、伊集院ユリカは大人しく白馬に再びまたがり手綱を握る。
 完全に置いて行かれた木甲漢はきょとんとしながらユリカを見上げていた。

「い、伊集院さん、それじゃあ助っ人の意味が……」

「私、巨乳にしか興味がありませんの」

 ”巨乳”にものすごい重いアクセントを置いて一刀両断したユリカ。
 そして方向転換をするとパシン、と手綱を鳴らした。

「走れ、レオン! 激しくいななけーッ!!」

「馬に人の名前つけんなッ!!」

 ヒヒーン!
 白馬レオンは飼い主に従順なのか軽快な音を立てて去っていった。
 その頃には既に木甲漢の面々はすでに半分はジョーにたたきつぶされていた。
 本当はジョーの背後で木甲漢の大将がいいところまでいっていたのだが、ユリカの圧倒的なキャラの濃さが原因で誰の目にも止まらなかった。
 こうして夏の幻想が通り過ぎて、なじみのある日常が帰ってきた。


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