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NOVEL 天使の顎 season2’ OVERDOSEEXOCIA
2 *影/Shadow*1
「いっててててて……!」

 背中から腰にかけての痛みで起きあがったジョーが見たのは、霧だった。

「……ああぁッ? なんだ、ここっ!」

 とにかく、青白い光が霧の中照らされていてる。
 どうやら教室のようにも見えるが、机と椅子は四つ端で無造作に積み上げられていた。
 足元は白と黒のチェックがらという、まるでチェス盤、いつもの学校の教室ではない。
 何があったか思い返すとあんまりにも突然だ。
 いつものようにレオとケンカトレーニングをしていると、そこに黒金絹夜という新任教師が割り込んできて、魔法陣が足元に浮かび上がっていた。
 気がついたらこの通りだ。
 起き上がりどうしようかとあたりを見回していると、黒のルーズソックスをはいた足が見える。
 レオだ!
 駆けつけると、彼女も起き上がるところだった。

「あ……た……」

「大丈夫か?」

「ちょっと打ったみたいだけど多分大丈夫。問題ナシ」

 そういいながら立ちあがったレオは状況を理解して嘲笑しながら前言撤回をした。

「……問題大有り」

 なんだ、ここは。
 いつもの退屈な教室がイカレたセンスで彩られている。
 第一、自分たちがいたのは屋上だ。
 そしてやはりあたりをきょろきょろと見回し、ようやくジョーが気がついた。

「黒金センセも一緒だったよな? どこいったんだ?」

「……セーター」

 腕に巻いた黒いセーターがない。
 レオが気になっているのは絹夜より自分の所有物だった。
 この部屋に充満しているもやは煙ではなく、霧なのだろう。
 湿った空気が肺を満たす。
 今危険はなさそうだが、間違いなくここで遭難しているのだ。
 とりあえず窓際でカーテンから外を覗くと、まずは重油が流れ落ちるような空が見えた。
 紫色のどろどろとしたものが天高くから落ちている。
 それでも立ち並ぶビルはいつも見ていた教室からの風景そのものだ!

「ここ、俺たちの教室だ! 3−2だよ!」

「だったら何も困らないだろうが!」

 怒鳴ったレオにさえ、そこから見える風景を知っていた。
 退屈でいつもそっちばかりを見ていたから覚えていないわけがない。
 見慣れた教室のそれだった。

「センス最悪……」

 窓の外の風景にそっけない溜息をついてレオはドアを開けそのまま教室から出るつもりだった。
 しかし、ドン、と何かにぶつかって短鳴を上げた。

「にゃっ」

「……”にゃ”って、可愛すぎるだろ、お前」

「…………」

 黒いセーターを小脇に抱えた黒金絹夜だった。
 ジョーは正直ほっとしたのだが、レオは何もかも面白くない。

「黒金センセ、どこいってたんだよ〜! 俺達心配してたんよ」

「そりゃどうも」

 安堵を素直に顔に出すジョーの言葉と矛盾してレオはセーターをひったくるとやたらそれを叩いて定位置の腰に巻いた。
 絹夜は窓の外を見て溜息をつき、ポケットからよれたメンソール系の煙草を取り出して余裕満々といった様子でふかしている。
 コケティッシュな女性に似合う細い煙草を吸うのが少しミスマッチにも見えたが、
 黒金絹夜というミステリアスこのな男のセンスがジョーは共感できるものだった。

「センセ、何者なの?」

 単刀直入にジョーが聞くと、絹夜は機嫌よさそうに鼻で笑う。

「そのうちわかる」

「そのうち分かるなら今教えてくれてもいいじゃんかよー」

「説明するのが面倒くさい」

 説明するのが面倒くさいなら、聞いて理解するのも面倒くさいのだろう。
 ジョーの頭は素直にそうまわって絹夜の答えを受け入れた。
 一方、レオはずっとふてくされた状態のままである。
 ある意味、彼女がここまで感情を露わにしたことがないので微笑ましいのだが、そこでジョーがにっこりともすると肘鉄が飛んでくるのだろう。

「いくぞ」

 相手の反応を見ずに行動に移す唯我独尊タイプだ。
 大人しく言うとおりにするジョーと、ふてくされながらついて行くレオ。
 廊下に出ると、さらなる怪奇現象が起きていた。
 薄ぼんやりとした人の形をした影が右へ左へ動いているのだ。

「のわぁッ! なんだ、こいつら!」

 体をすり抜けていく黒い影。
 ぶつかると、何やらもごもごしゃべったようだがあまりに声が小さくて聞き取れなかった。
 無視するように先に進む絹夜。
 とうとうレオの我慢が限界近くなったのか、あからさまに不満を絹夜の背中にぶちまけた。

「好き勝手歩いてるみたいだけど、アンタ、出口知ってんの」

「知らん。だから捜してんだろうが」

 声を殺すように唸ったレオ。
 ジョーは苦笑するばかりでそれがまたレオの逆鱗に触れ、とうとうジョーの顔面に肘鉄が入った。
 そうこう大騒ぎしながら昇降口まで来ると、すぐ目の前に坂道が見える。
 両側は石垣になって暖かい季節にはツツジが咲いている。
 いつもの高校の風景の中、空はべっとりとねばついていた。
 それだけじゃない。
 見て回ると少しづつ奇妙なところがある。
 いつもなら正方形のドアは少し歪んでひし形になりつつあるし、廊下も若干歪んでいる。
 まるでぐにゃりと捻じ曲げられたかのような風景だ。

「……ここじゃないな」

「はい?」

 ひとりごち、絹夜は踵を返して校舎内に戻る。
 外に出るのだとばかり思っていたジョーは目を丸くし、予想が外れた絹夜に対しレオは鼻で笑う。

「外じゃん、黒金センセ! 早く出ようよ!」

「街も同じような状態になってる。俺たちがいるのは物事の”裏側”だ。
 裏から表に行くには、この世界の淵を跨ぐ必要がある」

「…………何言ってんスかぁ?」

 そんなこと突然言われたら頭がおかしいんじゃないかと疑うだろう。
 だが、おかしい世界でおかしいことを言われたらそれなりに正しい事に思えた。
 ただ、ジョーにはその意味がわからなかった。

「俺達は三人仲良く”裏っ側”に落とされたんだ。
 キてる話だがとりあえずは自分の身の上に起きていることを考えろ。
 こういう世界に入っちまった以上、原因探さなきゃいけないんだよ」

「原因って言ったって……」

「俺達をここに引きずり込んだ張本人がここにいるはずだ」

「張本人って言ったって……」

「うるさい。ぐだぐだぬかすな」

 ジョーを一蹴して絹夜は来た道を戻った。
 いつもならまっすぐ裏口まで延びている廊下も少し歪んで見える。
 手前から、職員室、多目的室、保健室、と教職員関係の部屋が並んでいる。
 その扉はどれもこれも歪んでいて、廊下には薄ぼったい影が揺らめいていた。

「このシャドウなお方たちはどうにかならんですかい、センセ」

「あまり刺激するなよ。危害を加えることもある」

「えっ!? 手ぇだしてくんの!? だ、だいたい、こいつら何なんなの!」

 絹夜の言葉を聞いてジョーは絹夜との間を懸命に縮めた。
 一方レオはついてくる気がそもそもないのか、見失わない程度の距離で、しかしなんだかんだでついてくる。
 得体のしれない影、得体のしれない男。
 だったら、原型があるだけまだ黒金絹夜のほうがマシだ。

「現実世界の裏側だな」

「裏側?」

「表ざたにならない感情だとか、魂だとかが蓄積する場所だ。
 影はその残りかすってところだ。”裏界”ってな風に呼ばれてる」

「裏界……」

 絹夜の言葉を反芻するだけになってきたジョー。
 すり抜けていちいちぶつぶつ言う影の言葉が耳に入った。

『あいつ、ホント、マジウザイ。死ねばいいのに』

『新学期早々テストって気が滅入るわぁ』

『CD早く返してくんないかなー。でも取り立てにいくわけにもいかないしなー』

『イライラする。イライライライライライライライライライライライライライライライライライライライラ』

 重い軽いあれど、その人が思っているであろう言葉をすり抜けただけでそれはもう簡単に口に出すのだ。

「…………っ」

 想いが強ければ強いほど影の濃さも大きさも変わってくる。
 時折、人型でない、頭に角のようなものを生やした影も通り過ぎる。
 興味本位でジョーがそれに指先をかすめると、低い声で唸った。

『めんどくさい。いきするのめんどくさい。いきるのめんどくさい。めんどくさいいいいいいいいいいい』

「ッわ!」

 驚き壁際に倒れたジョー。
 しかし、その体がさらに他の影に触れた。

『授業つまんないよー』

『あーーーーーーーーかーーーーーーーーんッ!!』

『あの子かわいいなぁ。彼女にしたい』

『さっきの先輩、いつかボコボコにしてやる』

『銀子ちゃん、バカっぽいな。あれに授業教えられちゃうのか』

『購買にモズクパン売ってればいいのに』

 一斉に喋った影の先、尻もちをついたジョーの前に巨大な影が進み出た。
 ぱかりと目のあたりに穴が開く。
 ジョーを睨んでいると思ったら、次の瞬間には右腕を振り上げていた。
 その右腕はハンマーのような形に変化し、ジョーに振り下ろされる。

「うわああぁぁぁぁああッ! モズクパンって何だよーッ!!」

『教科書忘れちゃったー。誰かの机からパクっちゃお』

『ゴー、メガメサイア、メガメサイア!!』

『あ、十円玉落ちてる』

『やだなぁ、ダーリンってばまた浮気なのかしら』

『トイレいきたいんだけどなぁ。こいつ話長いなぁ』

 ダバダバと影をつっきってやかましく絹夜の背中にしがみつくジョー。

「センセっ! 俺、早くここから出たいいぃッ!!」

「抱きついてんじゃねぇよッ! 暑苦しい!」

 身をひるがえしてジョーを振り払う絹夜。
 しかし絹夜の頭上にはハンマーを振り上げる巨大な影の姿があった。


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